【籠り生活11日目】
「ダメだった」
ヘリーの報告は短かった。
エルフの国では音光機に規制がかかったらしい。俺たちもドワーフたちを迎えに行くときに暴れたし、ヘリーも里帰りで暴れたから、魔境との取引はしないということかと思ったが、そう言うことではないらしい。
「大学や白亜の塔の図書館で知識を蓄えた学者や、長年訓練してきた兵士や武術家が、短期間で知識や技術を身につけたエルフたちの新しい論文や新しい戦い方に打ち負かされるというケースが増えて来た。そこに私たちがやってきたことで機運が波及していたのだ」
焚火の傍でヘリーは寝転がっていた。
「そこに一気に規制が入った。技術と文化を追い求めるだけなのに逮捕者が続出している。実験も碌に出来なくなったそうだ。エルフの国はこれから技術の停滞が起こる。今いるバカな老人たちが、自分の利権を固めてるのだ。何年生きても嫉妬や強欲という病気は治らないのだろうね」
ヘリーは空を見上げて呆れるように言っていた。祖国を憂い、相当落ち込んでいる。
「エルフの国はどうなるんだ?」
「知恵や技術が停滞するということは経済も停滞する。他の国の発展と合わなくなってくるからだ。精霊樹の民のほとんどが時間とともに生活が苦しくなる。金は社会における血液のようなものだからね」
ということは、魔境ではそんなに血液が通ってないことになる。魔境は不死者ってことか。
「人は? エルフは、どうなる?」
「気づいている者たちから、国外に逃亡し始めるだろうね」
「旧ミルドエルハイウェイの抜け道からエルフが来るんじゃないか?」
「おそらく来る」
「イーストケニアにもか?」
シルビアが聞いていた。
「うん。知識や技術がなくても、エルフの場合は経験があるからね。ヤバいと感じたら逃げ出す者は多いと思うよ。地続きだし逃亡するならイーストケニアだろう」
エルフの国との国境線にあるイーストケニアにエルフの亡命者たちで溢れることになるのか。
「シルビア、イーストケニアの領主に悪い薬が出回らないように気をつけておけって忠告しておいてくれ。長く生きて諦めた者たちが快楽に走ると止められなくなる」
「わかった」
シルビアは背負子を用意して、毛皮とハムを積んでいった。手土産だろう。
「昼までには戻ってくる」
「ああ」
「マキョー」
「なんだ?」
「もし、イーストケニアでエルフの保護区が作れなかったら、交易村に連れて来てもいいか?」
「もちろん、いいぞ。まだ開拓中だけどな」
「そう伝えておく」
シルビアが闇夜に消えていった。
「たぶん、知識や技術を求める者たちは魔境を目指し始めるぞ」
ヘリーが起き上がって、茶を飲んだ。
「そうなのか」
「探求心を持つ者は、実験の場を求める」
「魔境にぴったりじゃないか」
「その通り。マキョー、悪いけど北の居住区を先に作らせてくれないか」
「いや、ヘリーは空島に集中していい。ハーピーたちも何人か協力したがっている。北の集合住宅は俺が作るよ。それから今、カヒマンが沈没船をサルベージして、砂漠の駅にしようとしているから手伝ってやってくれ」
ヘリーが、いない間に起こったことを報告しておく。
「おぅ、情報量が多いな。相変わらず、魔境に3日以上いないと状況が激変するからなぁ」
「精霊樹を植えた方がいいかな?」
「あればいいだろうけど、巨大魔獣の通り道になるのではないか……」
魔境の住人が増えれば増えるほど、巨大魔獣が邪魔になってくる。やっぱり次の出現で、少なくとも万年亀の移動を止めるしかない。
「崖の中に作るか」
「エルフは、岩石地帯の魔物に鍛えてもらうか。そうだ。一応、活版印刷の魔道具は揃えて来たんだ。インクがなければ使えないが、これで魔境に今ある事業もわかる」
俺はヘリーと共に魔道具の印刷機を冒険者ギルドの中まで運んだ。
ちょうど空島担当のハーピーたちが寝ているので、紹介しておいた。
「カヒマンのことも忘れないでやってくれ」
「了解した」
俺は一人、北部まで走る。筋肉量が減っているので鍛えているが、なるべく魔力を使わないようにするというのが魔境では難しい。
慣れてしまっていることを忘れるというのは、意識してもなかなかできない。
部位に分けながら観察していった。
「意外に親指は重要なのか……」
太ももを上げることよりも、凸凹した道を歩くような感覚で移動する。疲労が溜まっていくが、筋肉痛にはならない。年のせいで筋肉痛になるのにも時間がかかるのかとも思ったが、どうやら無意識のうちに回復魔法を使っていたらしい。
感覚を鋭く、視野を広く取ると、寝ている魔物の鼾が聞こえてくる。
メキメキメキメキ……。
寄生している木が、宿主の木を締め付けている音も聞こえてきた。植物の戦いは深夜に行われるのか。
深夜に飛んでいるデスコンドルや、毛が剣のように鋭いソードウルフなども徘徊している。不審だからか、こちらを襲ってくるような魔物はいなかった。
森を抜けて北部の岩石地帯で、環状道路を作っているアラクネたちが野営していたので、近くで仮眠。日が昇って起きたら、驚かれた。
「寝込みを襲いに来たんですか?」
「だったら、襲い終わった後だろう。違うよ。エルフの国から、亡命してくる人たちがいるかもしれない。雨風しのげるくらいの居住区を作っておこうと思ってね」
朝飯を食べ終わると、作業をしているアラクネたちも俺の仕事を見てみたいと言ってきた。
「いいけど、面白いかなぁ」
「見るだけだから」
俺は、なんとなくクリフガルーダの呪法家の家や北東にある鉄鉱山の家を思い出しながら、入口を決め階段や、部屋の中をくりぬいていく。もちろん魔力のキューブだから、それほど凝ったものは出来ない。
「とりあえず、こんな感じだよ。ワイバーンやガーゴイルが入れないくらいの入り口ならいいだろ?」
「ここを臨時の作業拠点にしてもいいですか?」
「いいけど……。食べ物とか腐らせないようにな」
「わかりました」
野営のテント暮らしは気を遣うので疲れるらしい。荷物もテントの中に置かないといけないので、スペースを取るし倉庫が欲しかったとのこと。
「倉庫代わりでもいいから、保存食をいくつか残しておいてやって」
「了解です」
勝手に居住区を作ってくれるならそれでもいい。
後は近くに井戸を掘って北部避難所を作っておいた。建物が建てば、また変わってくるだろう。
ミルドエルハイウェイのトンネルにいた魔物はすべて焼いておく。植物系の魔物がエルフの国からやってくるが、それを狙って、ジビエディアなど魔物が集まってきてしまう。
繁殖されると面倒だ。
昼過ぎにホームに戻ると、ちょうどシルビアが帰ってきたところだった。
「どうだった?」
「わからない。どこまでわかっているのか。移民政策をやるなら、兵力を増強しないと治安が守られないから、今やっていることをさらに進めるとは言っていた。居住区や食べ物のことはわかっていないのかもしれない」
移民が来るということは、住む場所も食べ物も必要になる。
「文化も違うから、いろいろ教えないと!」
カタンはエルフに教育をした方がいいと考えているらしい。ドワーフは差別されていたから、特にその思いは強いのかもしれない。
「たぶん、それは大丈夫ですよ」
エルフの番人の一人が届け物をしに来た。
「エルフの国から亡命してくる者は、エルフの権威主義が嫌になったから国を離れたんです。人種の差別からなるべく離れようとします。もちろん、エルフが差別される側になったら、反抗するかもしれませんが……」
亡命してきた番人に言われると、納得してしまった。
「そもそも魔境は人種とかよりも生き残れるかどうかの区別の方が強いじゃないですか」
「そうだな。差別している場合じゃないもんな」
「あ、これ、訓練施設からのお届けものです」
番人から受け取った小包を開けると、中には立派な鋼鉄の鞘付きナイフが入っていた。送り主はホワイトオックス冒険者ギルドのギルド長らしい。
「ホワイトオックスってエスティニアの北部だったか」
「確か、訓練兵にホワイトオックスの武道家がいたんじゃなかったですか?」
番人に言われて、思い出した。
「いたような気がするな。手紙が入っていないけど、どういう意味か分かるか?」
「さあ? 便宜を図れということですかね? 本人に聞いてみるのがいいですよ」
「確かに」
俺はエルフの番人と一緒に、訓練兵のもとに向かった。
訓練兵たちは相変わらず、毒薬を作ったり、グリーンタイガーとじゃれついたりしている。遊んでいるように見えるが、彼らは本気だ。俺も最初に魔境に入ってきた時は死ぬ思いだった。
「こんにちは」
「ああ、マキョーさん! どうしました?」
「ホワイトオックスから贈り物が届いたんだけど、誰か出身者で意味がわかる人いる?」
俺はナイフを見せながら、訓練兵たちに聞いてみた。
「あ! それは……!」
先日、新しい訓練兵として入ったミノウという武道家が声を上げた。
「知っているなら教えて欲しいんだけど……」
「たぶん、ダンジョンの冒険者たちが魔境にやってくるので、よろしく頼むということだと思います」
「そうか」
訓練兵の他に冒険者も来るのか。集合住宅を広げた方がいいかな。
「あー、えーっと、たぶん、魔境の前にだいぶ減ると思います」
「そうなの?」
「ダンジョンでの修行を終えた私が、魔境ではただの訓練兵なので、ホワイトオックスのダンジョンを踏破できない冒険者では、どうにも……」
「武術とかの能力は高いから、魔物の対処も上手いわけじゃないってこと?」
「私の武術はあくまで体の仕組みを使った技術です。対人、対魔物ならある程度までは対処できると思いますが、魔境にいる魔物のような巨体から瞬時に繰り出される攻撃に対応できるかというと……」
「大きさによって限界があるってこと?」
「大きさもそうですし、スピードも、魔力も、文字通りレベルが違うというか、まったく隙がないように私には見えます。さらにそれぞれに特殊攻撃があり、環境も植物すら攻撃を加えてくるというのは、彼らには難しいと思います」
ミノウは、かなり修行をしてきた武道家なのだろう。しっかり自分の中に強さの物差しがある。
「ミノウには俺がどう見えているの?」
「得体が知れない強さを持っているように見えます」
「そうかぁ。俺の魔法は体系的に違うらしいしなぁ……」
魔法は魔境でしか身につけていないので、本当によくわからない。いや、身体の使い方だってよくわかっていない。
「もしよかったら、筋肉トレーニングの仕方とか、身体の仕組みに気づきやすいストレッチなんかあったら教えてくれないか?」
「気づきを大事にされてるんですね」
「そうだね。気づかないと腑に落ちないでしょ」
「……そうですね」
ミノウは少し笑っていた。身体への理解は人それぞれ違う。俺は自分の体の内部を魔力によって感じ取れるけど、他の人たちはあまり自分の身体に向けてソナー魔法はやらないらしい。
大きな岩を持ちあげる方法はいくらでもあるけど、最も楽な方法は一つだけかもしれない。気づいて、どうしてそうなったのか、理がわかることが面白い。その理がわかれば、応用も効く。力に魔力で干渉するなんて、そういう類の技だ。
俺は筋トレとストレッチをミノウから教えてもらった。
訓練兵に交じって訓練をする領主などいないと、チェルから笑われたが、こういうところで差がついているのだろう。