【交易生活37日目】
耳栓をしていても体に響く音がある。
北からやってくる音の波は、木々を細かく揺らし、小さな魔物を気絶させていた。
地面が揺れ始めたかと思うと、ジビエディアの群れが一斉に移動していく。
暗闇の中で、音の発生源である根菜マンドラゴラが空へ飛んでいくのがわかる。鹿の魔物・ジビエディアの角で宙に放り投げられたのだろう。
火の矢が飛んできたかと思うと、宙に舞った根菜マンドラゴラに突き刺さり、轟々と燃え始めた。
西の空を見ると、目に魔法陣が描かれた包帯を巻いたチェルが、無数の火の矢を放っていた。包帯は魔物の魔力を数値化して見せるので暗闇の中でも見えやすい。
チェルはこちらをちらっと見てから、東へと飛んでいった。
俺も革鎧の内側に入れていた包帯を目に巻いた。感じ取っていた根菜マンドラゴラが紫色に光って見え、数値が表示されている。成長しきっているのか、人よりも少し大きな姿だ。
他にも植物や魔物が至る所に見えた。ジビエディアの群れは、塊となって紫に光り輝いた。
さらにフィールドボアは群れではないものの、一体一体が紫色に光り、次々と根菜マンドラゴラを貪っていた。
「これは流す程度でいいかな」
根菜マンドラゴラは魔境の森全体に広がっているはずだが、土から出てきたのは北側の一部だけのようだ。まだ、ほとんどが土に埋まっている。
……ィイイイヤアアアアア!!!
こちらに走ってくる根菜マンドラゴラの胴体を、指から出した魔力で切っていく。射程範囲も長く、邪魔をする木の葉もろとも切れるのが便利だ。あと、出し入れ自由というところも悪くない。
真っ二つになった根菜マンドラゴラは、その辺で食い散らかしているフィールドボアやジビエディアへと放り投げる。勝手に食べてくれるだろう。
クズのような根菜マンドラゴラの欠片も樹上からフォレストラットやエメラルドモンキーが下りてきて、口に放り込んでいる。
魔境なので、当然、根菜マンドラゴラを食べるジビエディアを狩る魔物がいるだろうと思っていたのだが、肉食系の魔物たちは息をひそめて隠れていた。狩り時ではないということだろうか。
向かってくる根菜マンドラゴラを適度に狩りつつ、観察を続けた。食獣植物も夜だからか動きが鈍く、根菜マンドラゴラの叫び声に委縮しているようだ。
「耳栓がないし、身体が震えるほどの振動って異常だからかな」
いつの間にか、夜型で一番早く動き出したヘリーとシルビアに追いついていた。
目に巻いた包帯を取ってよく見ると、二人とも首から鼻までマフラーのような布を巻いている。首元から光が出て、地面に文字が浮かび上がった。こんな叫び声の騒音の中、音光機を使えるようにしたのか。
『森に埋まっていた根菜マンドラゴラの一部だけが起きたみたいだ』
シルビアの言葉が岩に浮かび上がる。俺は大きく頷いた。
『ほら、これを巻けば音光機で喋れるぞ』
ヘリーにマフラーを渡され、首に巻いて自分の音光機を入れた。
『こんなの作ってたのか?』
『準備はしていたさ。他の地域は見たか?』
『来る途中で見た限りでは、北から走ってくる根菜マンドラゴラしかいなかった。まだ地中に埋まっているものがほとんどだろうな。チェルは東へ向かったよ』
『ジェニファーとリパもダンジョンの民たちと一緒に罠を仕掛けると言っていた』
アラクネの糸を木の間に仕掛ければ、簡単に捕獲できるだろう。
『ジビエディアとフィールドボアが対応できる程度しか発生していない』
『それでここまで大きな音が響き渡ってるんだから、大発生したときはこんな耳栓で大丈夫なのか?』
『無理だろう』
『発生した場所を見に行ってみるか?』
『ああ』
ミルドエルハイウェイへと続く森に案内された。
暗いのに一目で地形が変わってることがわかった。地面がえぐれるように陥没し、木の根が地表に出ていた。人よりも少し大きな根菜マンドラゴラが地中から出てくるのだから、こうなるのは当たり前だが……。
『これ、雨が降ったらヤバいんじゃないか?』
『しっかり根が張れていないから倒木だらけになるな』
『地中の魔力もすべて根菜マンドラゴラに吸われてるから、再生力も低い。冬の間は復活できないかもしれないよ』
今や根菜マンドラゴラは魔境の森全体に広がっている。もしすべて地中から出てきたらそこら中の樹木が倒れることになるんじゃないか。
『魔境の森がなくなるぞ』
まるで想像してなかったことが起こるのか。
植物園のダンジョンは森を犠牲にして砂漠へ攻撃をすることになる。
『おそらく過去のダンジョンマスターたちは、将来こんなことになるとは思っていなかっただろうな』
『こんなことまでして魔境を手に入れて何がしたかったんだよ。俺なんか、何していいかもわからないから手探りでやってるっていうのに……。本当にもう……』
ユグドラシールの復活はそれほど魅力的なのだろうか。古代人の考えることはわからない。
『音が止まった……?』
シルビアに言われて耳栓を外すと、突然根菜マンドラゴラの叫び声が止まっていた。
「なにがあった?」
マフラーを外して、地声を出した。
「朝日だ。夜が明ける」
東の空に日が昇っている。
聞こえてくるのはフィールドボアやジビエディアが根菜を砕いて食べる音だけだ。
「こちら北部。音が止まった。何があったかわかる人はいるか?」
音光機で聞いてみた。すぐに返事がくる。
『こちら東部。走っていた根菜マンドラゴラは地中に潜りました』
『ミッドガード跡地にいるけど、こちらも同様に根菜マンドラゴラは地中に潜った』
根菜マンドラゴラは夜型なのか。
「なんでだ?」
「日による乾燥を防ぐためか」
「溜めた魔力の温存かもしれない」
「地中に残った魔力の吸収かもな」
「再調査か……」
魔境では調査ばかりしている。毎日同じ日がない。
同じ毎日を繰り返していた冒険者時代とは大違いだ。
「とりあえず、陥没しているところに腐葉土を投入するけどいいか?」
「竜とロッククロコダイルの糞も溜まっているから混ぜよう」
ヘリーとシルビアは新しく土を作るつもりのようだ。
「頼んだ。俺は魔物たちの様子を見てくる」
一人、空へと飛んで根菜マンドラゴラが拡散したルートを確認する。幸いハーピーたちが地図にしてくれていたお陰で、谷や川岸を通っていることがわかった。
その周辺ではジビエディアの群れが休み、フィールドボアが腹を膨らませて鼾をかいている。
根菜マンドラゴラを一体食べただけでもかなりの量なので、それを数体食べているフィールドボアは熟して膨らんだカム実のような見た目になっていた。しばらく動けないのではないか。
魔境に来た頃、巨大なフィールドボアを落とし穴に嵌めたことがあるが、こういう理由があったのか。
小さな魔物だったはずのフォレストラットやエメラルドモンキーも木から下りて地面に転がっている。ほぼ消化のために眠っているかじっとして動かない。
枝で眠る小鳥でさえ、膨らんで見えた。
さらに日が昇るにつれて、ようやく肉食の魔物たちも起き出してきたが、狩りなど必要なく、その辺に転がっている魔物を食べるだけなので、動きも緩慢だ。
魔境には、飽食の季節があるのかと思えるほどだった。
森の東でダンジョンの民を率いていたジェニファーたちの下に向かう。
ジェニファーとリパは、地中に埋まった根菜マンドラゴラを掘り返して体を開いていた。
「やっぱりお腹に魔石がありますね」
「うわっ。この繊維、ぶよぶよですよ。あ、真ん中には芯のようなものまであります」
「人間の作りに似せているんだろ?」
俺は集まっているダンジョンの民の真ん中に下りた。
「ああ、マキョーさん。見てください。全身に紫の液体が駆け巡ってるんです」
血液のようなものだろうか。全身から紫色の液体が染み出している。魔力を多く含んだ水のようだ。
「成長しきった根菜マンドラゴラは植物人間と変わらないな」
「アウラウネ以上に人間に似ていますよ。単純な行動しかできないようですけどね」
「糸の罠は壊されました」
木々の間に仕掛けていたアラクネの糸は切られてしまったらしい。
カヒマンくらいの強さがある根菜マンドラゴラだが、アラクネの糸まで切れるのか。
「口から溶解液を出すようなんです。ほら、これカム実の歯のようなものまである」
叫ぶくらいだから口ぐらいはあるのは知っていたが、溶解液まで出すとなると、討伐は難しくなる。
「熱線の銃があれば問題ないです」
「あと、火を避けますね。魔物なので当然と言えば当然なんですけど……」
「火だヨ。火!」
空から声がしたと思ったら、チェルが下りてきた。
「松明で拡散するルートを変えられる。根菜マンドラゴラの体内を駆け巡っている液体が、蒸発すると動けなくなるから、火を異常に怖がるようなんだヨ。日干しにして乾燥させるのが一番だろうネ」
「それって砂漠に合わない身体をしているってことじゃないか?」
「……砂漠で死ぬために走ってるってこと? 魔境全体の循環として考えるとわかるんだけど、個体別で考えてみると……」
「ダンジョンを襲うために、自ら進んで死に向かうって生き物として変じゃないですか?」
「いや、変なんだけど、そうやって植物園のダンジョンで設計されたのかもしれない」
「「「え~?」」」
全員、納得がいかないようだ。俺としても謎が残る。
「いや、ここは魔境だからな。そんな生易しいもんじゃないか……。ダンジョンの他に砂漠には何があるんだ?」
それは誰にもまだわかっていない。とにかく根菜マンドラゴラの大発生が異常であることと魔境に飽食の季節があることだけはわかった。
まだ地中から出てきた根菜マンドラゴラは一部だけ。始まったばかりだ。




