【それぞれの魔境生活(ジェニファー篇)】
なにをそんなに私はムキになっているのか、自分でもよくわかりません。
昨日、彼が旅立ってから、チェルさんと喧嘩しました。
私が彼を好きかどうかなんて、この魔境ではどうでもいいことです。
「どんどん『私』が剥がれていきますね」
水面に写った自分を見ました。すっきりするために顔を洗ったのに、私の表情はまるで冴えません。
「どうして、そんな顔をしているの?」
自分で質問しても答えが返ってくるわけないのはわかっています。
エスティニア王国の北部にある小さな村で育った私は、「どうして?」と誰彼構わず聞いて回っているような娘でした。いつも何かの理由を探していました。
「どうして農家の娘は、父さんが決めた少年と結婚しなくちゃいけないの?」
思春期に親と大げんかをして、家を飛び出しました。それが13歳。子供だった私は故郷を捨てました。家には借金も多く、私が70歳の老人に嫁がなくてはならないほど逼迫していたのはわかります。でもそれは、親から捨てられるのと同じでした。
町まで走り冒険者ギルドで、15歳と偽り冒険者になりました。追っ手も来なかったので本当に捨てられたのだと思います。
薬草採取や引越の手伝いなどと続けていましたが食べられるはずもなく、宿には泊まれません。お腹をすかせて道端に座っていたところを教会のシスターに拾われたんです。
それから、教会に寝泊まりさせてもらいながら、冒険者ギルドで仕事をして、近くの森で訓練する毎日を送っていました。丁寧な言葉遣いを教えてもらったのもこの頃です。居場所ができたことがなにより嬉しかった。
少しお金が貯まれば、冒険者ギルドで新人教育を受けさせてもらっていました。盾の使い方だけは褒められたので、お金のない時は森に行って朝から日が暮れるまで、魔物の攻撃や滝から落ちてくる石や岩を盾で弾く訓練をしていたのを今でも覚えています。
ある日、教会のシスターが牧師と夜伽をしている声を聞いてしまいました。シスターは元々奴隷出身で毎夜、牧師の相手をさせられていたらしいのです。
「いずれ大きくなれば、あなたも相手をさせられます。早くこの教会から巣立ちなさい」
そう言われて教会を追い出されたとき、お金を貯めて私を助けてくれたシスターを買い取ろうと決意しました。
3年間、冒険者パーティーの荷物持ちや囮役など誰もやりたがらないような仕事を請け負い、どうにか金貨5枚貯めました。シスターを買って、あの忌まわしい教会から救い出せると本当に思っていたのです。
「このようなことをされては困ります。今後一切、この教会には関わらないように」
シスターはそう言って、私を追い返そうとしました。
私は納得いかず、シスターは牧師から精神魔法をかけられ洗脳されているのではないか、と思ったのです。魔物の中には男を誘惑する魔物もいるという話は聞いていましたから、そういう魔法があることは知っていました。
「お金を積まれてもあの牧師は私を手放すことはないでしょう。あなたが守るべきものは私じゃない。もう、この教会に関わってはいけません。さあ、行きなさい! 二度と戻ってはいけませんよ!」
シスターに尋ねてみましたが、お金を突き返されました。これ以上関わると、私が牧師を殺してしまうかもしれない、と思ったのかもしれません。
翌日、教会が火事になり、牧師とシスターの死体が見つかったそうです。完全に私は居場所を失いました。
それから私は自分の生涯をかけて守るべきものを探すことにしました。苦手な回復魔法も覚え、できるだけ多くの人を救おうとしたこともあります。そうして自分の居場所を作ろうと思ったのです。
でも、私が救えたのはほんの数人の怪我をした人たちだけ。奴隷は勝手に救えませんし、大勢を救うことはできません。
多くの人はお金の力によって動き、お金は権力に集まります。地位や権力に近づきたいと思うのに、そう時間はかかりませんでした。
私はすぐに冒険者のパーティーを結成し、新人の冒険者たちとともに依頼をこなしていきました。そのうちにランクの高いパーティーから声をかけてもらうことが多くなり、できるだけ高ランクのパーティーに乗り換えていく。
目的のために手段を選んではいられません。出自も孤児ではなく、貴族出身と偽ったり、魔法学院を首席で卒業ということまで言ったことがあります。どうせ、その場限りの人たちですから。相手に「すごい」と思わせれば、向こうから勝手にこちらに寄ってくる。
自分を良く見せるために嘘をつくことに罪の意識はありません。目的が達成できればいいのです。
そんな転々とした生活が続きました。
いずれ貴族に召し抱えられる日が来れば、お金が集まり、多くの人を救い、守ることができる。本当にそう思っていたのです。
間違いでした。
高ランクになり貴族に召し抱えられ、最初は居場所ができたことが嬉しかったのですが、私兵となったパーティーの仲間たちはなにもしなくなりました。貴族は自分の領地に住む民に興味はなく、ただ「美しい娘」だと私の身体を触ってくるだけ。貴族の側近は、仲間たちとともに私に精神魔法をかけて洗脳しようとしてきました。精神魔法から身を守る方法はこの時に習得したものです。
お金はありますが、私が使えるのは少なく、誰かを守ることも救うこともできませんでした。これでは召し抱えられた意味がない。
結局退職金をたくさん貰って、貴族のもとから去りました。
お金だけは持っていたけど、なにをどうすれば人々を救うことができるのかわかりませんでした。過去に牧師を見ているので、教会に寄付をするという選択肢はありません。商人に騙されたこともあります。悪徳医師に薬草学を学んだこともあります。どれも少額のお金を取られただけですが。
そんな時、森のなかで魔物に襲われている少年を守ったことがありました。防御力はずっと鍛えていたので、魔物の攻撃はいくらでも跳ね返すことができます。そのうちに魔物が疲れて、どこかへ行ってしまいました。
「ありがとう。お姉ちゃん」
人を直接守ったのは久しぶりでした。
「あんた、すごいな。盾も使わずに魔物を退かせたのか?」
そう後ろから声をかけてきたのが、『白い稲妻』のアルクインでした。彼は本当に人がよく、誰からも好かれるような人物で、仲間からも慕われるリーダーでした。
ただ、そう見えていたのは初めだけ。自分の言うことを聞く者だけでパーティーを構成し、他人に見せるのが上手いだけで、できる依頼だけを請け負っているごく普通の冒険者と気づいたのは、私が彼の恋人になった後のことでした。
危機管理能力が高い、とも言えます。依頼達成率は高く自然と高ランクにはなっていきました。でも、それだけでは人を守りきれない。
ある日、商人の馬車を護衛していたところ、ワイバーンに襲われたのですが、私たちのパーティーは戦わず、商人を見捨てたことがありました。ワイバーンが去った後に証拠を隠滅し、冒険者ギルドには商人が待ち合わせ場所に来なかったと言い訳したのです。
「これを続けていたら、このパーティーの信用に関わりますよ。今一度、自分たちを鍛え直す必要があるんじゃないですか?」
アルクインに言うと、彼はパーティーの空気を察して、
「俺もそう思っていたところだ。遥か東に軍の訓練施設がある。エスティニア軍の中ではもっとも精強な兵たちが集まると聞く。どうだ? 皆、行ってみないか?」
と、落ち込んでいる仲間を元気づけました。
皆、商人を見捨てた罪悪感がありましたから、断る理由もありません。軍の訓練施設で力をつけて再び戻ってこようという思いで、私たちは東へと旅立ちました。
冒険者ギルドの依頼と違い、行く手を阻む魔物の群れに何度も殺されかけながら少しずつ進む旅。徐々に私たちの連携もうまくなっていくのを実感しました。
でも、現実はそんなに甘くない。軍の訓練施設にさえ行けば強くなれるなんてことはなく、訓練施設の兵たちにあっさりボコボコにされ追い返されました。私たちの連携など兵たちにとってはお遊戯同然だったのです。私は網で戦闘不能にされ、守りを失った仲間たちは弓兵のいい的と化していました。
「どうすれば、もっと強くなれますか?」
私は必死に食い下がりました。高ランクの冒険者である私たちが、まるで歯が立たないなんて納得いかなかったのです。
「東の森を抜けた先に魔境がある。とんでもない魔物たちが巣食う土地だ。そこまで行って帰ってこれたら、また相手してやるよ」
訓練施設の中でも新人だという兵に言われ、私たちは最後の力を振り絞りました。
森を通過するのも命がけ。それでもどうにか魔境までたどり着きました。
「私有地なんで勝手に入らないでくださいね」
その魔境で出会ったのがマキョーさんでした。
私たちは小川を渡ろうとした瞬間にスライムの群れに突然襲われ、連携もできずに魔力切れ。
いつの間にか訓練施設に倒れていた私は、悔しさがこみ上げてきました。自分は全く通用しない。今まで自分のやってきたことをすべて否定された気分でした。
戻ってきた仲間たちと話し合いの末、訓練施設に行こうと言い出した私はパーティーを追い出されることになりました。
すべてを失いました。鍛えてきた強さも夢も仲間もなにもかも。残ったのはわずかばかりのお金と、僧侶の服だけ。僧侶の服を見ながら拾ってくれたシスターを思い出しました。
終わりだけは自分で決めていた。
「どうせ死ぬなら私も最後の居場所は自分で決めよう」
私はなにもかもを失った魔境で死ぬことにしました。
魔境の前にある森の魔物は連携を気にしなければ、防げる相手です。防ぎ続けていれば、そのうち疲れて隙ができる。私はそこを狙って倒していきました。
「案外私もやるもんですね」
人間、死ぬ気になればなんでもできそうな気がしてきました。
魔境との境にある小川に辿り着いた時、なにも身に着けていないマキョーさんに会ったのです。
「スライムの群れがいる小川で水浴び……!?」
服を着たのを見計らって、私はマキョーさんの前に出ていきました。
「ここに置いてください!」
心臓は弾み、しどろもどろになりながら懇願しました。
マキョーさんは真っ直ぐ私を見つめ、断りました。今考えれば当たり前です。素性のわからぬ者をよく魔境に引き入れてくれたと思います。
「お願いします!」
そう懇願する私を見つめるマキョーさんの目はすべてを見透かすような目でした。この人の前では嘘は通用しない。冒険者ギルドに入るときも、冒険者のパーティーを作ったときも嘘ばかりついてきた私とは違う目。そう、思いました。
私はどうしても魔境に入りたい一心で小川に足を踏み入れ、再び魔力切れを起こしました。気づけば、洞窟の前に寝かされ、私は空を見上げていました。
魔境の生活は一言で言えばサバイバル。生きるためなら、なんでもするような毎日でした。誰かに認められるために装うようなことはしない。魔境は私が今まで装ってきた全てを剥がしていきました。自分の経験はこの魔境でなにも役に立たない。
魔境での生活は、弱い自分を突きつけられます。弱さは死に直結する。実際、何度も死にかけましたが、その度にマキョーさんに助けられました。
人を守ろうとした女が逆に守られている。このままでは彼に迷惑をかけてしまう。そう思って死ぬために、魔境を彷徨ったこともあります。
ただし、魔境の魔物は他の地域の魔物と違い、ほとんど疲れを感じないようで、私はずっと防御に徹するほかありませんでした。そして、筋肉が悲鳴を上げて倒れる。倒れた者に魔物は興味を持たないのか、マキョーさんが助けに来るまで倒れたままでした。
私は死ねなかったのです。巨大魔獣が現れても、なぜか私は死ねませんでした。
そんな生活を繰り返していくうちに、徐々に魔物の対応にも慣れ、自分が強くなっていることを実感しました。『白い稲妻』では実感できなかったのに、マキョーさんという庇護者の下では、できるようになった。
さらにマキョーさんは貴族になり、魔境を治めるという話が持ち上がりました。私ができなかった、権力を持ち多くの人を守るという夢を成し遂げられるのです。
ここで私がなにもしなければ、あの冒険者を囲った貴族と同じになりかねません。それだけは避けたい。チェルさんはわかっていないのです。牧師もあの貴族もアルクインも、男は小さな権力でも、一度持ってしまうとおかしくなってしまうものです。
必死で考えた結果、私はマキョーさんの妻になることにしました。妻になって魔境を開拓し、他の地域から追い出された弱者たちを守る。私の夢が復活した瞬間でした。
魔境でもある程度生きていける力は身につけました。少しくらいは自分を装うことができる。マキョーさんを好きだと装うことくらいわけないですよ。
顔は特にカッコいいわけでもないですし、お金もない。ただ、ちょっと強くて、魔法も使えて、なんだかんだ突き放しているようで、いつも私を助けてくれる。
そんな人を好きになったと思わせるくらい簡単ですよ。チェルさんには早くも嘘だとバレてしまったかもしれませんが、今のところ作戦に不備はありません。
私は魔境の領主の妻になります。