【それぞれの魔境生活(ヘリー篇)】
禁魔法の研究をしていた頃の話からしようか。
私はエルフの魔法学院を首席として卒業し、あらゆる魔法に精通していると勘違いしていた。所謂、ただの馬鹿だな。火、水、土、風、四大魔法が全盛だった頃、光や雷魔法が使える私は無敵と言えた。
庶民の依頼は請けず、貴族からの依頼しか請けない魔法使いとして活動。貴族の縁談にも恵まれて、あっさり地位を獲得した。夫はあまり私の研究には興味がなさそうだったが、必要なものは揃えてくれる。社交界と呼ばれるバカが集まる会に出るのだけがストレスだった。
私の研究内容は「光魔法があるのに闇魔法がない理由の解明」だ。古文書を紐解いてもどこにも記述がない。発想としてはありきたりなものだから、ないはずがないと思うのだが誰かが一切の記述を排除したかのように記録はなかった。ただ光魔法の逆説を試していくことで、薄っすら闇魔法の存在が見えてくる気がしていた。
可能性を一つ一つ潰していく作業は気が遠くなるため、誰もやらなかったようだが、せっかく長寿のエルフに生まれたのだから私はやってみようと決意。実験と証明を繰り返す日々が続いた。
ある日、夫が私の留守中に浮気をしていたことが発覚し、ちょうどいい機会なので朧気に見えてきた闇魔法を試してみると夫が腹痛を起こして倒れた。闇魔法の存在が証明された瞬間だった。
ただ、すぐに衛兵に見つかり、逮捕された。貴族の夫とは離婚し、身体には魔法を使えなくなる魔法陣の入れ墨を彫られた。闇魔法とはそれほど危険な魔法なのだ。
服役中は基本、薬学と禁術の研究にあてた。人間やろうと思えばどこでも学ぶことはできる。降霊術に出会ったのはこの頃だ。降霊術は禁術とされていたが、うっかり人が死ぬような塀の中には、怨念を抑える目的の呪印がいたるところに印されていて、暗号の解読ができれば誰でも学ぶことができる状況だった。
降霊術は儀式も呪文もあるが、魔法とはされていない。理由はいくつかあるだろうが、魔力を使わなくても魂を呼び出すことが可能だからだろう。
降霊術を覚えてしまえば、あとは研究者の先人たちを呼び出すだけ。闇魔法の存在も明らかになったし、それによって引き起こされたエルフの国の黒歴史も教えてもらえた。植物と人間を同時に発病させられる闇魔法など禁魔法にされて当然ではあるが、存在自体を否定する国のやり方には納得がいかない。
周到に計画して国外に脱出することに決めた。魔法を使えなくても薬学と降霊術さえあれば、塀から出ることは容易い。あとは地図を手に入れてどういうルートで国から脱出するか、だ。
地図は降霊術で霊に見てきてもらう。最も警備が薄い南の険しい山脈を登ることができればいいが、その先になにがあるのかは不明だ。高度な文明と都市国家があるというが、古の文献にしか載っていない。
時魔法を操ったカジーラという名のエルフが確かめに行ったと書いてあったが、帰ってきたという記述は見つけられない。霊も何度か呼び出そうと試みたが、応えてはくれなかった。
私が迷っていたら、計画を記していたノートが盗まれた。犯人は刑務官で、私が水浴びをしている間に独房を漁ったらしい。
「ここまでか。また、一からやり直しだ」
そう思っていたら、政府の役人が資料を持って塀の中にやってきた。
「お前か、この計画を書いたのは?」
「……」
いけ好かない顔の男だった。痩せすぎているのに、眼光だけが鋭い。
「話を聞きたい。体に聞いてもいいんだぞ?」
拷問も厭わないらしい。
「見返りは?」
「ここから出してやろう」
なにか裏がありそうだが、警備兵が多い塀の中から出てしまえばどうにでもなる。
「わかった。話をしてやる」
手錠をされたままだったが、外に出られた。
ただ連れて行かれたのは軍の研究所。
「エスティニア王国の東に魔境と呼ばれる土地があるそうだな。そこに財宝があるとか」
古文書には高度な文明とは書いていても、財宝などとは記載されていない。おそらく、古文書の中の『竜骨』という言葉に目がくらんでいるのだろう。
古来、竜の骨は丈夫で魔法も半減させると言われてきた。ただ、その数は世界的に見ても少なく、竜骨を加工できる技術者も稀にしか現れない。
しかし、数年前に見つかった隠れ里にいるドワーフたちは加工できるらしい。隠れ里はすでにエルフに征服されており、他国に知られる前に竜骨で武具を作っておきたいというのが、政府の企みだろう。
「竜骨のことか?」
「魔境では島が空を飛び、竜が守っていると書かれている。竜の墓場もあるとか。魔物の素材、竜骨も豊富。高度な文明の魔道具も遺跡に残っているはずだ。ただエスティニア王国は興味がないらしい。それを賢明なエルフが有効に使おうと。そういう話だ」
どういう話かはわからないが、このバカは魔境に行きたいらしい。
「古文書を全て信用するバカがどこにいる? そもそも魔境に行くにも南には山脈があって侵入は不可能だ」
「そう、だから魔境への道を作るのさ」
「まさか……?」
政府はエスティニア王国を攻撃するつもりか。
「あのなぁ、エルフの国と接しているイーストケニアの側には歴史上誰にも落とされていない辺境の軍施設があるんだぞ」
「現在、イーストケニアは政情が不安定で、衛兵も少ない。今こそ好機!」
「待て待て、向こうには精強な冒険者たちもいるんだ。数字だけ見ても衛兵の数はわからんぞ」
「冒険者は金でどうにでもなる。それよりも魔境だ。お前には降霊術で古の霊を呼び出し、我らを竜の墓場まで連れて行ってもらう」
「何度も言うが、お前らはバカか? 死にに行くような奴らのために私が動くとでも?」
「仕方ない。奴隷にするしかないか。進んで協力してくれると思ってたんだがなぁ」
突然、腕を捕まれエルフの兵たちが私を羽交い締めにしてきた。
「やめろ!」
抵抗も虚しく、私の肩には奴隷印が押され再び牢屋に戻された。命令に背けば奴隷印が熱を持ち、肩を焼く。
私は自分の肩にある奴隷印を焼いたナイフで削った。痛みに対する耐性は私の才能かもしれない。薬草を貼り包帯で巻いたが、血がドクドクと出てくる。
牢屋の番人を薬で眠らせ、貯蔵庫の食料を食べられるだけ食べた。なくなった血は取り戻さないと。靴と防寒着を奪い、牢屋を抜け出した。
選択肢はない。顔が割れているのでエルフの国を渡り歩けない。国境線を越えられないなら、山を登りきるしかなかった。
雪が積もった山は防寒着を着ていても骨まで凍えそうだった。お陰で血は止まったが目が霞んできた。洞穴から出てきたワイルドベアが襲ってきたが、鼻に向けて胡椒の入った袋を投げつけ追い返す。洞穴に向けて眠り薬の草を焚いてしばらくすると、ワイルドベアのいびきが聞こえてきた。
口を布で塞ぎ、洞穴の中に入った。自分が眠ってしまう前にワイルドベアにとどめを刺し、腹を裂いて内臓を取り出す。まだ温かいワイルドベアの血を飲み、自分の体をワイルドベアの腹の中に潜り込ませる。ワイルドベアの中は温かさと、まだ充満している眠り薬であっさり私の意識は飛んでいった。
何時間寝ていたかわからないが、バリバリと凍った血を剥がしてワイルドベアの腹から這い出た。温かい肉を食べて再び、山を登り始める。
身体は末端から冷えていく。立ち止まると凍え死んでしまいそうだったので、とにかく足を動かした。途中で何かに呼ばれる声が聞こえてきた。おそらく魔境にいる霊が私を呼んでいるのだろう。呼ばれた方向に進んだ。
降霊術を扱える者は霊に好かれるためか、死への旅路になることもあるが、山の霊は私を生かすことにしたようだ。もしかしたら、この先に死者の国よりもひどい地獄が待っているかもしれない。そう思うとなぜか笑えてきた。
昔からエルフが禁止したことをするのが好きだった。もちろん、この山に入山することも禁止されている。長寿の自分たちを賢いと思っているエルフたちの鼻を明かした気分がして気持ちがいいのだ。笑った頬の感覚が麻痺している。それでも足を前に進めた。
雲の中を進み、いつの間にか山脈の峰を越えていたのに気づいたのは、空が真っ黒な雲で覆われていたからだ。
雷が降り注ぎ、雨粒が身体を叩く。雨水を吸った防寒具は次第に重くなり、耐えきれなくなった身体は地面に転がった。砂利が崩れ、私を山の下へと運んでいく。意識を取り戻した時、山の下に広がる荒れ地にいた。
黒い雲は消え、雨は止んでいた。
重すぎる防寒具を脱ぎ捨て、荒れ地を進む。森が見えてきた時、ようやく魔境に辿り着いたことがわかった。
ただ、魔境の植物の怖さはわかっていなかった。果実には噛まれ、ベタベタした樹液に靴を取られる。靴を取り戻そうとしたら、底が抜け壊れてしまった。
裸足のまま森を進むと、身体が地面に縫い付けられたように倒れた。疲労なのか、それとも魔境の魔法なのかわからないが、徐々に私の身体は枯れ葉の中に埋まっていく。
手足も動かない。できるのは降霊術だけ。古文書を書いたのがエルフの冒険者なら、きっと魔境にもエルフの霊がいるはず。私はひたすら降霊術の呪文を唱え続けた。
魔物が私を襲ってくると思ったが、動かない私には興味がないようだった。
数日後、マキョーが私を見つけてくれるまで、私は自分の身体に枯れ葉が積もっていくのをただ見つめていた。
それから私の魔境生活が始まったのだ。
マキョーがどうかしているのは置いといて、女たちも変人が集まっている。
チェルはワケありの魔族で、魔力量を考えると魔王クラスでもおかしくない。窯作りの最中に本人に聞いてみた。
「魔族が皆、チェルほどの魔力量を持っていたら、100年前の戦争でエスティニアが勝つことはなかったと思うんだけど、どうなんだ?」
「アー、魔境のせいダヨ。ここで生活してると、自然と魔力量は上がル」
「そうか?」
うまくかわされたが、昔エルフの冒険者が書いた文献には魔族の王は回復力が凄まじいと記されていた。チェルも回復魔法が得意。きっとなにか関係あるに違いない。
ジェニファーも変わっている。自分の能力を隠して生活をしているなんて、この魔境で意味があるとは思えない。
マキョーの妻になると宣言していたが、弱い自分を見せて庇護欲を刺激しているらしい。ただマキョーが気にしている様子はなかった。計算や記憶力は優れているが、男を誘う技術は乏しいようだ。まぁ、想いに正直というところは好きだ。
逆にシルビアのようにアグレッシブに行くほうが効果的な気がする。夜、洞窟の前で見張りをしていると、シルビアがマキョーの部屋に入っていくのを何度か見たことがある。別に詮索する気はないが、数分後に頬を赤らめて部屋から出てきたシルビアと目が合った。
「お楽しみだったようだな?」
「な、な、な、な、なにもしてない!」
「そんな言い訳が通用すると思っているのか」
「ど、ど、どう思われても構わない」
シルビアはそう言って自分の寝床に戻っていった。翌朝のマキョーの様子を見ると、シルビアを気にかけている様子もない。あの2人はいったいどういう関係なのか。
そんなことよりも洞窟の奥にある魔道具だ。あれこそ魔境に超古代文明があったという証。空飛ぶ島も存在しているとマキョーとチェルが言っていた。
この魔境は私の生涯をかけて調べる必要がありそうだ。