【魔境生活28日目】
翌朝、即席の洞窟から外を覗くと、一面真っ白だった。
雪が降ったというわけではなく、木々の間に白い糸が幾重にも張り巡らされている。
昨夜の襲撃者はどうやら蜘蛛の魔物のようだ。
「アラクネ」
起きたチェルが外を見ながら、下唇を噛んでいた。アラクネとは上半身が女で下半身が蜘蛛という魔物だったはず。チェルはアラクネによって過去に痛い目を見たらしい。
気配はないが、非常に危険なので、土を固めて白い糸を突き破るように土魔法を放った。土魔法は糸に触れると、あっさり弾き返される。
すぐに、ガサゴソという無数の足音とともに巨大なアラクネの群れが洞窟の側に降り立った。
「やばい…」
「ヤバイ」
チェルは大きく頷いた。
洞窟の小さな穴を土魔法で完全に塞ぎ、洞窟にこもった。かなり寝たので体力も魔力も十分に回復している。
地面を掘り進んで、とにかく脱出するか。
イチかバチかで突っ込んでいってみるか。
弱点もわからないのに、突っ込んで大丈夫なのか。
生活魔法で灯りを作り、P・Jの手帳を読んでみる。
『アラクネ―上半身が女で下半身が蜘蛛というちょっぴりエッチな魔物。
弱点は腹。群れると結構ヤバイ。
罠を仕込んで、地面から串刺しにするのがベスト。
糸は使える素材なので、絶対回収。
ちなみに上半身は切り離しても結構生きてるので、
持ち帰っていやらしいことに使おうと思うと、酷い目に遭う(体験談)』
「P・Jはマジで何やってんだ!?」
とにかく腹が弱点で、罠が必要なようだ。洞窟にこもっていては、どうすることもできない。
手帳の『アラクネ』の隅に描いてあるイタズラ書きの魔法陣がきっと、串刺しの魔法陣だろう。
洞窟を一度下に掘り、横に広げていく。
掘った穴の天井に、反転させた魔法陣を描いていった。
「反転しないと俺が串刺しだからな。こういう作業は得意なんだ」
「ソウ」
チェルにはわからなかったらしい。
とりあえず、四方八方の地面の下に魔法陣を仕掛け、入り口まで戻る。
覗き穴を数か所空け、アラクネを待ち伏せ。
アラクネは糸にへばりついているため、地面に降りてこない。
魔力を込めた土魔法の弾丸を糸に放つと、糸が同心円上に波打つように振動する。結構魔力を込めたのに、突き破れないのだから、相当いい素材であることは間違いないようだ。
振動を感知したアラクネたちが、地面に降り立った。
罠の真上を通れば、アラクネの魔力によって魔法陣が起動するはず。
「串刺しだ!」
「クシザシ」
期待を膨らませ覗き穴から、チェルと二人で見ていと、アラクネの一体がこちらに向かってやってきた。
キュインッという起動音とともに魔法陣が起動。
ボンッ!!
地面が爆発した。
爆発によって、隣に描いていた魔法陣が起動する。そして、爆発によって隣の魔法陣が起動して爆発。
ボンッ!!
洞窟の周りの地面で円を描くように爆発が起こった。
ボンボンボンボンッ!!!!
洞窟の天井が崩れ、生き埋めになった。埋もれた中から、なんとか地上に這い出すと、あたり一面、焼け野原になっていた。
俺たちがいた爆心地の中心に洞窟の跡地だけが、こんもりと膨らんで無事。ドーナツ状に凹んだ周囲には、アラクネの残骸が黒焦げになり、周囲の木々は焼きつくされ、燃えた葉が宙を舞っている。
「全然串刺しじゃねぇ!」
「クシザシジャナイ!」
「落書き怖い!」
「ラクガキダメ、ゼッタイ!」
本当にP・Jのイタズラ書きには絶対に注意しようと思う。
チェルが水魔法で、周囲の火をこれ以上燃え広がらないように消していった。
アラクネの糸は火に弱いらしく、燃えてどこにも見当たらない。
真っ黒焦げのアラクネから、魔石を回収し、ひとまず立ち去ることにした。
振り返ってみると鬱蒼とした森のなかにポッカリと焼け野原ができ、そこだけ空が見えていた。
俺たちは木漏れ日も差さないような森の中をひたすら北へと向かう。
「ハラヘッタ」
「俺もだ」
チェルは空腹で神経が過敏になっているのか、倒さなくてもいい魔物にまで手を出していた。食えない虫系の魔物だと全力で燃やして、先へ進む。
俺も川の水を飲もうとして襲ってきたスライムを倒して、無駄な体力を使ってしまった。
「スライム、クエナイ!」
「肉のある魔物、襲ってこないかなぁ!」
結局、食えそうな魔物は襲ってこないまま、沼についた。
すでに日が傾いている。
「ハムハム!」
洞窟についたら、『絶対ハムを焼いて食う』とチェルが言っている。俺も同じ気持ちだ。
「ようやく我が家だぁ!」
「カエッテキター!」
洞窟の我が家にたどり着いたら、すぐにハムを焼く準備。チェルも薪を集めて、ナイフを研ぎ始めた。肉は魔法で焼くと黒焦げになりやすいので、薪のほうがいい。
洞窟の奥に吊るしてあるハムを厚く切り出し、洞窟前にできた焚き火でじっくりと焼く。
肉汁が滴り落ちるのを、よだれを垂れ流しながら待ち、こんがり焼けたところをガブリと噛み付いた。
「うまぁいぃ!」
「ウマイ!」
塩気と肉汁の旨味が口に広がる。おかわりのハムも貪り食ったあと、チェルがパンを焼き始めた。パンもキツネ色に焼いて、一気に口に入れる。ヘイズタートルの肉と骨も残っていたので、スープを作って、ごくごく飲んだ。舌がやけどしてもあまり気にならない。
胃に食べ物がたまると落ち着いてきて、自分たちが汚いということに気がついた。そりゃそうだ。一日、砂漠を旅して地面の下にいたのだから。
沼で、ここ数日の旅で汚れた身体を洗い、さっぱりした。
「酒でもあれば美味いんだろうなぁ」
我が家で眠ろうとベッドを見ると、ジェニファーが寝息を立てていた。
「おいっ! お前、なにやってんだ!?」
かけていた毛皮を剥ぐと、ジェニファーは怯えたようにこちらを見てきた。服はボロボロ、身体のあちこちが切り傷や擦り傷で怪我している。さらに、左手の小指と薬指が折れ曲がっていた。
「チェルー!」
「ナニー?」
チェルを呼んで手当させることに。
「アレー? マダイタノ?」
「傷、治してやって」
チェルは「エ~」と言いながら回復魔法でジェニファーの傷を治した。折れた指をもとに戻すときにジェニファーが「うぎゃー!」と言ったが、チェルは気にしてなかった。
「それで、なんでまだいるの?」
「出られないんです。森に入った途端、魔物も植物も襲いかかってきて方向もわからなくなって……怪鳥の鳴き声で眠れないし……帰ろうにも帰れなくて……」
魔境の洗礼を受けたようだ。すっかり勢いはない。
「あれ? 僧侶じゃなかったっけ? 回復魔法くらい使えるんじゃないの?」
「何度も使いすぎて魔力切れを起こしました」
チェルが俺の袖を引いて「ナンテ?」と聞いてきた。ジェニファーの言っていることがわからなかったらしい。紙に書いて説明すると「フザケ?」と聞いてきた。
「いや、え? ふざけてやってるの?」
一応、ジェニファーに聞いてみると、首を横に振って「ふざけてません、ふざけてません!」と否定していた。
「まぁ、いいや。俺たち南の砂漠まで行って疲れたから寝るから、洞窟の前の焚き火の番だけしておいて」
「え? 私が?」
ジェニファーが自分を指さして驚いている。
「うん、ここの食料も食べて宿泊もさせたんだから、少しは働いてくれ」
ジェニファーは勝手に燻製肉や野菜を食べていたようで、枕元に食器が残っていた。俺は虫が来るのが嫌なので、寝室では食べない。
ジェニファーが俺の寝室から出ていくと、チェルが「ドウスルノ?」と聞いてきた。
「知らん。眠いし寝よう」
「ウン、ツカレタ」