【リパの里帰り 生活百家を求めて】
砂漠を越えて、自分が縛られて落とされた崖の上に立ってみた。
あの時、俺は一度死んでいる。
マキョーさんが助けてくれなかったら、今の自分はない。ほとんど死ぬつもりで魔境で生活していたが、いつの間にか時が過ぎている。
まさか自分が毎日のように魔物と対峙して、倒せるようになるとは思いもしなかった。
近づいてくる鷲の魔物も木刀でどうにでもできそうだ。
魔力を回転させる。マキョーさんはいとも簡単にやってのけていたが、俺には難しかった。指の構造を元に、中指を中心に腕を回転させて、掌で押すイメージをしてから出ないと、魔物には使えない。
俺は、イメージしている体の動きと現実が合わないのだと、ヘリーさんが教えてくれた。
確かにその通りで、薬草だと思って手にしたのがマヒダケだったり、蜜が入った壺だと思って持って行った壺に唐辛子の粉が入っていたり、未だにドジを繰り返している。
確認しているつもりで、頭は次の作業を考えているから、身体の動きが合わないし、ミスをする。
クリフガルーダにいた時からそうだった。
ジェニファーさんには迷惑をかけたが、クリフガルーダで清掃の仕事を任されてからこうなったらしい。魔境では禁止されているのに、精神魔法を使って記憶を呼び起こしてくれたのだ。
一人ではこなせない量の仕事を強要され続けた結果、自分は出来ないと思い込むようになった。
「で、出来ないわけじゃなくて、苦手なだけだったり、覚えるのが人よりちょっと遅いだけで、練習すれば出来るようになるよ。それよりも自分が出来ることを伸ばしてみればいいんじゃないか?」
シルビアさんは歌やダンスの練習をサボりまくっていた話をしてくれた。女性がやるようなことよりも、兵士と同じ訓練をしたかったとか。
「私も魔法書を読めるようになったのは遅かったナ。人それぞれなんだから、自分の身になることは、いちいち周りと合わせる必要なんてないのヨ。だいたい、マキョー見てたらわかるでショ」
チェルさんはマキョーさんの生活を見ていればよくわかるという。
確かに、マキョーさんは、ちょっと目を離した隙に新しい魔法を考えていたり、突然ヌシに対処できるようになっていたりする。チェルさんから言わせると、どんな学校に行っても、マキョーさんのようにはなれないそうだ。
「結局、コツとか気づきって本人のものでしかないからな。わかった気になることの方が、あとで問題が膨らむんだ。ゆっくりでいいから自分で気づいていくことだ。魔力の使い方は、マキョーを見ていろ。気づきが一番多いからあんなことになってるんだ」
ヘリーさんは、観察と判断の間には、多くの気づきがあって、それこそが重要なんだと教えてくれた。
自分が出来ることは繰り返すことくらいだ。打たれ強さなら、魔境の魔物たちにも負けない。とにかく俺は魔物を観察して、弱点を探して気づくことを繰り返した。
結果、見ただけで弱点が光って見えるようになった。
調子に乗って、ドワーフたちやダンジョンの民にも教えたりもしていたけど、ヌシが現れて状況は一変。まったく弱点が見えない存在がいることに、腹の底から恐怖した。
正直、魔人化したチェルさんもまるで弱点はないように見えた。
それをマキョーさんは、いとも簡単に解いてしまった。
日頃から見ている視線も、魔力の使い方もレベルが違うんだ。
マキョーさんが何を見ているのか知りたくて、交易村の娼婦の方たちに聞きに行ったこともある。
「サービス精神があるとか、気を遣えるっていう男はいっぱいいるでしょ。それすらないアホもたくさんいるんだけど。でも、太郎ちゃんは欲しい時に欲しいものがわかるとか以前に、一緒にいてくれるのよ」
「腐って悪態ついている時も、ムラムラしてどうしようもない夜も、付き合ってくれるっていうかね。普通、諦めて追い出したり、放っておいたりするもんでしょ?」
「それがないね。娼館から逃げ出した娘もいるんだけど、いつの間にか連れて帰ってきちゃう。太郎ちゃんが見ててくれるなら、仕事の手を抜いても辞めないでいるかって思ってたんだよ」
「だから、私たちは、魔境の交易村までついてきたってわけ」
「太郎ちゃんがいないんだったら、娼婦をやっている意味もあんまりないっていうか。大人なんだから、なんでもやっていいんだって、人生は楽しんだ者が一番だって言われてる気がしてね」
「この村では、ほとんど客もいないし、好きにやらせてもらってるんだけどね」
「ねぇ、本当に太郎ちゃんは領主をやってるの?」
「なんだか身体が強くなっているのはわかるんだけど……」
元娼婦の皆さんに、マキョーさんのことを教えていたら、日をまたいでいた。
でも、交易村に行ってわかったことが少しだけある。
マキョーさんは、生活を見つめている。自分の頭で考えるよりも、生活をする中で、気づいているってことだ。
魔境は毎日違うことが起こるし、常に新しい魔物や植物に対応しないといけない。そんな中で生活を見つめるって、やっぱりマキョーさんは異常なんだ。
しかもヌシの対応や呪いの対応までしている。
「もしかして見ているのが生活だけじゃないのか?」
ずっと考えていたけど、結局俺には気づけなかった。同じことを繰り返すくらいしかできないのかもしれない。木刀を振り続けるしかできないし、速いマキョーさんには突きくらいしか当たる気がしなかった。それも当たらなかったけど。
ジェニファーさんに相談したこともある。
「どうやったら頭がよくなりますか?」
「頭がいいわけじゃなくて、私はまとめたり、マニュアルを作るのが好きなだけ。それを、すぐに壊したくもなるのが悪い癖なんだけど……。マキョーさんだって頭がいいわけじゃなくて、見つけるのが上手いのよ。チェルさんやヘリーさんは頭がいいんだと思うけど……」
チェルさんとヘリーさんにも同じ質問をしてみた。
「頭なんかよくないヨ。考えながら動いているだけ」
「私もだ。気づきの前に思考を繰り返し過ぎてしまう。頭の中でトライアンドエラーをしてしまうんだ。だからマキョーよりも一歩遅い」
「マキョーさんは何をしているんですか?」
「体に感じたことに正直に反応している。例えば、私たちが論理的に考えると無理だと思うことを平気でやる。そもそもマキョーは異世界の記憶がある。だから、マキョーにとってはこの世界が異世界だから、あらゆることに疑問を持ってしまう」
「私たちが常識だとか当たり前だと思っていることを疑うから、想像の出発点が違うのヨ。私たちが体系的に覚えていることもマキョーにとっては新しい知識だし、平気で覆せる。長年かけて理解できた知識も、新解釈で挑む。しかもこの世界で誰かに影響されたわけじゃないから、根源的な生活や人体の仕組みを元に考えている」
「つまり出発点からして違うんですか?」
「そうだ。あいつにとってはありきたりな火の魔法も、空を飛ぶ魔法も同じだヨ」
「そんなことって……!」
「納得できないだろ!?」
ヘリーさんは共感するように聞いてきた。俺は頷くことしかできなかった。
「もっと詳しく説明しようか。私たちは火魔法や水魔法、土魔法のように分類しているだろう? おそらく魔物もそうなんだけど、マキョーは、形を変える魔力操作と魔力の性質を変える魔法しか本人は使ってないんだ。つまり、火の魔法も氷の魔法も、性質変化の一種でしかない」
「ええっ?」
「そうなると、応用力がまるで変わってくるんだヨ。二種類の中から選ぶか、何種類もある魔法の中から選ぶか、全く違うだろう?」
「そうですね」
「人間は一日の中で選択する量が決まっていると言われているが、マキョーが魔法を使う場合、極端に選択が少ない。だから、迷うことがほとんどないし、感情的になることもほぼない。よく見てみればわかるよ」
ヘリーさんに言われて、マキョーさんを観察してみると確かにそうだった。
「身体的な強化もですか?」
「あれも筋力や骨の補助のようなものだからネ。魔力操作の一種さ。それで魔境にずっと住んでいるんだヨ」
「異常だ」
「そうだろう」
「私たちもそう思っている」
チェルさんとヘリーさんは大きく頷いていた。
「じゃ、マキョーさんに追いつくとか、追いかけるとか、真似をしても意味がないんですか?」
「意味がないというか、違う山に登っているという感じだな」
「そもそも違う人生なのだから当たり前なんだけど、魔境ではことさら自分と向き合う時間が多いだろう?」
「マキョーは自分と魔境には真摯に向き合っているヨ」
そんなこともあって俺は今、クリフガルーダの森を歩いている。
近づいてくる魔物は、弱点を指で押して返すだけだが、次々と気絶していく。おそらく死んではいないはずだ。魔物が近づいてきてしまう体質なので、これくらいで勘弁してもらいたい。
「指で押すときに、魔力を込めてみるか……」
弱点を押すだけだが、もしかしたら自分の特性になるかもしれない。
そう思って、襲ってきたフィールドボアの弱点に魔力を込める。
ガハッ。
全身の血管が破れ、血を吐き出しながら絶命した。
「え? なんだ?」
とりあえず、解体して肉を食べながら、考えてみる。
俺はいったい何をやったんだ? 食べている肉は血抜きが必要ないくらい臭みがなかった。
死体の血管を確認すると、真っ黒に変色している。強制的に魔力過多を引き起こして、血管を魔力で破ったのか。自分でやっておいてえげつない倒し方だ。
もう一度試したいが、近づいてくる魔物はいずれも小型だ。魔力量も少ないし、倒し過ぎると森の環境に影響を与えてしまうかもしれない。
魔境以外で修業する大変さがよくわかる。
「あそこの魔物ならいいか」
俺は死体を処理して、毛皮をまとめて街道へ向かった。貧乏性が抜けきらないのか、お金になりそうな毛皮を剥いで持ってきてしまう。
その足で、『大穴』へと向かった。
禁忌の森と言われ、呪法家たちに守られていた森の中に『大穴』はある。魔境に「渡り」に来る魔物たちがいる場所だ。魔力量も多い。
森を守る呪法家の人に挨拶をして通してもらった。
「こんにちは」
「こんにちは。ああ、魔境の!」
以前あったことのある人だった。同じ鳥人族として、親しみがある。
「ちょっと修業したいんですけど、構いませんか?」
「修行?」
「新技の練習というか。クリフガルーダだと、魔物を殺し過ぎてしまいそうで。あの、もしよかったらこれを……」
フィールドボアの毛皮を半ば押し付ける形で手渡し、禁忌の森に入った。
森の崖を登ると、盆地が見渡せる。毒の霧がいくつか発生しているようだが、魔物たちは元気そうだ。魔力も充実している。油断していると、自分自身が魔力過多になりそうだ。
「よし、行くか」
飛び降りて『大穴』の中に入ると、早速真っ黒いグリフォンが攻撃を仕掛けてきた。
弱点は見えるものの動きが素早すぎて、正確に押すことはできない。仕方がないので木刀を持ち出し、突きを繰り出す。
ボカンッ!
毛皮に覆われた魔物を突いたとは思えないような音が鳴り響いた。
手ごたえもあり、魔力も木刀を通して流せたと思う。通常のフィールドボアなら今ので絶命しているはずだが、黒いグリフォンは「何かあったか?」とまったく気にしていないようだった。
もしかして魔力で防がれたのかもしれない。
そう思って、突きを放ってみたが、まるで効いている様子はなかった。
それもそのはず。魔力の多い場所で生活している魔物の血管に魔力を流しても効くはずがないと気づくまでに半日かかった。
黒いグリフォン以外にも赤い犬や岩肌のワイバーンにも試してみたけど、『大穴』の魔物には効かなかった。
「ということは魔境では通じないか……」
チェルさんたちが言っていたのは、こういうことではないのだろう。自分と向き合い、生活を見つめるというのは、思っている以上に難しいのか。
いつの間にか、俺は失敗してみないとわからない性分になっていた。
『大穴』を出て、森を抜けて、王都ヴァーラキリヤに向かう。
魔物の臭いをまき散らしているからか、鳥人族たちがこちらを見てくる。ただ、魔物と違って襲ってくることはないので、あまり気にならない。敵意は向けられるが、殺気はないことがわかる。
とりあえず、魔境の得意先である交易店へと向かった。
「こんにちは」
「こんにちは。ああ、魔境の! 交易品の受け取りですか?」
シュエニーという店員が突然やってきた魔境の人間に戸惑っている。
「いえ、休暇に来たんですけど、宿を紹介してもらえませんか? あと、これ魔境コインという魔境の通貨なんですけど、これは交換可能でしょうか?」
「魔境コイン。これは珍しい物ですね。ですが、まだ交換はできないです。どのくらい価値のあるものなんですか?」
「このくらいの魔石と交換できます」
こぶしを握って見せた。
「それほど価値があるなら、金貨数枚はするでしょう。残念ながら、うちの店舗ではどちらにせよ交換はできません。宿でしたら、隣か、通りの挟んだ向かいにある宿がおすすめです」
「わかりました」
俺は交易店から出ようとしたら、呼び止められた。
「宿代をうちでもつので、ちょっと協力してもらえないでしょうか」
「俺にできることなら……」
「冒険者ギルドにも出せない依頼というのがありまして、王家や貴族からいろいろと頼まれているんですけど、もし小遣い稼ぎ程度の報酬でよければ、やっていただけませんか」
「はぁ……」
「ちょっとまとめてきますので、これで一度宿に部屋を取ってください」
「わかりました」
とりあえず、シュエニーから銀貨を数枚貰い、宿を取り、身体と服を身ぎれいにした。着替えがないので、宿のタンスに入っていた古い町人の服を着る。誰かが置いていったものだろう。
表に出ると、日が暮れかかっていた。
シュエニーがまとめてくれた依頼は、大事になりそうなものばかりだった。
「不法滞在の魔族を追い返したいという貴族、図書館に巣くう魔物の退治、コロシアムの剣闘士たちの暴動計画の破壊工作、結婚式から消えた貴族の娘の捜索。国際問題にしたくなかったり、町人に混乱を招きかねない事件ばかりですが、穏便に済ませたいので魔境の方を雇えないかという依頼です」
鳥人族の冒険者より部外者の方がやりやすい仕事というのがある。
「たぶん、自分にはできるものと出来ないものがあると思います」
「一つでもやっていただけたら、大丈夫です」
これも魔境の外の生活と向き合う行動の一つか。
「わかりました」
俺は依頼書ををポケットにしまい、簡単そうなのからやることに決めた。
日はすでに暮れていた。
相変わらずヴァーラキリヤの夜は魔石灯で明るく、活気に満ちている。
懐かしくもあるが、魔境の生活に慣れ過ぎたせいか、新鮮に見える。