【それぞれの魔境生活(チェル篇)】
マキョーが貴族になるために旅に出た。
10日後には帰ってくるらしい。
私が魔族の国・メイジュ王国から魔境に来て一ヶ月ほどだろうか。あまりに濃密な生活を過ごしているせいで、1年以上経っている気がする。
思えば、メイジュ王国での生活は平凡な毎日だった。城の図書室で魔法書を読んでは新しい魔法を試し、父の警告も聞かないで城下町へと繰り出し庶民とばかり遊んでいた。
魔法学院にも通ったが、私の手を触れないように避けられていて、友達と呼べる者はいなかった。
私の能力は魔法ではなく、魔力を通して人の強さがおおよそわかってしまうこと。人の強さは筋肉や魔力量、骨密度などによって数値化できる。
一応、伯爵家なので精神魔法の類も学び、そういう魔法から身を守ることも覚えた。
転機となったのは、魔王の死。代々、魔王は女と決まっていて、どうやら次の魔王には私が選ばれていたらしい。もっと王族に近い娘たちもいたらしいが、民の心がわかる私を指名したのだとか。先代もはた迷惑な遺言を残したものだ。
怒ったのは公爵家の者たちで、暗殺者たちがうちの領内に送り込まれた。私はすぐに王位継承権の放棄を宣言。次期魔王には公爵家の娘を指名したのだが、魔族の首長議会がそれを許さなかった。命だけは助かったが、居心地の悪い日々が続いた。
その間に疫病が流行り、我が家が呪われた一族として広まる。おそらく公爵家の者の仕業だ。領内の評判はガタ落ち。
首長議会も私を推す理由がなくなった。
公爵家の娘は晴れて魔王に即位した。即位式で、握手を魔王に求められた私はいつもの癖で魔王の強さを計ったところ庶民よりも弱い数値が出てしまう。
その夜、先代の魔王の霊に呼ばれ霊廟へと向かった。
「なぜ魔王にならなかった? このままではメイジュ王国は破滅へと向かうだろう」
先代の魔王は死してなお、魔族の生活を考えていたようだ。
「仕方がありませんよ。私に統率力はありませんから」
「あの偽魔王の一族から呪われているぞ」
「知っています。それくらいしかできない一族ですから。金の力で呪術師を雇ったようです」
「メイジュ王国から逃げろ。海を渡れ。人族も戦争のことは忘れているだろう。この国にいてもずっと命を狙われるだけだ」
人族との戦争は本で読んだ。海を渡った人族の国には見たこともない果物や魔道具があり、都市が空中に浮かんでいるらしい。
「考えておきます」
そう言うと、先代の魔王は煙のように消えてしまった。
2日後、うちの城に攻撃が開始された。
用意できたのは小さな帆船。私が囮になれば、父や母は逃げられる。迷いはなかった。
魔王が放った賊に追われ攻撃されながら海に出たが、大時化に遭遇。あっさり船が転覆し辿り着いたのが、この魔境だ。
初めてマキョーにあった時、あいつは海から塩を作っていたのを覚えている。たった一人でサバイバル生活をしていたようで、随分寂しそうだった。
言葉はわからなかったが、夜、マキョーが寝静まったら、何度も口の形や発声法を真似た。今では普通に会話ができるのだが、バカのフリをしている。自分の能力や強さを明かしてしまうと、メイジュ王国に住んでいた時のように避けられたり、争いの火種になったりするからだ。
というか、マキョーの強さを計った瞬間にどれだけ自分がちっぽけな世界で生きてきたのかを知った。人族は魔族が太刀打ちできる相手じゃない。よくご先祖様はこんな相手と戦争したと感心するほどだった。
人族が皆、マキョーのような強さを持っているわけではないと知ったのはジェニファーが来てからだ。
「チェルさん、一緒に木の実の採集に出かけませんか?」
マキョーが王都に行っている間、ジェニファーに誘われた。
この女はマキョーの前ではずっと猫をかぶっている。
雑務をこなす、か弱い僧侶を演じて続けている。少し考えればわかりそうなものだが、マキョーは一切この女の正体に気づいていないようだ。
「キャー! 魔物です! チェルさん、魔法でやっつけちゃってくださいよ!」
「自分でできるダロ」
私は冷たく言って、苦い葉を採取していく。
実際、ジェニファーがここら辺の魔物にやられることはない。そもそも魔境で倒れて無事だった時点でおかしいと思うはずだが、マキョーはそうは思わなかったらしい。
着痩せしているが、足と腰の筋肉が女の体にしては発達しすぎている。前のパーティーではおそらくタンカー、盾役をしていたはず。僧侶の衣装も敵を引きつけるために着ていたのではないかと疑ってしまうほどだ。回復魔法も使えるらしいので、回復しながら敵を引きつけている間に味方が敵を殲滅する。いい戦術だと思う。
しかも、私の精神魔法もあっさり見破り、牽制までしてくるのだから、相当な手練だ。
なのに、今も小さいインプに苦戦している風を装っている。
「盾を使ったらどうダ?」
私がそういった途端、
パンッ!
という破裂音とともに、インプの頭部がなくなった。
「私が盾を使うなんて、強者に強力な武器を仕込むようなものじゃありませんか?」
ジェニファーは裏拳だけでインプの頭を弾き飛ばしたらしい。
「能力を隠す理由は聞かナイヨ。私も隠し事くらいあるからネ」
「得意なことと好きなことは違うものです」
わかる気がする。
「チェルさんはマキョーさんのことが好きなんですか?」
ジェニファーが女の顔で聞いてきた。
「マキョーに気があるノ?」
「ええ、あんなに都合のいい男はいませんから。私の予測どおり、辺境伯になるんですよ。冒険者をしていたらこんな地位まで、何十年あっても辿り着けません。しかも好敵手はたったの3人。狙わない方がおかしいと思いませんか?」
「ジェニファーは偉くなりたいんだネ」
少しだけ胸を締め付けられた。私にとって地位は邪魔でしかなかった。魔王に選出されて我が家は散り散りになり、メイジュ王国から逃げ出したのだから。
「ジェニファーはあいつの価値がわかってナイ」
「いいえ、ここにいる誰よりもわかってますよ。私がきっとこの魔境を発展させてみせます」
マキョーの凄さは地位を駆け上がる速度ではない。想像力だ。土魔法で作れるのはせいぜい土の壁くらい。なのに、あいつときたら地面ごと引き上げる。そんな魔法使いは世界中探したってマキョーくらいしかいない。
『思ったことを実現させる』
それがマキョーの強さ。想像力の分だけあいつは強くなる。一国の貴族で終わるような男ではない。
「やっぱりわかってナイ」
「なにを私がわかっていないのかわかりませんが、私はマキョーさんの妻になり、この魔境を治めるつもりです」
「ソウ。好きにしテ」
ジェニファーは上昇志向が強すぎるから、見えていないものが多いのだろう。今話したところでわからない。
私たちはカム実や苦い葉を採取して、洞窟に戻った。
「昼飯は作るのか?」
ヘリーが聞いてきた。自分で作る気はないらしい。
「パン焼くヨ。肉、切り出しておいテ」
「わかった」
ヘリーは自分の作業以外は言われなければ動かない。たぶん年をとっているから、ズルいのだろう。
ちなみにヘリーにも精神魔法は効かない。魔法が使えない呪いはかなり強力なもののようだ。いったいなにをやらかせば、そんな呪いをかけられるのか。
筋肉は細くしなやかで、皆が寝静まった夜中にストレッチを欠かさない。全身をバネのように動かすことができるだろう。もしかしたら武闘家なのかもしれない。とっくに200歳を越えているエルフ族には謎が多い。
「チェル、マキョーがいなくなって寂しいか?」
パンを焼いている私にヘリーが話しかけてきた。
「5人暮らシ、1人いなくなったら、ちょっと寂しいダロ?」
「ふふふ、正直者だな。チェルは」
パンが焼ければ、肉と苦い葉を挟んでサンドイッチの出来上がり。魔境の簡単レシピだ。これさえ食べていれば、とりあえず風邪は引かない。
「ジェニファーと何かあったみたいだな?」
戻ってきてから口を利いていない私たちは、喧嘩していると思われていたようだ。
「イヤ、なにも。ジェニファーがマキョーのお嫁さんになりたいって言ったダケ」
「自分を偽って結婚しても幸せにはなれないというのに……困った奴だ」
ヘリーは結婚したことがあるのかもしれない。エルフ族は長寿だから、人生で何度も結婚すると聞いたことがある。
「ヘリーはジェニファーを見て、強さがわかるノ?」
「いやぁ、動きを見てればわかるだろ? マキョーがいる時だけ、足腰が弱くなる。自分の強さを隠そうとしすぎだからわかりやすい。ある意味で、まっすぐだ。私は嫌いじゃないよ」
「私も嫌いなわけじゃナイ。ただ、見えていナイものが多い」
「チェルは思った以上に賢い娘だね。でも、自分にとって都合の良くないことを見ないっていうのも強さだ」
「ソウ?」
「一点に集中できるからね。タンカーらしい発想だよ」
ヘリーもジェニファーを盾役と思っているらしい。
「た、た、食べていいですか?」
シルビアができたてのサンドイッチを取りに来た。
「いいヨ。シルビア、マキョーがいない間だけでも、ジェニファーに盾を用意してあげてくれナイ?」
「た、た、た、盾? ジェニファーさんに? わ、わ、わかりました」
シルビアは気づいていなかったようだ。
「シルビアくらいなにも考えないほうが案外うまくいきそうなもんだけどね」
ヘリーはそう言って、サンドイッチにかぶりついていた。
シルビアが来た日、マキョーの部屋の前でじっと座っていたのを覚えている。奴隷として買われたからには夜伽があると思って覚悟していたらしい。でも、マキョーは海まで行って塩を採ってきたから、帰ってきたらすぐに寝ていた。
「ソンナことしなくていいんだヨ」
私がそう言うと、顔を真っ赤にして毛皮に潜り込んでいた。
「早く髪が伸びるといいネ」
「そうだな」
シルビアの坊主頭は徐々に伸び始めている。
リリリリリリ……。
草むらから虫の鳴き声がした。
今頃、マキョーはなにを食べているだろう。
私は自分のサンドイッチにかぶりついた。