【籠り生活4日目】
エスティニア王国の出身で、辺境伯になったというのに、俺はまるで他の領地のことを知らなかった。そればかりか、どうやって領地を運営すればいいのかすらわからない。完全な手探りで生活している。
ただ、なんとなく追放された者たちや忘れ去られたような人たちが集まってきてしまっていることはわかる。魔境はそういう鼻つまみ者たちの避難所のような土地にすればいいんじゃないかと漠然と思っていた。
「まぁ、それもいいんだけどネ」
チェルは冒険者ギルドの椅子に座って、両手を天井に向けて伸びをしながら、魔境の地図を見ていた。地図作りに専念していたハーピーたちが作ったものだ。
南東の砂漠以外はほぼ描けている。
外は朝から冷たい雨が降り、皆、冒険者ギルドの建物の中で過ごしていた。雨が降ったら魔境の仕事は休みだ。仕事ができなくはないが、捗らないし面倒だから。
ジェニファーやリパ、カタンたちはダンジョンの民と一緒に、遺伝子学研究所のダンジョンでパンを作っている。
なぜか俺は貴族出身の女性陣と領地運営についての話し合いに参加させられていた。いや、むしろそれが俺の本業ではあるのだけれど。たぶん、人が増えてきて、いよいよもう少しどうにかしろよという領民からの圧力だ。
「ホワイトオックスに関しては、ダンジョンを中心に町が出来上がって、領地が広がっていったということだろう? エルフの国でも精霊樹を中心に町ができているよな? メイジュ王国はどうやって町ができるんだ?」
「それはいろんなパターンがあるヨ。川を中心に町を作ったり、魔王の墓を中心に町を作ったり、官僚制ができると自然と中心地が生まれて、人が集まってくるということもあるネ」
「公共事業があって、税収を作って、合理的な都市生活を考えると、富が生まれて格差もできるからなぁ」
ヘリーは、公共事業ではなくても宗教的なモニュメントでも構わないと言っていた。精霊樹は、宗教でしかないそうだ。
「イーストケニアはどうだった?」
シルビアに聞いてみる。
「イーストケニアは砦だったはず。エルフという外敵から守るための砦だったのが、そこに人が集まってきて町になったと聞いたことがある。吸血鬼の一族だから、宗教色は強いよ。血を飲む儀式もあったし」
「その点、ダンジョンは宝さがしと闘技場が一緒になったような場所だから、ランク分けもしやすかっただろうし、合理的なんだろうな」
「本来のダンジョンは、そうやって使うのが正しいんだよネ。メイジュ王国でも度々、魔王だけのダンジョンは問題になるヨ。魔境では棲み処としてのダンジョンの方が主流になっているから誰も何も言わないけれど……」
確かにそうだ。ダンジョンをまともに運用していれば、周辺に町だってできる。
「今、魔境に探索系のダンジョンなんか作っても誰も来ないし、そんなことをしている暇はない。それよりも今まで1000年間、周辺国の緩衝地帯だった魔境をどうするかを考えた方がいい」
「1000年前は文化が交差する交易中心地だったわけでしょ?」
「でも、今の魔境を交易中心地にするには、あまりに資源が豊富だし危険だ」
チェルもシルビアも議論を始めていた。
「今は特に中心があるわけでもないし、居住地も分散しているよな。狩猟採集民が、少しだけ集落を作っているような感じだ。でも、その中でも俺が領主だろ?」
「そう。だから、公共事業を考えるといい」
「中央集権にするなら、やはりミッドガード跡地がいいんじゃないか?」
「俺は、中央に都市を作ることに、それほど賛成できないんだよ。それはミッドガードが巨大魔獣に乗ってしまっているのもあるし、少なくとも俺の代で、そこまで開発ができるか聞かれるとちょっと無理なんじゃないかと思うんだ」
「悲観的だな。人間は思っている以上に強いぞ。開拓から1年も経っていないのに、多くのことができている」
意外にもヘリーは楽観的だ。
「大きなことを判断するのに、もうちょっと慎重になってもいいんじゃないかという方が正確かな。権力が集中していた都市をダンジョンに移送するとか、時を旅するとか、1000年前でも、常軌を逸していると思うんだよ。その後に起こった悲劇も考えるとね」
「確かにそうだけど……。じゃあ、どうすんの?」
「まず、東西南北、それぞれ国があるだろ。それぞれ4拠点作るんだ。中心に魔境があって、魔物とか植物とか資源をそれぞれの拠点で採取していく。その4つを結ぶ環状道路があれば交易もできるし、緩衝地帯にもなるんじゃないか」
俺が説明すると、3人とも天井を見上げていた。想像してくれているのかな。
「発展の余地を残しつつ、探索もすると……」
「発掘できていない遺跡も多いからね。今はエスティニア王国の兵士だけ演習に参加しているけど、エルフも魔族もそのうち参加するんじゃない? 鳥人族はハーピーたちがすでに移住に成功しているから、砂漠の拠点の方が問題になると思うけど……」
反応が薄い。あんまりいい案じゃなかったか。
「やっぱり、そんな上手くいかないかな?」
「いや、そうじゃなくてマキョーはもっと何も考えてないと思ってたんだけど、なんか反論できないと思ってさ……」
チェルはワインをちびちびと飲みながら、地図をずっと見ていた。
「4拠点となると管理は大変だけど、それ以上に魔境の環境に馴染む方が大変だから、入口付近に拠点を作るのは悪くないと思うぞ」
「魔境開拓の半分を外の者に任せるということだろう?」
シルビアが聞いてきた。
「そうなるな。俺たちは、拠点に一つ安全な建物を作るのと、環状道路を作って維持するのが公共事業かな」
別に環状道路は空に作っても構わない、とまでは言わなかった。なんとなく浮遊植物を手懐けることができればそれほど難しいことではなくなるし、今でも竜を使った輸送は出来ているからだ。
「運営自体は、人を呼ぶために魔境の品をどんどん交易に回していけばいいだろ?」
「東海岸の拠点は倉庫でいいけど、南は? 鳥小屋がある廃墟?」
「そうだな。ハーピーたちが修復していたけど、ちゃんと大人数でも住めるようにした方がいいと思う」
「問題は北ではないか? まさかあの古井戸の地下を拠点にするわけにもいかないだろ?」
「建物跡は山脈の麓にあったから、土台はそこにしたらいい」
「魔境の外縁を回るような道路だな」
「そうだ。開拓すれば、どんどん中心に向かっていけばいいと思ってる」
「通常は城壁を作ったりするものだが、そもそも山脈や海、崖に囲まれているからな」
「城壁を作るとすれば、エスティニア王国側だけだ。北西のイーストケニア側は山脈になっているし、強い魔物も発生しているから、そもそも侵入は無理だ」
魔境は入り口から入るのが賢明だとわかればいい。
ヘリーは、地図を壁に張り、拠点予定地にピンを刺していった。俺は木炭で、魔境の外縁を丸く描いた。
「南東の遺跡群は探索しておいた方がいいんじゃないカ?」
「そうだな」
漁港の跡などがあったはずだ。
「そう言えば、牛鬼一族が言っていた武神なんだけど、コロシアムで活躍した闘技者たちは武神を崇めていたらしい。だからこの辺に神殿があるかもしれない」
コロシアム跡地くらいしか、まだ発掘できていない。
「雨が止んだら、我々で掘ってみる。冬だし、植物も襲ってこないだろう」
ヘリーとシルビアで掘るらしい。
「ということは、南東探索は……」
俺とチェルか。
「雨が弱くなったら、出るヨ」
「了解」
チェルは酒が強いらしく、外を見ながら準備している間に抜けている。
外は土砂降りなので止むことはないと思っていたが、昼過ぎにはカラッと晴れてしまった。
カタンが持ってきてくれたお弁当を持って、俺たちは南東へと飛ぶ。
俺とチェルが風魔法を使えば、魔境の南東まではそれほど時間はかからなかった。
砂に埋もれてしまっているものの、砂岩に囲まれた漁村跡では人骨も見た。特に魔物になっている様子はない。
「なんだか、人の気配も魔物の気配もないと寂しいな」
「たぶん、ここは魔力も薄いヨ」
海岸沿いに壊れた船の木片だけが残っているが、いつの時代の物かもわからない。
地中を探ると、石柱が出てきた。
俺たちは手拭いで口を覆い、風魔法で砂を飛ばしていった。
暮らしの跡でもあればと思っていたが、掘り返した壁に薄っすら落書きの跡があるだけで、海岸沿いではほとんど何も出てこなかった。
わずかに植物がある方へと掘り進めていくと、砂漠に飲み込まれた町の様子が徐々に見えてくる。建物は土台しか残っていないが、かなり大きな町だったようだ。
豊穣の女神を模した手のひらサイズの像や、奴隷用の木材でできた手枷などが大量に出てきた。
「メイジュ王国には、奴隷貿易はしてなかったのか?」
「あったのかもしれないけど、記録としてはそれほど残ってない。私が知らないだけかもしれないけど。クリフガルーダの方にはあるかもネ」
砂を掘っていくと、どうしても砂が舞い、結局埋まっていってしまう。
仕方がないので、俺もチェルも魔法で砂壁を作りながら、掘っていくことにした。
時間はかかるが、魔力が少なく植物の浸食もないため保存状態がいい。長年砂に埋もれていて、古い食器なども割れもせずに残っていた。ゆっくり掘ることで、当時の生活がわかるかもしれない。
俺たちは日が暮れるまで、砂を掘り進めた。
遠くの空に海鳥を見るくらいで、魔物もほとんど見なかった。
「少なくとも危険はないネ」
「ああ。これなら環状道路を作っても問題はない」
「遺跡は残しておいた方がいいかもヨ。ほら、当時の生活の跡が残っているから、ゴースト系の魔物を昇天させるのに役立つかもしれない」
「そうだな。とりあえず、弁当食って寝るか」
見上げると、夜空には星が輝いていた。
こちらでは雨は降らなかったらしい。
俺たちは物音ひとつしない町の跡から離れ、海岸まで行って波の音を聞きながら寝床を作った。暗い砂漠を見ていると、物悲しい気分になる。