【交易生活42日目】
昼過ぎに起きだし、すぐに南西の不死者の町にいるカリューに連絡を取った。
「たぶん、今夜には砂漠に植物の大群が現れるから注意しておいてくれ」
すぐに、音光機で連絡が返ってきた。
『了解。山を越えるつもりはないが注意しておく。封魔一族のミノタウロスの爺さんがマキョーに会いたがっている』
「わかった。行く」
俺はとりあえずダンジョンが入った鎧だけ着てから、南西へと飛んだ。
魔法を使って風に乗れば、それほど時間はかからない。空間ごと都市を転移するような古代人には敵わないが、移動速度はかなり上がった。
大型のカラスを避け、山脈を越えれば、不死者の町に辿り着く。
以前は火の玉や幽霊だらけの廃墟群だったが、今は補修された家が数軒並び、服を着て実体化している住民たちが増えたので、俺も苦手意識が薄れてしまった。
海岸線に灯台を建設しているカリューのもとに着地。ゴーレムのはずだが、今はほとんど人と変わらない。少し肌に砂が付いているかな、という程度になっている。だいぶ記憶を取り戻しているようだ。
「やあ、来たか。見てくれ。この町も変わっただろう?」
自慢するようにカリューが胸を張った。
「見てるさ」
「主亀様から魔力の供給もあって、かなり魔力的には潤っているのだ」
「そうみたいだな」
主亀こと万年亀は港で甲羅を乾かすように寝ている。
俺は主亀のところまで行き、巨大なヌシたちよりも大きな頭に触れて、魔力を注ぎ込んだ。
どれだけ伝わるかはわからないが、根菜マンドラゴラの大発生についても語ってみた。
「魔境は植物によって魔力の循環が起こっています。古代の呪いも復活してしまいましたが、森のヌシたちと共にどうにかやってますよ」
フーッ!
主亀は大きく息を吐いていた。
ミノタウロスの爺さんがいつの間にか近づいてきていた。
「ああ、こんにちは。何かありましたか?」
「いや、近々来るような予感がしてな。カリューさんに伝えていたんだ」
年を経るにつれて、未来を予測できるようになるのかもしれない。
魔法に詳しい人に、ちょうど聞きたいことがあった。
「そうですか。封魔一族の方に、ご教授願いたいんですけど……」
「お、なんだい?」
「自分に向けられた魔法を解体して、魔力を取り込むことってできますか?」
「はあ? 魔法を解体ってそんな法則ごと変えるなんて無理だろう」
「呪われた大熊のヌシがやってのけたんですよ」
「実際に領主殿は見たのか?」
「ええ、防御したり弾くことは出来ると思ってたんですけどね。取り込むというのが、ちょっとどうやったのか……」
「そんなこと言ってるマキョーだって、チェルの呪いを食ったじゃないか!?」
カリューが笑いながら言った。
「あれは呪いの一部を取り込んで外に逃がして処理しただけだ。魔法の解体って、食事に例えると咀嚼に近いかな。咀嚼して魔力を取り込み、魔法を変換してしまったんだ」
「魔力の力技のようなものだな。おそらく魔法をきれいに解体したわけではないと思う。むしろイメージの上書きのようなものではないかな」
ミノタウロスの爺さんは顎を触りながら、考えていた。
「そうかもしれませんね。ヌシの体内には思いが魔力と結びついて高回転しています。それが呪いの沼に取り込まれて、一層思いが強くなったとすれば、魔法のイメージをかき消すくらいは出来るかもしれない」
「しかし、強い思いによって魔法が書き換えられるなんてあり得るのか」
「あり得るのだろうな。我々が、時渡りの万年亀から頭を切り取った理由に繋がってしまう」
元々巨大魔獣にいたカリューが自分の掌を見ながら言った。
「どういうことだ?」
万年亀が時を飛ばす魔法陣を描き換えるとでもいうのか。
「ユグドラシールではシャーマニズムも発展していて予知夢を信じている信仰があったのだ。ミッドガードを移送した空間魔法か、時を飛ばす魔法陣か、いずれかが換わる未来を予知して、都市の内部で誰かが実験をしたのだろう。そして我らが知らされずに実行した。やはり食糧難だけではなかったか……」
カリューは悲しそうな顔をしていた。表情が豊かになっている。
「いや、魔法陣が描き換わることはありません! 記録が書き換わってしまったら、歴史を紡ぐ意味がなくなってしまう。ミッドガード内部の争いも激化しているのではないですか?」
ミノタウロスの爺さんがカリューを見た。ユグドラシールの封魔一族を継承している者としては譲れないこともあるだろう。
「そうかもしれない。おそらくマキョーが見るミッドガードは、争いが激化した後だ」
俺はミッドガードを見ることになるのか。
「過去や未来に思いを馳せていても仕方がない。今を全力で生きるしかないのだ。そうだろ? マキョー」
カリューは正面から俺を見た。
「そうかもね。でも、俺はずっと今魔境で起きていることへの対応に追われている気がしているよ。根菜マンドラゴラの大発生を追いながら、ありえないはずの魔法が書き換わるような現実を受け入れるしかなくなっているからだろうけど」
「それほど混乱させられるというのに、こんな環境に住むのはなにか理由があるのか?」
ミノタウロスの爺さんが、聞いてきた。
「少なくとも魔境に翻弄されている間は、自分の生活習慣は書き換わっていくし、大事なことも価値観も全部変わっていくことに面白さを感じているからでしょうね。過去に悩んでいたことや今までの思い込みが、魔境の現実に粉砕されていくような爽快感があります」
「どんな現実も楽しめているところが、マキョーの強みだ」
「そうかな……」
もうすぐ秋が終わる。
冬が過ぎて春が来れば、俺は魔境に一年いたことになる。魔境にいれば、同じ日は一日だってない。だけど、今年と同じように楽しめるだろうか。
魔境が発展すればするほど、カリューが昇天する日は近づく。未だ来ていないことに心を翻弄されても仕方がないことだが、考えてしまう。
いつか俺も魔境を去るのだろうか。
「マキョー、なにをそんな寂しそうな顔をしている?」
「カリューが魔境から去る日を考えていたら、自分が去る日も考えてしまったんだ」
「何度も言わせるんじゃない。今を楽しむんだろ!?」
「そうだな」
日が傾いて、空が茜色に染まっていく。
「さて、根菜マンドラゴラの大発生は夜が本番なんだ。そろそろ行くよ。砂漠には近づかないように!」
「ああ、わかった」
「皆にも伝えておく」
俺はカリューとミノタウロスの爺さんに別れを告げて、空へと飛んだ。
ホームの洞窟前ではすでに打ち合わせが始まっていた。
「どこをほっつき歩いていたんだ?」
寝起きのヘリーが文句を言っている。
「不死者の町で、魔法の書き換えについてミノタウロスの爺さんたちと話してたんだ。あれはヌシほど思いの強い魔物が、呪われないと無理なんじゃないかと思う」
「当り前じゃないカ! そう簡単に魔法を書き換えられて溜まるカ!」
書き換えられた張本人は怒っている。
「地図が変わりました」
ジェニファーが新しい地図を皆に配っている。
「魔物による岩の投下と、ヌシによる争いによって、南部は結構変わっています。ハーピーの皆さんが急いで作ってくれたので後でお礼を」
「わかった。魔境コインを多目に払っておいてくれ」
「もう払いました」
報酬についてはきっちりしている。
「も、もう根菜マンドラゴラはほとんど南部に集中しているのだろう?」
そう言うシルビアが美味しそうな肉の塊を食べていたので、少し貰った。
「北部の風はたぶん届かないはずだ」
「東部の海も穏やかでした」
ヘリーとリパが報告してくる。
「じゃあ、今日はナシ?」
「いや、真夜中になったらわからないぞ。雲が動いている」
見上げれば西から東へと雲が動いていた。
「あ、雨雲になると厄介だ」
「ただでさえ根菜マンドラゴラで地面が緩んでいるのだ。雨が降れば、どうなるか……」
木々が倒れるだろう。大雨になれば鉄砲水も発生するかもしれない。
「もしかして、雨水の濁流が砂漠に流れるんじゃ……」
いろんな予測をしてから準備をしたが、夜中になるまで雨は少ししか降らなかった。
むしろ雨上がりの空気が澄んで、月もよく見える。
チェルが予想したように、もしかしたら今日は根菜マンドラゴラも地面に潜っているのかもしれない。ヌシたちも動く気配はない。
月が中天を過ぎた頃だった。
北西の魔石鉱山にいた竜たちが風に乗って高い空を飛んでいた。月明かりに当たって気持ちよさそうに見える。
『風が来る』
シルビアからの連絡が入った。
直後、北西から南東に向かって、突風が吹いた。
木々が揺れ、葉がざわめく。
俺たちはすぐに耳栓を着けて、マフラーを巻いた。
根菜マンドラゴラが、飛び出していた。
地面は湿っていて土煙もなく、走り出した根菜マンドラゴラがよく見える。
呪われたヌシが地面につけた傷痕に沿って、根菜マンドラゴラの流れができた。ジビエディアやフィールドボアは付いて行けていない。
空ではゴールデンバットや鳥の魔物が騒いでいるようだが、根菜マンドラゴラの叫び声の方に圧倒されているようだ。
竜たちも見ているだけなので、炎の熱気もなく、根菜マンドラゴラの独走状態となった。
崖から飛び降りて、大鰐のヌシの棲み処の周りを突っ走っていく。ヌシは、根菜マンドラゴラが溜まっていく小川を眺めているだけだった。
たっぷり水を吸い込んだ流れはうねりながら泉を越えて、砂漠へと向かう。
森の端には砂漠の砂から守るように大きな葉の植物が多いが、根菜マンドラゴラは腕を振り回して突き破っていった。
俺たちも森を越えて、砂漠に出た。
月がきれいに見える澄んだ空気の中、根菜マンドラゴラの流れが砂漠に出た。東も西も振り向けば、森から根菜マンドラゴラが飛び出している。
砂漠の冷たい空気で冷えたからか、一気に速度は落ちたが、ひたすら南下していた。
砂漠の風は強く、すぐに砂嵐へと変わる。砂嵐に巻き込まれた根菜マンドラゴラは転がるように飛んで行ってしまった。
頭の上に生えている草が折れた根菜マンドラゴラは、急いで地面の砂を掘って中に自ら埋まっていく。砂嵐が去った後には、膝を抱えたような体勢の根菜マンドラゴラが砂に埋まり、そのまま飛び出してくることはなかった。
『花が咲くわけじゃないのか!?』
チェルから連絡が来る。
『きっと、このまま冬を砂の中でやり過ごすんだ。種を飛ばすなら逆風が吹く春の暖かい日の方がいい』
エルフのヘリーが予測していた。
根菜マンドラゴラの流れは、砂嵐に巻き込まれるまで、砂漠を走り続けていた。
朝日が昇れば、砂の中に埋もれていく。
こうして根菜マンドラゴラの大発生は収束していった。
砂漠にいる魔物の中には、砂に埋もれた根菜マンドラゴラを掘り返して食べる者もいるが、サンドコヨーテやデザートイーグルなどは見つけられない。
軍基地のダンジョン周辺では篝火が焚かれ、火炎放射で根菜マンドラゴラを焼いていた。
「中に入られたか?」
耳栓を外しながら、ゴーレムたちと一緒にいたサッケツに聞いてみた。
「いえ、数体焼きましたが、ダンジョンの中には入られていません。ほとんど篝火を見て、砂を掘って埋まってしまいました」
風が吹いて、根菜マンドラゴラから取れた葉が舞い、砂の中に消えていく。葉っぱがなければ、風を感じることもない。 水も魔力もたっぷり溜めている。
冬の間は眠り、春になれば花を咲かせるのだろう。
「変わった植物の魔物だな」
飽食の魔境もこれで終わる。