【交易生活38日目】
夜になると、北の方からマンドラゴラの叫び声が聞こえるようになった。
否が応でも夜型になってしまう。日が落ちてから起きだして、根菜マンドラゴラの観察に出かける。
とにかく、フィールドボアやジビエディアが根菜マンドラゴラを食べているし、食べ疲れて寝ている彼らを魔物や食獣植物が食べている。
食べかすや魔物の死体が至る所に落ちていて、血の臭いがする。
腐敗が早いはずの魔境でも、対応しきれなくなっているらしい。
『魔物の死体は土と一緒に埋めよう。栄養にはなるはずだ』
音光機で全員に共有し、根菜マンドラゴラが飛び出して、抉れた地面を埋めていった。
昨夜よりも多く根菜マンドラゴラが発生している。
耳は木の実とヤシの樹液で塞いだ。頼りはチェルが作った目に巻く包帯とヘリーが輸入してきた音光機だ。
『太ったフィールドボアが異常な速度で動いているぞ!』
『ジビエディアも跳ね方が異常だ!』
夜が更けてくると、森の各地にいる魔境の古株たちから報告が来る。
シルビアとヘリーは魔物の死体を地面に埋めながら、周囲の魔物を観察していたようだ。根菜マンドラゴラの発生よりも、対応する魔物が変わってきている。
確かに、根菜マンドラゴラを食べたジビエディアの群れに遭遇したが、昨日とは動きが明らかに違っていた。
『根菜マンドラゴラを食べる魔物は一日で消化したのでしょうか?』
『フィールドボアの身体が大きくなってるんですけど、形も変化してませんか?』
森の東部にいるジェニファーとリパも、形状のおかしさに気がついたらしい。
たった一日で進化でもしたかのように身体が変わっている。
『こちら北西。マキョー、魔物の死体は埋めるな。フィールドボアが魔物の骨を食ってる! 身体は大きくなっているのに、筋肉と脂肪ばかりついて栄養素が足りていないんだ!』
チェルから音光機で呼びかけがあった。急激に大きくなりすぎて、骨を構成する栄養が足りないから直接、仲間の死体から食べているらしい。
『肉食の魔物が逃げ出しています。東部では完全に捕食と被食が逆になっています!』
当然のように、死体だけでなく生きている魔物からも栄養を取るのか。
『こちら北部。昨日の腐葉土と竜の糞で埋めた根菜マンドラゴラ発生地なんだけど、糞の山になってる。もしかしたら、陥没した地面はそのままでいいかもしれない』
俺たちよりも、魔物の方が『飽食の魔境』に対応している。
「了解! 成り行きを見守ろう。俺たちにできることは少ないかもしれない」
無駄に動かず、夜の間は観察に徹した方がいいと判断した。
昨夜と違うことはまだあった。
肉食の魔物や食獣植物も、根菜マンドラゴラを捕食し始めたのだ。食われる側に回ってしまったので、自分も身体を大きくするしかなくなったのだろう。
「生きるために、食べるしかないのか……」
俺は再び、魔境に来た当初を思い出してしまった。
どれだけ死にかけても、生きるために食べていた。
魔境のルールは、意外にシンプルなのかもしれない。
魔境の観察はずっと続けていることなので、ケガ人は出なかった。危険な魔物からは距離を取る。それが、見知ったジビエディアやフィールドボアでも関係はない。
日が昇り、根菜マンドラゴラが通った谷や川辺には紫色の道ができていた。
エメラルドモンキーの身体が大きくなり、樹上を下りて地上で踊っている姿が見える。
昨日まで小さな鳥だった魔物が、口から火を噴き出して、誰かの食べかすを焼いて骨まで食べている。
大型の魔物はより大きくなり、各地にいるヌシに挑戦するものまで現れた。
俺たちは一度ホームに戻り、耳を温めてヤシの樹液を溶かし耳栓を取っていた。
「杖が効きにくくなってきました」
「根菜マンドラゴラは捕獲できるんですけど、結局他の魔物に荒らされて罠の効果もなくなりました」
ジェニファーとリパは、ダンジョンの民を避難させたという。
「北部の岩石地帯のワイバーンやガーゴイルも森の中に入り始めていた」
「こ、根菜マンドラゴラが地面から出てくるきっかけについては、未だわからず調査中だ。気温か、音か。明りでないことは確かなようだ。今日は曇っていたからね」
ヘリーとシルビアは、泥だらけになりながら対応している。
「我々と作業用ゴーレムは、離脱してしまいました」
「ちょっと近づけない……」
サッケツとカヒマンは、大きくなった魔物は離れて見ることしかできないとわかったようだ。自分の実力と魔物の力量がわかるのだから、魔境では十分やっていける。
「チェルは?」
ずっと空を見上げながら朝飯のスープを口に運んでいるチェルに聞いた。
「やっぱり魔物にとって大きくなることって正しいのかもしれないと思ったんだけど、たぶん大きくなるのも限界がある。どんな魔物でも万年亀みたいには大きくなれないってことがわかったカナ」
「骨の栄養が足りないのか?」
「うん、骨もあるけど、こんな生活を続けていると内臓が壊れると思うヨ。魔力もどうにかして使わないと、血管とか破れちゃうと思うし……、なんてネ」
チェルは博識なところを見せたくないのか。
「チェル、今さら学がないように振る舞っても無理だぞ。皆、メイジュ王国の魔王候補だったことは知ってるんだから」
ヘリーがツッコんでいた。
「いや、そうなんだけどネ……」
なぜかチェルは俺を見た。
「何か他に気づいたことがあるのか?」
「魔力の吸収と出力を考えると、私たちが生き残れた理由の一つは、やっぱりマキョーっていう手本がいたからなんじゃないかと思う」
「どういうことだ?」
「魔境にいるとどうしても魔力が豊富な物を食べているでショ。魔力を溜め込みすぎると病気になるんだけど、魔境ではそれはあり得ない。魔法じゃない方法で使いまくっている男がいるからネ。で、最初のうちは皆、マキョーを真似して魔力を使い過ぎて魔力切れを起こしていたんじゃない? 私も経験がある。そうやって魔力の出力の調整を自然と覚えていったんだよ」
「マキョーは、その魔力の使い方をどうやって覚えたのだ?」
ヘリーには何度も教えたつもりだが、質問してきた。
「いや、使わないと死ぬからな。初めは俺もよくわかってなかったんだよ。でも、チェルに魔法を教えてもらってから、意識できるようになったんだ」
「私と会った時には、脚は速かったし、力も強かったから、無意識でつかってたんだヨ。きっと……」
「そうなのか」
「まぁ、マキョーを褒めていても仕方ない。それより、午前中に砂漠へ行こう。根菜マンドラゴラが南下する理由が知りたい!」
他の皆は寝るというのに、チェルは元気だ。俺も疲れてはいないけれど。
「お弁当、作る? 臭いが強いから、香草をたっぷり入れるわよ」
カタンがジビエディアの香草焼きを弁当にしてくれた。
森の中をずっと移動して血と糞の臭いに慣れ過ぎてしまっていたが、香草の匂いを嗅いで「全身が臭いんだなぁ」と思い出した。
「あ、そうだ。マキョーさん、訓練中の兵士たちを避難させてもいいですか?」
リパが俺の気づいていないことを聞いてきた。幸い訓練場は丘に囲まれているし、根菜マンドラゴラの通り道にはなっていないはずだ。
「ああ、頼む。訓練中だったな。危ないから帰すか、ダンジョンに避難させておいてくれ」
俺とチェルは弁当を持って、砂漠へと飛んだ。
初めの頃はアラクネに襲われたり大冒険をしなくちゃいけなかった砂漠なのに、風に乗ればすぐにいける距離だ。
「根菜マンドラゴラは、植物だから食のために移動するっていうのは考えにくいでしょ。だから、生殖、つまり花を咲かせるために砂漠へ移動していると思うんだよね」
飛びながらチェルが、訛りもなく話し始めた。
「それは俺も理解できるんだけど、花なんて森じゃそこら中で咲いてるだろ? 根菜マンドラゴラには砂漠の何かが必要ってことだ」
「森になくて砂漠にあるものか、もしくは森にあり過ぎて砂漠にはないもの……。それって多すぎない?」
「わざわざ砂漠まで『渡り』をする植物なんか、他にないよな」
「あ、そうか。植物の『渡り』なのか」
「距離を考えると、一斉に『渡り』をしているようなものじゃないか」
「確かに……、あれ?」
「あ……」
俺とチェルは顔を見合わせて、森が見える砂漠に降り立った。
同じ疑問が俺とチェルの頭に浮かんだ。
「種は誰が運んでいるのか、だろ?」
「そう! 花を咲かせて種をつけた根菜マンドラゴラが、砂漠の魔物の糧になっていくのはわかる。でも、砂漠の魔物は森に入らないから……、鳥か虫かなぁ……」
「砂漠でも鳥はデザートイーグルとかは見るし、時々、小さな鳥も見かけるよな。虫はフンコロガシとか? でも、根菜マンドラゴラは森全体に広がっているんだぞ」
鳥や虫なら、群生地が偏りそうなものだ。
「……ということは、やっぱり風か」
ビョウッ!
何も遮るものがない砂漠の風は強い。
「森は木が多いから、こんなに強い風は吹かない。つまり、この強風が根菜マンドラゴラの拡散には必要だよ」
「確かにダイコンの種って小さいからな。よく飛んでいくはずだ。でも、こんな植物、近くに砂漠があって魔力の多い森じゃないと育たないだろ?」
「植物園のダンジョンから出た固有種だからネ。古代の人はこんな風になると思ってたのかな?」
「進化の過程で、1000年の間に変わったのかもしれない。それにしても風かぁ」
俺たちは、久しぶりにサンドワームが移動しているのを見ながら、砂が風によって舞い上がっていくのを眺めた。
「シルビアたちにも教えてやろう。根菜マンドラゴラの葉っぱの形状は、風を感知する装置なのかもしれない」
「地面から出てくるのも、山脈から吹き下ろしてくる風の影響カ……。要観察だネ」
魔境なので、もしかしたら種を運ぶ鳥や虫がいるかもしれないが、今日のところは風という答えが出たので、ひとまず帰って寝ることにした。




