【リパの里帰り 生活百家を求めて2】
図書館に巣くう魔物は、服を着たオークに似たゴブリンのような奴だった。
魔法も使ってきていたが、とにかくすべての動きが遅く、どれだけドジな俺でも攻撃魔法に当たりようがない。
木刀の柄で頭を小突き、昏倒させた。身ぐるみを剥いでみると、複数の魔法書に操られたホブゴブリンだったようだ。
魔法書の魔法陣が起動してしまったことが原因らしい。何度も本に挟まれたが、汚れを落としさえすれば、魔法書は動かなくなる。
もしかしたら犯人がいるかもしれないが、そこまで図書館に関わる必要もないだろう。
正規の依頼ではないので、いちいち報告などしないでいいのが楽だ。
続いて、コロシアムの暴動計画を潰しに向かう。
訓練所の剣闘士たちは夜なのに、俺が忍び込むとすぐに起き上がった。夜襲をかけられると注意していたのか。だとすれば、聞いていた話と食い違う。
「敵か?」
一番ガタイのいい剣闘士が、月明りの下に出てきた。
「いや、わからなくなった。でも、部外者だからどうにかできるかもしれない。何があったか教えてくれないか?」
「部外者とは、どこかに属していないということか?」
「魔境という場所を知っているか? クリフガルーダの北に位置する場所だ。俺は、崖から突き落とされて、そこの領主に拾ってもらった男だ。他に属しているところはない。貴族や暗殺組織とかには入っていないよ」
「そうか……。では、なぜ真夜中だというのにこの訓練所に?」
「剣闘士たちによる暴動が噂されているようだからだ。今は休暇中で、世話になっているところで依頼された。だから暴動が起きた方がいいと思えば、見なかったことにするし、暴動を起こして町を荒らそうとしているなら、止めに入ろうと思っている。町に被害がないのが一番だけど、もし雇い主に不満があるなら、今のうちに言ってくれ。対処できるかもしれない。鍛えているなら、少しは実力がわかるかい?」
剣闘士に音もなく近づいた。近くで見るとガタイのいい剣闘士が女であることがわかる。
周囲に潜んでいた剣闘士たちが武器を強く握るのが見えた。誰も魔力を練るようなことはしていない。
「魔法は使えないのか」
「いや、音が鳴ると主人が起きるからだ」
「主人から虐待でも受けてるのか?」
剣闘士は頷いて返した。
よく見ると、胸当てや脛あてなどで隠れる場所にあざが出来ている。
「他にやられた者はいるのか?」
「ほぼ、全員だ」
「なるほど、ちょっとだけ待っていてくれ」
俺は宿へと薬草を取りに戻り、すぐに訓練所に戻った。
「そんなに効果はないかもしれないが、ないよりはいいと思う」
「すまない」
「主人の処遇についてだが、呪法家に任せてみないか? おそらく、ここで殺すのは簡単だが、奴隷のままたらい回しにされる可能性があるし、何も変わらないかもしれない」
「……皆と話し合ってもいいか?」
「もちろんだ」
しばし話し合いの時間があり、剣闘士たちが訓練所の広場に戻ってきた。
「妊娠している者がいるんだが、彼女だけでも逃がしてくれないか」
「わかった。それくらいならすぐにできる」
まるで腹は膨れていないが、アルコールが飲めなくなった者がいるという。吐き気もあったとか。
「本当に妊娠しているかわからないのに、いいのか?」
「妊婦がコロシアムにいてはいけないよ。大丈夫だ。掴まっていてくれ」
俺は女剣闘士を担ぎ上げた。
「では、3日待つ」
ガタイのいい剣闘士が約束した。
「わかった。どうなるか、少しだけ様子を見ておいてくれ」
俺は妊婦を抱え上げて、訓練所から出た。
「仲間と別れるのは辛い。だが、望まぬ子にはしたくなかった」
剣闘士の妊婦は、俺の腕の中で、目に涙を浮かべていた。
「わかった」
その足で、森を抜けて呪法家の里へと向かった。谷の中にある呪法家の里は全く明かりもないのに、微かに声が聞こえてきた。呪言一家だろうか。
「御免」
玄関口で、一言告げた。
返事はないし、誰も動く気配はない。
「魔境の使者・リパだ。わけあって、妊婦を預かっていただけないか?」
そう言うと、天井から仮面をつけた女性が出てきた。
「そこに寝かせてください。失礼」
仮面の女性は、妊婦の腹に少し触れた。
「魔境の方とは言え、少々不躾ではございませんか?」
「申し訳ありません。立ち入ったことに首を突っ込んでしまいました」
「この者の身分は?」
「剣闘士だ」
寝ている妊婦が答えた。
「腹の子の父親は?」
「我が主人だ」
「その主人が、女性の剣闘士たちに虐待をしているようです。他の剣闘士たちの身体にもあざがありました」
「なるほど。法を知らぬようだな」
「産ませていただきたい! 誰の子でも私の子であることには変わりない。どうか、産ませていただけないか!」
妊婦は座って、呪法家に頭を下げていた。
扉から、一陣の冷たい風が吹きこんできた。
振り返ると、仮面の男たちが、家の前にずらりと並んでいる。
「いつの間に……」
「魔境の御仁ではないか? 随分、厄介ごとに巻き込まれておるようだな」
マキョーさんに天才呪術師と言われていた仮面の男が喋った。
「俺はクリフガルーダから一度追放された身。だが、関係ないとはいえ、放っておけなくて。主人を殺してしまうのは容易いが、それでは剣闘士たちがたらい回しにされるだけではないかと思いまして。なにかいい案はありませんか?」
「なくはない。ただ、我々が扱うのは呪法だ。人を呪わば穴二つと申す。誰かを呪い殺すなら、自分も殺す覚悟を持たなくてはならんよ」
それでは困る。
仕方ない。自分で解決しよう。
「ダメですか……。夜分にすみませんでした」
「いや、ダメとは言っていない。魔境の使者様よ。お主が請けた依頼はいくつある?」
「4つ」
「非合法か?」
「ええ、一つは解決して、一つがコロシアムの暴動鎮圧でした。後の二つはこれからです」
「残りの二つは、どんな依頼かな?」
「不法滞在する魔族を追い返すことと、結婚式場から消えた花嫁の捜索です」
「では、花嫁の一件については忘れていただけないか?」
「……なぜです?」
「我々が預かっている案件と関わっているようだからだ」
「それで、コロシアムにいる剣闘士の主人を呪法でどうにかしてくれますか?」
「ああ、その依頼は丸ごとこちらで預かるよ」
俺は妊婦を見た。
「……ということなんだ。呪法家の皆さんなら、おそらく滞りなく仕事をしてくれると思うけど、どうする?」
「お願いします」
「わかった」
俺は立ち上がって、表に出た。
「よろしく頼みます」
「承った。つかぬ事を聞くが、此度はどうしてクリフガルーダに?」
「ああ、休暇です。魔境での生活は刺激が強すぎてやり過ぎてしまって、少し普通の生活を見てこいと言われましてね」
「……はぁ。そんなことがあるのかい?」
「ありますね。まぁ、実家はすでにありませんし、家族もいないので里帰りというか、故郷を取材しているようなものです。新技を試しに『大穴』に行ったんですけど、やはり通じなかった……」
「では、この依頼も日常生活を観察していると?」
「そうです。鳥人族の生活を観察しているところです。そこからしかヒントがなくて」
「技術体系を学んだりは?」
「学んで強くなれるなら学びますが、魔境では自然と生活以外からは学びが薄いんです。でも魔力運用の体術とかは、身になっていたのかな……?」
「どんな新技を開発しているんだ?」
「なんとなく自分は魔物や人の弱点が光って見えるようになったんです。だから、そこに魔力を打ち込めばいいのかと思って、やってみたんですけど、『大穴』の魔物は元々魔力量が多いから、まるで効きませんでした」
「呪眼の一種だな」
呪術師が振り返ると、仮面の女が一歩前に出た。
「どうも呪眼一家のウチドメです。もしかしたら、我々の呪法が役に立つかもしれません。魔族の野盗にも目のいい種族がいると聞いています。よかったら、しばらくうちに滞在しませんか?」
「それは願ったり叶ったりですけど、本当にいいんですか?」
「ええ、マキョーさんにはお世話になりっぱなしですから」
ウチドメは仮面を直しながら言った。
「では、お世話になります」
「はい。どうぞ、こちらへ」
俺は妊婦の剣闘士をよろしく頼むと、もう一度頭を下げてから、ウチドメについていった。
「目に関する呪いや魔法でしたら、我が家系が一番収集できているはずですが、弱点が光って見えるというのは、どのように見えるんですか?」
ウチドメは家に案内しながら聞いてきた。
「折れた箇所やズレている重心、触れると動きを止める点などがぼわっと光に見える感じですかね?」
「なるほど」
「わかりますか?」
「ええ。おそらく体術の訓練をし過ぎたのではないですか?」
「魔境で普段の生活をしていただけで、たぶん、俺が魔物の身体を執拗に観察しすぎたのかもしれません。観察し、判断し、討伐を繰り返しますから。その後、解体までが1セットで」
「日常的に狩りを?」
「ええ、何度も魔物の大発生がありましたから」
「魔境ですもんね。どうぞ」
谷の崖を掘り、母屋と崖がくっついている広い家だった。どうやら崖の内部も呪眼一家の家のようだ。
「魔族には、見ただけで魔力を測れる種族もいるようですが、我々は魔力の流れを見ることにしています」
「なるほど」
どちらもチェルさんが作った包帯で見ることができる。
「もちろん目に負担がかかりますから、目薬の開発もしております。よかったらお使いください」
ウチドメは、玄関先の棚に置いてあった俺に目薬の小瓶を渡してきた。
「ありがとうございます」
目薬を数滴、目に垂らすと、目の裏側まで氷を入れられたような感覚があった。ものすごくすっきりする。
「お気に召しましたか?」
そういうウチドメの身体から、光の煙のようなものが立ち上っている。魔石灯もない暗がりなので、光の煙が思い切り目立っている。身体の表面だけでなく内部の光まで見えることが驚きだ。
「わぁ、なんだこれ」
「何か見えますか?」
「ええ、光る煙が見えます」
「なるほど、そうなるんですね」
「え? 目薬じゃないんですか?」
「いえ、目薬で間違いないんですが、どう説明したらいいか……」
しばし考えているウチドメを待った。
「今までリパさんが見ていたのは、殺法に類する目の力です。相手を止め、仕留めるような……」
「そうですね」
「今、見えているのは活法。相手を修復し、活かすような点を見ているのではないでしょうか」
「なるほど、言われてみれば……」
「わかるんですか?」
「ええ、マキョーさんが、よく地中の内部を見る時に、魔力を放ち反響を見ているんですけど、俺も自分の身体ではよくやるんですよ。もちろん解体するときは骨の位置が見えないことがあるんで必ずやるようにしています」
「よろしければ、こちらへどうぞ」
ウチドメは急いで俺の腕を引いた。
廊下の奥。おそらく崖の内部まで連れていかれ、大きな扉をウチドメが叩いた。
「ウチドメにございます!」
しばらく、間があり「入れ」と小さな声がした。
中には目に包帯を巻いた老婆が、ベッドの上で腰を掛けていた。
「祖母です。我が一家の主でもあるのですが、長年呪われた目を使い過ぎたようで、ここ数年は目を開いていません」
「ウチドメ、どちらの御仁を連れて来た? 体重移動が異常に上手い。物の怪の類か?」
「魔境から参りましたリパと申します」
「おう。魔境の使者か。一度はお目にかかりたいと思っていたが、なにぶん、この目でね」
「いえ、こちらこそ、お休みのところ申し訳ありません」
「なぁに、こちらは目も開かないので昼も夜も関係はない」
「よろしければ診てあげてもらえませんか?」
「構いませんけど、よろしいんですか」
「なんだ? 何かの実験をするつもりか?」
ウチドメの祖母も戸惑っている。
「おばあさま、この方はどうやら活殺自在の目をお持ちの方のようです」
「ほう! では、どうぞ。このような枯れ木の老人なので、何度でも試していただいて結構ですよ」
ウチドメの祖母は笑って、首を伸ばした。頭から光の煙が出っぱなしだ。注意深く見てみると、目に繋がる細い糸がねじれて断裂している。おそらくこれを治せばいいのだろう。
「出来るかな」
「やはり無理か」
「いや、出来るとは思うんですけど、魔境の人たちはよくやっているんで。ただ、回復魔法のようにはいきませんよ。このまま修復するとねじれたままになってしまいますから……」
「どういう状況になっているんですか?」
「糸がねじれちゃってるんです。どのくらいの強度なんだろうな……。ちょっと痛むかもしれませんが、我慢してもらえますか」
「よーし! ウチドメ、我が腕を縛り付けろ!」
「かしこまりました!」
ウチドメの祖母は、包帯を取り、ウチドメに縄で縛り上げてもらっていた。呪法家の家族愛はわからない。
「よろしいですか?」
「構わん。やれ! 魔境の使者殿!」
俺は魔力で、指の先に小さな木刀を作り出し、捩じれた糸を解いていった。その後、アラクネの糸のような強度の糸で、断裂した目に繋がる糸を修復していく。
苦悶の表情を浮かべていたウチドメの祖母だったが、最終的には柔らかい顔になっていた。仮面の入れ墨をしているけど、口角は上がっている。
「おおっ! 見える! 見えるぞ! はっ!」
見えるようになった途端、ウチドメの祖母は隠すように顔を伏せた。
「仮面をつけますか?」
「はい」
俺は少しの間、部屋から出た。
「この度は本当にありがとうございます」
「いや、まだたぶん完全には治っていないと思いますよ。ちゃんと修復したわけではなく、魔力で糸を再現しただけですから。ちゃんと治すなら目薬の中に回復薬を入れて、目に垂らしていくのがいいと思います」
「わかりました」
「先ほど言っていた、活殺自在の目というのは?」
「時々、この家系に現れる能力です。活かすことも殺すこともできる目を持つ者がいたんですけど、文献を読まれますか? すぐに用意しますが……」
「ああ、いや、どうかな……」
俺は、その文献を読めるかどうか怪しい。
「その方はすぐに実戦を経験された方がよい」
目が治ったウチドメの祖母が仮面をつけて部屋から出てきた。
「どこかに山賊か野盗でもいればいいのだが……」
「ああ、不法滞在している魔族の野盗がいるとか」
「だったら、そ奴らが本国に送還される前に試すといい」
「なるほど、それはいい。やってみます!」
俺は呪眼一家の家を出て、空飛ぶ箒を握った。
ひやりとした風が体を冷やす。
身体の表面は冷えているのに、俺は新しい力を試したくて身体の内側が火照っていた。
マキョーさんのように呪いを解けるわけではないけど、ようやく自分のオリジナルの魔法を見つけたような気分だった。