【交易生活30日目】
「いやぁ、困ったことになってね」
早朝から訓練施設の隊長が魔境の入り口まで来た。未だ兵士たちはサバイバル演習中で、それは続行してほしいとのこと。
「なにか、マズいことでもありましたか?」
エルフの番人から呼び出されて、着の身着のままズボンだけ履いてやってきてしまった。
「サウスエンドの港に魔境の船が到着したことは報せが届いているかい?」
「ええ、昨夜来ました」
「乗っていた船員なんだが……」
「ああ、骸骨たちが何かやらかしましたか? 暴れまわったりしたら、骨を折ってもらって構いませんよ」
魔境のルールが通じるのは魔境だけだ。他所の領地に行ったら、そちらの法で裁いてもらうのが当然だ。
「いや、それがとても紳士的で、逮捕しようにも逮捕できないというか……。向こうで対応させているのは海賊なのだけれど、法外な価格で取引しようとせずに、『品をしっかり見てもらいたい』と安く買いたたかれそうなところを止めていてね」
「品定めが長引いて停泊料を払えなくなっていると?」
「いや、それが港でも1週間分は用意しているが、港の職員たちが受け取っていいものかどうか判断しかねると、領主に相談したそうだ」
「一応、魔境もエスティニア王国の一部ですよね。だから俺は辺境伯になっているわけで、そこと取引はできないと言っているということですか?」
俺がそういうと、隊長は手を振って否定した。
「そうじゃない。何と言ったらいいかな」
「どうぞ。何か問題があるなら、俺ができることならやるつもりです」
「我々はまだ幽霊船の骸骨たちを船員としてではなく魔物だと思っているんだよ」
「あ!」
そこでようやく俺は気がついた。
「魔族は未だに敵国の敵だという者の方が多いし、ドワーフは難民だ。鳥人族なんて見たこともない。獣魔病患者の末裔と言われても、何がどう違うのか判断できない」
「確かに魔境はなんでも受け入れます」
実際は、ゴーレムに不死者まで受け入れている。その不死者の集団が幽霊船に乗っている骸骨たちだ。
「少々急ぎ過ぎましたかね?」
「定期的に会っている我々辺境の兵士たちなら理解できることも、まったく接点がなかった者たちは驚き戸惑っているのだ」
魔族の国・メイジュ王国にはチェルがいたし、魔境の噂も耳にしていただろうから、すんなり交易はできた。
鳥人族の国・クリフガルーダは、そもそも過去には魔境の領地だったし、災害によって呪法家たちとの接点もできた。
エルフの国はヘリーがいるし、ドワーフたちも受け入れている。死霊術師もいれば、使役している使い魔だっているから姿かたちが違う者だろうと拒絶はするかもしれないが、受け入れてくれる余地はありそうだ。
「まさか本国が……。いや、当然と言えば当然ですよね。すみません。こちらの思慮が足りませんでした」
魔境には姿かたちが違う住民がいると、認めさせることから始めないといけないのか。
交易村を作って、勝手に魔境は認められたと思っていたが、そんな簡単に人の心は変わらない。
俺は自分が異世界の記憶があるからか、何でも受け入れている。ただ、そもそも普通の人はそれほど他種族を受け入れない。エルフや獣人はいたし、王家は竜人族の末裔だから、偏見なんてないかと思っていたが、そんなことはなかった。
娼婦でさえ職業差別があったくらいだ。
「行って説明してきます。ちょっと待っていてください。用意してきますんで」
ホームの洞窟に戻り、事情を説明した。
昨日、浮かれていたジェニファーも肩を落としていた。
「そうだよネ。魔境はいろんな法がまだ曖昧だから気づかなかったヨ」
チェルも、気落ちしている。
「俺もエスティニアのことは全然知らなかった」
真っ白な新しいアラクネの布で作ったシャツを着た。戦闘に行くわけではないので、鎧とダンジョンは置いていく。
「それを言うなら、幽霊船を雇った私が謝りに行くべきではありませんか?」
「いや、責任は魔境の領主が取る。それに、これだけは譲れない。ここは俺の領地だ」
全員に向き直った。
「魔境はどんな種族でも、どんな病気や呪いが罹った者たちでも、死んでから1000年経っている者でも、受け入れる。身体の一部が欠損したくらいで差別したりしない。親に望まれなかった子どもは大歓迎で受け入れよう。受け入れないのは自ら死のうとする死にたがりだけだ。生きようともがく者なら、全員受け入れる。ただし、犯罪者は空島に島流し。追放されてきた者はなるべく生きる技術を身に付けさせて追い返す。異論は?」
「「「「ない!」」」」
ドワーフたちからも反対意見はなく、不死者の町にいるカリューからは『我らの心は魔境の領主と共にある』と返信が来た。
「よし。たとえ、俺が死んだとしても、これだけは皆守ってくれ」
「それを南部の港に言いに行くのか?」
「そうだ。交易したくなければ、こちらは交易しなくて結構。ルールは守っている。シルビア、俺には貴族のルールがわからないし、振る舞い方もわからん。一緒に来てくれるか?」
シルビアは元イーストケニアの領主の娘だ。不備があれば気づいてくれるだろう。
「わかった。ちょっと待っていてくれ。用意してくる」
アラクネの糸で作った真っ白いブラウスに革のベルトを着け、魔法陣がいくつも描かれた黒いパンツ姿。いつもより胸が強調されているが、本人は気にしている様子はない。一種の戦闘服のようだ。ベルトに短刀が刺さっている。
「いつか着るかもしれないと思って、用意していたんだ」
化粧もしているからか、いつも以上に肌が白く見える。
「さてと、こちらも準備を始めるヨ!」
チェルが手を叩いた。
「何かするのか?」
「マキョーが魔境の宣言をするなら、交易村にならず者たちが殺到する可能性がある」
ヘリーが答えた。また姐さんたちに迷惑がかかる。
「村の防衛なら、我々がやりますから思う存分かましてきてください!」
リパは自信を持って言っていた。
「すみません。尻拭いのようなことをさせてしまって……」
「少なくともメイジュ王国とクリフガルーダは魔境の味方と思っていいヨ」
「エルフの国は無視していい。古い因習がどれだけ害をなすのか知るにはいい機会だ」
女性陣からはそう言って見送られた。
「料理を作って待ってるわ! 美味しいやつ」
「ん。皆に伝えておく」
「一技術者として、今の魔境にいれたことを誇りに思います」
ドワーフたちも手を振っていた。
「いってくる」
俺はシルビアを伴って、入口で待っている隊長のもとへ向かう。
小川の岸辺にはサバイバル演習をしていたはずの兵士たちがずらりと並んでいた。
「すまない。マキョーくん、少々兵士たちからの意見を聞いてから行ってくれないか?」
「いいですよ」
そういうと、兵士の中からひと際髭が生えている大きな青年が一歩前に出た。
「自分は辺境の訓練所に来るまで、軍の中でも厄介者とされてきました。この演習に参加している者の中は、軍の規律を守らない異物とされてきた者たちだらけです。いや、そんなことは見ればわかるか、そうじゃなくて、えーと……」
「こんな馬鹿でも受け入れてくれる魔境が、わずか1年足らずの間に交易し始めたことを、我々、辺境部隊は非常に喜んでいます」
入れ墨だらけの女性兵士が引き継いだ。
「どうか、南部で受け入れられなくてもエスティニア王国を諦めないでください。魔境と交易したいと思う領地は他に幾らでもありますから」
「私からもそんなところだ。魔境は他国との緩衝地帯であるだけでなく、エスティニアの重要な貿易拠点になり得る。それは領主たちもわかっているはずだ。あとはいかに国民に受け入れられるかにかかってる。急ぐ必要はない。楽にいこう」
隊長と俺はなぜか拳を突き合わせた。
「いってきます」
「ああ」
俺はシルビアを抱えながら、空へと飛んだ。兵士たちは手を振って見送ってくれた。
風が冷たいから、すぐにシルビアは魔境コインで防御魔法を展開していた。
「私がスカートでも飛ぶつもりだったな?」
「いや、パンツ姿だからさ」
「あまり貴族は下着を見せないぞ」
「庶民もだよ」
そのまま一気に西へと向かう。
交易村に立ち寄り、姐さんたちに一言断りを入れておいた。
「もしかしたら、たくさん不遇な人たちが来るかもしれないので」
「ああ、うん、任せといて。そういうのは私ら得意だから」
「頼りにしてます」
「これ、この前漬けた漬物ね」
根菜マンドラゴラの漬物をくれた。
シルビアと一緒に来たから、結婚するのかと思ったらしい。気を持たせすぎないようにと注意された。
「ここから南に行けばいいのか?」
「うん。途中で歩きに変えた方がいいぞ」
「わかった」
一気に南部まで飛び、港の見える町まで見えてきたところで、地面に着地。街道をそのまま南下した。
潮の香りがして海鳥の鳴く声が聞こえる。
サウスエンドの町にはなんの通行証も必要なかった。一応、門兵にはそれとなく伝えてはみた。
「何を言ってるんだ? 魔境ってのはこの国の東端だぞ。いくら移動が早いと言っても鳥より速く走れる人間がいるかい? 幽霊船が停泊して、2日しか経ってないよ。観光なら港に行ってみな!」
俺を信じてはくれなかったが、優しい門兵だった。
港の管理をしているサウスエンド港管理局という建物の場所を聞いて、港へ。近くには市場があり、仲買人や荷運びの獣人たちでごった返していた。
「もしかしたら幽霊船なんか誰も気がついていないんじゃ……?」
「あれだけ異様にボロいから、さすがに気がつくだろう」
魔境の幽霊船は港の端にある岸壁近くに停泊している。桟橋にもつけられていないらしい。
とりあえず桟橋から、幽霊船の甲板に跳んだ。
「よう。元気か?」
「あ、あんたは……!」
甲板で寝ていた骸骨たちが一斉に起き始めた。夜型なのかもしれない。すでに昼を過ぎている。起きてもいい時間だ。
「魔境の領主だよ。お前たちの依頼主だ。待ちぼうけを食らってるって?」
「いや、俺たちが来たのは一昨日だぜ」
「現代のエスティニア王国では鳥の手紙システムがあるんだ。鳥なら時間はかかるが、俺たちは大きいから、もっと早い。朝方、魔境を出発してきた」
「いや、理由が……」
「なんだ? 信用できないか? この岸壁の岩でも削って見せようか?」
俺は岩肌を魔力のキューブで引き抜いて、指でサクッと切って見せた。
「待て待て、信用するよ! 船長! 船長! 俺たちが寝ている間に魔境の領主さんが来ちゃったよ!」
「えあ? あれ!? なんでまた!?」
三角帽子を被った骸骨がコツコツと義足を鳴らして船長室から出てきた。
「港に入れないんだろう?」
「いや、そうなんだけど……、仕方ないさ。俺たち、見た目は骸骨の魔物だからな。海賊に渡りをつけてもらってるところなんだけど……」
意外に船員たちは諦めていたらしい。
「いや、正規のルートで入ろう。お前たちも魔境の領民にするから」
「そんな……」
「なんだ? 嫌なのか?」
「だって、俺たち一回死んでるんだぜ」
「大丈夫。不死者の町は死者だらけだ。骸骨がある分、お前たちは怖くない方だよ」
「そうだけどさ……」
「じゃあ、ちょっと待っててくれ。今から、港の管理局ってところに行って、桟橋に着けさせてもらうから」
「今から!? おい! 皆、寝てる場合じゃないぞ!」
船長の一声で、骸骨たちが起き出した。
「交易品の魔石はあるか?」
「あ、はい。すぐに持ってこさせます」
魔石を持ってきた骸骨は「いるはずのない人がいるってこんなに怖いんですねぇ……」と怯えていた。
「大丈夫。悪いことしない限りぶっ飛ばしたりしないよ」
市場の近くにある港の管理局に入った。カウンターに職員がいたので、シルビアと共に船について頼んでみた。
「どうもすみません。魔境の者です。うちの船が湾内に停泊させてもらっているようなんですが……」
「魔境? あの幽霊船の……?」
「こいつは所有者のマキョーだ。魔境の辺境伯がわざわざ来ているというのに、桟橋にも停泊させてもらっていないようだが、どうなっているのか説明していただきたい」
シルビアは、場が凍るほど低く響く声で職員に言い放った。
「し、しかしですね。魔物が乗っている船はこちらで受け付けるわけには……」
「魔物ではなく魔境の住民です。戦闘の意思はありません。彼らは交易をしに来ました。停泊料も払っているはずなのに、桟橋にも停められないということは、魔境と交易はしないということでしょうか?」
「いえ、それについてはただいま確認を取っているところでして……、魔境とも連絡をしなければならず……」
「ええ、だから、来ました。俺が魔境の領主です。交易しますか?」
「ですから、それはこちらで判断できることではなく、領主に聞かなくてはならず……」
「では、一両日中に回答願う。その間、停泊させてもらう。見ての通り、あの船はボロボロだ。あんな場所に停泊させられたら、海風でさらに朽ちてしまいかねない」
シルビアが、再び場を凍らせた。貴族というのは場の空気を止めるのが仕事なのか。
「魔物……、いや、住民の方は町には出られませんが、よろしいでしょうか?」
「構わん。桟橋からは出るなと伝えておく。マキョー、魔石を……」
俺は魔石を職員に渡した。
「これの鑑定をしておいてくれ。この魔石と魔物の骨が樽で30はある」
「……わかりました」
「では、ここの領主に、元イーストケニアの領主の娘・シルビアが辺境伯と共に来ていることを伝えてくれ。それから今のイーストケニアに送った花の件について話があると確実に伝えるように」
「……かしこまりました」
メモを取ったのを確認して、俺たちは港の管理局を出た。
「花の件って?」
「里帰りの時に見かけたんだ。ここの領主は性格が悪いから、すぐに来ると思うよ」
「そうか」
交渉はシルビアに任せてよさそうだ。
俺たちは冒険者ギルドの宿に泊まった。金を持ってきてなかったから、宿泊料は船員たちに借りた。




