【正月三日目】
城にて、王や各地の貴族たちに挨拶を終えて、新年会に出てみると、やはりチェルに注目が集まる。今年は人数が多く、立食パーティーだったので俺たちはほとんど端の方で、静かにしていようと思っていたのだが、普通に人だかりができてしまった。
100年間、敵だと思われてきた魔族だが、現在は交易相手になっている。しかも俺の婚約者だ。
「魔王になるというのは本当ですか?」
貴族ほど権威に弱い。
「ええ。この間も歴代の魔王たちの霊魂と話をしてきましたし、今の魔王は同級生です」
チェルは貴族らしく流暢に答えていた。本当にチェルなのか疑わしくなるような化粧までして、髪も櫛で整えられている。変われば変わるものだ。
「では魔族は血筋によって王が決まるわけではないのですね?」
「魔族の国では魔力や魔法の方が重んじられますから。魔境で魔人にまで上り詰めた私に敵う魔族はいませんよ。辺境伯のお陰ですけどね」
ワインを飲んでいた俺は噴き出しそうになった。まさかチェルがお世辞を言うなんて。
「勝手に実力を上げていっただけです。環境が過酷ですから、長くいればいるほど影響を受けるんです」
「いや、辺境伯の影響が最も強いですけどね」
チェルが睨むので貴族たちが笑っていた。
「おや、この前とは違う婚約者を連れているな」
先代の王弟のエスダ爺さんがわざわざ挨拶に来てくれた。
「先日はありがとうございました。お陰様で、魔境でも祭りを開催することができました」
「それは何より。そちらは?」
「婚約者のチェルです。メイジュ王国ではマスター・ミシェルと言われており、次期魔王に就任する予定です」
「どうもシルビアから聞いております。なにかマキョーが失礼なことをしなかったでしょうか」
「元自由自治区領の生まれで魔境を統治したと聞いていたから、もっと野蛮な男を想像していたんだが、意外に好青年で驚いたくらいだよ。婚約者たちは皆仲がいいのかい?」
「ええ。嘘をついたり、意地悪をしても魔境ではあまり意味はありませんから。皆、マキョーの悪口を言っているので、自然と仲は良くなります」
俺は悪口を言われていたのか。
「それはいい。いい婚約者たちじゃないか。大事にするといい」
「そうですね。悪口も言われなくなると人として終わりだと思って一緒に生活していきます」
そういうと、エスダ爺さんは笑ってワインのボトルをくれた。こちらからはアラクネの布で作ったマントを贈っておいた。どういう品が見合うのかどうかもわからないが、本人が喜んでいたのでよかった。
「魔境は自由だと聞くが、農民も養わずにどうやって統治しているのです?」
貴族たちが聞いてくる。
「農業がそもそも出来ませんでしたから、採集や狩猟生活が続いていました。そうなると、ほとんど自然相手です。しかも、強い魔物や食獣植物ばかりですから、誰しも強くならないと生きていけません。連携も取れない新人は、何度も死にかけます。そこから学ぶことが多いんです。だから統治しているというよりも、最低死なないように見守るだけで、後は本人の生命力にかけるだけでした」
あまり理解していないのか周囲に集まっていた貴族たちは、チェルを見た。
「人間誰しも得意不得意があると思いますが、魔境ではできることをやっていくしかなかったんです。だから私も初めの頃はずっとパンを焼いていた。私は魔境のパン屋でした」
チェルがそういうと、貴族たちから笑いが漏れた。
「小麦がない地域ですから、パンは貴重なんです。しかもメイジュ王国のパンはバターもたっぷり使っていますし、ものすごく美味しいんです」
「他に食べるものと言えば、魔物の肉と野草くらいしかありませんでしたから、初期は大変でしたよ。見た目通り、私は魔族ですから魔法は得意だと思うでしょう?」
「ええ、違うんですか?」
「いえ、得意だと思っていたんですけど、辺境伯はちょっと教えただけで、それまで歴史上なかった魔法を作ってしまうんです。しかも、遊んでいるかのようにどんどん作ってしまう。完全に私は打ちのめされました」
「どんな魔法を使うんです?」
「こんなのですかね」
俺はカップケーキを浮かばせて見せた。
「こんなことができるなら輸送問題が変わってしまいませんか?」
チェルに聞かれて獣人の女性貴族は大きく頷いていた。ホワイトオックスの領主の奥方だったか。
「マキョーの異常さはこの程度ではありません」
悪口を言う時は呼び捨てにすることにしたらしい。
その後、俺がいかに異常な魔法を使うのか各地の貴族に聞かせていた。よく息が続くものだ。
「是非、その魔法を見てみたいのですが……」
「この会場でもちょっと小さいので、魔境まで来てください」
「コロシアムが正月興行の真っ最中だったはずだが、どうにかならないかな?」
サウスポートの貴族が、誰か伝手はないか聞いていた。
「それは私も見たいな。甥に掛け合ってやろうか」
先代の王弟が国王に言うって、マズい展開になってきた。
「確かに、本当の実力は見ていないからな。正月興行中に悪いが、辺境伯の力を見せてもらおう。しかし相手がな……」
「ウォーレンが兵舎で訓練中ではなかったか」
「声をかけておいてくれ」
トントン拍子に話が進み、なぜか俺はウォーレンと戦う羽目になった。チェルは「どうせ相手にはならないから、私もウォーミングアップをしておく」と言っていた。
なんだかよくわからないまま俺たちは貴族たちと共にコロシアムへと移動を始めた。
コロシアムの観客からすればいい迷惑だろうと思ったが、案外外に出ている観客たちから口笛や拍手が湧き起っていた。いつのまにか兵舎からウォーレンが出てきて、兵士たちとともに俺の隣を歩いている。自然と観客たちが道を開けてくれた。
「皆、この国の最強を知りたいんだ。自分たちが誰に守られ生活しているのか、誰がエルフの国の侵攻を止めたのか、突然現れた辺境伯は? 1000年前の先祖が現代によみがえっているが本物なのか? 皆、知りたいんだよ。結局のところ、何者なんだ? 実力があるなら見せてみろと言っているのさ。王都の人間たちは不遜だろ?」
歩きながらエスダ爺さんが説明してくれた。
「知りたいと思うのは当然なんじゃないですか。ぽっと出の貴族ですから、自己紹介もまだですよ。ウォーレンさんにはちょっと付き合ってもらって申し訳ないですが……」
「ん~、そうでもない。王都の軍は金ばかりかかっていて、何をやっているのか実体がわからないと言われているからな。こうやって実力を発揮できる機会があった方がいい。コロシアムも毎年代わり映えしない演目ばかりだ。せっかく魔境が開発されたんだから、誰かと戦った方がいい」
訓練の成果を出せる場所が少ないのだろう。ウォーレンはずっと笑みを浮かべていた。
「あ、魔物を出しましょうか? ヌシは王都が半壊してしまうので、無理ですけどロッククロコダイルぐらいなら出せますけど」
「魔境の魔物を連れてきたのか?」
「いや、マキョーがダンジョンの拠点になったんですよ」
チェルがバラしていた。
「は? ダンジョンを身に纏っていると聞いていたが、拠点になったというのは……。常にダンジョンに行けるということなのかい?」
「ええ。一緒にいますよ」
何を言っているのかわからないというようにウォーレンはチェルを見ていた。
「魔境の環境ごと連れてるんです。意味が分からないですよね。まぁ、一旦、ちょっと兵士たちと模擬戦でもやらせてみてください」
チェルが勝手に試合を組んでしまった。
当然ウォーレンの側近たちは近衛兵と同じくらい鍛錬を続けている。おそらくエスティニア王国の中で最も過酷な訓練もしているはずだ。ロッククロコダイルと戦わせて大丈夫だろうか。
剣闘士やコロシアムの職員たちもなぜか拍手で迎えてくれた。人垣で遠くまで見通せないが、かなりの人数がコロシアムに集まっているようだ。
コロシアムの中に入り、ダンジョンにちょっと若手のロッククロコダイルかワイルドベアはいないかと聞いてみた。控室ですぐにヌシたちと打ち合わせ。事情を話すと、若手の筆頭などを出そうとするので、それだと観客席に死人が出るので手加減がわかる熟練の魔物を要請した。
ヌシたちからは「難しい要求をするな」と怒られたが、正月早々死人を出すわけにもいかない。
何度か俺と組み手をして、優しいロッククロコダイルとワイルドベアを連れてダンジョンを出た。二頭とも控室では収まらないので、そのまま闘技場へと連れていく。
うぉあああああ!!
観客席から大歓声が沸き起こった。通路にも人が埋め尽くし、ドリンクの売り子や揚げ物を売ってる商人たちも詰め掛けていた。貴族たちの席も連れてきたメイドたちと一緒に座っていて満席。王都の人たちが詰めかけている状態だった。
凄まじい数の人に一瞬俺はたじろいだが、魔物たちは堂々としたものだった。責任の違いだろうか。
ガコンッ。
相手側の扉が開き、槍や鎧を装備をした軍の精鋭たちが出てきた。総勢15人ほどだろうか。彼らが横に並んでも闘技場は十分な広さがある。王都の人間たちがコロシアムにかけていることがよくわかる。
ロッククロコダイルとワイルドベアは、俺にもういいのかと目を向ける。
「銅鑼が鳴ると思う」
ドーンッ!
銅鑼が鳴ると同時に、兵士たちから魔法が飛んできた。
ロッククロコダイルが尻尾を振り、岩の壁を作り出して攻撃魔法を防ぐ。その壁を下から引っ掻くようにして、ワイルドベアが岩の破片を兵士たちに飛ばしていた。
ゴゴゴゴン。
兵士たちが持つ盾に当たり、闘技場が静寂に包まれた。普段見ている魔物と剣闘士たちとの戦いではない。凶暴な魔境の魔物と熟練の兵士たちの戦いに、観客たちもどう見ていいのか戸惑っていた。もしかしたら、すぐに決着がつくかもしれない。
兵士たちが魔物を取り囲むように四方八方から槍や剣を振るが、毛皮も鱗も固くまるで効いていない。
ボンッ。
ロッククロコダイルが尻尾を振って兵士を一人壁まで吹っ飛ばした。落ちた盾を拾ったワイルドベアが、両手で引き裂いて細長い鉄の板に変えてしまう。
それを見て、すぐに兵士たちは盾を捨て、攻撃に特化させるようだ。魔法で水球が飛び、地面に水たまりを作って、雷魔法を放つというえぐい攻撃も仕掛けてきたが、足を土魔法で固めて、じっと耐えていた。
煙が立ち上り、闘技場が一瞬見えなくなる。そこに剣の攻撃が飛んできていた。
キキキン!
金属音のような音が鳴り響く。
煙が消えると、兵士たちが持っていた剣の刃が地面に落ちていた。
「ひっ……」
兵士たちの顔が恐怖でひきつる。
ボンッ!
ワイルドベアが兵士たちをタックルをお見舞いする。ロッククロコダイルの突進で兵士たちが壁まで吹っ飛んだ。
「降参だ!」
控えの門の外からウォーレンの声が闘技場に響いた。
俺とチェルはワイルドベアとロッククロコダイルを掴み上げ、顎の下を撫でてやると俺の影に放り込んだ。ダンジョンには、美味い肉を上げておいてくれと頼んでおいた。
「治療師はいますか? いなければ回復魔法を使いますけど……」
「ここまでやられて、治療までされたんじゃ、軍の名折れだ。問題ない」
ウォーレンが部下たちを連れて、闘技場に入ってきた。
「すまんね。一度相手をさせてやりたかったんだ。彼らがヌシか?」
俺とチェルは首を横に振った。
「マキョー殿の影にダンジョンが棲み処を作ったということで理解していいのかな?」
「そういうことです」
「なるほど、これはどうやっても無理だな。一応、手合わせしてもらえるか」
そのために来た。
「お願いします」
なるべく後悔がないように、ウォーレンの準備を待った。
未だ観客たちは魔物と精鋭たちの戦いにざわついていた。
「いいのか。何も持たずに」
ウォーレンが聞いてきた。
「ええ。どの武器も自分の能力を制限することがわかりました。無手が自分の武器です」
準備が整ったところで、銅鑼の音が鳴る。
ウォーレンは剣先を俺に向けて突進してくる。魔力も練り上げて、突き刺そうとしているようだ。要はリパが以前覚醒した時と同じような技を使おうとしている。
受けてみようか。
ウォーレンの切っ先が革の鎧に触れた瞬間、魔力が回転して俺の体内に送り込まれてきた。鍛錬の記憶と国民を守る意識、王家の誇りなどが見えたような気がしたが、俺は軽く肩を引いて受け流した。
「思いが多すぎて、身体に力みがあります。魔力で攻撃するなら、一つの思いを練り上げた方がいいですし、感情はなくした方が体重が乗って重みがありますよ」
今度は純粋に魔力のみを乗せて突いてきた。
俺はそれを受け止めて、肩を回して、そのままウォーレンの鎧を打った。
ポーン。
ウォーレンの身体は、観客席の方まで飛んでいく。
「大丈夫か!?」
「元帥!」
観客の兵士たちが手を貸そうとするのをウォーレンが手で止めた。
ウォーレンが立ち上がると、鎧の鉄がねじれ、つなぎ目が割れて地面に落ちた。
「まったくダメージはない。が、背中の鉄までねじ曲がっていることを考えると、いくらでも身体を壊すことはできたということだろう。俺の負けだ。これが現状、エスティニア王国の最強戦力だと考えていい。辺境伯、マキョー殿に大きな拍手を!」
ウォーレンがコロシアム全体に響くように声を上げ、万雷の拍手を浴びた。
その後、チェルと模擬戦をして、魔境の試技は終了。チェルとの模擬戦では、いちいち解説しながら、魔法を使ったので疲れてしまった。
「この一年、毎日の様に魔物について考え、植物を観察して、死なないように生活をしていました。環境を活かし、己を活かし、仲間を活かして生きる。それこそが生活です」
観客たちがなかなか帰らないので、俺は魔境での生活を語ることにした。
「それほど自分は頭がいいわけではありませんし、魔境に入った当初は魔法すらままならない状況でした。実家のある田舎の方でも、うだつの上がらない生活をしておりましたが、魔境に行き、自分を責めている暇などなく、ひたすら自分の身体をどうやって活かすのか、魔物がどうやって生き、植物がどんな生存戦略をしているのかを見て、それを取り入れていきました。魔境で生きるにはそうするしかなかったんです。知識を得ること、それを実践して、生活に取り入れることを繰り返していると自分のようになります。種族の差別など、自分の身体の観察や相手の観察を怠っている者がすることです」
チェルが俺の手を握ってきて、喉に魔力を送ってきた。声が小さかっただろうか。
「魔境はまだまだ開拓したばかりの土地です。いくらでも新しい試みができるし、新商品の開発や新しい施設もできていきます。空島もできました。1000年前の都市を現代に連れてきました。魔族の国、鳥人族の国とも交易をしています。もしも、自分の人生を振り返り、『こんなもんじゃねぇな』と自分を活かしたければ、是非魔境にお越しください。魔境に来た者たちは皆、他の土地で追放されてきた者たちばかりです! 活かしきれていないのは環境のせいかもしれません。どうか自分を諦めないで、挑戦を続けてください!」
チェルの魔法のせいか、声が遠くまで届いたような気がする。
俺たちが控室に戻ったことで、観客たちもようやくコロシアムを出たようだ。
国王と大臣、王家の人たちに挨拶をして、俺たちは魔境へと帰った。
帰りは半日で済む。入口でエルフの番人に王都のお土産を渡し、小川の前に立つと、一年前を思い出す。
ギョエエエエエ!
インプの声がどこかから聞こえてくる。魔境はすっかり春めいていた。
植物も鬱蒼と生い茂り、フォレストラットの家族がそこかしこの木々を走り回っている。
空を見上げればゴールデンバットがエメラルドモンキーを捕まえて飛んでいく。
スライムたちは相変わらずじゃれてくるし、ヘイズタートルは突進してくる。
呆然としていれば即座に死が待っているが、それぞれが活かし合っているのだと思えば、これほどの楽園はない。
「また始めるか。魔境生活を」
「うん」
隣には魔族の妻が立っていた。