魔境異譚・コボルトのクロード3話
ダンジョンから出て二日目、俺は魔境の冒険者ギルド職員になっていた。
「やることは大して難しくない。冒険者が来たら受付してドッグタグを発行して、依頼を請けてもらうだけ」
ヘリーさんは簡潔に教えてくれた。
「それだけ? 死なないじゃないですか」
「死なないよ。よほど脅されたようだね。難しくないだろ?」
「はい」
随分カヒマンたちに脅されたが、魔境の中央に来てよかった。
「一応、魔境の冒険者たちのサポート役でもあるから、少し覚えてもらうことがある」
「あ、はい」
さすがに、優しすぎると思ったが、生活するならそれくらいできないと給料はもらえないだろう。
「と言っても、それも大した作業じゃない。回復薬を作るのと、魔境は魔道具の武器が多いから、多少、魔法陣と呪術について覚えてもらう」
「了解です」
そんなに多くはないだろう。回復薬もほぼ一種類だし、魔法陣だって使うものは限られているのではないか。
そんな淡い期待をしていた自分を殴ってやりたい。
「では、教える」
回復薬は魔境から薬草を採取して、冒険者ギルドの裏手にある研究所という場所で、樽で週に5つ作る必要があり、魔法陣は分厚い魔法書23冊と裏呪術書9冊の計32冊をほぼ丸暗記しないと仕事にならないという。
「そりゃあ、無理じゃ……」
「大丈夫。慣れるから」
ちなみに魔族で慣れたものはいないらしい。
「とにかく、やってみよう。薬草は匂いでわかるか?」
「いや、いくら俺がコボルトで鼻がいいとは言え、無理ですよ。魔境の森は香りだらけですから」
「まぁ、とにかくこれだ。採取に行ってくれ。来週までに樽で5つないと冒険者が死ぬと思ってくれ」
「そんな……」
責任まで背負わされるのか。だいたい死ぬような者は冒険者にならないでほしい。
「時間ないぞ!」
ヘリーさんの叱咤激励を受けて、準備を始める。
俺にはスコップと革鞄だけ用意されていた。軍手を売店で貸してもらい、とにかく外に飛び出した。
ギョエェエエエエ!
北からインプの鳴き声がしている。トレントが発生して動き出しているのか。回復薬の匂いをこの森の中から探さないといけない。
俺は少しずつ穴を掘りながら探索範囲を広げていくことにした。そうでもしないと、死ぬ。魔族としての誇りなどとっくにない。余計な事を考えても、未来の冒険者の命にかえられない。
「顔も知らない誰かのために、なんで俺が……」
そう思いながらも、ダンジョンではなんの使命もなかった俺に、やらなければならないことができたという高揚感が僅かにあった。
もちろん、だからといって上手くいくはずもなく、探索範囲が広がっているのに回復薬に使う薬草は見つからない。氷魔法を使う鼬は襲ってくるし、火を吹く草はそこら中に群生している。土魔法を使うワニが岩を出して、獲物を追い込んで捕食しているし、地面から飛び出してきたマンドラゴラは、ジビエディアの俊足から逃げ回っている。
「異常だ……」
ダンジョンの所長が持っていた魔物図鑑にはいない魔物だらけ。もっと外に行ったラミアやアラクネの話を聞いておけばよかった。ただ、砂浜での修行の成果か、死にかけることは少なくなった。ビッグモスに襲われすぎて麻痺の耐性がついたのか、毒の匂いに敏感になったのか、毒草や毒持ちの魔物がなんとなくわかるようになっていた。
種族特性が人生ではじめて役に立ったのかもしれない。
そんな中、魔物の血の匂いが漂っていた。ヤバいから離れようと思ったが、谷底の岩の上で革鎧を着た冒険者が倒れていた。岩の周りには黒い大きなムカデが集まっている。ムカデたちは岩に登れないから助かっているようなものの、何もしなかったらただ食べられてしまうだろう。
「おーい! 起きろー! 意識はあるかー!」
思わず声をかけていた。
「死ぬんじゃない! 冒険者なら黙って死ぬなー! 冒険して死ねー!」
声をかけ続けたら、ようやく冒険者が目を開けて、あくびをしながら起きた。自分の置かれている状況がわかっていないらしい。そりゃそうか。
「囲まれているぞ! 逃げろ!」
俺がそういった瞬間、岩がゴロンと転がって、冒険者は枯れ葉の上に放り出され、集まっていた黒ムカデの群れは岩に寄って潰された。
「いてて……」
「おい、あんた運がいいな」
俺は谷を降りながら、尻餅をついている冒険者に声をかけた。
「ああ、ごめん。なんか寝てたみたいで」
「寝てたって睡眠系の毒にやられたんじゃないか?」
「よくやられるんだ」
あまりに暢気だ。
「今死にかけたんだぞ」
「そうか? ああ、そうかも……。声をかけてくれて助かったよ。ありがとう。君は?」
「新しく入ったギルド職員のクロードだ。君、ドッグタグはあるか?」
「いや、随分前に失くしちゃったな。でも大丈夫、仕事は請けられるから」
「そんな……。とりあえず、中央の冒険者ギルドに戻ろう。魔境はどこに行っても危険だ」
「そういうクロードは魔境の森を探索しているじゃないか」
「俺は……、訓練中だ。それに薬草を採取するだけだし」
「そうなのか? 結構、泥だらけに見えるけど」
「薬草一つ見つけられないのが魔境さ。俺も散々、物語で読んできたけど、そんな仕事は単純じゃないな」
そう言うと、その冒険者はちょっと笑っていた。
「笑い事じゃないぞ」
「ああ、すまない」
「とりあえず、冒険者ギルドに戻ろう」
「いや、まだダンジョンがなぁ……」
「ダンジョンがあるのか?」
つまり、この冒険者はダンジョンを探索していて、魔物に襲われて外に放り出されたのか。運良く岩の上に落ちたから良かったものの、危うく死にかけるところだったんじゃないか。
「依頼だからダンジョンに行くのか」
「ん~、依頼ってわけでもないけど、新しいダンジョンだからさ」
「自分が探索したいってわけだな? 立派だな」
「立派でもないさ。冒険者なら普通だろ?」
「そうか……」
「薬草採取だっけ? 手伝おうか?」
「いや、冒険者の仕事の邪魔をしたらギルド職員として名折れだ」
「そうか。じゃ……」
「気をつけろよ」
俺は冒険者と分かれかけた。ただ、もう一度谷を上り、森に入るのかと思うと、恐怖心で膝が震える。この冒険者は日常的にこんな森に入っているのだろうか。
俺には無理だ。やっぱりダンジョンでのんびり過ごしていればよかった。わざわざダンジョンを出て危険な目に遭うなんて馬鹿げている。
あの使命もない生活を続けていれば……。
怠惰、諦念、挑戦心を振り払ってきた日々を思い出した。
「あの……、やっぱり手伝ってもらえないか?」
「え? いいけど」
「ダンジョン探索のところ悪いな」
「うん、まぁ、どうにでもなるさ。それより、この辺りじゃ薬草は見つからないだろ?」
「そうなんだ。毒草ばかりあってな。ああ、気をつけろ。草も襲ってくるから」
「そうだよな。ちなみに武器は持っているか?」
「ああ、武器と呼べるかわからないけど、スコップがある。君は?」
「俺は全部ダンジョンに置いてきちまった。まぁ、でもなんとかなるよ」
「楽観的だなぁ」
俺はこの名も知らない冒険者と、薬草を探すことにした。