魔境異譚・コボルトのクロード2話
定期船は1週間後にしか来ないらしく、早くも俺は職を失った。
「じゃ、沈没船を引き上げる作業を手伝ってほしい」
カヒマンが俺を誘ってくれたのだが、先約があった。
「いや、それが……」
「カヒマン、まずは空気が吸える森のほうがいいよ」
リパさんは唐突に現れて、大きな魚肉の塊を俺の皿の上に置いた。
「まずは食べて身体づくりから」
カヒマンは残念そうに俺を見ていた。
「なにをするんですか?」
「単純だよ。魔境に慣れてもらわないと、せっかくダンジョンから出てきたのにもったいない。大丈夫。死にそうになっても死なないってことになっているから」
「確証はないってことですか?」
「世の中に確証なんてものはないよ」
とにかく、今生での最後の食事が魚肉の塊になりそうだった。魚肉を食べきって、胃もたれを起こしながら、リパさんについていく。
「動けないんですけど」
「大丈夫。歩ければ問題ないさ。そこに落とし穴があるのがわかるかい?」
「え? ああ、よく見ればありますね」
「とりあえず、魔法で落とし穴を作れるようになれば、かなり戦いやすくなる。はい、これスコップね」
リパさんからスコップを手渡された。
「魔物がきたらスコップで撃退できるようになろう」
「はぁ?」
この時、俺の武器がスコップになった。
「よし、じゃあ掘ろう!」
「はい」
俺は言われるがまま、なにがなんだかわからないまま落とし穴を掘り始めた。
「あ、ごめん。そっちにビッグモスが行った!」
リパさんの声が聞こえたと思ったときには俺の身体は麻痺状態になっていて、大きな猪の魔物にふっとばされていた。おそらく足がえぐれているが、麻痺状態なので痛くはない。
気絶しないまま、ダラダラと血が流れて、「あ、俺、死ぬな」と思ったときにはリパさんが回復薬を患部にかけて治してくれる。
「大丈夫。たくさん食べたから、血が流れてもすぐに作られるよ」
「……ふぁ、ふぁい」
口も痺れているので、はっきり返事はできない。
信じられないかもしれないが、俺は午前中だけで、ビッグモスに5回襲われ、キングアナコンダに飲み込まれそうになり、グリーンタイガーの亜種に8回頭をかじられ、ベスパホネットに全身を刺された。
「リパさん、俺、なんで今でも生きてられるんですかね?」
「悪い。俺、魔物に襲われる体質なんだ」
「そんな人はいませんよ……。え? いるんですか?」
リパさんは大きく頷いて、潰した豆のスープをパンと一緒に渡してくれた。とにかく腹が減りすぎている。
「午後も、落とし穴を掘るってことでいいんですか?」
「いいよ。でも、一旦昼寝だ。寝て超回復すると、自分の身体じゃないみたいになっているはずだから」
「そんなバカな……」
そんなバカなことが俺の身体に起こっていた。
昼寝から目覚めると、とんでもなく身体が臭かった。とりあえず、海に飛び込んで汗を洗い流し、自分の体を確認してみると、引きこもっていた自分の身体じゃないみたいに筋肉が浮き上がっている。
「やっぱり魔族は成長が早い。今日中に魔物を倒して、解体までいけるかもしれない」
「とりあえず、手合わせ」
リパさんとカヒマンが浜辺にいて、なぜか俺と魔力操作の特訓をしてくれた。
「なんでそんなに優しいんですか?」
「仕事は皆でやったほうがいいから」
「人手というか、実験台が足りてないからね」
「俺は実験台になるんですか?」
「「……」」
二人とも声にならない声で顔を歪めていた。
「言い方が難しいな。えーっと、正確には研修生になると思う。だから、働く場所を自分で決められるくらいにはなっておいた方がいい」
「2年は女性に関わらないほうがいい。だから、本当に沈没船を引き上げる作業をするのが一番」
「あとは、どうにかマキョーさんの目に付いたほうがいいかもしれない。魔法学校に紛れるのもいいと思う。でも……、中央には行かないように……、頑張ってみてくれ」
かなり切実な願いを受け取った。
「とにかく魔物を狩れるくらいになればいいんですかね?」
「そうだな。もし、冒険者になれたら儲けものだと思って、すべてを断ったほうがいい」
「絶対に自分を見失うなよ」
ダンジョンから出ただけなのに、俺はどんな目に遭うっていうんだ。
ひとまず、手合わせ後に午後の穴掘りへと向かう。いや落とし穴か。
できるだけ落とし穴を掘り、掘った穴に隠れながら、生き延びることを目的にした。
ところがリパさんの異能はおそろしく魔物を引き寄せ続けていた。
ビッグトードと呼ばれる家みたいなサイズの蛙、火吹き蜥蜴、氷の鼬、巨大な蟹などに襲われ続け、12回は噛みつかれ、7回川で溺れかけ、8回凍らされた。
「なんで、俺は死んでないんですかね?」
「なんでだろうな……。それは俺にもわからない」
「初めにカヒマンに見つかったのが、本当に運がいいよ」
「ありがとうございます」
蛙の姿煮と蜥蜴肉を食べてから、砂浜で就寝。倉庫で寝られると臭いと魔族の女性たちからクレームが来たからだ。
深夜、砂浜で焚き火をしながら眠っていると、大量に砂がかけられた。いや、振動から察するに、空から何かが降ってきたらしい。
「おや、まぁ、本当にコボルトがいるねぇ。リパたちが隠していたね。困った鳥だ」
砂を払いながら俺は起き上がった。
「何者だ?」
「ヘリーという。悪いけど、人手が足りなくてね。連れ去りにきたよ」
「俺をですか?」
「そうだ。レベルが上っている最中だね。ちょっと水浴びでもしに行くかい?」
足に何かが巻き付いたと思った瞬間には、天地が逆さまになり、海に落とされてから空へと放り投げられていた。何が起こっているのかわからないが、空中でなにかに捕まり、そのまま逆さまでぶら下がるように空を飛んでいた。
「あのぉ、どこに向かってるんですか?」
「お、気絶していないね?」
声の主はヘリーという、おそらくエルフだ。
「大丈夫。魔境の中央に行くだけさ」
「え? 中央には行かないようにと言われているんですが……」
「そんな事を言っていたのかい? バカな先輩たちの言うことは聞かないように。悪いようにはしない」
どうにか足に巻き付いている蔦を外す事ができればと、やってみたがまるで外れる気がしない。
足元、つまり上を見れば大きな岩。俺は岩で移動をしているらしい。なら、大丈夫かとはならない。魔境では岩で移動しているのだろうか。
「外すと落ちるよ」
「はい~」
数時間ほど飛んでいただろうか。血が頭に上って仕方がなかったが、どうにか沼の畔に辿り着いたらしい。
「あ、着いた。ほら、沼で水浴びしておきな」
俺は沼に落とされた。別にどこも怪我がない。レベルが上っている最中と言っていたが、本当だろうか。
沼から上がると、突風に晒された。風は杖から出ているらしい。知りもしないが囚人になった気分だ。
「少しは乾いたかい?」
「はい」
「じゃあ、ここがあんたの職場になる」
「へ?」
沼の畔に大きな木製の立派な建物があった。
「なんですか? ここは……」
「魔境の冒険者ギルドさ」
「え?」