魔境生活・異譚「コボルトのクロード編」
ダンジョン生まれ、魔境育ち。悪そうな奴らとは距離をおき、仕事のできる女たちともなるべく離れて暮らしてきた。正直腕っぷしより、工作が好きなタイプで、ほとんど野生の魔物と戦うなんてことは生まれてこのかたしたことがない。
男なのに女々しいと言われるが、女々しいという言葉自体、男に使う言葉だろう。
ところが、ダンジョンの我が家がついに壊れ、所長にはいい加減に外に出ろと言われ、長年使っている寝袋と荷物を持たされて、外に出てみた。
あまりにも眩しい空に面食らってしまったが、とにかく仕事は用意してもらった。港で荷運びだ。
「メイジュ王国から、小麦やピクルスが届く。あとはハムとか、発酵食品が多いな。魔法書もあるから慎重に運ぶんだ」
「でも、アラクネの姉さん、俺はそんなに腕っぷしは強くないですよ」
上司はアラクネさんだ。魔境の領主とも知り合いという方で、魔族界隈では面倒見が良いことで有名だ。
「知っている。ダンジョンのもやしっ子が外に出たら、まず何をするかわかるか?」
「何をするんです?」
「死ぬ気で鍛えるんだよ。じゃないと魔境じゃ生き残れない」
「そんなぁ……」
「まぁ、大丈夫。重い荷物を運んでいるうちに、いつの間にか筋肉はついているさ」
とにかく重労働はさせられるらしい。
「あら? 今日はカヒマンさんもいるのかい?」
「ん? ああ」
カヒマンと呼ばれたドワーフは、黒い服を来てとんでもない筋骨隆々の身体を海風にさらしていた。
「沈没船を引き上げたいから、なるべく定期船を……」
カヒマンは途中で喋るのをやめた。
「ああ、定期船を早く送り返したいのか」
「ん。珍しいな」
言葉が少ないが、言いたいことはアラクネの姉さんに伝わっている。そのカヒマンは俺を指さした。
「ああ、ダンジョンから出てきたばかりでね。まずは荷運びの仕事からさ」
「よろしくお願いします」
「よろしく。この港に男は少ないから頑張れ」
「はい」
定期船が来ると、倉庫で休んでいた魔族たちが一斉に桟橋に集まり、一気に積荷を下ろし始める。
「全力でいけ! 魔力も体力もここで全部使い果たすと思ってやるんだ!」
そう言われて目の前のカヒマンを必死で追いかけた。カヒマンが余裕そうに積み上げている小さな木箱を一つ持ってみたが、骨がミシミシと鳴るほど重かった。日頃の運動不足もたたって、筋肉がちぎれているのも感じる。体力も魔力も総動員したが、目の前が唐突に真っ暗になる。
俺は、船と桟橋をたった3往復しただけでぶっ倒れた。
「悪くない倒れっぷりだったぞ」
砂浜でカヒマンに言われて起き上がった。桟橋で倒れたのに、浜まで来た記憶がない。
「あの……、荷運びは?」
「終わった。ほら、船が沖に」
起き上がって海を見れば、すでに定期船は水平線近くで小さくなっていた。
「あれ?」
俺は突然、自分の体が軽いことに気がついた。
「筋肉痛も骨折も治っているだろ? 魔境の回復薬は効果が高いから」
「はい」
「ここは魔境だから、死にかければ死にかけるだけ強くなるんだ」
「え?」
「とにかく、魔力は使わないと」
カヒマンは俺の背中をそっと叩いた。
体中から湯気が出るほど、魔力が湧き上がってくる。
「休んでいる間は、その魔力をどうやってとどめておくか考えて」
「え? でも……」
自分の魔力がどんどん抜けていくような感覚があった。
「大丈夫。死にはしない。男が少ないんだ。楽にいこう」
どんどん魔力がなくなり、視界が一気に狭まる。あっという間にブラックアウト。俺は再び気絶した。
「起きた?」
目を覚ますと、先程と同じようにカヒマンが浜辺で焚き火をしていた。
「どれくらい寝てました」
「ちょっとだ。これ、食べて」
獲れたての蟹焼きだと言うが、爪だけでも俺の顔くらいある。
「こんな魔物と戦ったんですか?」
「戦わないよ。そこら辺にいたから獲っただけだ。蟹肉でも食べたほうがいい」
「はい」
今まで生きてきた中でもトップクラスに美味しい蟹だった。
「食べたら、組手をやろう。狩りでもいいけど」
「え?」
「休息は筋肉を使い果たしてからな」
冗談かと思って笑ってみたが、カヒマンは笑っていなかった。砂袋が付いた服を着せられている。
「仕事までは着ていてくれ。外したらもっと重くなる呪いがかかっている」
「そんなぁ……」
呪われた服を着たまま組手をやらされた。もちろん、戦ったことなんてなかったから結果は悲惨だ。
ガコンッ!
カヒマンはどうやれば人間の意識が飛ぶのかわかっているようで、ギリギリで止めてくれる。
「じゃあ、余計な力が取れたところで、狩りにいこう」
すっかり夕日が沈んでいる。森に入った途端、カヒマンの気配が消えた。
「どこ?」
「ここは野生の場所だ。気配は消してなるべく音を立てないように。息もできるだけ小さくするんだ」
「わかりました……」
そう言いつつも、俺の鼓動は早鐘のように鳴っている。どこに何があるのかわからない。そもそも月明かりしかないのに、どうやって獲物を探しているのか。
「目に魔力を込めてみろ」
そう言われてはじめてやってみた。不意に目の前が開け、大きな猪がこちらに向かってくるのが見えた。
「ど、どうすれぇええええばぁああ……!?」
俺は森から逃げ出していた。砂浜に飛び出したが、なおも猪は追いかけてくる。
岩に登りどうにか猪から逃れたと思ったら、岩が動き始めた。岩は巨大なヤシガニの魔物だったらしい。しがみついていたが、あっさり落ちてそのまま気を失った。
「悪くない」
再び浜辺の焚き火のそばに俺は寝かされていて、カヒマンの声で起きた。
「魔物は?」
「倒した」
深夜にも関わらず、アラクネやラミアの姉さんたちが巨大ヤシガニの解体作業をしている。
「なにが悪くないんですか? 俺はまた死にかけましたよ」
「だからさ。魔境では運が悪いほうがいい。このまま運が悪いと悪くない」
「え? どういう……」
カヒマンの言っている意味がわからなかった。
「大丈夫。先輩を呼んだ」
「なにを……?」
理由のわからないことを言っているドワーフは放っておいて、自分の身体が異常をきたしていないか確認する。不思議なことに、全くと言っていいほど怪我をしていない。いや、怪我をしていたようだが、治っている。古い傷すら治っているのはどういうことだ?
「ダンジョンの引きこもりが出てきたって?」
突如、空から人が降ってきて、カヒマンに聞いていた。
「ああ、ほら」
カヒマンが俺を指さした。
「どれ?」
目の大きな鳥人族と呼ばれる種族の男が俺を見た。その大きな目ですべてを見透かされているような気がする。
「ああ、悪くないね」
この男もカヒマンのようなことを言う。
「名前は?」
「クロードです」
「そうか。リパだ。よろしく」
「よろしくお願いします」
なぜかカヒマンの先輩と聞いて、頭を下げてしまった。
「コボルトかい? 手先が器用そうだけど」
「はい。あの、力仕事よりは得意だと思います」
「そうか……。ダンジョンではほとんど職人仕事をしていたかい? 魔法の特性もあったりはしないかな?」
「職人仕事と言うか、工作を少し。魔法はほとんど使えません。砂煙を出すようなことくらいしか」
「土魔法だな。種族特性かもしれない」
「闘技会には出す?」
カヒマンがリパに聞いていた。
「ん~、1週間後だ。ヤバいかもしれない」
「そうなの?」
「マキョーさん付きにピッタリだ」
「それはヤバい」
「なにが?」
思わず俺は二人に聞いてしまった。
「少し強くならないとまずいかもしれない」
「でも、俺としては手先の作業のほうが……」
「それはわかる。でも、そっちでもある程度、死なないようにしておかないとな」
「……え!?」
空の三日月は笑っているのに、俺の頭には黒い靄がかかっていた。