【交易生活32日目】
「そういや、何で広場で交渉するんだっけ?」
俺は洗濯したてのシャツを着て、シルビアに聞いた。
港の管理局で話し合えばいい。スペースがないわけではないし、魔境の領主が失礼な奴だと思われるんじゃないか。
「聴衆の面前で、魔境に差別がないことを宣言することに意味があるんじゃないか」
「ああ、そうだったな」
「髭は剃ったか?」
「一応、剃ったけど、まだ生えてるか?」
「いや、大丈夫そうだ」
そう言うシルビアは、戦闘準備ができているような顔をしている。
「シルビアは大丈夫なのか?」
「いや、ダメかもしれない」
はっきりとそう言った。
「たとえ、マキョーが自分を卑下しても、向こうが侮るような態度を取ったら、手が出てしまうだろう。悪いけど、マキョーが止めてくれ」
「それ、普通、逆なんじゃないか?」
「え?」
「シルビアが俺を止めるんじゃないの?」
「そうか。ごめん、それは無理そうだ。必ず、マキョーより私が先に手を出す」
「シルビアの素直なところはいいところだと思ってるけど、今日は貴族だった頃の気持ちを思い出してほしい」
「ん、ん~善処する」
大丈夫なのか不安だ。ただ、準備はしてくれていて、広場には特設ステージのようなものまで用意されていた。そこにテーブルと椅子が二脚用意されている。
なぜか町の人たちも手伝ってくれた。ただで帰っては、笑われそうだ。
「まぁ、でも、なるようにしかならないか。ずっとそうしてきたしな」
当たって砕けてからがスタートだ。
「遅れてくるかと思ったが、なかなか早く着いたな」
「え?」
門から馬車がやってくるのが見えた。随分豪華な馬車だが、泥を跳ねた跡がある。急いできてくれたらしい。
先行する騎馬が広場にいる俺たちの下に駆けてきた。
「サウスポート領へ、ようこそ辺境伯様。少々、準備がございますので、こちらで今しばらくお待ちくださいませ」
「……うん」
大きく息を吸って返事をしておいた。騎馬兵は颯爽と港の管理局へと馬車を誘導していく。彼は騎士なのだそうだ。
「昔、何度か試合で戦ったことがあるが、あんな小さかったかな」
俺の後ろで立っているシルビアが、小声で教えてくれる。
領主の馬車が町に到着したことで、昨日、シーサーペントの肉を渡した町の人たちが集まってきてしまった。完全に見世物と化している。
「別にギロチンとか始まらないよ」
「え? だって魔境と交易ができるかどうかの話し合いをするんだろう? うちの領地も噛ませてもらえるなら、そっちの方がいいよ。だいたい、あの不死者たちがそんな悪い奴らじゃないってわかったしさぁ」
魚屋の兄さんが答えてくれた。
「だったら、俺が変なこと言ったら助けてくれよな」
「魔境の領主様は変なことを言うつもりなのかい?」
「言う気満々だ」
「じゃあ、勇気凛々でがんばれ」
聴衆の町人たちと話していたら、監理局から恰幅のいい大きな男性と、やけに背が高くてすらっとした美人が出てきた。
「ポートフェルミ伯爵だ。マキョーとは同列だから、そんなに気を遣わなくてもいい」
ゆっくりとした足取りで、広場に向かってくる夫婦を見ながら、シルビアが説明してくれた。
伯爵夫婦はステージに上がり、頭を下げた。
「御機嫌よう。辺境伯、お初にお目にかかる。ポートフェルミ伯爵である」
「御機嫌よう。ポートフェルミ伯爵。お初にお目にかかります。辺境伯のマキョーでございます。早速なんですが……」
「いや、少々待ってくれたまえ。お茶の用意がある」
騎士が淹れたてのお茶を出してくれた。白いきれいな陶器のカップに入っている。香りはいいし、ほのかに甘かった。気持ちを落ち着かせる。
「それで、マキョー殿、あの幽霊船に乗った骸骨どもは、そちらで使役している者たちですかな?」
「違います。あれこそが魔境の民です」
「なんと……、魔物ではありませんか!?」
伯爵夫人が驚いていた。仕草が演技でもしているかのように大げさだ。
「あら、いやだ! 奥様、かの幽霊船はサウスエンド近海からスカウトしたものざますよ! 本来、そちらの領内の者たちかと存じますが、あまりの待遇の差に、魔境に亡命してきたようなのです。おほほ……」
貴族ってきっとこんな感じだ。娼館でごっこ遊びをしている姐さんたちがやっているのを真似してみた。
「マキョーは合わせなくていい」
シルビアのツッコミが入ると、広場から笑い声が出てきた。
「あ、そうなの。じゃあ、いいか」
俺がお茶をズズッと音を立ててすする。視線を上げると、伯爵も夫人もこちらを見ていた。向こうも俺たちに緊張しているのか。
「少しだけ、魔境の話をしてもよろしいですか?」
「どうぞ、是非聞かせていただきたい」
「俺があの土地を買って1年も経っていないし、領主になってから半年くらいだから、まだ何もわかっていないのかもしれないと思って聞いてほしいのだけど、あの土地は、エルフの国と魔族の国・メイジュ王国、それから鳥人族と呼ばれる鳥の獣人の国と3国に挟まれた土地だ」
俺は自分でも気づかぬうちにポートフェルミ伯爵に向けるというよりも、ステージの外側にいる町の人たちに向けて喋り始めていた。
「そのどの国からもそれぞれ追放されてきた者たちが一緒に住み始めたんだ。もちろん、エスティニア王国からもね」
シルビアの方を振り向くと、咳払いをしていた。
「彼らは姿かたちは変われど、俺たちと同じように意思を持ち、コミュニケーションが取れた。はじめ追放されてきたような奴らだから追い返そうと思ったんだけどね。暮らしているうちに、どうも土地との相性が良かったようで、馴染んでしまった」
「水が合うということかな?」
ポートフェルミ伯爵も興味はあるらしい。
「そうですね。それから、小さなエリアで住んでいたのが探索を進めているうちに、獣魔病患者の末裔が先住民として住んでいることがわかったんだ」
「聞いたこともない」
「そうでしょうね。魔境は魔力の影響のせいか、胎児が魔物のような姿をして生まれてくることがある。これは南のクリフガルーダでも見られる病気で、もしかしたらエスティニアでもあることなのかもしれない。姿かたちが違うのは、慣れていたし、意思疎通も取れたので、我々は共に住むことに決めた。特に薬もいらない彼らは、よく働いてくれている。交易品の荷運びから地図作りや道作り、魔境には人が少なかったから、領民が増えて嬉しかったんだ」
お茶を飲んで口を湿らせた。
「さらに砂漠には1000年前古代ユグドラシールの記憶を持ったゴーレムたちが隠れていた。やはり、食事もとらない彼らでも同じように意思を持ち、古代の記録や技術を伝えるためにダンジョンを守っていた。魔境での仕事をすでに持っていたんだよ。俺は共に暮らすことに決めた。そして、南西には廃墟の町があり、不死者、つまり幽霊の町があった。彼らのようにね」
「幽霊!? この世のものではないのではありませんか!?」
伯爵夫人はいいリアクションをする。
「俺も幽霊は嫌いです。存在として意味が不明なので、聞いただけでも身の毛がよだつ」
「だったら……、なぜ?」
「それが、服を着せて個性を与え、仕事を振ってみれば、だんだん生前の意思が蘇ってきて、鬼火だった者でも薄っすら人の形を取り戻し始めたんです。しかも昇天する者たちまでいて……」
「黄泉の国へと送ったのか」
「ええ、黄泉の国へ勝手に送られていったという方が正しいでしょう。なにせ魔境は魔力が濃い場所なもんだから、人生の一大イベントである『死』というのもゆっくりやってくるようで、未練を持つと留まってしまうものらしい。まぁ、心の病みたいなものだと思って、共に住むことにした」
いつの間にか聴衆が増えている。もしかしたら新聞を描いている記者もいるかもしれない。
「幽霊船に乗る船員たちに至っては、骨もあるし服も着ていて、魔境なら立派な領民だ。暇そうにしていたんで、うちのスカウトレディがスカウトしてしまったんです。長々、幽霊船の船員たちを魔境がどう思っているのか説明しましたが、言いたいことは単純です」
俺は椅子から立ち上がった。
「魔境はどんな種族でも、どんな病気や呪いが罹っていても、死んでから1000年経った者でも、受け入れる! 身体の一部が欠損したくらいで差別したりしない。親に望まれなかった子どもは大歓迎で受け入れる! 受け入れないのは自ら死のうとする死にたがりだけだ! 生きようともがく者なら、全員受け入れるのが魔境だ!」
海鳥が鳴き、風が吹いた。
「彼ら幽霊船の船員が何か不逞を働いたら、どうぞそちらの法で裁いてください。ただ、どうか彼らを認めなくても、彼らの仕事は認めてはくれませんかね?」
ポートフェルミ伯爵は大きく息を吸って、間を取った。聴衆に聞かせるのが上手い。
「うむ。認めよう」
聴衆がどっと沸いた。
「ただし、サウスエンドの港に限る。この地では海からの贈り物を信仰する文化があるからまだいいが、我が領民が受け入れるには時間がかかるものだ。しばし、待ってくれ」
「わかりました。こちらも急ぎはしません」
「交易品への税率は、追って報せる。今は領内の税率で計算しておこう」
俺とポートフェルミ伯爵は握手を交わして、交渉は終わった。
幽霊船から樽が運び出されていくのを見ると、ようやく仕事を完遂した気がした。
なんとなく俺も運び出す作業を手伝ってしまっていた。
「まだだぞ。税金はいくらだった?」
「商品の6割に課税がかかり、1割を納めろってさ。悪くはないんじゃないか」
「そうだな。ちょっと」
シルビアは魔境の品を見ていた騎士を呼び止めた。
「ポ、ポートフェルミ夫人に伝えてくれ。イーストケニアに南部の花は送らなくて結構。新任貴族が自分たちの土を理解する前に、ガーデニングの素晴らしさを教えるのは時期尚早です、と」
「わかった。シルビア嬢、またいつか試合を申し込んでも構いませんか?」
「ああ、いつでも。魔境で待っている」
シルビアと騎士は互いに握手をして別れていた。
骸骨船長と船乗りたちは酒瓶をぶつけ合っていた。俺も飲もうかと思ったが、シルビアに止められてしまった。
「おそらく、聴衆の面前だったから交渉が上手くいったように見えるだけだ」
「二人とも芝居だったのか?」
「空気を読んだだけさ」
宿に荷物を取りに行くと、ポートフェルミ伯爵から贈り物が届けられていた。
「古い綿の織物か。なんか意味があるのか?」
「昔な、この地方で迫害されていた民族が織ったレプリカだろう。『理想だけでは領地の運営はできないぞ』っていうメッセージだ」
「そうなのか?」
「金がなければ弱者は救えないが、金を求めれば弱者を生み出してしまう」
「魔境は金をほとんど使わないからなぁ。魔境コインも、ようやく最近になってからじゃないか」
「自由な商売が始まると、格差が生まれるぞ」
「ん~、普通はそうなんだけど、魔境じゃ金を持っていないのが当たり前だからなぁ。シルビア、魔境における弱者って誰だ?」
「……ちょっと難しいな」
俺たちはとりあえず荷物をまとめた。




