【隊長の休暇期間】
今年ほど自分の知りたいことを知れた年はないのではないか。
俺の人生は王族の立場を捨てたところから始まっている。兄・ウォーレンの後を追って軍に入ったはいいが、概ね予想した通りだった。
学生時代からわかっていたことだが、王族だとやれることが限られている上に、やってもいないことで表彰される。大したことをしていないのに評価される自分という存在に疑問を持ち始めたのは早い方だったと思う。
だからこそ軍に入ってすぐに自由に動ける権限を使って、山賊や野盗をスカウトして回った。田舎でくすぶって正当に評価されなかった者たちを、兵士と見た場合、思考力や判断能力など優れている場合が多い。彼らは自ら盗賊になったというよりも往々にして環境によって他の選択肢がない場合がある。
領地の政策によって、教育の水準は異なるし、食料も行き渡らないことはあることだ。
どうにか軍に引き入れてやってきたが、軍律の中では思うように動けなかった。あいつらには随分歯がゆい思いをさせたことだろう。そのお陰でルールの中で強い者というのもわかったはずだ。辺境で待っていてよかった。
予想外だったのはマキョーくんという領主の存在だ。まさかあの弱そうな冒険者がここまでやるとは思っていなかった。まったく期待していなかったし、そのうち音を上げると思っていたのに、人生はこれだからわからない。
「なにがよかったんですかね?」
馬車の外からサーシャが聞いてきた。魔境のことか。
「マキョーくんに差別意識がなかったのが大きいんじゃないか。魔族に逃亡犯、獣魔病患者、嫌いだった幽霊だって味方に付けてしまったんだからな」
「それだけですか?」
「その意識がバカにできん。他の領主ができたか? 少なくとも貴族には無理だろう。嫉妬心もなく追い落とされるような緊張感もない。一市民であるような領主の在り方は、魔境の攻略にとって通常よくない方向に働くと思うが……」
「逆にそれがよかったと?」
「まとめるつもりがない。やってみるか、やってみよう、できた。その繰り返しさ。そこに負の要素がない。普通は強さを誇示したくなるものさ。支配して言うことを聞かせる」
「でも、それではついて行けない者も出るのでは?」
「君のようにな。サーシャ、交易村の姐さんたちと自分の違いは何だと思う?」
「わかりません。交易村の人たちより私の方が強いとは思っているのですが……」
「本当にそう思うか?」
「いえ、正直わかりません。いつの間にか、姐さんたちはマキョーさんに教えてもらったという魔力操作の術を習得しているんです。攻撃力はありませんが、使い勝手は良さそうです。ただ実際に強いのかどうかはちょっと……」
「我々、軍の兵士は自分たちの強さに誇りを持っている。民を守るために鍛えたからだ。辛く訓練を経て、汗を流した分だけ強くなっている。それは事実だ。だが、それは軍の評価基準も考えてのことではないか。出世したい。助けた民に褒められたい。強い自分でありたいと訓練中に思わなかった兵士はいないだろう。だが、我々が訓練だと思っているいくつかのことを日常的に息を吸うように、心臓を動かすように、いとも簡単にやってのける人間が出てきたらどうなる?」
「訓練を訓練だと思っていないということですか?」
「そうだ。最近、魔物を倒したのはいつだい?」
「先日、交易村の近くに出たジビエディアを倒しました」
「何人で?」
「兵士たちと7人で。冬毛で防御力の高いジビエディアには、それくらいの戦力がないと群れを追い詰められないのではありませんか?」
「そのジビエディアを毎日狩って、運び、解体して、食べられるかい?」
「毎日は無理だと思います。それなりにケガもしていましたから」
「筋肉疲労も多いし、魔力の回復もしないといけない?」
「そうですね」
「魔境の住民たちは一晩で回復する。限界を何度も超えて死ぬような日常を送りながら、回復を続けている。強くなるのは当たり前さ。誰かのためじゃない、生存のために強くなり続けた。我々に勝てるか? 自惚れて自分は強いことを誇示し、事実よりも誰かの評価を気にして生活している者と、生きるために強さを手に入れなければならない者たちとでは成長スピードが全然違う。そこには一切の自惚れはない。欺瞞もない。すべて受け入れるしかない現実がある。成長の精度が明らかに違うんだ」
「確かに、魔境から帰ってきた訓練兵たちは精度が全然違うと言ってましたね」
「彼らが、一度訓練から帰ってきた時、まるで視線が変わっていた。兵士の目ではなく、現実をそのままを直視する目になっていた。話を聞いただろ?」
「ええ。魔境は人間として剥き出しにならないと生きていけないとか……?」
「俺たちは肩書や後ろ盾を考えて咄嗟に動けない時があるが、そんなことをしていたら魔境では死ぬ。一人の人間として試されると言っていた。夜中、ずっと魔物に見張られながら眠っていると、過去まで見透かされるような気分になるらしい。過去に犯した過ちを責められ続けながら一晩明かすと、通常の人間なら壊れる。貴族であれば搾取してきた民のことを思うかもしれない。マキョーくんたちはそれがない。追放された人間たちだったと言っていたよな。たぶん、魔境に来る前から正直者だったのだろう。俺が会った魔境の住人は皆、狡猾さも含めて自分だと認められている」
「着飾らないということですか?」
「そうだな。必要以上に自分に期待していないのかもしれない。それよりも実力をつけないと生き残れないのだろう。俺からするとすごく羨ましい。マキョーくんが普通の農家出身でよかった」
サーシャは俺と話し終えた後も、空を見上げながら考えていたようだった。
俺は馬車の窓を閉めて、しばらく目を閉じた。これから、ミッドガードから出てきた住民たちに王都を見せ、実家へと戻る。
自分の部屋にある魔境探索計画表は大きく変えないといけなくなった。正直なところ、時間をかけてスカウトした者たちを鍛え自分で魔境を探索するつもりだった。
その計画を田舎で不動産屋に騙された青年が、あっさり書き換えるのだから人生はわからないものだ。ただ、多くの知りたいことは知ることができたし、魔力の使い方や技術も伝えてくれている。
マキョーくんは王家の秘技すら再現して見せた。彼に対する嫉妬や不安はもうすっかりなくなっていた。単純に彼の性格で魔境の領主をやっていることがすごい。王家の者としては心苦しいが、彼が他の地域を侵略するようなことはないだろう。これだけは王に伝えないと。
エスティニアの中央にある山を越えたあたりで、辺境の訓練施設で一緒に訓練をしていた兵士たちが異変を訴えてきた。
「隊長、なにか魔物の動きが気持ち悪いというか、野性味がありません」
「野生の魔物なのだろう?」
「そうなのですが、あまりに辺境と違い過ぎて……」
「わかった。過去からの客人たちを宿に送り届けてくれ。今日は野営をしてみよう」
「了解です」
「あ、いや、別に従わなくてもいい。今日から俺は休暇だから」
「いえ、やりますよ。プライベートは王族なんですから」
隊長でいる時の方が気が楽だ。
野営してみると、確かにワイルドベアやグレーウルフなど冬の魔物が出てくるものの警戒心が薄く、誰かに飼われているかのようだった。
「魔物なのにこれほど魔力を使わないのか……」
「逆ですよ。魔境近辺の魔物が魔力を使うのが上手いだけです」
そう言われたが、どうしても動きが緩慢に見える。
辺境でジビエディアに苦戦していたサーシャたち女兵士たちも、ワイルドベアを盾を叩いて追い返していた。
「魔力が薄いから気配を探り難いよな?」
「そうですね。でも、木の盾でも追い返せそうですよ」
ワイルドベアが爪を振り下ろしてきたが軽く押したら逃げていったという。
盾を見せてもらったが、爪の跡がほとんどついてなかった。
「スピードも遅いので防御魔法で簡単に防げると思いますよ」
「やはり辺境から来ると、こちらの魔物の方が異常に見えるな」
弱体化の呪いでもかけられたか、どこかにダンジョンがあってそこで飼われていた家畜に見える。
「ここら辺に魔物使いの領地がなかったか?」
「かなり昔の話ですよ。今は山の温泉街になってます」
サーシャも知っているくらいだから有名なのだろう。その過去の魔物使いたちによって、エスティニア西の魔物が弱体化させられているのかもしれない。
「調べてみようか……」
「やめてください。せっかくの休暇なんだからいい加減、許嫁の方と会った方がいいんじゃありませんか?」
「ああ、そうだったな」
結婚すると、出世してしまうのでだいぶ待たせている。
愛想を尽かしてくれるかと思ったが、ちゃんと辺境にまで手紙を送ってくる人だ。なにより幼馴染で辺境に行く手助けまでしてくれた歴史家なので会わないと、告発されるかもしれない。
「この地の探索はしばらくお預けか……」