【魔境生活38日目】
「2人とも準備は出来てるんですか?」
ジェニファーが俺の装備について聞いてきた。今日は俺たちが軍の訓練施設に向かうため、ジェニファーが寝具の毛皮や鍋などを用意してくれていた。ただ、夕方には帰ってくるつもりなのでそんなに準備はいらない。
昨晩はずっと杖づくりをしていて、夜更かしをしてしまった。
「別に準備はそんなにいらないだろ? 顔洗ってくる。チェル、俺の分のパンある?」
チェルは小さいパンを焼きながら寂しそうに首を振った。
俺の分のパンも作れないほど、魔境の小麦粉事情は厳しい。
沼で顔を洗っていると、エルフのヘリーが水面に浮かんで流れてきた。スイミン花の群生地に不用意に近づいたのだろう。
とりあえず、沼から引き上げて人工呼吸して、思いっきり頬を張る。
パァーンッ!
「ゲホッ! ゲホッ!」
「あの白い花は睡眠効果がある。不眠症でもなきゃ近づかないほうがいい」
「また、私は助けられたのか?」
「せっかくエルフの国から山越えてきたのに、死に過ぎだぞ」
家まで帰り、フィールドボアの肉をじっくり焼いた。そこにジェニファーが摘んだベリー種のソースをかけて食べる。味が違うだけでありがたい。ギザクラブのスープは全員で食べた。頬に薬草を貼り付けたヘリーも喉を鳴らして飲んでいる。
「帰ってきたら、塩も取りに行かないとな」
「忙シイ」
魔境で生きるのは手間がかかる。
「「いってらっしゃーい」」
ジェニファーとヘリーに見送られ、俺とチェルは魔境の出口へと向かった。魔境産の杖に加えアラクネの糸もあるので、交渉は楽だと思う。できれば、小麦粉や野菜の他、建築用の道具が欲しい。人数も増えてきたので、洞窟が手狭になってきたのだ。
魔境の魔物や植物が襲ってくるが、洞窟周辺の魔物には慣れてしまったので、切り捨てていく。よほど貴重なものでもない限り、魔石だけ回収して放り投げる。たいてい、放り投げた先の植物が消化してくれる。何度も通っているので獣道が出来ており、30分ほどで出口にたどり着いた。
「この辺りは巨大魔獣の影響も受けてないんだな」
「ラク」
俺もチェルもほとんど魔力を使っていない。
出口にある小川では、相変わらずスライムが泳いでいた。ただ、いい加減、俺の匂いを覚えたのか、襲ってくる様子はない。小川を飛び越えて、普通の森に入った。
魔物も植物もこちらから仕掛けなければ、襲ってこない魔物ばかりだ。時々、ゴブリンとサイクロプスがこちらを見ていたが、移動していれば追いかけてくることもない。
パカラパカラと馬蹄の音が聞こえてきたが、軍の騎馬隊が演習をしているのだろう。挨拶をしようと思ったが、チェルが変装前なので先を急ぐ事に。
午前中には訓練施設の畑まで来ていた。
チェルの変装を済ませ畑の横道を進む。
「イツモと違ウ?」
チェルの言う通り、いつもなら畑で作業をしている隊員たちがいない。
「何かあったのかな?」
とりあえず、魔力を全身に纏って警戒しながら建物の方に向かった。
キンキンキンキン。
建物から刃物がぶつかりあう音が聞こえてきた。
「音ガ軽イ」
「そりゃあ、訓練なんだから本気じゃないさ」
音の方へ行ってみると、小さい闘技場の真ん中で、奴隷の女が兵士たちと戦っていた。兵士たちは殺さないように手加減しているが、奴隷の方は真剣に短いナイフを振っている。
「奴隷に訓練をつけて、町の闘技場にでも出場させる気かな?」
遠くから見ていたら、隊長が俺たちに気づいた。
「ちょっと待っててくれるか? 今、奴隷を落ち着かせてるところなんだ」
別に訓練とかではないようだ。
チェルが麻痺効果のある杖で一振り。真っ直ぐに魔法が飛んでいき奴隷にヒット。そのまま奴隷の女は動かなくなった。
突然、横槍を入れられて兵士たちも戸惑っている。
「ほら、ボサッとしてないで、手かせと足かせ付けちまいな!」
隊長が指示を出して奴隷を拘束していた。奴隷の顔はどこかで見たことのある気がする。覚えてないけど。
手かせと足かせで動けなくなった奴隷を隊員たちが建物へと連れて行った。
「戦争の話を聞いて来たのかい?」
隊長が聞いてきた。
「戦争? あ、いや、魔境で災害がありまして、食料が全部流されちゃったんですよ。よければ、武器や素材と交換してくれませんか?」
「そうか。それはちょうどよかった。伝令の者には会ったのかい?」
「伝令?」
「いや、こっちの話だ。そもそもうまくいきっこない」
隊長はそう言って、俺たちをいつもの小屋へと案内してくれた。
「ものは杖かい?」
俺たちが背負子を下ろすと、隊長が聞いてきた。
「そうです。今回はアラクネの糸もあるんですが、交換材料になりますか?」
先程、戦争とか言っていたので、杖の需要があるのかも知れない。
「アラクネの糸!? そいつはまた珍品が出てきたなぁ。そちらは何がほしい?」
「小麦粉と野菜です。それから建築に使う道具なんかがあれば」
「この前は船を作る道具と言っていたが、船はもういいのかい?」
「いえ、なかなか木が乾かなくて保留してあります」
「そうか。いや、必要かもしれないと思って、ノコギリや金槌、釘は用意してあるんだ。あと蝶番とかも倉庫にあると思う。この前言っていた魔法書はやはり王都でも見つからないらしくて、関係者に聞いているところだ」
隊長はこちらの要求を覚えてくれたようで、かなり助かる。
「交換の方はそれで問題ないかな?」
「ええ、こちらとしては十分です!」
「そうか。部下に伝えて、帰りに渡すよ。それで、実は耳に入れておいてほしい話があるんだ。魔境に関することなんだけど……どこから話せばいいかな」
隊長は「えーと」と言いながら、顎に手を当てていた。俺たちとしては食料さえ交換してくれれば用はないんだけど、魔境に関することと言われると気になる。
「近くの領地で内戦が起こっていることは覚えているかい?」
「ええ、魔境にも貴族の女戦士が杖を買い付けに来ましたよ」
「ああ、言ってたね。イーストケニアっていうんだけど、冒険者たちとの間で内戦しているところにエルフの国から横槍が入ったんだ」
「侵攻を受けたってことですか?」
そういや、ヘリーがエルフの国の戦争を止めたかったって言ってたな。
「そう。エルフたちは自分たちの祖先の土地を奪い返しに来ただけだって言うんだけど、時代が違うだろ?」
「ええ、もう住んでいる人も違いますもんね」
「それで、まぁ、すぐに追い返したんだけどさ。その戦いで貴族たちよりも冒険者たちが武功をあげちゃって、貴族は没落さ。好戦的な土地だから、強い者が民衆を動かしてしまうんだよ」
「じゃあ、冒険者が今は領地を治めてるんですか?」
「いや、冒険者たちをそそのかした貴族が治めてる。自分もそこまで詳しくはないんだけど」
「それで、 それが魔境と関係があるんですか?」
本題を聞いた。
「その今、イーストケニアを治めている貴族が、そちらの魔境も自分の領地と言い始めてね。杖の威力を見て、軍隊を作りたいと思っているんじゃないかな」
「ああ、それで伝令を魔境に向かわせたと?」
「本当に申し訳ない。手付かずの魔境を開拓しているのは君たちだ。未開なのだから君たちの土地なのは間違いない」
「そうですよ。俺が買った土地です。証明書も持ってますよ」
俺は懐から証明書を取り出してみせた。すでにボロボロになっているが文字は読める。
「ああ、それは不動産屋から発行してもらったやつだね。実はそれ、あんまり効力はないんだ。ちゃんと領地を治めている領主のサインがないと、うちの国では裁判に負けるかもしれない」
「そんな……」
後生大事にとっておいた証明書がただの紙切れになってしまった。
「ただ、この訓練施設の代表としては、正直、あの魔境は君たち以外に住める者なんていないから、どこかの貴族の領地というわけではなく、このまま君たちの土地であったほうがいいと思っている」
「味方というわけですか?」
隊長は「思いはね」と頷いた。
「そもそも魔境は長い間、この国の領地か怪しいグレーゾーンだからね。他国との緩衝地域としても非常に助かる。軍の方でできることならなるべく協力したい。ただ、君たちの魔境を狙っている奴らがいるってことは覚えておいてくれ」
正直、すごいめんどくさい。だいたい、まだあの魔境の全貌すら見えていないのに、なんで奪われないといけないんだ。
「ムリ」
突然、チェルが言った。
「どういうことだ?」
「コノ杖、作れるの私たちダケ。魔境ヒロスギ、ウバウのムリ」
俺にだけ聞こえるように小声で言った。
「そりゃそうか。巨大魔獣だって来るしな。いざとなったら砂漠に逃げればいいか」
追ってくるにしてもまず魔境に慣れる必要がある。油断すれば死が待っている。
俺が生き残っているのも運が良かっただけ。
「それが、新しいイーストケニアの領主にはわかっていないんだ」
隊長が頭を掻いて言った。
「ん? 軍はそのイーストケニアとは関係ないんですか?」
「一応、王国軍だから、関係なくはないよ。今回の内戦でも貴族側に兵站を出そうと準備してたからな。ただ、基本的には王家の軍だ。もし、イーストケニアの領主が王家に攻撃しようとすれば、討ち滅ぼす。そのための訓練施設だしな」
軍も軍で事情があるんだなぁ。
「わかりました。もし誰か来たら、適当に追い返していいんですね?」
「うん。侵入して暴れるような輩がいたら、追い返していい」
「わかりました」
基本的には、このまま俺が魔境の地主ということでいいらしい。
小屋を出て待っていると、すぐに兵隊たちが食料や道具を持ってきてくれた。
「いつも、損をさせてしまって申し訳ない」
「いえ、いいんですよ」
俺たちは背負子に乗せられるだけ小麦粉の袋を乗せ、野菜をまとめた。
「シオ、シオ漬け」
チェルは野菜を早く漬物にしたいようだ。
「あ?」
隊員の一人が隊長に小声でなにか伝えている。
「ああ、そうか。損させた代わりと言ってはなんだけど、先ほど捕まえた奴隷を魔境に連れて行ってくれないか?」
隊長は申し訳なさそうな顔で聞いてきた。
「暴れていたやつですよね?」
「荷運びだろうが性奴隷だろうが、なににしても構わない。イーストケニアの新しい領主から闘技場でも手を付けられないから軍で鍛えてやってほしいと贈られてきたんだが……」
隊長は急に声が小さくなった。
「性奴隷にすると、次の日、隊員たちの中から訓練に耐えきれない者が出てくるんだ。森で演習なんてことになれば死者も出る。正直、この訓練施設の連中は野獣が多いから取り合いになっても面倒でな。いらなかったら殺して構わないから」
だったら、軍の方で殺してくれよ、と思わなくはないが、新しい領主からの贈り物をすぐに捨てるわけにもいかないのだろう。
「こちらもいらないんですけどね」
そう言うとチェルが袖を引いた。
「モラエルものはモラってミタラ? 畑サギョウ」
畑もぐちゃぐちゃになってるし、作業員は多いほうがいいのは確かだけど、どうしろと? カカシにでもすればいいのか。
迷っているうちに、隊員たちが先ほどの女奴隷を担いでやってきた。俺の目の前に放り出された女奴隷はやはりどこかで見たことが……。
「あ、ま、ま、ま、魔境の!」
買い付けに来た貴族の女戦士だった。ただ、今は髪も坊主だし、着ているものもボロ布で、豊満すぎる胸がゆらゆら揺れている。新しい領主は、前の領主の血を絶やしたいらしい。
「と、と、と、ということは、こっちの変装した奴は……」
ボグフッ!
チェルについてなにか言いそうになったので、顎に掌底を当てて気絶させた。魔族だなんて知られたら、この訓練施設に来れなくなってしまう。
「持って帰ります。じゃ、またお願いします」
俺は女奴隷を担いで、とっとと森へ走った。チェルも追ってくる。
「ああ、すまん。また、よろしく頼む~!」
後ろから隊長の声が聞こえてきた。
最短距離で魔境に向かい、昼過ぎには魔境に着いていた。
一旦、チェルが変装を解き、洞窟へと向かう。
「おかえりなさーい。早かったですね。それにしてもすごい量」
俺たちが背負っている小麦粉を見てジェニファーが言った。
「それはなんだ?」
ヘリーが女奴隷を見て聞いてきた。
「あー、畑のカカシ代わりに奴隷をもらってきたんだ」
「なんだ、カカシか? 実験に使っても?」
ヘリーは自分が作った回復薬を試したいらしい。
「いいよ」
ヘリーが回復薬を飲ますと、女奴隷が目を覚ました。
周囲を見回し、ヘリーを見ると女奴隷は、
「お、お、おのれ、憎きエルフめ~! 貴様らのせいで!」
と、飛びかかっていた。
「なんだ!? 私が治してやったんだぞ! うげっ」
ヘリーも応戦しようとしたが、力では女奴隷に分があるらしいが、腕のリーチはヘリーのほうが圧倒的に長い。
「奴隷同士仲良くしろ」
俺は2人を組み伏せて、押さえつけた。
「私は奴隷じゃない!」
「私だって、奴隷じゃない!」
「どうでもいいけど、お互いの事情を聞くように」
そう言って俺は2人を縛り上げ、地面に転がしておいた。
「マキョー、シオ!」
チェルに言われた。日が昇っているうちに海に塩を取りに行かないといけない。
「はいはい。ジェニファー、2人を頼む」
「はーい。いってらっしゃーい!」
ジェニファーに見送られて、俺たちは東へと向かう。
「はぁ、忙しいな」
「魔境ニ女バカリ? ウレシイか?」
言われてみれば、魔境に来るのは女ばっかりだ。
「嬉しかねぇよ。どっかから追放されてきた奴らばっかりじゃないか。チェルもちゃんと魔族の国に帰れよ」
「ハイハイ」
俺たちは海へと急いだ。