【籠り生活39日目】
ミッドガードの住人は人化の魔法を使えるワイルドベアの娘だった。夜中出てきて、そのまま眠ってしまったらしい。
起きたのは朝方だった。
「ミッドガードの外に出れたの?」
外に出たことすらよく理解できていないらしい。そもそも喋れることも不思議だ。
「ああ、ダンジョンの中だけどね。今は1000年後で、ユグドラシールは滅び、エスティニアという国ができている。ミッドガードの様子はどうなっている?」
「酷くなってる。誰も彼もが管理されて、管理者だと思っていた人たちまで誰かに管理されているみたい。私は看板を見て抜け出せたけれど、他の人たちがどうなっているか……」
その娘は周囲を見回していた。顔は幼さが残っているものの身体も成人女性そのものだ。服は伸縮自在の様でクリーム色の上下。うなじに番号の入れ墨が彫られている。
「もしかして、君は犯罪者かい?」
「違うわ!」
「でも、その番号の入れ墨は……」
「冷凍睡眠から起きたら彫られていたの。ねぇ、いい加減外に出られない?」
娘は、ワイルドベアの姿になって威嚇してもまるで意に介していなかった俺たちにイライラしているようだった。俺もリパも魔力は感じなかったし、ワイルドベアは見慣れているので威嚇なのかどうか初めわからなかったのだ。そういうミッドガード式の挨拶なのかもしれないとさえ思っていた。
「出てもいいんだけど、今君たちミッドガードの住人たちがいるここはクリフガルーダっていう鳥人族の国にある『大穴』って場所なんだ。外に出ればわかると思うけど、君たちよりはるかに強い魔物がそこら辺を歩き回ってる。それでも行くかい?」
「ええ、何でもいいわ。気がおかしくなりそうなの」
たとえ犯罪者だったとしても、ワイルドベアに戻るしかできなそうなのでとりあえず外に連れ出すことにした。
「空が青い!」
暗いダンジョンの奥にいたからか空を見ただけで興奮している。目の前をグリフォンが通り過ぎていった。さらに遠くでは赤い大きな狼やコカトリスも土埃を巻き上げながら走り回っていた。どれもワイルドベアより大きい。
「これが1000年後……! これが普通?」
ワイルドベアの娘はかなり驚いている。
「クリフガルーダでは『大穴』だけだよ。俺たちが住んでる魔境はだいたいこんな感じかな」
「今は冬だから、これほど騒がしくはないけど、何回か死にかけて見慣れればどうってことない」
「そんな……」
「普通の生活も見てみるかい? いや、呪法家だから普通とは違うかもしれないけど」
「呪法家?」
とりあえず、ワイルドベアの娘を呪法家の村へと連れていく。
「空は飛べるかな?」
「私、羽根ないよ」
「魔法は変身だけ?」
「筋力増加もあるけど……」
ワイルドベアの魔石の効果はそんなのだったかもしれない。
「とりあえず、暴れたり魔力を吸収しようと思わないでね」
俺はワイルドベアの娘を浮遊魔法で飛ばした。続いて俺も飛び、リパは魔道具の箒を使って飛ぶ。
「1000年後では誰でも飛べるのか!?」
「いや俺は箒がないと飛べない。マキョーさんは普通に飛べるけど」
「魔法を使えるようになったのがこの1年の間だから、コツさえ掴めば誰でもできるんじゃないかな」
「そんなことあるか?」
とりあえずワイルドベアの娘が戸惑っているうちに呪法家の隠れ里に向かう。
呪法家たちにはリパが説明していたので、本当にミッドガードから人が出てくるとは思わなかったらしく、ものすごい驚かれた。
「とりあえず、食事するか?」
全員が戸惑うなか、呪術家が仕切ってくれた。
「皆仮面をしているが悪い人たちじゃない。感染症とかもあるかもしれないから空き家かどこかで滞在できればいいのだけれど……」
「空き家ならあるし、浄化の祝詞も唱えようか」
「呪術なんて効果があるのか?」
ワイルドベアの娘は驚いていた。1000年前にはなかったのか。
「あると思うよ。魔物の中にはヌシもいるし、魔法だけでは説明が付かない場所もあるから」
「なるほど……」
ワイルドベアの娘は納得しながら、空き家へ案内されていた。
「あまりミッドガード内の情報を聞き出せませんでしたね」
「追々でいいだろ。急に1000年後だと言われても、混乱するのが当り前さ。でも空に感動していたのは、中の住人たちはかなり精神的に疲弊しているのかもな」
「とりあえず、事情を聞いてみます。マキョーさんはまだ出てくるかもしれないので……」
「ああ、ミッドガードの近くで待機している。何かあったら音光機で連絡してくれ」
俺は一人、「大穴」に向かい、そのまま魔物たちと戯れながらダンジョンから出てくる者がいないか見張っていた。
昼過ぎに見回りに行くと、中の建物から煙が立ち上っている。何かあったらしいが、特にこちらから何かするようなことはない。
しばらくすると脇の方から、こちらに駆け寄ってくる人たちがいた。特に魔物の姿をしているわけでもなく獣魔病というわけでもない普通の人族のようだ。男女二組の老人夫婦と若者夫婦に見える。全員、どこか王家の顔に似ている。
俺の姿に驚きながらも透明の膜の外に出てきた。
「こんにちは」
「すまない。ここは1000年後の世界というのは間違いではないか?」
「間違いないです」
「避難させてほしい」
「構いませんよ。なにがあったんです?」
「我々は管理者だ。ホワイトカラークローンとでもいうのかな。理解できるか?」
「いや、そんな役割は現代にはありません。出口はあちらですが、割と強めの魔物が跋扈しています。魔力が多い場所にしか、このダンジョンを維持できなかったからです」
「そうか……。どうすればいい?」
「空は飛べますか?」
「い……!? 空は飛べない」
「私たちは人間よ。魔物ではないわ」
「俺も人間ですが飛べますよ」
「それほど進化しているのか!?」
「とりあえず、外を見てからでもいいでしょう」
俺は4人を外に連れて行った。
「「空が青い!!」」
「これは……、予想外だ」
「これほど魔物が大きく進化しているのか?」
4人ともそれぞれ驚いていた。
「1000年前にも闘技場近くにはいたんじゃないですか?」
「あれは見世物として作っただけのこと。いや、万年亀に関しては狙って作ったとされているが……」
「ん? 見てないんですか?」
「私たちはクローン。冷凍睡眠に失敗した者たちの遺伝子を取り出して、作られた者たちよ」
「じゃあ、ものすごい若いんですか?」
「若いというか生まれ直したという方が近いだろう。ミッドガードで数年前に食料不足に陥り、どうにもならなくなり我らのような冷凍睡眠をしている者たちを起こす必要が出てきたのだが、そこで事故が起きほとんどが死んだ。それでも我々のような管理者が必要と判断し、クローン技術に手を出したというわけだ」
「クローン技術って複製ということですか?」
夢で見た前世の知識がなかったら理解できなかっただろう。
「その通り」
「私たちからすれば生まれ直したような気分だけれどね。情報や知識まで植え付けられたから」
「できれば若い身体にしてほしかったのだが、冷凍睡眠されたままの年齢でカプセルから産み落とされたのだ。それにしてもすごいな」
話を聞きながら、俺は襲い掛かる魔物の攻撃を防ぎ遠くへ放り投げていた。
「君は何者なんだ?」
「ユグドラシールの跡地が魔境と呼ばれる場所になりましてね。そこの領主をしております」
「領主!? 封建制がまだ残っているのかい?」
「封建制? 王制のことなら、残ってますよ。自分は辺境伯ということになってますから」
「ミッドガードではその制度は一度崩れている。再び似たようなシステムが復活してきているが……」
「民主主義で自由を訴えていた我々にとっては敗北した気分ね」
4人は抱き合い、泣きそうになっていた。できれば、周りの魔物に狙われまくっているから、他所でやってほしい。
「あの、すみません。もうちょっと落ち着ける場所で話しませんか?」
「すまない。この状態で、どこへ行けばいいのか」
「あ、そうでしたね」
俺は4人を浮遊魔法で空へと打ち上げ、強制的に呪法家の隠れ里に連れて行った。
「お、また出て来たか」
呪術家は4人とも受け入れてくれた。ただ、連れて来た4人は、足が震えて立ち上がることもままならない様子だ。
「空を飛んだことがなかったか。すみませんね」
「マキョーさん。今度は4人ですか?」
リパが空き家から出てきた。
「ああ、悪いけど保護を頼む」
「わかりました。どうぞ、こちらに食事を用意していますよ」
「鳥の獣人か!?」
「仮面の民族!?」
「文化がまるっきり違う……」
「ここが1000年後……、技術や知識ではなく身体能力が上がるとは思ってもみなかった」
4人がそれぞれの感想を言いながら、立ち上がっていた。呪法家の隠れ里が特殊なだけなのだけれど、今はとりあえず食事をさせよう。
ミッドガードのダンジョンに戻り、日が暮れるまで待つ。
「あの膜はなんだと思う?」
俺はダンジョンの外に自分のダンジョンを出して、語りかけてみた。俺のダンジョンは頭をひねるばかりで、適当に「大穴」の魔物を狩って食べていた。
結局この日、ミッドガードから出てきたのは5人だけ。
事情を聞いていたリパの話によると、ミッドガードはいくつもの集団がアメーバのように大きくなったり小さくなったりしながら、管理されていたらしい。
特に初めに出てきたワイルドベアの娘のような労働者は少なくなっている上に、そもそも人類とカウントされていないらしい。逆に管理者と呼ばれる獣魔病にもかかっていない者たちは多すぎて集団同士のいざこざに発展しているのだとか。
「ただ、彼らの情報をまとめるとそうなると言うだけで、視点が変われば全く別の事実が見えてくるかもしれませんね」
「いや、ありうる話だ。ミッドガード全体の支配者がいるわけではないとわかっただけ前に進んだと思おう」
呪法家の隠れ里には月が昇っていた。