【探索生活13日目】
朝、起きるとジェニファーとヘリーが話をしながら、背負子を用意していた。
「おはよう、なにかするのか?」
「おはようございます! 全然、小屋ができないので、それとなく軍施設へ行って様子を聞いてきてほしいんですけど……」
「おはよう、ワニ革とワニ肉、いくつかの魔石があれば交渉もしやすいだろう。一応、魔物の歯でまじない用のネックレスと腕輪は作っておいた。マキョー、杖は作らないのか?」
「杖はしばらく交易品にはしないでおこう。また、面倒なことになるといけない。それより、小屋は時間かかるだろうから、気長に待った方がいいんじゃないか」
そう言うと、ヘリーは「まぁ、そうなのだがな」と俺を見てきた。
「入口のスライムと訓練することになっただろ? せっかくだから、交易小屋の様子や近隣のことも知っておきたいと思ってジェニファーと話してたんだ」
「ほら、ヘリーさんはエルフの犯罪奴隷だから、そんな顔はできるだけ隠しておいた方がいいじゃないですか。だから、私かマキョーさんが一緒に行くのがいいと思うんですけど……」
そう言いながら、2人とも俺を上目遣いで見てきた。俺を訓練施設に行かせたい理由があるのか。
「なんだ? あ、下着が破れたか? 女性特有の必要なものがあるなら、俺よりジェニファーが行った方がわかりやすいと思うぞ。ん? そういう話ではない?」
「ああ、違う!」
「じゃあ、なんだ? まだ、小麦粉だってあるだろ? コート用の布か? 沼地用のコートは急がなくてもいい」
「ん~わかった。実はマキョー、お前の嫌いな霊が昨日の晩に現れたのだ」
「あぁ、そういうことか。……大問題じゃないか!?」
「いや、私が使役している動物霊の一体で、なにか周辺で異変があったときに報せてくれるんだけど、なにかがあったらしい」
「なにがあったんだ?」
「それがわからないから、ちょっとマキョーに訓練施設へ行って聞いてきてほしかったのだ」
「それは俺じゃないとダメなのか?」
「移動速度が一番速い。なにより、なにかあった場合、一番魔境のことを知っているし対処もできるだろう?」
「自慢じゃないですが、私は性格が悪いですから、訓練施設の方と揉める可能性もあります」
ジェニファーはよく自分のことを理解している。
「他の2人もあまり適任とは言えない」
チェルは魔族だし、シルビアはイーストケニアで何かあった場合、動揺するかもしれない。
「なるほど、よくわかった。とにかく、訓練施設に行って様子を窺ってくればいいんだな」
「その通り! 本当は動物霊に案内させてもいいのだが……」
「それは無理だろうな」
俺は背負子にワニ革とワニ肉を縛り、まじない用のネックレスや魔石を革袋に詰め込んで腰に下げた。
2人とともに入口の小川まで向かう。ヘリーはここでスライムと対戦し、自分の魔力を確認。ジェニファーは死なないように見張り役だ。
「じゃあ、行ってくる! 午後には帰ってくると思うから、チェルに俺の分の昼飯を頼んでおいて。今日の探索は休んでもいいから」
「いや、たぶんそんな器用な真似はできないと思うから、残り物を食べないでおくことにする」
わかる気がする。
「じゃあ、それで。いってきます!」
「「いってらっしゃーい!」」
2人に見送られ、俺は小川を飛び越えた。
森の中に、この前植え替えたスイミン花が少し枯れかかっていた。後で魔物の肉でも与えないといけない。
「いや、こういうのは森の管理者に言った方がいいな。なんでも魔境側がやるとなると大変だ」
なにごともいい塩梅というものがある。貴族になると責任も増えるから、なるべく領地以外の責任から離れないと。俺の器じゃ魔境のことで精一杯だ。
そもそも、魔境と他の地域は植生も魔物や動物の種類も全然違う。俺が今走っている近隣の森ですら、魔境とは全く違う生態系だ。なんか魔境では嗅いだことのない甘ったるい匂いもする。
「この匂いはなんだ?」
ちょっと異様な匂いなので、警戒しながら進むことに。
しばらく走っていると、その匂いがどんどん強くなってくる。
周囲の魔物たちも匂いに興奮して殺気立っているのがわかる。
キャッキャウフフという女の声と水が弾けるような音も聞こえてきた。この森で匂いの強い石鹸を使って水浴びをしている輩がいる。バカな冒険者か、それとも軍の訓練生か。
「森の魔物を全員敵に回すなんて、無茶な訓練してるなぁ」
ワイルドベアが鼻息を荒くして、グルルルと喉を鳴らしている。俺も水浴びをしている輩の仲間だと思われたかな。
飛び掛かってきたワイルドベアの頭を掴んで地面に抑え込んだ。多少は暴れたが、やはり外の魔物は殺気に持続性がない。疲れるんだろうな。
「よーしよしよし」
俺はワニ肉の欠片をワイルドベアの口に押し込んだ。
「ワイルドベアが出たぞー!」
大人しくなったワイルドベアを撫でながら、水浴びをしている輩に大声で報せる。
ガチャガチャといかにも金属の鎧を着る音が鳴るのを待ってから、ワイルドベアとともに匂いの元へと向かった。
「こんにちは~」
「辺境伯じゃないですか! 驚かせないでくださいよ!」
王都までの案内人から魔境のお目付け役に昇格したサーシャだった。インナー姿のサーシャの他に、素っ裸に鉄の鎧という妙な恰好をした女性の兵士が6名ほど、髪を濡らした状態で剣を構えていた。俺が辺境伯だとわかった途端、警戒を解除していたようだが、大丈夫か。
「サーシャ。すごい匂いだぞ」
「匂い? ああ、王都から流行りの石鹸を取り寄せたんですよ。どうですか?」
「森中の魔物と動物が敵意をむき出している。よくそんな訓練思いつくな。ほら、ワイルドベアも鼻がむずむずしているぞ」
俺が首根っこを掴んでいるワイルドベアは鼻を手で押さえている。器用だ。
「魔物が敵意を!?」
「ああ、できれば早いところその石鹸は隠してくれ。それからワイルドベアを逃がしている間に、セクシャルでハラスメントなその恰好もやめておいてくれると助かる」
サーシャは仲間たちの格好を見て、「承知しました」と敬礼した。
俺はなるべく時間をかけて、ワイルドベアを女性の兵士たちから離した。
「悪かったな。俺からあいつらにはきつく言っておくから、今日のところは勘弁してやってくれ」
言葉なんかわからないだろうが、思いは伝わったようで、ワイルドベアは俺の全身を嗅いでから、森の奥へと消えていった。
「失礼しました。池で水浴びをしていたところでしたので」
サーシャたちのもとに戻ると、言い訳をしていた。
「匂いの強いものはなるべく訓練施設で使った方がいいぞ。魔物に位置がバレる」
「わかりました。それで、今日はまたどうして魔境から?」
訓練施設へと向かいながら、俺に聞いてきた。女性の兵士たちは俺を囲むように周囲を警戒している。むしろ狙われているのは彼女たちの方だ。
「ああ、ちょっとワニ肉とワニ革が獲れすぎたから、なにかに交換できないかと思ってさ」
「交易ですか? 今はちょっと無理かもしれません……」
「なにかあったか?」
「ほとんどの兵はイーストケニアに行ってますから」
「また、内戦か?」
「まぁ、みたいなものです。辺境伯のあと、イーストケニアの新しい領主が王都で任命式から帰ってきたら、金を出していた商人ギルドを裏切ったんですよ」
「裏切るって、どういうこと? そんなことできるの?」
「内戦によって衛兵も代わり、強盗や汚職が増えたんですよ。それで治安が安定するまで王が軍を送った結果、裏切るしかなかったようです」
「え~、じゃあ、魔境にも軍を送ってほしいんだけど。やることが多くて探索が進まないしさ」
「それは無理でしょうね。別に治安が悪くなったところで、魔境はあまり変わらないでしょうし、そもそも行こうという兵がいません」
「なんだよ~、相変わらず人気がねぇな。それで、あの俺に領地を売りつけようとした果物屋のおっさんは?」
「ザムライはイーストケニアにある果樹園に潜伏中です。イーストケニアには果樹園がたくさんありますし、今の軍はそれどころじゃない案件を抱えているのですよ」
「商人ギルドのトップを殺しておかないと、新しい領主が暗殺されそうだけどなぁ」
「イーストケニアの領主の命よりもエルフの奴隷が大量に入ってきてしまったことが問題です」
「そうか? 今までも冒険者のエルフがこの国にはいただろ?」
「冒険者と違い素性も能力もわからない犯罪者集団が大量に入ってきたと思ってみてください」
エルフの奴隷は犯罪奴隷が多いのか。
「訓練施設からも大勢兵を送って国境線にある砦の強化。それから、エルフの奴隷の能力検査も冒険者ギルドと連携して行っているところです」
「領主が代わると大変だな」
「ええ、内戦が激化することもあるので、これでも抑えられた方です」
「そうなのか? じゃあ、俺が死んだら大変なことになるな」
「それはなりません。私が王都に帰れるくらいかと」
サーシャはあっさりしていた。
「隊長もイーストケニアに行ってるのか?」
「ええ、不在ですよ。魔境関連のことは私が伺います。交易品はワニ肉とワニ革ですね?」
「そうだ。なにか食料か衣料品と交換してくれると助かる。一応聞いとくけど、時魔法の魔法書はないよな?」
「ありません」
その後、しばらく歩き続け、訓練施設へと向かった。途中、グリーンタイガーやポイズンスパイダーなどの魔物が襲ってきたが、蹴っ飛ばして撃退した。
訓練施設は本当に人が少なかった。いつもなら畑仕事をしている兵や剣がぶつかり合う音が聞こえていたが、まったくない。
「これで、いいですか?」
「うん、助かる」
サーシャに用意してもらった小麦粉の袋とコート用の布を背負子に括り付ける。
「そういえば、昨日の夜、訓練施設でなにか事件があったか?」
「昨日ですか? 別になにも」
サーシャは後ろに控えていた女性兵士たちにも聞いていたが、いつも通りだったらしい。
「なにかあったのですか?」
「いや、うちの領地にいる者が周辺で何かあったかもしれないって言ってたから気になってな。もしかしたら、イーストケニアの方で事件か事故があったのかもしれない」
「そうですか。新しい領主が殺されたか、もしくはザムライの一家が崩壊したか、いずれにせよ今のイーストケニアなら何が起こっても不思議ではありません」
「そうか。わかった」
勝手に潰れていくのかもなぁ。
「それよりも、辺境伯は占い師か諜報員を雇っているんですか?」
「いや、カンのいい奴がいるだけだ」
そう言ったが、サーシャはあまり納得してなかった。
「とにかく交易用の小屋はしばらくかかりそうだな」
「ええ、申し訳ありませんが、お待ちください」
「気長に待ってるよ。森に行くときは匂いに気を付けてくれ。隊長によろしく」
「かしこまりました!」
サーシャたちは敬礼をして見送ってくれた。
昼前に魔境に戻って、ヘリーたちに報告しておいた。
「そうか。イーストケニアは荒れているか」
「もしかしたら、ヘリーさんを探しにエルフの国から奴隷に化けて追手がやってきているかもしれませんよ」
ジェニファーが予想していた。
「逃亡した犯罪奴隷にそんな価値があると思うか?」
「ヘリーさんなら、ありうる話じゃないですか?」
「私にそれほど執着するエルフはいないよ」
「元旦那は?」
俺がヘリーに聞くと、半笑いで「夫は私に呆れて浮気していたのだぞ」と言っていた。
「まぁ、魔境までエルフたちが来たら、このスライムの群れを当てれば問題はない。それよりもエルフの犯罪奴隷たちがイーストケニアにいるということは、毒殺や魔法関連の事件は増えるし、要人の精神汚染も被害が出るだろう」
「そんなに危険なのか?」
「ああ、エルフの犯罪奴隷は自分の研究のためならなんでもやる者が多い。私もその一人だったからよくわかる。当分、交易用の小屋はできそうにないな」
「サーシャにも言っておいた。気長に待ってるって」
昼休憩で洞窟まで戻り、チェルとシルビアにもイーストケニアについて報告した。
シルビアはイーストケニアの領民たちを心配するかと思ったが、そうでもないらしい。
「か、か、彼らは貴族が思っている以上に賢いし、王都から軍がやってきているなら、それほどひどいことにはならないと思う」
「そんなことより、魔封じの腕輪とか焼き鏝とか売れそうじゃナイ? 魔法陣はヘリーのタトゥーを見ればいいだけだしサァ~。ヘリー、他にエルフが嫌がりそうなことを教えてヨ」
チェルが悪い顔で微笑んでいた。
「なるほど。対エルフ用の道具やエルフを縛り付けておく物を作れば、イーストケニアに売れるというわけだな。それなら、腕輪よりもピアスの方が効果的だ。耳が垂れたエルフほど馬鹿にされるからな」
ヘリーとチェルが悪だくみをはじめていた。
「そんなことして、教会が黙っていませんよ!」
ジェニファーが窘めていた。
「だ、だ、大丈夫。イーストケニアにはそんなに教会はないから。そ、そ、それより、あ、あ、アクセサリーはもっと作らないと!」
シルビアによると、吸血鬼の一族は教会を嫌っていたらしい。
「マキョーさん! 辺境伯として何とか言ってください!」
「いいんじゃねぇーの。人の不幸は蜜の味っていうし、稼ぎ時には稼いでおかないとな。どっちにしろ他人の領地のことに構うのは暇なときに頼む。飯食ったら探索を始めるぞー」
「ホーイ!」
「了解」
「よ、よ、よし!」
ジェニファーは大きく溜め息を吐いていた。