【紡ぐ生活35日目】
生活に必要な物は過去の人たちも知恵を絞っていた。
「随分固いものが出てきましたね」
「珍しいセメントかナ」
「レシピをちゃんと書いてくれているな。これ、魔法学校に使えるんじゃないか」
そう言うとチェルはひっそりセメントが入った壺とレシピを抱えて、北へ向けて飛んで行ってしまった。建設現場に向かったのだろう。
ピチャッ。
魔境の森に朝日が差し込み、樹木に積もっていた雪が解け始めていた。
「冬が終わるなぁ」
「マキョーさんの前世にも季節はあったんですか?」
リパは森の様子を見ながら聞いてきた。
「そりゃあ、恒星があって地上が星ならあるだろ。でも、正月はまだ雪が降って寒かったけどな。この世界は新年が開けたら春だよな」
リパは「星?」と疑問を口にしていたが、面倒なので説明は避けた。
日差しと共に気温が上がってきて木々のつぼみが膨らみ始めた。
昼前にダンジョンの掃除を切り上げ、ホームへと向かう。
「あの量がいくつもあるんですから、新年前に片付きますかね?」
ジェニファーは、来年もやるつもりらしい。
「とりあえずできるところまでやろう。祭りの準備もあるしなぁ」
「大通りは石畳を敷くんですか?」
リパは住宅地の間にある通りが気に入っている。大通りと言っているが、端に冒険者ギルドがあるだけで店舗もなければ何もない。それでも道には違いない。
「灯篭と一緒に練り歩くためか。雪かきだけしよう。新年から滑って転びたくないだろ。あとは……、ぬかるんでいたら乾かすし、皆が歩いて踏み固めればいいさ。魔物たちにもその周辺が人間たちの住む領域だってことが伝わるといい」
「ヌシたちにも伝われば、種族的にも近寄らないってことになるんですか?」
「ちゃんと人間の生活をしていればな。ダンジョンにヌシたちが引っ越すまでしばらく無暗に魔物を殺せないぞ」
「襲ってくるのだけですか?」
「いや、春になれば出産と子育てのシーズンだろ。それまで奪ったら、領主としてヌシに何て言えばいいかわからなくなる。魔境ではそういう魔物の営みが最も重要な資源だ。俺たちの生活だって、そういう営みのお陰で守られている。こんなに人数が少ないのに、大きい領地を運営できるのは森や砂漠の自然と魔物のお陰だよ」
「ええっ? マキョーさん、あんまり領主っぽくならないでくださいよ。戸惑うので」
ジェニファーは俺が真面目な話をするのを嫌がる。
「あ、空島が結構できてますね。もう浮かぶんじゃないですか?」
「いや、ちょっと浮かんでるぞ」
手を広げたくらいの隙間が空島と地面にできている。
「おーい! ヘリー!」
「なんだぁ?」
空島の上からヘリーが顔を出した。
「飯にしないか? 今日は暑いだろ? 気温の変化が激しいと体が疲れちまうよ」
「そんなことをマキョーが考えられるなんて、何か食あたりでもあったんじゃないか?」
そう言いながらも、ヘリーは飛び降りてきて、エプロンで手を拭いていた。昼飯は食べるようだ。
「ようやくどうして魔力を通さない鎖で空島を繋いでおくのかわかったよ。ああでもしないと魔力の影響を受けて、ロープが魔石の粒だらけになるんだ。ロープ自体が傷むから、金属にするしかなかったようだな」
「でも、今は……?」
複数の蔓を使っているようだ。いや、空島を草で掴んでいるのか。
「蔓で掴んでるのか?」
「お、わかるか? どうしようもないから発想の転換さ。浮力の制御するしかないから、強い植物で無理やり空島を留めてるんだ。水路と貯水池を作っていてよかったよ。まさか浮かぶ島に最も重要なのが重さだなんて、なぞなぞを解いているような気分だよ。ジェニファー、あとでダンジョンに行っていいか?」
「ええ、もちろん。固くて重い古木ならいくらでもありますから」
結局ハーピーたちも連れだって、ホームで昼飯を一緒に食べた。
そこへ軍の訓練兵たちがやってきて、小麦や魚の干物などをおすそ分けしてくれる。他にも民芸品や籠、正月の飾りなんかも持ってきてくれた。
「どうしたんだ? 何かあったか?」
「いや、実家のある領地から魔境へ送られてきました。マキョーさんが旅で回ったじゃないですか」
「どこの領主も魔境まで来られないから、俺たちを頼りに送ってきたんですよ」
恥ずかしそうに訓練兵たちは髭を掻いたり額の汗を拭ったりしている。
「ああ、御返しか。要らないのにな。わざわざありがとうって手紙でも書いておいてくれ」
「新年は王都へ向かわれるんですか?」
「ああ、王族への挨拶をした方がいいかな?」
「遠いですし、いいんじゃないですか」
「でも、マキョーさんならちょっと顔を出して、すぐに帰ってくれば、一日の距離ですよね?」
「まぁ、いいや。こっちの祭りで忙しいから、落ち着いたらまたエスティニアを回るよ。隊長は辺境にいるんだろ?」
「います」
新年の挨拶は周辺の領主と隊長だけでいいかもしれない。
「ギャッ!」
川に皿を洗いに行ったカタンが声を上げた。
「どうした?」
すぐに様子を見に行くと、川が山へと逆流している。
「なんだ、これ?」
「マキョーさんも知らないの!?」
「知らないよ。ん?」
川の中に無数の魔石があり、周辺の黒い水が動いているように見えた。
「スライムか!?」
「マキョー!」
「「マキョーさん!」」
「おそらく東部にいたスライムのヌシが分裂を始めたんだ」
「なんでそんなことになっている!?」
「それがわかれば魔境じゃないさ。とりあえず、全員警戒態勢で、観察を開始! チェルや騎竜隊にも連絡を取ってくれ。ハーピーたち、ダンジョンの民が森の中で散らばっているかもしれないから、飛んで状況を説明してあげてくれ」
「了解です!」
「これじゃあ、俺たち帰れないですよ」
訓練兵たちは魔境に閉じ込められてしまい、なんだか嬉しそうだ。緊急事態ほどテンションが上がるのか。
「遠くから観察してくれよ。大熊のヌシも飲み込んだんだからな」
「はい! 全員人命最優先です!」
俺は近くの川に住むロッククロコダイルの様子を見に行った。冬眠しているはずだが、スライムに覆われて窒息しかねない。
そう思ったが、まだロッククロコダイルは寝ている。川の中を覗いてみても、カニやエビが川底で動いている。特にスライムたちは魔物を食べるために遡上しているわけではないらしい。
「マキョーさん! コンポストがやられた!」
カタンが、魔境でも堆肥ができるのか、生ごみを捨てて実験していたコンポストがスライムたちに覆われていた。魔境ではほとんど農業が出来ないし、生ごみなどその辺に捨てておけば虫に食べられる。ただ、臭いが出るので、木枠で覆っていたのだ。俺の虫観察でも使える。
「生きている魔物は食べてないよな?」
「え? ああ、そう?」
「川のカニが食べられてない。しかも水辺だけ。雪を避けてるのかな?」
「そのうち大きい虫が飛んでくるよ」
ヘリーがいつの間にか背後にいた。
「スライムのヌシの排泄物には、虫が寄ってくるからね」
「あ、そうか。じゃあ、このスライムたちは冬の間に出た魔境のゴミを虫のエサにしてるのか?」
「ん~、そう考えると、討伐しにくいけど……」
「恒例の行事なら、止められないぞ。一応、ワニのヌシにも聞いてみようか」
「頼む」
俺はワニのヌシが寝ている沼地へ向かうとすでにスライムたちが黒いワニの間を縫うようにゴミを食べていた。
ワニの方も特に気にする様子もなく、スライムたちにされるがまま、脱皮した皮を食べさせている。
スライムたちにもルールがあるらしく、大きな骨は食べないし、腐食魔法には近づかない。
「聞くまでもなく共生しているなぁ」
俺は音光機で全員に、「黒いスライムは森の生活の一部だ。春前の行事だと思ったらいい」と伝えた。
『種を混ぜておきます』
ジェニファーから連絡を受けた。ゴミの中に植物の種を混ぜておくことで、砂漠が緑化するのか実験しようとしている。
砂漠に確認しに行こうとしたら、雪の地面に影ができた。
「マキョー!」
見上げれば竜に乗ったシルビアが騎竜隊と共に飛んできた。こっちまで送ってもらったのだろう。
「スライムたちがどうなるのか砂漠に見に行こうと思ってるんだけど、一緒に行くか」
「うん!」
シルビアは竜から飛び降りて、騎竜隊に手を振っていた。
俺とシルビアはしばらくスライムたちを追った。川岸を辿っていくと、そのうち水源まで辿り着いてしまう。水源の泉まで行くとスライムたちは一斉に散らばっていき、陽の光を浴びて雪の中を進んでいく。途中で凍えて止まるスライムもいるが、日陰でなければ中の液体を温めてから雪の中を進むようだ。その間に、森の中で糞もしている。
「スライムは意外と何でもできるんだな」
「暖かい方へ向かってるだけじゃないの?」
「そうかもしれないけど、着実に南へ向かっているよ」
先を見ようと走った。
黒かったスライムが徐々に透明になっていき、砂漠に付く頃にはほとんど後ろが透けて見えていた。
砂漠で糞をして森に戻っていくスライムもいれば、砂漠で日向ぼっこをするスライムもいる。干からびるだろうけど、それも自然だ。
振り返ると白かった森にスライムが温めた道ができてまだら模様のようになっていた。
「魔境の春は魔物が迎えに行くんだな」
もうすぐ冬が終わる。