【籠り生活42日目】
穴が掘れたので、滑車をつけて箱をつければいいと思っていたが、そんな箱を引っ張るロープもなければ箱もないしそもそも動力源がない。
「ハーピーを雇うか?」
「いや、運べる重さに限界があるだロ?」
「じゃあ、やっぱり空島の石でも使わせてもらうしかないな」
「ヘリーは忙しいから、浮遊植物はどう? ジェニファーが研究しているはずだヨ」
「聞いてみるか」
音光機で連絡を取ってみると『今は箱の植物を作っている最中です』と言っていた。
「箱の植物ってなんだ?」
「わからないけど、行ってみればわかるサ」
チェルはエレベーター建設予定地に土壁を作って封鎖。魔物も人も穴に落ちないようにしていた。
「行くか」
「ヨシ!」
崖から飛び降りて、冬の風に乗り一気に砂漠を渡る。
ほとんど何もない砂地なので廃墟や船が目立つ。サンドワームもいれば、砂山の影ではデザートサラマンダーなど爬虫類系の魔物が身を寄せ合っていた。
最近できたオアシスにはサンドコヨーテやデザートイーグルなどが集まっている。
「雨が降ると水があそこに溜まるらしいヨ。植物も2、3日で一気に育つし」
「もっとああいうところがあるといいんだけど……、あ、川ができてる!」
雨が降って集まった水が川になって流れている。川の色が緑になっているのは水草が一斉に生えているからだろう。砂の中に眠っていた魚も普通に泳いでいる。
砂漠には砂漠の生態系がある。
「冬の森も意外に魔物がいるんだよナ」
「ジビエディアの群ればかり見るけど、冬眠していない魔物は見かけるな」
「あの赤い小さな実を知ってるカ?」
葉が落ちた木々に赤い小さな実がなっていた。
「鳥がよく食べてるのか?」
「大量に食べると毒になるんだヨ。毒を遅効性にして種を運んだ魔物の筋肉を徐々に麻痺させるんだって。今、カタンが蜜に漬けて毒がなくなるか試してるところ。春になったら美味しい実になっているか毒になっているかがわかるらしい」
「フォレストラットで試してくれよ。俺はそんな危ないことしない」
「いや、マキョーなら食べた瞬間にわかるんじゃないかと思ってサ」
「俺は魔境のよくわからないものを食べてるからな。毒が効かないかもしれないぞ」
「確かに。私たちってどのくらい毒への耐性が付いているんだろうネ?」
「意外に新鮮なものばかり食べてるからなぁ。意外に腐った物は食べられないかもしれない」
「そう言われると、嗅覚はかなり変わってるかもネ。初めの頃は汗臭さとか獣臭で酷かったけど、今は石鹸の臭いとかの方が異質に感じるヨ。交易船で来る船乗りとか交易村の人たちとかさ」
薬の匂いは特に気が付くようになっている。
「知らないうちに五感が変わってるんだろうなぁ」
「うわっ、植物園のダンジョンはわかりやすいネ」
ダンジョンの周りに緑の植物が生えていた。冬だというのに、ダンジョンの外でも実験を繰り返していたのか。
ジェニファーは籠を背負って、なにか作業をしている。
「おーい!」
「ああ、来ましたか。クリフガルーダからですか? 空を飛べるのはやっぱり便利ですね」
ジェニファーの背負っている籠に網目がない!
「ああ、魔力を使うから疲れるけどね。そんなことより、その籠はなに?」
「バレましたか。いや、籠に使う蔓を育ててたんですけど、面倒になってきたので、籠になるような固めの皮を作る植物に重しを乗せておいたんですよ。成長剤を使えば3日で籠ができました。大きな箱も作れますよ。衝撃にはそれほど強くないんですけどね」
「それはヘリーに魔法陣を描いてもらえばいいんじゃないノ?」
「いや、それだとメンテナンスが面倒じゃないか? 荷物なら籠でいいのかもしれないぞ。いくつか組み合わせれば、衝撃にも耐えられるだろうし」
「でも、輸送業者に中抜きされるのではありませんか?」
「誰が中抜きするんだ? 得がないだろう?」
「魔境コインが……。いや、そうでしたね。バレた時に信用を失う方が魔境では命とりですもんね」
「マキョー、資本主義まで壊すなヨ!」
「俺じゃなくて、そもそも魔境ではお金は流通してなかっただろ? 通用するのはサバイバル術と助け合いだ。それが出来なきゃ死ぬだけさ」
「そうなんですけど、甘いというか、厳しいというか……」
「優しい殺し屋みたいなことを言うなヨ。混乱するだロ」
「きっと魔境の生活が本来の生き方なんだよ。シンプルに受け入れた方が楽だぞ」
「そうなんですけどね。マキョーさんはその辺が柔軟なんですよ。魔境に来るまでに何かを掴んでいたわけじゃないから」
「それまでの経験や鍛えた体が通用しないから、苦しいのか。確かに今の俺にはない視点というか、たぶん生まれた時にしかなかった感情なんだろうな」
「そうか! マキョーは異世界から転生したときに経験済みだったのか!」
チェルは素っ頓狂な声を上げていた。
「夢の中での前世の記憶はほとんど役に立っていなかったよ。姐さんたちとの遊びくらいで、何にも通用しない上に魔法まであるから、早々に前世の記憶を使うのは諦めていたな。農家の知識を身につけたはいいけど、家族も多かったからどうにか食べて行くのに必死でさ。その頃サバイバルの考えが身に付いたのかもしれない」
「出自による性格形成は、強いかもしれませんね」
「マキョーの場合は貴族に生まれてたら無双できたのに、そうじゃなかったから逆に今があるってことカ。文字や数字に関しての知識は元々あったのか?」
「いや、文字は全然違うからなぁ。あ、でも数字が重要であることは知ってたと思うよ。子どもの頃から、掛け算ができてて褒められた思い出がある」
「そうだよナ」
ガサガサッ!
冬でも枯れない笹をかき分けてカタンがやってきた。
「あ、ジェニファーさん、これお昼ご飯ね」
「ありがとう。助かるわ」
「マキョーさんとチェルさんいるなら、もっと持ってくればよかった」
「いや、ホームで食べるヨ」
「ジェニファー、じゃあ、蔓の箱を頼むね」
「わかりました。ちょっと時間はかかりますからね」
「うん、よろしく」
俺たちはホームの洞窟で昼飯を食べる。根菜とフィールドボアの煮込みだ。
久しぶりにチェルがパンを焼いている姿も見た。
「あんまり皆、帰ってきてないか?」
「そうですねぇ。それぞれ居場所があるから」
「また古参を集めて会議もしないとなぁ」
昼飯にはエルフの亡命者一家であるイモコの家族もやってきていた。
「足りないものはないか?」
「足りすぎているくらいです。自然から学べることが多すぎて手が足りません」
「騎竜隊の妻たちも手伝ってくれているのですが、身体への知見の深さにエルフとして恥じ入るばかりで」
夫婦は植生に驚いているらしい。
「ソードウルフが全然罠にかからないし、壊されてしまうんだ」
子どもたちは魔物を相手に奮闘中らしい。
「杖を使うといいよ」
「全然当たらない。素早いんだ」
「そう言うことってあるのか……。春までには対処できるようになろうな」
「わかった。がんばる」
「うん、がんばらないと死ぬからな」
「え? 本当?」
「ああ、冬の魔物はものすごい遅い。生き残ってくれ」
エルフの少年は急に不安な顔になった。
「少年、別にマキョーは脅したいわけじゃなくて、本当に無理だと思ったり、ついて行けなかったら、親から離れてでも逃げた方がいい。魔境の外には交易村もあるし、森の中で生きていかないといけないルールもない。厳しく聞こえるかもしれないけど、ちゃんと自分で考えて生きていくんだ」
チェルが真っ当にエルフの少年を諭していた。
「いや、私も40年近く生きているのに、親元を離れられないでいる。成長が早く、魔境の環境に順応していく封魔一族を見て焦っているのは事実。迷いがある者には厳しい」
「魔物に対しては観察や判断能力、狩りの試行回数が重要になってくる。一気に全部やるよりもちゃんと切り分けて考えた方がいいかもしれないよ」
エルフは長寿だから成長速度も遅いのか。40代だったらいい大人だ。そろそろ自立した方がいい。
「ヘリーは努力してたんだな」
「彼女はとんでもない努力家です。人一倍好奇心も強く、嘘を見抜く目を持っていた。事実を突きつけてくる魔境の環境は彼女の肌に合ったのでしょう」
「そうだったのか。変な物知りエルフとしか見てなかったな」
「ヘリーの知識や常識を目の前でぶっ壊していたのが、マキョーだ」
チェルが俺を指さしてきた。
「すまん!」
とりあえず大声で謝っておく。こういう時は正直が一番だ。
「悪いと思ってないだろう!?」
「思ってない。むしろ、魔力の使い方を教えたチェルに原因がある。文句ならチェルに言ってくれと思ってる」
「なんで私が……!?」
「そうなんですか?」
イモコがチェルを見た。
「違う! 私はちょっと手合わせしただけ。あまりに魔力が多いのに、全然使ってなかったからな。その後、勝手に発展させたのはマキョーだ」
「魔境に住んでいて魔物と植物を観察していただけだ。俺は悪くない!」
「環境要因ですか……。だとしたら、やはり我々は魔境に残るしか……」
イモコがそう言いかけた時、入口からエルフの番人が走ってきた。
「お食事中でしたか。すみませんが、軍の訓練兵たちがマキョーさんを呼びに来ました」
「わかった。すぐに行く」
食べ物を口に詰め込んで、とっとと逃げることにした。
「せめて、どういう観察をしてきたのかロードマップを教えてくれませんか!?」
「チェルに聞けばわかる!」
「え~! わかんないよ、私は! とにかくマキョーは変なところしか見てないんだ……」
チェルがしどろもどろになっている声を聞きながら、俺はエルフの番人と共に入口の小川へ向かった。
小川には魔境でサバイバル演習をしていた訓練兵たちが待っていた。
「マキョーさん!」
「どうかしたのか?」
「ウォーレンってエスティニア軍のトップが来てまして、ミッドガードの住民たちがどうなったのか教えてほしいそうです」
「そうだったな」
俺は小川を渡り、そのまま歩きながら訓練兵たちに話し始めた。
「何人か出てきているんだけど、全員出てくるかどうかはわからない。あと、ゴーレムやクローンが多いかな」
「クローン?」
「人工的に同じ人物を作る技術のことだ。遺伝子さえあればできるが倫理上の問題もあるし、記憶そのものを再現するのはかなり難しいと思うが、ミッドガードでは度重なる魔力の枯渇で冷凍睡眠をしていた人たちが死んでしまったらしい」
「なるほど、ミッドガード内部でも反乱が起こってるんですね?」
「ん~、反乱というか亡命かな。でも、そもそも支配者層がいるわけじゃないみたいだ」
「誰も支配しているわけじゃないと?」
「そんな組織あるんですか?」
「あるだろう。君たちがそうじゃないのか。隊長にスカウトされたとはいえ、各々の判断でついてきて、魔境で訓練しているんだから」
「いや、俺たちはこれでも軍律に従っているつもりですよ」
「ほらな。軍律には従っているが、別に誰かに支配されているわけじゃないだろ?」
「隊長の言うことは聞いてますよ。ウォーレン閣下の命令にも従いますし」
「あとは?」
「ん~、マキョーさんたちの言うことは聞くことにしてます。聞かずに魔境で生きられないじゃないですか」
「それって別に俺が上官だからとか領主だからとかじゃなくて、魔境について知っているからだろ?」
「そうですね。あれ?」
「組織って都合のいい部分だけ共有できるから、それでいいんだよ。たぶん、ミッドガードもそんな感じだ」
「でも、それを制度にしてしまったということですか?」
「人民は皆平等。経済的格差はあれど、人権に格差なしというのはあり得るんじゃないか」
「どうやって道や交易のインフラの整備をするんです?」
「皆の投票で決めた者が、決めていけばいい」
「マキョーさん、領主を辞めるつもりですか?」
俺には信用がないらしい。
「俺もそう思ったんだけど、チェルが俺を一領民にすると面倒だから絶対に追放するって」
「ああ……。それはそうかもしれませんね」
「私たちの魔境はどうなっちゃうんですか?」
すでに魔境の領民と思っているのか。
「今のところ、何も変わらないよ。ミッドガードの住民たちは、そもそも魔境に向いている者は少ないと思う。エスティニアが面倒を見てくれると助かるんだけどな」
訓練施設まで行くと、王都の兵士たちが待ってくれていた。交易村からサーシャたち女兵士たちもやってきている。
「マキョー殿。爵位式以来だな」
ウォーレンは応接間ではなく闘技場で俺を迎えてくれた。
「お久しぶりです。ウォーレン閣下。その節はお世話になりました。ジェニファーも世話になったそうでありがとうございます」
「いや、鳥小屋を見せることができてよかった。交易村の方も発展しているようで何よりだ。特に女性たちの活躍が目覚ましいな」
「ええ、昔の知り合いだからとやってきてくれた人たちですが、よく働いてくれてます」
「そうらしいな。何よりだ」
「ミッドガードについて、いくつか報告があるのですが」
「ああ、聞こう」
俺は、ミッドガードから出てきた者たちや民主制度について語った。
「それで、魔境の脅威になりそうなのか?」
「いえ、遺伝子学や魔道具については発展しているようですが、まだなんとも。武力としてはエスティニアの一般的な住民と変わらないと思います」
「そうか……。実際のところ、辺境伯はどれくらい強いんだ?」
ウォーレンは隊長や訓練兵、サーシャに尋ねていた。
「エルフの国にある白亜の塔を攻略したと先日、エルフの国にいる密偵から報告を受けた。本当かどうかはわからん」
「山と戦えるレベルです。ええ、聳え立っている山で間違いありません」
「交易村で兵士たちよりも魔力の使い方が上手い女性たちは、皆、辺境伯の知り合いだと思って構いません」
全員、自分たちが知っている俺について説明したが、ウォーレンの眉間は深くなるばかり。混乱させたかな。
「さっぱりわからんな」
ウォーレンは大きな口を開けて笑っていた。
「マキョーくんは王家の秘術を使えるはずですよ」
隊長がウォーレンにもわかりやすい事例を上げてくれた。
「本当か? だとしたら直属の兵たちが持っている盾では辺境伯の攻撃を防げんということだ」
ウォーレンはそう言って、裏に魔法陣が描かれた盾を持ってこさせていた。
「壊せるかい?」
「たぶん、できます。たくさん魔力を込めてみてください」
「いいのか?」
ウォーレンは魔術師部隊に言って、盾に魔力を込めていた。防御魔法が展開されているが、魔力を込めた分だけ巻き込むので威力は上がるだろう。
「あ、後ろに立たない方がいいですよ。闘技場の門にでもかけた方が……」
「いや、しかしそれでは……」
魔境の訓練兵たちが盾を門に引っかけた。
「辺境伯の言うことは聞いておくことです」
「死ぬ時以外はほとんど注意しない方なので、聞いた方がよろしいかと……」
訓練兵たちが離れたところで、俺は魔力を回転させ始めた。
「この魔法陣は単純に防御魔法を固くするだけの効果ですよね? だとしたら力任せにでも壊せるのですが、それでは王家の秘術にならない。斬れるかどうかですかね、それとも捩じりますか?」
「捩じる?」
「どんな風に?」
隊長とウォーレンの兄弟がそういうので、俺は捩じることにした。
「やって見せましょう」
俺は人差し指を防御魔法に当てて、魔力を吸い込みながら捩じってみせた。
バキャッ!
闘技場に金属音が鳴り響き、門ごと回転。門を巻き込みながら盾を中心に曲がり、竜巻にあったように痕が残った。盾はあっさり壊れて円錐状になっている。
「こんなもんです」
「何をどうすればこうなるかわからんが、我々が準備不足であることはわかった。いや、実はな。訓練兵たちと王都の兵士たちで少し試合をしたのだが、まるで歯が立たなかった。魔境の辺境伯はもっと強いと聞いていたが本当だったようだな」
「我々に嘘をつく必要がありませんから」
訓練兵たちは魔境の信用を失いたくないと思ったらしい。
「以前、王都の軍施設で訓練用の人形を吹き飛ばしただろう? 一応、連れて来た兵士たちもそれくらいならできる者を揃えたのだが、以前よりも強くなっているようだな」
以前、王都に行ったのは夏前だ。当時の状況を考えると、明らかに今の方が出来ることは多い。
「そうですね。でも、まぁ、魔境で生きていると自然に強くはなりますよ」
「いや、マキョーさんはちょっとおかしいです」
「何も持たずに空を飛べるのは、マキョーさんとチェルさんだけです」
「古参の人たちはどこかおかしいのです」
訓練兵たちはウォーレンに訴えかけていた。
「まぁ、古参と言うけれど、全員一年以上は魔境で過ごしていない。たぶん、食事や死に近い体験をすることで強くなれるはずなので、真面目に訓練さえすれば誰でも強くなれるのでは?」
「そうだといいんだがなぁ」
サーシャは首を振っていた。
「俺の強さなんかよりもミッドガードの住人の方が重要案件でしょう。2、3日の間にミッドガードからの避難民を連れてきますので、案内の方をよろしくお願いします」
「わかった。せめて1000年前の住人たちが我々の常識を理解できる人物であることを願うよ」
ウォーレンはそう言って笑った。