【紡ぐ生活14日目】
メリルターコイズの町は、図書館を中心に成り立っているから知性を重んじている。本が魔物になっていても焼いてはいけない。
呪いを解いた本は文字列がぐちゃぐちゃになっていたが、法則性はあるのか、なぜ魔物になってしまったのかを考えるために、魔物の亡骸はしっかり保存されていた。
「無駄とも思えることに意外なヒントが隠されているからネ」
「それはスライムの観察をしていた俺も、身に染みている」
「無駄になるかどうかは歴史が決めることであって、自分たちはただ目の前のことに集中するだけって魔族の学者たちは言うんだけど、本当にそれでいいのか私は随分立ち止まってしまった」
無駄とも思えること、人が嫌がるようなことこそ、領主がやるべきことなんじゃないのか。
「魔族の国ではゴミってどうしてるんだ?」
「いや、森に持って行って焼いているよ。糞便は肥料屋が来て持って行くけど……。なに? 見たいのか?」
「魔境だとその辺に放り投げておけば、勝手に土にいる虫が分解してくれるだろ? それを栄養にして植物が一気に育つわけだ。育ちすぎて畑も作れないくらいにさ。でも、冬は別に植物は育ってないから、どうしてるんだろうと思ってさ」
「焼いて土に埋めてるんじゃないのか……?」
「チェルは自分の食べ残しがどうなっていくのか知らないってことだろ?」
「確かに、そうだ」
「せっかくだから、そういうものも見せてもらおう」
「生活は見せてくれるけど、それも見せてくれるかな?」
「でも肥料作りでもあるわけだろう?」
図書館では肥料屋は区別されているらしく、別館の脇にある森の先にある小屋まで行かないとわからないという。
「領主は嫌なことほどやらないといけないと思う。見よう。ここで逃げると、俺が魔境の領主でいられなくなるような気がする」
「マキョーがそこまで言うなら、見ればいいと思うけど……」
チェルの予想通り、ゴミはだいたい燃やして小さくしてから森の地面に撒いていた。
ただ、生ごみや糞便は所定場所があるらしく雪を退かして、地面の穴に放り込んでいる。
「春になれば豊かになる。冬でも地面の中は暖かいのさ。そんなに面白いか?」
肥料屋は、俺みたいな人間は珍しいと終始目を丸くしていた。
「面白いですよ。これって魔物の死体とかも同じなんですか?」
「雪に半分埋まっている死体でも結構虫は寄ってくるはずだよ。完全に埋まって寒い日なんかは虫も傍からは見えないけどね。時々死体を裏返すと、びっしりついていることもある。でも、そうやって命は繋がっていくから」
「そうですよね……」
肥料屋に聞いてみると、1週間ほどで虫が繁殖して種類が入れ替わることもあると教えてくれた。
「俺が死んでも魔境がちゃんと続くためには、こういうシステムを繋いでいく必要があるよな。100年前でさえ記録もまともに残ってなかったんだからさ。繋ぐべきは魔境の環境と命だろう」
「そうか……。虫の視点が必要だったのか……」
魔境はただでさえ大型の魔物が目立つ。だが、魔境の植物が急速に育ち、死体や糞がすぐに分解され、畑の維持すらままならない環境を考えると、虫の行動を観察した方がよかったのかもしれない。
図書館に戻り、虫図鑑を片手に、フンコロガシやシデムシなどの特徴を覚え、冬でも腐った物を食べているトビムシなどもメモに書いていった。
「歴代の魔王の中には、弱い魔物を調べていた魔族が多いんだ。そういう魔物からヒントを得て、魔法を開発したり、社会性を学んでいたんだと思う」
「へぇ、なるほどね。じゃあ、俺がやっていたことって別に特殊なことでもなんでもないってことか」
「いや、スライムを研究した魔王はいない。虫も魔物化して巨大になると弱いのはほとんどいないだろ?」
「甲虫なんかの魔物は多いよな? 幼虫なんか皆同じように見えるけど、全然違うなぁ。でも彼らが一番魔力を運んでいるってことだろう? 腐肉を食べ、餌になり、糞となり、そこにまた卵を産んで循環していく。植物園のダンジョンにもこういう虫が多いのか?」
「多いね。ジェニファーが一部屋使って実験していた」
「虫なんか嫌がりそうなのに……」
「魔境に住んでいて、今さら虫が怖いなんて言ってる者はいないヨ。毒を持つ虫もいるし、魔法が効かない虫もいるだろ?」
確かに、甲虫の魔物にはほとんど魔法も打撃も効かなかった気がする。
「結局、部位の隙間を狙うしかないんだよな」
「そう。あと虫は呪いも作りやすいから。ほら」
「本当だ」
確かに、ムカデや毒蛾の幼虫などで呪いを作る方法も本に書いてあった。ヘリーならできそうだ。
「確かに見向きもされないような魔物ほど学ぶことは多そうだな」
図書館を出てメリルターコイズ周辺の森を探索。さすがに魔境のように植物が襲い掛かってくることはないし、魔物に後れを取るようなことはないが、虫の感覚で森にいるとかなり多くの臭いがする。
死体の臭いはかなりはっきりわかるし、肥料屋が言ってた通り、かなり多くの虫が群がっていた。
「当たり前だけど、誰も切り分けてくれないんだから、こうなるよな」
「肉団子にしていくんだ。この腐った臭いでまた別の虫が寄ってくるのか。魔境はいろんな臭いがし過ぎててわからないよね」
「花の匂いは強烈だからな。でも、ラフレシアとかは腐臭がしてたよ」
「ああ、そうだったね。こういう虫をおびき寄せるためか……」
「でも、森の中は、こういう循環していることを見れるけど、街中にいるとわからないだろう? たぶん場所によっても変わるんだよな?」
「そうだと思う。そもそも魔力による植生の違いや魔物の生息範囲が違うんだから、虫なんて特にその場所の魔力に影響しているんじゃない?」
「虫目線の領地開発か。それは結構重要なんじゃない? 砂漠だと死体が足りないよな」
「枯れ葉もないしね」
「ダンジョン同士の抗争も虫を使っていれば変わったかもしれないのに」
「それはあり得る。大きな成果を求めすぎたんじゃない?」
「大きい成果よりも細くていいから先へ繋がることをしたいね。魔王はずっと繋がってるんだろう?」
「空位になってる時期もあるけどね。そろそろ王都に行くか」
「うん。俺は魔境全体のことを考えすぎて、もっと小さなことに目を向けた方がよかったみたいだからな」
「そうかもね」
俺たちは腐食の虫を観察してから、メイジュ王国王都・メイルノーブルへと飛んだ。
「相変わらず、小麦の焼ける匂いが遠くからでもするな」
「私がパン好きなのは魔族だからだよ」
「ピクルスだけじゃなくパンも美味いのか。食には結構こだわってるよな」
王都で魔族の食文化を楽しんでから、「コロシアムに行くように」とチェルに言われた。
「なんで?」
「一番手っ取り早いんだよ。魔族に誰が来たのか知らせるのにさ」
よくわからないが、魔族のチェルが言ってるんだからそうなんだろう。
郷に入っては郷に従えと言うので、俺はコロシアムに闘技者として登録。係の魔族に武器は必要か聞かれた。
「いえ、特には使いません。魔法は使っていいんですよね?」
「当たり前だ。お前も魔族の端くれなら自分の魔法を極めろ」
「わかりました」
自分は魔族ではないが、コロシアムで勝つには魔法を極める方が早いのか。
「いや、そもそも俺の魔法ってなんだ?」
チェルが言うには、最後の戦いまで自分が魔境の領主であることは隠すようにしないといけないらしい。その方が魔族には伝わるのだとか。
ローブのフードを目深にかぶり、俺は闘技場へと向かった。
一回戦は20人の魔族とバトルロワイヤル。いろんな魔法が飛び交っているので回転する防御壁で自分を守っているだけで、次々に参加者たちが倒れていった。人数が減ったところで風魔法を付与した拳で殴っていけば、あっさり勝ち残り。
二回戦は白虎の魔物が相手だったが、魔境のグリーンタイガーに比べると猫みたいなものだ。白虎の方もこちらの魔力を感じてか、腹を見せて降参。そのまま魔法の鎧に身を包んだ兵士5人との3回戦へと移った。
魔法の鎧と言うから何かと思ったら、防御魔法と回復魔法の魔法陣が描かれた鎧だったらしい。魔法陣ごと指から出した魔力のナイフで鎧を壊し、兵士のみぞおちに掌底を放つ。
壁まで吹っ飛んだ兵士たちを見て、観客たちが徐々に騒ぎ始めた。チェルは小声で「まだ自分のことは隠していろ」と言っていた。
「面倒なことだ」
4回戦目が最後の戦いになった。
女性の槍使いで、魔法で氷の槍も放ってくる。魔法の槍はチェルで見慣れているので、特に躱すこともなく掌で消してみせた。
「武器も持たない魔法使いに、私がやられると思うなよ!」
槍使いは盛り上げ方を心得ているらしい。
「じゃあ、コロシアムがなにか貸してくれ」
「何でもいいのか?」
格子扉の向こうにいるコロシアムの職員が聞いてきた。
「なんでもいい」
職員は短剣を闘技場に投げてきた。
「槍に対して短剣で戦うのか!?」
観客の声で、笑いが起こった。
俺は意に介さず短剣を拾った。
「この刃が届くかどうかってことだろ?」
「短剣の刃が私に届くと思うなよ!」
槍使いは魔法対決では分が悪いから、武器の対決にしたのかもしれない。
ブンッ!
俺は短剣の先から魔力の刃を伸ばした。観客席の二階席くらいまでは伸びただろうか。
そのまま槍使いが持っている槍を縦に斬る。
「さて、始めるか?」
「いや、降参です……」
「それじゃあ、盛り上がらないだろう。チェル、どうするんだよ?」
俺はフードを外して、観客席のチェルを見あげた。
チェルは大きなため息を吐いて、闘技場へと降りてきた。
「皆、見たか? これが魔境の領主だ。せっかくだから軽く手合わせをしよう」
そう言って観客が戸惑っている中、チェルは大量の炎の槍を俺に降らせてきた。魔力を回転させて弾けば観客席に向かう。俺は短剣で、一本ずつ炎の槍を受け流していった。
気づけば闘技場の地面から炎の槍が竹のように生えていた。
水魔法を付与した腕で、チェルをラリアット。炎の槍を消し、壁へと叩きつける。
チェルはローブに水滴一つ付けず、壁に立っていた。そのまま屈伸したかと思うと、一気に俺との距離を詰めてきた。
バリッ!
雷魔法がチェルの腕に付与されている。
空中での急な方向転換は難しい。俺はゆっくりスライム壁を出して、チェルを空へと弾き飛ばした。
空に飛んだチェルからファイヤーボールが連続で飛んでくる。
俺はそれに対し、魔力の玉で応戦。空中で炎が弾けた。
ボボボボンッ!
音が響き渡り、煙が立ち上った。観客は口を開けたまま驚いている。
最後にチェルが炎の大きな玉を闘技場に向けて放ってきた。
俺は短剣から氷のこん棒を出して、打ち返す。
バチーン!
炎の玉は空高く飛んでいき消えた。
「実力は見ての通りだ。城に魔境の領主が来たことを伝えてくれ」
チェルが闘技場に下りて、コロシアム中に大声を張り上げた。観客も職員も歓声と共に走り出した。
「これはやらなくちゃいけなかったのか?」
「人間関係も国同士も挨拶は大事だろ?」
「そうなのかなぁ」