【魔境生活29日目】
朝起きると、ジェニファーは火に薪を焼べていた。
「火の番くらいはできるようだな」
「私は、この魔境に来てなにもできなかった。帰ることすらままならない。こんな過酷な環境は初めてです。マキョーさんたちが帰ってきてくれたので、ようやく魔物たちも落ち着いたのかこちらに向かってくることもしませんでした」
ジェニファーは洞窟でも魔物に襲われたらしい。
俺はジェニファーに、麻痺効果のある杖を渡した。
「これで魔物を麻痺させて、殺せば入り口の小川までは十分行けるはずだ」
一応、寝る前に用意しておいたものだ。チェルもこの杖があったおかげでレベル上げをしていた。
ジェニファーは杖を受け取らず、突然、土下座してきた。
「宿泊費は必ずお支払いします! 私はこの魔境で自分の弱さを知りました! 至らぬことは百も承知! ですが、どうかしばしの間、ここに滞在する許可をいただけないでしょうか! このまま、なにもしないまま立ち去っては、なにも変われません!」
「変わりたいのか? 追放した仲間に復讐するっていう話はどうした?」
「復讐は自分への言い訳に過ぎません! 他に生きる理由もなく、自分の弱さを認めたくなかったから言ったまでのこと。今は恥じています」
ジェニファーは土下座の体勢で顔を上げて俺を見た。
ボロボロの僧侶の服を着たジェニファーからは高飛車な雰囲気が消えていた。自分の弱さを認め、急に謙虚になったのかな。
「今の時点でも結構変わったと思うけど、ここでなにかやりたいことでもあるのか?」
謙虚になったからといって生きる理由が見つかるわけでもないだろう。世のため人のために生きるつもりなら、こんな魔境にいてもしょうがないんだけど……。
「冒険を教えていただけませんか?」
「はぁ?」
「そもそも私は母の病気を治すために僧侶になりました。しかし、母は私が僧侶になる前に他界。遺言は『自由に生きなさい』でした。私はその言葉のまま冒険者になったのですが、冒険者になってやったことといえば、パーティのバランス調整やサポートばかり。こなせる依頼を取ってきてパーティを維持するだけ。自由なことは一つもしてきませんでした! だから、どうか私に冒険を教えてください! お願いします!」
「それは……ひとりで勝手にやって。俺は冒険しようとして冒険してないし、自分の敷地になにがあるかくらい知っておきたいから、砂漠とか行ってるだけだよ」
「では、勝手にしばらく厄介になります!」
そういうとジェニファーは立ち上がって頭を下げると、俺の脇を通ってパンを焼いているチェルの方に向かった。
「パンの焼き方を教えてください!」
「ヘッ!? ヤクト、オイシイヨ」
チェルはいまいちジェニファーがなにを言っているのかわからないらしく、俺の方を見てきた。まぁ、女同士仲良くしたらいい。
いや、待てよ。なんか同居人が一人増えたぞ?
「あれ? おかしいな。どこで間違えた?」
俺は腑に落ちないまま、フォレストラットに餌をやり、畑に水やりと雑草を抜きに行く。あんまり考えると『負け』な気がした。ペースを乱されて、なにも言い返さなかったのが悪かったなら、生活のリズムを戻すことが一番の近道だ。
数日空けていたので、畑がスイマーズバードに荒らされているかと思ったが、ただただ、雑草が伸び放題になっていただけだった。オジギ草もそんなに育っていないので、スイマーズバードがいい加減危険な場所であることを学習したのかもしれない。
そして、水も上げてないはずの野菜が、ぐんぐん育っていた。枯れてしまったかなぁ、と思っていたので大変嬉しい。雑草を抜き、沼の水流を操り水を撒く。
洞窟に帰り、チェルとジェニファーが焼いたパンと肉を食べる。
数えてみれば今日は訓練施設に行く日だった。
船作りの工具と、女性物の服を取りに行かなくてはいけない。ジェニファーの荷物はほとんど魔境の植物に食べられてしまったらしく、ボロボロの僧侶の服しか残らなかったらしい。
「私が草で編みましょうか?」
「いや、そこまでプリミティブな生活を求めてないし、そういう冒険は一人でやってくれ。俺たちは見てるから」
どうせ行くなら、交換材料として杖をもう少し作ることにした。
訓練施設には昼過ぎにでも行けばいい。今の俺とチェルなら、1時間ほどで着くだろう。十分に時間はある。
洞窟の周りのなるべく固い木を選んで斧で枝を落とす。ナイフで形を整え、チェルが選んだ魔石を嵌めていく。拳より小さいサイズの魔石で、リーフバードを見つけるときに狩りまくった時のものだ。
どんな効果があるかはわからないが、チェルは「タイシタコト、ナイ」と言っていた。
「まぁ、サービス品みたいなものだからな」
俺がそう言うと、ジェニファーは「そんな事ありません!」と突然声を上げた。
「見たところ、相手の動きを封じる杖ですよね?」
「そうだけど……?」
「デバッファーとしては非常に優秀な武器だと思います。その杖は決して安くありませんよ」
「そうかなぁ」
作った俺とチェルは頭を掻いて照れた。
長く王都にいたジェニファーが言うんだからそうかもしれない。
とりあえず、作った杖を一纏めにして、蔓で縛り、背負子に乗せる。帰りのこともあるので、空のリュックも持っていくことに。
軽めの昼食を食べ、走って訓練施設へと向かう。
もちろん、ジェニファーは俺たちの速度について来れないため、留守番だ。チェルが杖の使い方も教えたので、洞窟近辺の魔物なら撃退できるはず。ジェニファーもゴールデンバットを一匹だけ倒すと、自信がついたらしい。
「いってらっしゃーい!」
そう言って手を振るジェニファーが妙に馴染んでいた。
「ド、ド、ドウスル?」
チェルはジェニファーを指さして、小声で聞いてきた。
「いや、帰らないんだよ」
「ナンデ?」
「知らねぇ。冒険したいとか言って勝手にいるみたい」
「ジャ、チェルト、オナジダ」
チェルは帰れないけど、ジェニファーは帰れるはずだから違うと思うんだけど。
「なんか押し切られてるよなぁ」
ずっと俺はもやもやしていた。
魔境との境にある川は、砂漠に比べたらめちゃくちゃ近い。魔物に遭ったところで、殴って追い返すか、チェルが魔法で仕留めるかだ。
魔境の入口付近は森や砂漠に比べると、魔物や植物の行動は読みやすいので強くない。
今なら、どうしてP・Jがあの洞窟に住処を作ったのかも理解できる。
川も一飛びで、向こう岸まで行けるようになってしまっていた。
森で遭遇した魔物とは戦わず、スルーして訓練施設に向かう。
相変わらず、隊長は畑仕事に精を出していた。
手を振って来訪を知らせると、すぐに手を止め、こちらにやってきた。
「やぁ、そろそろ来る頃じゃないかと思っていたんだ。この前、言っていた物は用意してあるよ。こっちだ」
そう言うと隊長は、我々を小屋へと案内してくれた。
「女性物の服と、下着も一応揃えておいた」
「ありがとうございます」
隊長は机に頼んでいた物を並べ始めた。
服は茶系の物が多く、村娘が着るとよく似合いそうだ。下着は紐で縛る短パンのようなタイプだった。
チェルはフードを被り、マスクをしたまま、リュックの中に入れていった。
「ちょっとだけ大きめのサイズの女性物の服もありますか?」
一応、ジェニファーの分も聞いておく。本人は草で作ると言っていたので、なくてもいいのだが。
「あるよ。サイズがわからなかったから、揃えておいたんだ。持っていってくれ」
大きめのサイズのほうが多いくらいだった。
「あと、これ。船の工具だ」
長い鋸や鉋、鍬のような工具(ちょうなと呼ぶらしい)、金槌、定規などがあった。
工具をまとめる袋も用意していてくれたようで、袋ごと背負子に乗せる。
「また、杖作ってきたんですけど、何かと交換できませんか?」
「おおっ、それはありがたい。実は前に来た時の杖が、高く取引出来てね、また、作ってくれという要望が出ていたんだ」
「そうですか」
ジェニファーの話は本当だったようだ。
「うん、嵌め込んだ魔石も魔境産だから珍しい物が多くてね。もし、この先たくさん作るようなら、町から商人を呼んだほうがいいと思うんだけど、どうする?」
欲のない隊長だ。給料制なのかな?
とはいえ、このまま杖職人なる気なんかない。
「いや、そんなに作らないと思うので、今のままで結構です。定期的に持ってきますので、それでお願いします」
「そうか、わかった。それで、他にどんなものが欲しい」
小麦粉も野菜も、まだまだ結構あるし、酒や嗜好品はそもそも食べないので、食料はいらない。
チェルはパンを焼く良い釜が欲しいらしいけど、それは作ればいい。ジェニファーは聞いてこなかったな。
ということ、今回は俺が欲しいものをお願いすることにした。
「初心者用の魔法陣の本とかありませんか? 魔道具を作る教科書みたいなものでも良いのですが」
「それは、また随分と手に入りにくそうなものだね。ちょっと待っててくれ」
そう言うと隊長は、小屋を出て行った。
「イルカ?」
2人きりになった時、後ろにいたチェルが聞いてきた。
魔法陣の本や魔道具の教科書がいるのか? というのだ。
「また、アラクネの時みたいに、爆発するより、ちゃんと学んで、使いこなしたほうがいいだろ?」
そう言うと、「ウン、アレダメ」とチェルも納得したようだ。
正直、この訓練施設に魔法陣の本や魔道具の本があるなどと思っていない。もし、あったら儲けものだ、くらいの感覚だ。なければないで、P・Jの魔道具に描いてある魔法陣を紙に写しとっていこうと思っていた。
戻ってきた隊長の手には本があった。
あったの!?
「いや、魔法陣や魔道具の本はないのだが、初心者の魔法使いに向けた教材があってね。それに、ちょっとだけ魔法陣が描いてあるんだ。ほら」
隊長はその本を見せてきた。
そこには確かに、魔法の効果と一緒に魔法陣が描いてあった。
基本的な魔法にしか魔法陣は描いていなかったが、それでも系統がわかれば、ありがたい。
「あ、じゃあ、これと交換してください」
「いいのかい? こんなんで」
「いいです! 助かります!」
「わかった。今後もよろしく頼むよ」
「よろしくお願いします」
隊長と握手をして、小屋を出た。
「次は野菜が取れる頃に来るといい。一ヶ月後には出来ているはずだから。なにか困ったことがあれば、言ってくれよ。我々にできることなら、なるべくやるから」
「あ、この間、冒険者のパーティが来たじゃないですか?」
「ああ、いたなぁ。王都から来たっていう妙な奴らだろ? 仲間割れして帰っていったけどなぁ。それが、どうかしたかい?」
「そのパーティの僧侶が魔境に居着いちゃって……」
「へぇ~、倒れていた娘だろ? うちの隊員の中でも人気だったが、そうかぁ。魔境に行ったかぁ」
「しばらくしたら追い出すので、こちらで迷惑をかけるかもしれません」
「ああ、いいよ、いいよ。魔境に行きそこねた冒険者の世話はよくやってるから」
「すみません。ありがとうございます」
人の良い隊長は手を振って、見送ってくれた。
とっとと走って洞窟に帰り、本を読む。なんとなくだが、P・Jの魔道具の武器にどんな効果があるのか、わかるものがあった。火の効果があるとか、水の魔法陣だろう、とかくらいだが、まったく理解できないよりましだ。
ジェニファーが作った晩飯を食べ、風呂に入り、チェルとともに魔力操作の訓練をして、寝床で本の続きを読む。ジェニファーの飯は食べられなくはない程度だった。
「本ばっかり読んでますね。魔物は倒さないんですか?」
寝ている俺にジェニファーが声をかけてきた。
「倒したきゃ、倒してきてくれ。それぞれ、違う冒険をしてるんだからな」
「それもそうですね」
ジェニファーは去り際に「私の分の服まで、ありがとうございます」とお礼を言ってきた。
「ついでだ」
とだけ、返しておいた。