【探索生活17日目】
洞窟を出ると、焼けたパンのいい匂いがした。
「おはよう」
「おはヨー」
チェルがパンの焼き色を見ながら、挨拶を返してくる。まだ、他の3人は起きていないようだ。
霧が出ている坂道を下り、沼で顔を洗って大きく深呼吸。沼の端に崩壊した畑跡である島影が見えた。
島では水鳥の魔物であるスイマーズバードが悲鳴を上げている。カミソリ草にでもやられたか。魔境では、いつもの生存闘争なのでいちいち確認しに行くようなことはない。
「砂漠を渡るのに保存食は何日分必要なんだろうなぁ……」
上手くいけば、砂漠を5日かけて南下。鳥人族の国にたどり着いたら、すぐに帰るとしても10日分。どうせ俺のことだから、迷うにきまってるので、3日か4日分は予備の食料と水が必要だ。
「砂漠は特に乾いてるから、水がかなり必要だ。魔物でも使役できたらいいのに」
「なにをブツブツ一人で言ってるのだ?」
ヘリーが俺の顔を覗き込みながら聞いてきた。
「おはよう。起きたのか?」
「チェルのパンが焼きあがったようだからな。それで、なにを考えていた?」
「いや、砂漠を渡るとして、どのくらい食料と水が必要かを考えててさ。荷運び用の魔物が使役できたらなって」
「なるほど。不毛だ」
「不毛だって?」
ヘリーは俺の横を通って顔を洗いに行ってしまった。
洞窟に戻って、起きてきていたジェニファーとシルビアにも同じことを言うと笑われてしまった。
「なにかおかしいことを言ってるか?」
「だってマキョーさんは、荷運び用の魔物よりも荷物を運べるじゃないですか」
「し、し、しかも、体力も無尽蔵で疲れない」
「お前ら、俺をなんだと思ってるんだ?」
憤慨しながら、焚火の前に座ると、チェルが肉野菜炒め入りのサンドイッチを渡してきた。
「でも、間違ってナイ」
チェルまで俺を過大評価しているらしい。
「いやいや、たとえ大きな荷物を持てたとしても、運ぶとなると容れ物が必要になってくるし、それを壊さないよう、引きずることなく持ち上げないといけないんだぞ」
「だ、だ、だったら橇にすればいい! さ、さ、砂漠は砂地だから、橇なら曳ける」
シルビアは『いいことを思いついた』というように手を叩いた。
「それなら砂漠までは私たちも運ぶのを手伝いますよ!」
ジェニファーはそう言って胸を張った。
「待て、待て! まさか俺一人で行かせる気じゃないだろうな?」
「マキョー、乾燥って肌に悪いんだヨ」
チェルがキョトンとした瞳で見つめてきた。
「前はチェルだって砂漠の空島に行ったじゃないか」
「それはソレ。これはコレ。鳥人族の国まで何日かかるかわからナーイ」
「もし砂漠で俺が死んだら、お前らどうなる!? この魔境でやってけ……るのか」
俺がいなくても、この4人ならどうにかなりそうではある。
「実際のところ、たぶん私たちは砂漠で足手まといになるから、行くとしてもチェルだけだろうな」
顔を洗って戻ってきたヘリーがそう言って、サンドイッチを手に取った。
「エッ!?」
チェルはアホ面で固まった。
「よし、道連れが決まったところで、水袋とか準備するから手伝ってくれ」
「了解!」
「了解です!」
「りょ、りょ、了解」
3人ともサンドイッチを食べながら、頷いていた。
「いや、ちょっと待ってヨ~!」
チェルの叫びは魔境の空に消えていった。
水袋はロッククロコダイルの胃袋を使うことに。ことあるごとに狩っていたので、余っていた。
ソリはヘイズタートルの甲羅にした。固く丈夫で、ちょっとやそっとでは壊れない。
「ほ、ほ、他に使用法が見つからない」
シルビアが保管していたが、持て余していたようだ。
「そうそう。そうやってペースト状にしていくのだ」
「こうカ?」
ごねていたチェルだったが、今はヘリーに塗り薬の作り方を教わっている。女性陣から「チェルしか鳥人族との交渉という大役は務まらない。マキョーだけだと敵対するかもしれない」などとおだてられたらしい。単純だ。
保存食は燻製肉とドライフルーツ。燻製肉はゴールデンバットやジビエディアを獲ってきて、多めに持っていく。ドライフルーツは採ってきたカム実からチェルが魔法で水分を抜いて、壺3つ分ほど作っていた。
「どんだけ作れば気が済むんだ? 病気になるぞ」
「鳥人族と接触した時に、こういうのがあるのとないのでは大違いヨ」
交渉の時に甘味があれば鳥人族が少しは食いついてくれるかもしれないという計算だったようだ。
「そうか。交渉して仲良くなった方がいいもんな」
鳥人族と遭った場合、どうするか考えてなかった。本当に俺だけだったら、ダメだったかもしれない。
「マキョー、もし鳥人族と遭えたらちゃんと歴史についても聞いておいてくれよ。今後、村跡の発掘だってあるんだから、できるだけ魔境に関することは調べて」
ヘリーが「わかってるんだろうな」と前のめりで迫ってきて、ようやく俺も砂漠を旅するだけではないことに気付いた。
鳥人族から家賃を取るなんて冗談を言ってる場合じゃなかった。そもそも文献でしか知られていない種族なのだから、友好とは限らない。
「防具も持って行った方がいいよな」
「あ、あ、あんまり意味はないかも。ふ、ふ、二人は元が強いから、装備で底上げするよりも砂色のローブとか隠れやすいものの方がいいと思う」
「私もそう思います。不意打ちさえ食らわなければ、マキョーさんもチェルさんもふつうの武器で傷つけられそうにもないですし、魔法が付与された武器なら鎧などは意味ないでしょうし、動きやすい衣服の方がいいですよ」
ジェニファーからも言われ、小麦が入っていた袋でコートを作ることにした。武器は適当なナイフだけ持っていき、何かあれば現地調達しろ、とのこと。
「現地には砂しかないかもしれないんだぞ?」
「大丈夫。鳥人族が生きていれば、人が生きられるだけの物資はあるはずだ。巨大ミミズの腹の中に入ってたあの骸骨だって死ぬ前は肉と皮がついてたんだから」
ヘリーが肩を叩いてきた。
「そう言われればそうか。争わずに交渉できればいいなぁ」
「それより先に砂漠で死なないことだ」
「確かに」
砂漠では暑すぎても寒すぎても体力は消耗するので、できるだけ朝方や夕方に移動した方がいい。真昼と真夜中は、テントに篭ることになるだろう。無理をしないことが基本だ。
問題は砂嵐。テントに篭ってやり過ごしても、テントごと埋まってしまう可能性がある。
「砂嵐の時にテントをどうするかだよなぁ……」
「そんなのソリをひっくり返せばいいんじゃナイ?」
チェルはヘイズタートルの甲羅で野営するつもりだったらしい。
「中に荷物が入ってるんだから無理だろう」
「だ、だ、だったら砂で作るのは? や、や、ヤシの樹液で固めて冷やせば簡単にできる」
シルビアが提案してきた。
「でも、それって使いまわしできないんじゃないか? 昼になったら熱で溶けそうだぞ」
「砂で固めるっていうのは有効だと思いますよ。ほら、魔境の外にいる犯罪奴隷たちも土魔法で家を作ってたじゃないですか」
「そうダ! ジェニファーの言う通り、あいつらに教えてもらおうヨ」
「うむ。食料を少し分けてやれば、教えてくれるだろう」
「そうしてみるか。まだ、いたらいいけど」
燻製肉を作っている間、とりあえず俺は採れたてのカム実とチェルが焦がしたパンを持って入り口の小川へと向かった。
小川の向こうにある小屋は健在だったが、明らかに人が減っていた。小屋の外には2人しか見えない。
「2人だけか?」
小川を飛び越え、警戒していた傷だらけのエルフに聞いた。
突如登場した俺にエルフは驚いて、声が出ていない。
「随分、人が減ったろ?」
「あ、いや、そうだな。あんたが、いや、魔境の領主が強くならないと死ぬぞと言ったから、皆、違う土地へと向かったんだ」
フットワークは軽いらしい。イーストケニアでもなく軍の施設でもない南西に向けて旅立ったらしい。
「お前ら、2人は置いてけぼりになったのか?」
「どうせ死ぬのに動きたくないだろ」
「めんどくさがり屋かよ。他の土地に行っても死ぬのか?」
魔境の近くで死なないでほしいんだけど。
「衰弱しているエルフの犯罪奴隷と農夫だぞ。衛兵に見つかったらボコボコにされて、縛り首だろう。ここなら、魔境の魔物が一瞬で殺してくれそうじゃないか」
「なるほど、わざわざ痛い目に遭いたくないと。死ぬ前に果物とパンをやるから、小屋を作る魔法を教えてくれ」
「魔境の領主よ、小屋を作る魔法はないぞ」
「え、じゃあ、この小屋はどうやって作ったの?」
俺が前のめりで聞くと、2人のエルフは相談し始めた。減るもんじゃないし、教えてくれるくらい良いと思うが、もしかしたら俺のことが嫌いなのかもしれない。
「2人ともどうせ死ぬんだろ?」
「いや、魔境の領主がこれからも食料や水を分けてくれるというなら、生きていけるかもしれない」
「お前らは俺の扶養家族かなにかか? 男と結婚する性癖は持ち合わせてないぞ」
「奴隷にしてくれないか? 領主の奴隷ならそんなおかしくはないだろ?」
おかしくはないが、奴隷の扱いがよくわからない。
シルビアもヘリーも元は奴隷だ。でも、今は普通に魔境の住人と化している。領主として領民は欲しいところだけど、こいつらエルフの国で何かしら罪を犯した奴らなんだよな。
「奴隷? いやぁ、奴隷かぁ。ちなみに2人はなにをやって犯罪奴隷になったの?」
「政権打倒の先導、要は貴族の家ごと乗っ取ったんだ。あとはその貴族の殺人未遂か。仕方がなかった」
ヘリーは危ないことをしたけど、俺を殺そうとはしない。不満があれば、このエルフたちはいつか俺を殺しかねない。こりゃダメだ。こいつらの不満を汲み取ってやれる自信はない。
「奴隷は間に合ってるんだよなぁ」
「そんなに奴隷が欲しくないのか? 我々2人とは言え、それなりの魔法は使えるし役には立つと思うぞ」
「計算はできるのか?」
「もちろん、100歳を超えているのだぞ」
「交渉役は務まるか。まぁ、でも、いらないかな。養おうなんて気がまるで起きないし」
「随分、正直な領主だな。あとくされもなく無料で労働力が手に入るというのに」
2人のエルフが呆れている。
「お前らの責任を取らないといけないっていうのが面倒。でも、交渉がうまくいったり、軍の訓練施設までの道を作ってくれたりしたら、報酬代わりに食料くらいは分けてあげてもいい」
「ん~、まぁ、今はそれでいい。どうやっても信用を得ることは無理そうだ」
「で、小屋の作り方は教えてくれるのか?」
「いいだろう」
結局、エルフたちが俺の態度に根負けする形で、魔法で小屋を作る方法を教えてくれることに。
「ストーンウォールやアースウォールと同じだ。土魔法で壁を作って、そこに強化魔法を付与して持続させているだけだぞ」
「なんだ、そんな単純な構造だったのか」
「まぁ、ある程度、粘着性がないと崩れやすくはあるが、一週間くらいは保つ。その間に泥や粘土質な土で補強していけばいいだけだ」
偉そうに指を立てながら、エルフたちが説明してくれる。
「ちょっと待て。粘着性がないと、すぐに崩れるのか?」
「そりゃあ、そうだ」
「じゃあ、砂漠の砂では無理ってこと?」
「魔境には砂漠まであるのか!?」
「そうだ。砂漠を越えて鳥人族の国まで行こうと思ってね。一晩も無理か?」
「やってみなければわからん」
粘着性が足りなければ、ミツアリの魔石を持って行って、甘い小屋でも作るか。
「土の壁は練習すればできるようになるかな?」
「簡単な魔法だ。時間はかからないだろう」
チェルに聞けばいいか。
「わかった。ありがとう」
お礼を言ってカム実と焦げたパンを渡した。
「魔境の領主よ。次はいつ来る?」
帰ろうとする俺にエルフたち声をかけてきた。
「いつかはわからないよ。砂漠まで行って帰ってくるのに、10日くらいはかかると思うし」
「10日で、これだけでは、さすがに飢えてしまう」
「昨日渡したロッククロコダイルの肉は持っていかれたのか?」
「全員で分けたからな」
「ん~、じゃあ、自分たちで獲るしかないな。この周りに、スイミン花という魔物を狩る花が咲いているのは知ってる?」
「植物が魔物を狩るのか!?」
エルフたちは目を丸くして驚いていた。
「魔境の白い小さな花だ。俺たちが植えておいたから、花の周りで魔物が死んでいるかもしれない。眠り薬の材料にもなるから、覚えておいた方がいい」
その後、エルフたちはスイミン花の特徴や使い方を熱心に聞いていた。さっきまで動かずに死ぬと絶望してたけど、生き残れる可能性があれば人は動くものなのかもしれない。
「生きてたら、また会おう!」
そう言って俺は魔境の洞窟に帰った。