【紡ぐ生活11日目】
「ここから先は人見一族の領地だ」
夜中、起き出して甲板から雪原を眺めていた。チェルは白い息を吐き出しながら、ボソッと口にした。
「うん、なんかあるのか?」
「私と同じ一族ってことだヨ。研究系の魔族もいるけど、武闘派も結構いるから気を付けて」
「ええ? チェルは武闘派?」
「いや、研究職だろ! まぁ、でも武闘派なんて訓練好きの爺様たちで、若者には人気がないんだヨ」
「あ、そうなの? じゃあ、行くか? 人見ってことは数値とか計測してくれるかな?」
「なんの? 強さ? マキョーのは無理だよ」
「なんでだよ」
「そういうレベルじゃないからだろうね。だいたい不明になると思うよ」
「そんなのやってみないとわからないだろ?」
「言っておくけど、私が何年、人見一族をやってきたと思ってるんだ?」
「ええ? 俺だって魔境で結構鍛えたと思ってるんだけどな」
「鍛え方がおかしいんだよ」
「そうかなぁ……。あ、なんかいい匂いがする」
川を進みながら、ほのかに小麦を焼く匂いがしてきた。
「こんな時間から焼いてるなんて……。たぶん、冒険者ギルドの近くだな」
「なんで?」
「そりゃあ、朝から仕事をする冒険者だっているだろう? 内陸だから漁師に向けているわけがない」
「そういうもんか……。下りていいのか?」
「いいだろう。寝床のために乗っていたようなもんなんだから」
俺たちは船から飛び降り、雪原に降り立った。
「獣の臭いもするネ」
「美味しいのか? その獣は」
「いや、狩るのが難しい魔物だった気がする。熊みたいに大きい猪だから」
「おおっ、それは食べ応えがありそうだな」
「食うのか?」
「お土産だ。一応、チェルの故郷だろ?」
「いや、別にいいよ。こんな魔物が成長しちゃうくらいだから、ちょっと鍛え直さないといけないと思うし」
「いや、きっと魔物の鍋を食べたら、やる気も変わるさ」
フゴゴゴ……。
猪の魔物が草原を動き出したところで、チェルが炎の槍を放つ。俺もその槍に追いつくくらいのスピードで走り出した。
雪をかき分けてドタドタと走っている猪が炎の槍の明りに気を取られ、頭をあげた。
俺はその頭の下に潜り込んで、首に手刀を当て魔力でできた刃を猪の首に滑らせていく。
ズッ。
刃が骨を分断していく。
俺は血を被らないように、走り抜ける。チェルはしっかり炎の槍で猪の脳を焼いていた。
「やられた方が何をされたのか気づかない攻撃をするんじゃない! 可哀そうだろ。霊になって憑りつくぞ」
「それは嫌だな」
しっかり死体を運んで川で血抜きをしようと思ったが、チェルが猪を凍らせてしまった。
「血はソーセージにする。大丈夫。私に任せておけばいい」
俺は胴体を担ぎ上げ、チェルは頭を持ち上げて近くの町へと向かった。
徐々に夜が明け始めている。
パンの焼ける匂いを辿り、町へとたどり着くとすぐに冒険者ギルドに猪の死体を持って行った。まだ魔族の冒険者たちが起きる前だった。
酔いつぶれて死にかけている冒険者たちもいたが、猪の獣臭で起きた者たちもいる。
「買い取ってほしい。討伐依頼が出ていたら、剥がしておいてくれるかい?」
「あ、ああ、わかりました」
夜勤のギルド職員が丁寧に対応してくれた。
「もしかして、マスターミシェル様では?」
「そうだ。こっちは魔境の領主。丁重に扱えとは言わない。こいつの前に立ちはだからないことだけは守ってくれ。私でも止められないから」
俺を暴君かなんかだと思ってるのか。酷い言い様だが、チェルに任せているので、俺は酒場の椅子で待つことにした。
「胴体は外だ。肉屋も鍛冶屋も皆、叩き起こして解体するといい。切るのが難しかったら、マキョーに頼んでみてくれ。美味い料理でも出せば、すぐにやってくれるよ!」
冒険者ギルドがにわかに活気づいた。
宿直の職員たちが起きだし、寝ていた冒険者たちも部屋から飛び出してきた。
「よし、じゃあ私たちはパンを買いに行こう」
「いいね」
俺たちは冒険者ギルドを出て、パン屋へと向かう。煙突から煙が出ているのですぐにわかる。
「石窯パンか?」
「ここら辺じゃ普通だよ。でも、この町は前に来たことがあるかもしれない」
「貴族だからって自分の領地をくまなく知っているってわけじゃないのか」
「いや、ほら政変があったからね。領民も移動しているはずなんだ」
「この町は新しいわけじゃないだろ?」
「武闘派の訓練をするのにちょうどよかった町だったからね。町の外側は新しい家が建っているでしょ? 壁も中途半端な町中にある」
「ああ、本当だ。じゃあ、チェルのことも皆、知ってるのかな?」
「どうだろう。実家には帰っていないし、私は王都にいることが多かったからね」
チェルは魔境のいる時と違って訛りもなく、普通に話している。真面目ぶっているのか。
「どうした? チェル。メイジュ王国にいると真面目になる呪いでも罹ってるのか? パンを食べよう。バカみたいに甘い蜂蜜でも塗って朝飯にしよう」
「え? 猪肉はどうするんだ? 言っておくが、私はいつでも至って真面目だ」
「嘘つけ。うっかり魔人になるような真面目ってなんだよ」
「それは魔境での仮の姿だ。本来はこちらだ。皆、わかっていないと思うけど、私からすれば、何でも卒なくできるのが魔境の住民たちだよ。だから、私はドジのふりをするしかない。魔法学校を作る時だって、皆、ちゃんと土台から設計して作っていくだろう?」
「でも、アーチを作りたいとかチェルにはイメージがあるじゃないか」
「空想だけしてるバカみたいだろ」
意外に他人の心はわからないものだ。チェルにも繊細な部分があるらしい。
「空想だけしているバカじゃダメなのか?」
「い、いやぁ、ダメだろ。一応、私は魔王になる予定なんだぞ。空想しているバカだと国民が飢える」
「でも、魔法もあるし、なんだったら魔境とも交易があるんだからやっていけると思うけどなぁ」
カランコロン。
「いらっしゃい!」
俺たちは話しながらパン屋に入り、バターの香りに黙ってしまった。
「これはどれくらい買っていいものなんですか?」
店員に聞くと、怪訝な顔をしていた。
「こちらの店で日頃パンは余るのか聞いている」
「あれ? ミシェル様では?」
「そうだ。とりあえず、この棚にあるパンを一種類ずつ頂けるか?」
「そりゃあ、もちろんでございます!」
店主の魔族のおばさんは紙袋5つに、大きなパンを入れてくれた。
バターを塗ったパンの他に、チーズをのせたパン、バケット、カンパーニュなど見ているだけで涎が出てくるようなパンだらけだ。
チェルがパンにうるさい理由がわかった気がする。
「全部食べるつもりか?」
「当たり前だろ。おい、チェル。今すぐ業務提携を結んだらどうだ?」
「そうだな。つかぬ事を伺うが、もし人見一族に見切りを付けたら、魔境をお勧めする」
「そうしよう。パン屋に限り、入国審査なしにしよう」
代金を多めに支払い、漬物屋を紹介してもらった。もちろん、ピクルスのためだ。
漬物屋はまだ開いていなかったが、冒険者ギルドが騒がしいから店主が外に出て様子を見ていた。
「直ちに店を開けていただきたい」
「ミシェル様ぁ!? ええ、すぐにお開けしますが、何をお要りようで!?」
「ほら、猪肉を狩ってきたからな。このパンと肉に合うピクルスがいい」
「なるほど、では、いくつか見繕ってまいります!」
町は周辺に生息する魔物を狩ってきたかつての領主の娘を歓迎しているのか、朝だというのに賑わい始めていた。
「ミシェル様が来たって言うのは本当かい!?」
「おい! ミシェル様が魔境の領主とハネムーンに来たって!?」
「魔境の領主は、身の丈が牛よりも大きな大男だって言うじゃないか!?」
広場では寝間着姿の町民たちが騒ぎ始めていた。
「まったく、面倒だ」
チェルは魔法で大きな光る風船を打ち上げて、町全体を照らした。
「そうだ! 私が来た! 文句あるか!? いいだろ? 誰だって故郷に来るくらい珍しいことじゃない!」
チェルは自分が来たことを町民たちに報せ、ぷりぷり怒りながら猪の解体方法に文句を言っていた。里帰りは大変だな。




