【交易生活29日目】
朝から地下へと続く横穴は封鎖して、トレントを引っ越しさせることにした。行き場をなくした大樹の魔物を、岩石地帯に連れて行くだけなのだが、獣と違って大変だ。
周囲にはインプも飛んでいるので、騒がしく竜は手伝ってくれなかった。落ちた谷からロープをかけて引っ張り上げ、サッケツが魔道機械に使っている幻惑魔法の杖で誘導していく。
「おーい! そっちに行くと、熊の家族がいるから、こっちに寄せてくれ~!」
「ダメだ! アイスウィーズルの巣を潰されちゃうヨ!」
「火吹きトカゲ、通りまーす!」
森を移動しているようなものだ。インプよりもさらに大声を張り上げて、逃げようとするトレントの枝を折り、隊列に並ばせていく。
「やはり岩石地帯に樹木は難しいんじゃないか?」
真っすぐ北を目指していたが、先遣隊として向かったヘリーが戻ってきた。
「朝晩の冷え込みもあるし、土壌自体が固い。根を張れてもわずかな栄養しか取れないぞ」
「だ、だったら……北西に向かってくれないか?」
「なにかあるのか?」
魔石の鉱山くらいしかないはずだ。
「竜の糞がある。大食漢だから、最近処理に困っていたんだ」
「そうしよう」
方向転換をして、小川を渡って針葉樹林の森へと向かった。
小川を渡ってすぐにマンドラゴラの鳴き声が響き、棘が飛んでくる。
トレントの幹にも突き刺さっていたが、それほど困ってはいないようだ。棘が多い狼の群れや山羊などが襲ってきても枝葉で受け止めている。竜胆モドキに火を噴かれたが、そもそも季節違いで威力は弱い。
「引っ越しするにはいい時期だったのかもな」
「のん気にそんなことを言えるのはマキョーだけだヨ」
ヘルビードルやビッグモスなど虫系の魔物もいたが、秋風の影響か動きが鈍い。
ズゴンッ!
大樹の隊列を中盤あたりで大きな音が鳴った。
突っ込んできたのはジビエディアだ。トレントの樹皮が食べたかったらしいが、枝で払われていた。群れで向かって来たら、風魔法で吹っ飛ばすことにする。
弱肉強食は引っ越しが終わった後にしてもらう。
「どういう道を通ってきたんだ?」
昼休憩に先頭を行くシルビアに聞いた。
「竜が飛ぶルートだ。楽な道ではないかもしれないが、何があるかわかっている場所の方がいいだろう?」
「そうか。確かに」
トレントの隊列が通った後には道ができてしまっているが、明日には藪や草が生い茂っているだろう。なるべく大きな木は避けたが、倒木はバキバキに踏んできた。キノコでも生えるかもしれない。
「ここから先はキノコ地帯だヨ。私たちは大丈夫だと思うけど、トレントにくっついているインプたちは生きていけないかもネ」
魔石の鉱山にダンジョンを構えているチェルも、北西には詳しい。
トレントは小動物と共生しているが、今のところ何のためかまではわかっていない。小動物が棲み処として使い、トレントはその糞を栄養にしているのか。
「じゃあ、痺れたり眠った小さい魔物は回収していけばいいか?」
「ああ。雑食の竜の糞なら栄養は足りると思うけど、そうしてくれ。引っ越してすぐ枯れたらショックだ」
シルビアはそう言って、風魔法の魔法陣が描かれたマスクを配っていた。シルビアのいいところはいつでも素直なところだ。
「ああやって信頼している者には、弱さを隠さずにいられるというのがいい貴族の特性かもな」
ヘリーが飯を食べている俺の横に立って、シルビアを見ていた。
「シルビアって貴族に戻りたいのか?」
「いや、そうではない。南西の不死者の町から幽霊船が魔の海域を通って、エスティニアの港に辿り着くと、ルートを作ったジェニファーには国から褒賞を渡さないといけなくなる。でも、我々にはそんなものいらないだろう。足りているし」
「そうだな。俺も辺境伯になんかなりたくてなってない」
「でも、それじゃあ、後世の者がなかなか認められなくなる。だから、たぶん騎士か何かに任命するんじゃないかって」
「だとすると、古株の女性陣とリパは穏やかじゃないってことか?」
「そんなことはない。魔境の仲間が爵位を受けるなんて嬉しいさ。だからこそ、我々、元貴族たちは、本来あるべき貴族の姿をなんとなくジェニファーに見せてるんだ」
「ジェニファーが調子に乗って、貴族だからって仕事を押し付けてきたりしないようにか?」
「ん~、ちょっと違うかな」
話が見えないが、女性陣はいろいろと考えていることが多いようだ。
「じゃあ、なんだ? 俺だって一応は貴族だぞ」
「マキョーは諦めてるからいいのだ」
「いいのか?」
「もしかしたらジェニファーが貴族の生活を味わってみたいと思ってるのではないかと思ってさ」
ようやく納得した。
「ああ、それは魔境では無理だろ」
「その通り」
「なるほど、ジェニファーはアガリだ」
「アガリ?」
「ジェニファーの魔境での仕事は倉庫管理と植物園のダンジョンマスターだもんな。それはカタンやリパがいるから実は魔境で生活をしなくてもいい。交易村に大きい屋敷でも建てて、暮らせばいいだけだ。つまり魔境を卒業できるってことだろう?」
「言ってしまえば、そうなるかな。でも、マキョーが……」
「俺は引き止めないよ。最初に何度も言ったけど、自分のできることやりたいことをなるべくやってくれ。去る者は追わないし、魔境の成功例が交易村にいるなら、宣伝にもなる。ただなぁ……」
「ただ、なんだ?」
「本人はそんな繊細なことは考えてないと思うぞ。もっと厚かましいと思うけどなぁ。他人の話とか聞いてないし」
「そんなこと言って大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。俺がバカなふりして聞いておくから、ヘリーたちは気にしなくていいぞ」
昼飯の後に、ジェニファーにそれとなく「貴族になったら、魔境を出て好きに生きていけるらしいぞ」と言ってみた。
「マキョーさんは出ていけてないじゃないですか。無理ですよ。そんな夢物語は」
「でも、幽霊船で南西にルートを作っただろ?」
「あれはマキョーさんが封魔一族に襲わないでくれって頼んだからです」
「じゃあ、騎士になれるチャンスがあっても棒に振るんだな?」
「そうは言ってませんよ。貰えるものなら貰っておきます。でも、よく考えてください。どれだけ仕事が溜まってると思ってるんですか? まさか最近、ダンジョンの民やハーピーに任せられるから楽になってるなんて思ってないでしょうね?」
「思っているかもしれん」
「バカなこと言わないでください。道だって、サバイバル演習場だって、あんなものは作った内に入りませんから。橋も架けないといけませんし、魔境だけに生息する魔物は多いんですから、とっとと魔境魔物図鑑の制作に着手してください」
「ジェニファーは俺より、冒険者ギルドの職員に向いてるよな」
「向いててもできないことはあります! 下らない話してないで行きますよ!」
ジェニファーはトレントの幹を叩いていた。
それを見て、女性陣は笑っている。
夕方頃、トレントの隊列は北西に辿り着いた。インプたちを回収したから騒がしくなるかと思ったが杞憂だった。竜の一息で、インプの声が静まり返ってしまったのだ。
竜の糞はそのままだとさすがにいろんな菌が混じり過ぎているので、一度腐葉土と魔物の骨粉を混ぜ合わせ、岩石地帯で乾燥させる。非常に臭うが、これが魔境の肥料になるのだから仕方がない。虫や花は、臭いに釣られてやってきた。
徐々にトレントにとっても住みやすいところになればいい。
「マキョーさん! さっきの話なんですけど、交易村に私の屋敷を建ててくれるんですか!?」
「いや、仕事が溜まっているから要らないって言っただろう?」
「それとこれとは話が違うんじゃありませんか? 貰えるものは貰っておくと言いましたよね! ください!」
「下らないことを言ってないで、仕事をしてくれ」
「ちょっと待ってください! 私が騎士になったら、補助金はいただけるんでしょうか?」
「魔境コインは渡してるだろう?」
「国からのですよ!」
「知らん! 欲しければ自分で貰って来い!」
「チェルさーん!」
ジェニファーはチェルのもとに走っていった。
「なんだヨ。私に言われても何も出ないゾ!」
「出ます! ちょっくら騎士になりに王都に行ってくるんで、溜め込んでいる魔石を寄こしなさい!」
「なぜそれを!? あれはそれぞれのダンジョンで分配するためのものだ。交易品じゃないのは、ジェニファーだって知っているでショ!」
「滞在費が必要なんです。出してくれますね!?」
「どうしてヘリーとシルビアは余計なことに気がつくんだヨ!」
「ジェニファー、私たちだって、里帰りしたときは出なかったよ」
ヘリーは腕を組んで抗議した。
「それは里帰りだからです。それにあなた方はすでに貴族ではありません。私はこれから貴族になる者ですよ。こんな毛皮で行くわけには……。私はどういう格好をしていけばいいのでしょう?」
姦しい人たちだ。
竜が一息吐いていたが、チェルに氷魔法で口を塞がれていた。
これならインプが騒いでも大丈夫だ。
夜中にエルフの番人から、幽霊船がサウスエンドの港に辿り着いたと知らせが届いた。
まだジェニファーの召喚状が届くのは先のことだろう。




