【魔境生活36日目】
朝飯を食べながら、昨日会ったエルフの幽霊の話をしたら、チェルは爆笑していた。
「あら~、魔境ですから、幽霊くらいいますよね」
ジェニファーは幽霊なんて「和むわー」というように俺を優しく見つめた。
「いや、怖いだろ?」
「ウヒウヒヒヒ! アホ、アホがイルー!」
チェルは俺が幻覚を見たと思っているらしい。
「怖くないのか?」
「なにが怖いんです?」
ジェニファーが逆に聞いてきた。
「実体がないんだぞ!」
「だから別に怖くないじゃないですか。とくに恨まれるようなこともしてないんですよね?」
「してないと思うけど……」
「じゃあ、大丈夫です。逆恨みされても聖水でも振りかけておけば治りますよ」
「ジェニファー、もしかして聖水作れるのか?」
「もちろん。僧侶ですから作れますよ」
「作ってくれ! 頼むよ!」
「いいですよ」
ジェニファーはきれいな水を汲んできて、そこに薬草を浸し祝詞を唱え始めた。所作とかが洗練されていて、本物の僧侶みたいだ。いや本物の僧侶なんだけど。
「ジェニファー!? エ~?」
チェルも俺も驚いた。初めてジェニファーが魔境のためになにかを役に立った気がする。誰でもどこかいいところがあるようだ。
とりあえず、古い金貨はジェニファーが作った聖水に入れて放置。これで、魔境の幽霊騒動は終わりだろう。
「今日も作業だな」
「ドロカキ」
「私は洗います」
まだまだ家は元に戻っていない。
一通り泥をかき出し、食器や家具なども外に出すことに。家具を出すと中が広く感じた。まだ奥には岩や石が残っている。天井部分も崩落して穴が開いてる部分があり、木の板で塞いだ。崩壊している入り口も木の板で庇を作り、補修していく。
ジェニファーは家具や食器を洗い、チェルは水魔法と風魔法で泥を掻き出す。俺は力仕事や補修作業。それぞれ昨日のうちに役割が決まっていて、進めていく。
とにかく、貯め込んでいた食糧が泥だらけになったりしているのが辛かった。近々、また軍の訓練施設に行かないとな。
作業に集中しているが、女性陣は飯を忘れず、ちゃんと洗った鍋でギザクラブや沼の魚の魔物を煮て食べた。
午後も同じ作業の繰り返し。人の生活は一度崩れると取り戻すのに時間がかかる。
「マキョー! 奥テツダッテー」
「はい~」
奥の岩や石を運び出した。家の前はちょっとした石垣のようになっている。
P・Jが作った魔道具の武器や防具もまだ残っていたが、やっぱり傷一つついていない。
「アダマンタイトですかね?」
ジェニファーはこの素材を知っているらしい。
「なにそれ?」
「すごく硬い金属のことです。私も何度かしか見たことはありませんが、高ランクの冒険者の中でも一匹狼タイプの人しか持っていませんでした」
「なんでだろうな?」
「武器の性能が良すぎて仲間同士で争いになるんじゃないかって言われてましたよ。私のパーティでは禁止になってましたから」
「へぇ~、まぁ、P・Jも一匹狼タイプだよな。死体は何体か見たけど」
P・Jの手帳には仲間の記述が一切ない。すべて泥を落として、天日干し。
モップはないが、ブラシのように固いトゲの生えた植物の実で、乾いた泥をゴシゴシ落としていく。
「マキョー!」
チェルがまたなにか見つけたらしい。行ってみると、洗った床一面に魔法陣が青白く光っていた。
「あぶねっ! なんだ?」
今のところ、なにも魔法の効果がないし、あまりにも複雑な魔法陣なので判別は出来ない。
「ココ、崩レテル」
チェルが言うように、魔法陣は完全な形ではなく、この前の巨大魔獣の襲来か、前からなのか、崩れていた。それなのに、起動しそうになっているところがヤバい。
「ひとまず危ないし、この部屋は使わないようにしよう」
「ウン、そうスル」
P・Jの魔道具が置いてあった部屋だから、いろいろ危ないものが多い。
朝から作業し続けていたので、夕飯を食べたら寝る。子どものような生活だが、この時間が最も回復する。
「マキョー!」
「マキョーさん! 雨漏りかもしれません」
俺が自室で寝ていたら、天井を塞いだ板から雨漏りがしてきたという。ただ、雨など降っていない。2人には着替えて身体を洗って来るように言った。
「隙間が空いてたのは俺の責任だから、今日は俺の部屋で寝ていいよ」
結局、3人川の字になって眠った。
……チャポンチャポン。
水が跳ねるような音が聞こえて目が覚めた。あの聖水が入った水瓶から音がしているのか。
「チェル! ジェニファー!」
2人を起こそうとしたが、疲労のためか全く起きなかった。逆に俺は早めに寝たからか、目が覚めてしまった。
無理やり寝ようとしてみたのだが、チャポンという音が気になって眠れない。
「はぁ~……」
大きく溜息を吐いてから立ち上がり、聖水が入った水瓶を月明かりで確認。やはり古い金貨が鼓動を打つように膨らんだりしぼんだりしている。
「全然、ジェニファーの聖水が役に立ってないじゃないか!」
水瓶の中を見ていたら、昨日と同じように古い金貨が転がり始めた。もちろん、水瓶の縁で止められているが、その場でコロコロ回転している。
「また、あのエルフの幽霊が呼んでいるのか?」
ものすごく嫌だけど、恨まれて夜な夜な出てこられても困る。
「もう止めてもらおう」
意を決して水瓶と魔石灯を持って、夜の魔境に飛び出した。古い金貨が転がろうとする方向に進んでいく。
沼までは昨日と同じだが、古い金貨はもっと北東の方に行きたいらしい。
俺は沼をぐるーっと迂回して、北東に向かう。ここら辺は庭のようなものだ。インプたちがギョエギョエと叫び、大木の魔物・トレントが襲ってくるが魔力を纏わせた裏拳で対処。不意を突かれた魔物は簡単に弾き飛ばせる。
他の植物は眠っている時間だし、ゴールデンバットが飛んだりしているが、こちらには目もくれない。
「こっちも荒れてるなぁ」
巨大魔獣の被害は大きく、崖崩れや地割れなどを起こしている。月明りが当たって痛々しい。魔物たちも自分の生活を取り戻そうとしているところなのかもしれない。
周囲を観察しながら進んでいくと、古い金貨に誘われて家からかなり離れてしまった。
もしかしたら森を抜けて荒れ地の方まで来てしまったかもしれない。
「帰れるかなぁ」
「ムグッ!」
なにか柔らかいものを踏んだと思ったら、地面から声がした。もう一度踏んでも声がする。
地面の枯れ葉をかき分けていくと、白い肌のエルフが現れた。
「あれ? 幽霊じゃない? ゾンビ?」
「生きておる……、助けてくれ。なんでもする」
とりあえず、まだ怖いので水瓶の聖水を飲ませてみた。
ゴクゴクと喉を鳴らしてエルフは水を飲んでいる。本当に生きているようだ。古い金貨は、もう動いていない。
エルフは起き上がれないようなので、枯れ葉の中から掘り起こしてみると、かなり背が高いことがわかった。独特な十字模様の長いローブを着ており、裸足の足はひどく冷えて赤くなっている。手で温めてから、袖を引きちぎって足に巻いてやった。
「すまぬ」
「どこから来たんだ?」
「山脈の向こう、エルフの国から」
「あの雪山を裸足で越えてきたのか?」
「途中で靴が壊れたのだ」
山を越えてまで魔境に来るくらいだから、なにか事情があるのだろう。
「名前は?」
「ヘルゲン、ヘルゲン・トゥーロン。ヘリーと呼んでくれ」
「そうか。俺はマキョーと呼ばれている。この魔境の地主だ。とりあえず、うちまで来るか?」
「頼む。地面に飲み込まれるかと思った。霊体で探し回ったが、生きている者がいてよかった」
昨夜見た幽霊はヘリーの生霊だったようだ。
実体があるなら怖くはない。
「立てるか?」
俺はヘリーに肩を貸そうとしたら、ヘリーの肩が赤く染まっている。服をめくり魔石灯で照らすと、魔法陣をナイフで切り刻んだ痕があり、血が出ていた。
「お前、逃亡奴隷か?」
「いや、誰の奴隷にもなったことはない。国の奴隷になりそうだったので逃げてきたのだ」
「犯罪奴隷か?」
「犯罪など犯してはいない。エルフのわからず屋どもがバカな戦争を企てていたので、止めようとしたまで」
「結局、犯罪奴隷じゃないか?」
「国を追われてきただけ。しばらくここに置かせてくれ。地主殿」
「家賃、払えよ」
俺はヘリーを背負い、家へと帰った。