【籠り生活3日目】
朝起きて、沼に向かう坂道を下りていく。
左手に冒険者ギルドの建物を見ると、屋根の雪が落ちた。まだ冬は始まったばかりで、気温も寒くなったり暖かくなったり激しい。
大きく息を吸い込むと、冷たい空気が肺に入り、身体が整ったような気分になる。
眠っている間にズレてしまった体の重心みたいなものを腹の中心に置くようなイメージだ。
冷たい空気を口先で、さらに冷たくして吐き出す。
氷魔法を吐き出すときは、温かいお茶を冷ますようになぜか口をすぼめてしまう。口から魔法を吐き出すというのも、今初めてやったことだが、意外に出来るものだ。魔物がやっているのを見ているからかな。
凍った沼を歩いていくと、氷でできたウサギが、何体も走っているのが見える。
空には鷲の魔物が飛んでいた。
天敵に標的にされたウサギの魔物が、氷で分身を作り出して逃げているらしい。
冬には冬の魔物の営みがある。
家のように大きなイタチの魔物・アイスウィーズルは自分たちの季節がやってきたと言わんばかりに、大きくなった体を揺らして歩いている。わざわざこちらも狩る気はないが、その毛皮が欲しいと思う者がいるらしい。
ピッ。
小さな音が鳴り、アイスウィーズルの首からドバドバと血が流れて、その場に倒れた。チェルとダンジョンの民であるハーピーたちが下りてきて、解体を指示していた。
「おはよう。朝から狩りか?」
「おはよう。うん。ダンジョンの民がアイスウィーズルに襲われて、対処法を教えていたんだヨ」
チェルは俺の後ろにできた氷の道を見た。
「凍らせて歩いてきたのカ?」
「氷のブレスを吐き出せるか、試してみたんだ。魔物が口から魔法を放つってさんざん見て来たからか、上手くいったよ。口で魔法を放てると便利だな」
「普通、魔法は詠唱を唱えて放つものダ。言葉を出して放ったら威力が上がるか?」
俺は魔力を練り上げて、沼に向かって「凍れ!」と叫んでみた。一瞬、白く凍ったように見えたが、すぐに消えてしまう。何度か試したが、言葉に感情が乗っているせいか上手くいかなかった。
「魔力に余計な思いが入るから、上手くいかない」
「ああ、だから詠唱って長いのかもしれないネ。余計な自分の感情を入れないために……。マキョーといると、初めに魔法を作った人たちの苦労がよくわかるヨ」
チェルは、メイジュ王国でいろんな魔法の詠唱を覚えさせられたらしい。これまで魔法の詠唱は集中力を高めるためのものだと思われてきたが、俺を見ていると範囲や威力を規定するためのものだと思えてくるという。
俺は両方あるんじゃないかと思うけど、目的があってやっていることではない。
「詠唱が目的ではないのカ?」
「試してみただけ。魔物や植物の進化もそうだろ。目的があって進化しているわけじゃなくて、体の構造や能力が魔境の環境に合ったから命を繋いでいるだけで……」
自分で言いながら、魔境という環境は、人間以外にとっては多様性があり豊かな環境なんだと感じる。
「たまたまカ? 偶然、生き残ってると思ってるのか?」
「魔物たちはね。俺たちは無理やり合わせているけど、100年前のP・Jたちも数年だろ。俺たちだって、一瞬で滅びるかもしれない。魔境は劇的に変わるから」
「マキョーは時々、ギョッとするようなことを言うよな」
チェルが真顔で返してきた。
「あ、そうか。これから集合住宅を作るんだった。こんなことを言ってる場合じゃなかった」
魔境に馴染み過ぎて、つい元も子もないようなことが口から出てしまった。
根菜マンドラゴラによって荒れた土地が急速に回復している。破壊と再生が繰り返されているし、生死も隣り合わせでいると、自分たちが死ぬことも、魔境の歴史からすれば、それほど特別なことではないと思えてしまうから不思議だ。
「がんばれよ。領主なんだから」
「いやぁ、すまん、すまん」
冬は静かだから、他人と喋らないと自然に気分が沈んでしまうのか。
朝飯を食べて、皆の予定を聞いてから集合住宅建設予定地へと向かう。他の人の作業を手伝えるようなことがあれば手伝うが、俺の出番はまだのようだ。
自分の作業を進めることにする。
魔力のキューブで丘を掘り、木材で補強していく。蝶番は冒険者ギルドを建てる時に余った物を使わせてもらった。今度、訓練施設か交易村から取り寄せよう。
ドアにはエメラルドモンキーの魔石を嵌めておいた。魔力を振りまく魔物が入ろうとすれば混乱する。それ以上に強い魔物は仕方がないと思って諦めよう。
土の床の上に砂利を敷き詰め、さらにヤシの樹液でコーティングしていく。カビないように、と思っているが、どうなるかわからない。一応、結露が出た時用に、若干斜めにはしておいた。その差は、木材で柱を作って平行にした。冒険者ギルドを真似したのだ。
普通の建物と違うのは集合住宅は洞窟で、空気がこもりやすいことだ。
悩んでいても仕方がないので、広場の噴水と水路を作りながら、黙々と作業をこなしていたら、シルビアがやってきた。ワニ園のロッククロコダイルも冬眠して暇なのだろう。
「空気がこもるから、風魔法の魔法陣でも仕込もうかと思って……」
「そんなことで悩む領主はいない」
「え? ああ、そうか」
「建築家を呼んで、やらせたらいいんだ。不便なうちはそれでも住むさ」
シルビアは貴族っぽいことを言う。
「うちは領地が広いけど、手作り領地だからな」
笑っていたら、エルフの番人たちが警戒しながら広場予定地に入ってきた。
「おう。どうした?」
「武道家の方が訓練施設に来ているそうです」
身体操作に長けた人が来たら教えてくれと言っていた。
「わかった。ありがとう」
シルビアを見ると、暇そうだ。
「一緒に行くか?」
「うん」
エルフの番人たちを連れて、俺たちは軍の訓練施設へと向かった。
飛んでいくので、早馬で知らせに来た配達人よりも早く訓練施設に辿り着いてしまった。
門兵に挨拶をすると「待ってました」と言われた。
「その武道家の人は、もう訓練しているの?」
「ええ。闘技場の方にいます」
すぐに案内してくれた。
闘技場には見知った顔が何人もいる。サバイバル演習で来ていたメンバーだ。
「どうだ? 武道家の先生は?」
兵士に小声で聞いてみた。
「身体操作も魔力量も全然ないのに、崩し方は抜群に上手いですよ」
「対魔物に使えるかどうかはわかりません」
闘技場の真ん中で、大柄な獣人の女性が兵士を倒している。頭から角が生えているから牛の獣人だろうか。髪は短く服は旅の装いで、武道家というよりも旅人に近い。兵士に聞くと荷物もそれほど持ってきていないそうだ。求道の旅の途中かな。
「これも武術の一種です。普通に足をかけてもかかりませんが、相手の重心を上げると、簡単にかかる」
スコンと兵士は闘技場に転がされていた。
「ほとんど力を使っていないように見えますが?」
他の兵士から質問が飛ぶ。戦いに関して辺境の訓練施設の兵士たちは、意識が高い。
「そうです。だから術なのです」
コツさえ掴めば誰でもできるということだろうか。
「四足歩行の魔物と違って、人間は二足歩行で、自然とバランスを取っているじゃないですか。だから、そのバランスを崩すと、あっさり倒れてしまうというわけです」
「自分もかけてもらっていいですか」
手を上げて、参加してみた。
「どうぞ。冒険者の方ですか?」
「そんなところです」
周囲は騒がしいが、女武道家は気にしていなかった。
闘技場なので、死ぬようなことはない。わからないことは飛び込んでみるのが一番と、武道家へと距離を詰めた。
俺に触れる前に、彼女が視線を上げ、俺の重心が微かに上がった気がする。腕に触れられた時点で、俺の身体は宙に浮いていた。触れた時点で自分の身体というよりも二つの身体が同調し、操作されているような感覚があった。
確かに筋肉も魔力も使っていない。気づけば闘技場の床に転がっていた。
不思議な術だが、これは寝ていても二つの身体が手合わせして一つになったような感覚なので、彼女の身体もふわりと浮かせることができる。
「え?」
女武道家が驚きの表情で、こちらを見下ろしていた。
そのまま彼女はくるりと回転して、闘技場の床で受け身をとって立ち上がる。俺も跳ね起きた。
「面白いですね」
「初めて返されました。以前に、この術をかけられたことがあるんですか?」
「いや、ありません。咄嗟に判断しただけです」
「何か武術をしていらっしゃるんですか?」
「いえ、ただ日々、魔境で生活していると自然に……」
「魔境。そうですか……」
「魔境の辺境伯ことマキョーです」
「あ、領主様でしたか。これはとんだ失礼を!」
女武道家は恐縮していたが、教えを乞うのはこちらだ。
「いえいえ、頼んだのはこちらですから」
「そう言っていただけると助かります。申し遅れました。ホワイトオックスはダンジョンにて修行を終え、今はしがない旅の武道家をしておりますミノウでございます」
「ぎゅ、牛鬼一族か」
シルビアがつぶやいた。
「あなたは?」
「きゅ、吸血鬼の一族で、今は魔境で厄介になっているシルビアだ」
「ああ、イーストケニアの……」
「そ、そうだが、今は親戚が領主だ。私は関係ない。魔境では武具屋のようなことをやらせてもらっているよ」
「では、領主様の武器もシルビアさんが作っていらっしゃるんですか?」
ミノウから聞かれて、シルビアは噴き出して笑っていた。
「無理だ。この男に、武器など持たせても意味がない。指の方が鋭い」
「指から魔力の刃が出せるんだ。封魔一族に教わった技術だよ」
そう言えば、ミノウは封魔一族のミノタウロスたちに似ているかもしれない。
「武器より強いってどういう……?」
「武道家の先生も見ればわかるさ」
兵士の一人が、練習用の鉄剣を手渡した。
「切っていいのか?」
「大丈夫です。刃が潰れて使い物にならないんで」
一応、兵士に断りを入れておく。
「鉄ですよ。切れるわけが……」
カンッ。
潰れた刃が真っ二つに割れて、闘技場の床に落ちた。
ミノウは呆気にとられたように、刃の切れ目を見ていた。
「やはり旅に出てよかった。ダンジョンに籠っていてはわからないことが多い……」
ミノウは一人呟いてから、俺を見た。
「古代ユグドラシールには武神が祀られていたと聞きます。マキョー様はご存じありませんか?」
「豊穣の女神の神殿は見つけたけど、武神の神殿は見てないなぁ。どこにあったか記録はあるかい?」
「どこかはわかりません。ただ、私の祖先は、ダンジョンと共に武神の伝承も伝え聞いたそうで……」
ダンジョン売りから買って、武神の伝承も聞いたのか。
「曰く、武神は海を割り、空を駆けたとか。また、あらゆる呪いを解き、彷徨う死者を昇天させたと言います」
「あぁ、そ、それくらいなら、たぶん今のマキョーでもできるぞ」
シルビアが説明した。
「シルビア、問題はそこじゃない。俺みたいな人が古代にもいたということだろう。それなのに巨大魔獣を止められなかったし、魔境があんな有り様になっているわけだ。失敗例があるなら、調べておかないと……」
ミノウは折れた剣を握りしめていた。
「あの……、私、なにか言ってはいけないことを言いましたかね?」




