【王都への旅路(マキョー篇)】
馬車は酔う。
1日馬車に乗ったあとの感想だ。
翌日から馬車には乗らず、走ることに。自分が馬車と同じくらいの速度で走れることに驚いたが、護衛についていた騎馬隊はもっと驚いていた。
「辺境伯は体力がおありのようですね」
御者の爺さんが声をかけてきた。
「魔境にいれば自然と、こうなるんです。それよりも久しぶりに町の宿に泊まりましたよ。あんなにぐっすり眠れるものだったんですね」
魔境ではベッドなどないが昨夜泊まった宿ではふかふかのベッドに真っ白なシーツまでついていた。夕食は濃厚なビーフシチューだったし、女中さんたちは美人ぞろい。魔境とぜんぜん違う。
「宿の娘さんを随分お気に入りのようでしたね?」
「ええ、魔境の女は怖い。生きることに必死で色気がないんですよ。自分もそうですが余裕がない」
「そういうものですか? 次の町では娼館にでも寄りますか?」
「いいんですか!? そんなにお金を持ってないですよ!」
「なら、王都に行ってからにしますか。国で一番の娼館がありますよ」
「そりゃ、いいや!」
久しぶりに男同士の会話をした気がする。
「辺境伯、あまり不用意な行動は謹んでください」
「すみません」
護衛の中には女性の兵士もいるため、なかなか大声では猥談はできない。
魔物や盗賊も出たが護衛たちの相手にならず、討伐、捕縛されていった。自然と、後ろには商人たちがついてくる。商人たちは勝手に、新しい辺境伯が生まれることを宣伝してくれるので、護衛たちも特に追い払うこともない。
ただ、商人たちは馬車の隣を走っている俺を誰も新しい辺境伯だとは思っていないことが問題ではある。そもそも普通の服を着ているため体力のある従者かなにかだと思っているようだ。
「辺境伯は領地での衛兵や従者は王都で募集されるおつもりですか?」
俺が宿で洗濯をしていると、護衛の一人が聞いてきた。
「え? いや、領民の募集はするつもりですけど、衛兵や従者は募集する気はないですよ。そもそもそんなに給料払えないと思いますし」
「そう……なんですか!?」
すごく驚いているようだが、衛兵とか雇わないといけないのかな。
「領地を守るためには衛兵が必要だと?」
「ええ、軍でも新しい領地へ行く衛兵を募集しているはずですが……」
「そうですか。やっぱりいたほうがいいのかぁ。ただ、あんまりたくさん来てすぐに死なれるとなぁ。ん~」
とりあえず、洗濯物を干しながら考えることに。
「奴隷もつけていませんよね。だから、洗濯までしてらっしゃる」
「洗濯をしてはいけませんか? せっかく新しく貰った服なのできれいな方がいいと思っているんですけどね」
「そういうことは貴族の方がやることではないかと」
「ああ、なるほど。そういうものですか。いろいろと不自由しそうですね」
正直、貴族の作法とかはまったく知らないので、できることだけやっていこうと思う。どうせ魔境ではそんな作法は通用しないのだから。
「明日は峠越えです。雨が降れば森で野営する可能性もあるので、ゆっくりとお休みください」
「ありがとう」
護衛の兵士たちはなにかと心配してくれるのでありがたいのだが、心配されるなんて滅多にないことなので戸惑ってしまう。そんなことより夕方に洗濯物を干して明日の朝までに乾くか、ということのほうが俺は心配だった。
「移動していると、どうしてもそうなるんだよなぁ。明日は馬車にでもかけておくか」
翌日は生憎の雨。護衛の兵士たちは革製のローブを着ている。
「辺境伯、今日は馬車に乗りますか?」
御者の爺さんが聞いてきた。
「いや、雨に濡れるより馬車に酔う方が辛いので、走っていこうかと」
一応、安いレインコートを売っている商人がいたので買っておいた。
「峠に関所ってありますか?」
「ええ、ありますよ。今日はそこを通るんです」
護衛の兵士が地図を見せてくれた。一本道なので迷うことはなさそうだ。
「じゃあ、先に行ってますから、あとから来てください。風邪引かないように」
俺は安いレインコートを着て、宿から出ると走り始める。
道はぬかるんでいて水溜りも多い。馬車だったら余計に酔っていたと思う。
30分も走っていると上り坂になり、行商人や盗賊などを追い抜き関所まで一気に駆け上がった。徐々に森が深くなっていっている。
「何者だ?」
関所の門兵に聞かれた。
「あとで辺境伯の馬車が来ると思うのですが、その関係の者です。門の軒下でいいので雨宿りさせてもらっていいですか? 身体検査しますか?」
「なるほど危険がないか先に来たというわけだな。辺境伯の馬車が来るという報告は受けている。武器はないし、いいぞ」
馬車が来るまで待つことにしたのだが、昼になっても馬車の影すら見えない。
「途中で襲われているかもしれんぞ」
門兵が心配して声をかけてきた。
「そうですよねぇ。じゃあ、ちょっと見に行ってきます!」
「おう、ほら護身用にナイフの一本でも持っていけ!」
「ありがとうございます!」
門兵にナイフを一本渡されて、朝来た道を戻ると、馬車の車輪がぬかるみに取られて立ち往生しているところを盗賊に襲われていた。
護衛の兵士たちは問題なく立ち回っているが、数が多いのでやりにくそうではある。
「おらぁ!!」
とりあえず、大声で盗賊たちを引きつけ、順番に一人ずつ相手をしていくことに。これでもチェル相手に組手をしているので、少しは立ち回れるはずだ。
そう思ったが、俺の声で一瞬隙きを作った盗賊たちを兵士たちが一斉に叩きのめした。
「あら、必要なかったか」
「加勢、ありがとうございます!」
護衛の兵士がお礼を言ってきた。
「いや、なにもしていない。早く行こう」
俺はそう言って、馬車を持ち上げてぬかるみから出した。
「車輪は曲がっていないですか?」
「ええ、大丈夫そうです。すみません」
御者の爺さんが謝った。
「いや。それより皆身体が冷えますよ。早く行きましょう」
俺も馬車の後ろを走り、峠の関所まで向かうことに。山道は石が多く、馬車は大きく揺れた。道もカーブしているので馬車は早くは進めない。
俺、一人ならいいが、確かに馬車だと時間がかかる。
「知らなかった。すまない。周りの者を考えないと領主は務まらないな」
「え? いえ、そんな我々が遅れたためです。謝らないでください」
俺が謝ると、護衛の兵士は手を振って止めてきた。
初日から言われていたことだけど、護衛に敬語を使うと逆に周囲が変な気を使うと言っていた。できるだけ、フランクに話していこう。なかなか難しい。
「馬車が立ち往生したのはワシの責任です! 申し訳ございません!」
御者の爺さんが再び謝ってきた。
全員、昼飯も食べずにひたすら山道を上った。後ろをついてきていた商人たちの姿はもうない。盗賊に逃げ出したのかな。
夕方、関所の門が閉じる前にどうにか峠まで辿り着いた。雨は止み、雲の切れ間から茜色の空が見えている。
「東の魔境の辺境伯様でございます! 任命式のため、通らせてもらう!」
護衛の兵士が門兵に告げた。
「うむ。この先の身元確認をしています。そこで馬車の中を確認してもよろしいですかな?」
「いいですよ。洗濯物を干しているだけですけどね」
やはり一晩では乾かなかったのだ。
「洗濯物?」
「こちらが新しい辺境伯のマキョー様だ。失礼のないようにな」
「ナイフ、ありがとうございます。使わなくても護衛の方々が盗賊を倒してしまいました」
門兵にナイフを返したが、ただ目を皿のようにして返事もせずに頷いていた。
関所の奥で身元確認の後、先へ進む。休憩処もあるようだが、少しでも進んでおきたい。どうせ宿泊施設は満員で泊まれなかった。
「今日は野宿ですね」
俺がそう言うと、御者の爺さんは馬車を道の脇に停めて、森のなかでテントを張れるような場所を探し始めた。
明らかに1日目と態度が変わってきている。護衛の兵士たちも文句も言わず、馬を休ませ森の中に入っていく。
「俺、なにか悪いことでもしたかい?」
「いえ、逆です。我々が辺境伯の足手まといになっていることを思い知らされました。今までのご無礼、誠に申し訳ありません」
護衛の兵士たちも御者の爺さんも頭を下げてきた。
「無礼なことはされてないから、別に謝る必要はないんだけどな。あ、皆がいないと辺境伯って信じてくれないと思うんだよ。こんな格好だし。お互い様でしょ」
「ただの体力自慢の貴族ではないことはあの重い馬車を持ち上げたことで皆知りました。実力で魔境を統治したのですか?」
「統治してるというか、住んでるだけだよ。一応、新しいイーストケニアの軍は退けたけどね」
テントを張るのを手伝いながら、答えた。
「東では知らぬ間に内戦があったんですか?」
護衛の兵士が聞いてきた。
「内戦っていうか、イーストケニアの領主が変わって魔境に攻めてきたんだよ。150人くらい入ってきちゃったから罠にハメて追い返した」
「「「「おおっ!」」」」
兵士たちには興奮する話だったようだ。
「魔境軍は何名いるんですか?」
「5人だね。まぁ、軍っていうもの自体がそもそもないから、住んでいる奴は全員参加って感じだったね」
「5人で150人を相手したってことですか?」
「いや、ある程度来ることがわかってたから、たくさん罠を仕掛けたんだよ。迷路作ったりもしたな。あとは魔物と植物の力でどうにかね」
俺がそう言うと、兵士たちが「少しだけでも力を見せてくれないか」というので、少しだけ地面を盛り上げて見せた。
「ね? 地面の中にある隆起する力に魔力で干渉するとこうなる。もっと魔力を込めれば、ちょっとした丘くらいにはなるだろ?」
「なりませんよ。それは何魔法なんですか?」
女性の兵士が聞いてきた。
「何魔法って言われても、魔法は才能がないのでちょっとよくわからないけど……」
「サーシャ、今、辺境伯が使ったのは土魔法じゃないのか?」
女性の兵士はサーシャという名前らしい。
「ええ、見たことありません。通常の土魔法は……」
サーシャは詠唱を唱え、地面から土の壁を作り出した。
「このように壁を作る程度です。魔力によって硬度が変わるくらいで、まして丘なんて」
サーシャが土の壁を押すと崩れ去った。
「辺境伯はどなたに魔法を教わったんですか?」
「店子に魔法が得意な奴がいて、家賃代わりに教わってるだけだよ」
「その方はどの魔法学院で魔法を?」
「さあ、それはわからない」
まさか魔族の国だとは言えない。
テントを張り終え、干し肉を焼いて食べていたら、森の中からグリーンタイガーが現れた。
「ひっ!」
「全員、構えろ!」
御者の爺さんが怯え、兵士たちが剣を構える。
「お、キャンプ仲間が来たな」
俺はそれを止めて、グリーンタイガーに近づいた。
グリーンタイガーが飛びかかってきたので、首根っこを掴んで仰向けにしてやった。魔境のグリーンタイガーよりも遥かに力は弱く、子猫程度。顎や腹を撫でて、干し肉を与えると嬉しそうに食べていた。
「西に行くと、魔物は弱くなるのかな?」
「こちらからすれば、東に行くと魔物が強くなると思ってますけど」
「そういえばそうだったかも」
魔境に住んでたった一ヶ月半。随分、魔境に染まってしまったようだ。