【交易生活9日目】
塔の民のため、女たちが朝早くから起きだして、一斉に料理をしていた。大きな鉄板を熱して、卵やサメ肉を焼いている。その横では使い古した大なべをかき混ぜていた。
海鳥の卵焼きにサメの塩焼き、薬草スープ。
起きだしてきた子供や男たちは塔の一階にある食堂で、今か今かと待っていた。どれも美味しく、量も豊富。磯の香りのする万年亀の上では、いつもの朝飯だという。
老人たちは、少し遅れて起き出して、余った物を食べて片づけをする。
女たちはそのまま洗濯や薬草採取へと向かう。
男たちはワイバーンの世話と、塔の補修作業。石材を確保したりや万年亀に流れ着いたものを運んだり、と仕事をしていない封魔一族はいない。
子どももそういう大人を見ているからか、老人から魔法の講義をしっかり聞いている。
「真面目な一族ですね」
「それ故に植物園に負けたのだろうな」
ミノタウロスの爺さんが言った。
「我々の一族は、自分の身体のことや運用できる魔力についての知識はユグドラシールでも随一だった。だが、人の形をしている植物も同じように身体を使うとは限らない。そこが先祖には見えていなかったようだ」
絵巻をテーブルに広げて見せてくれた。
「地面から伸びる巨大な蔓ですか……」
「この黄色い粒は、風に乗せて痺れ粉を撒いているらしい。地中の魔力が減退する中で、誰もユグドラシールを治めることがなくなってしまった。そんな中で、人間も魔物も植物に依存して暮らしていたから、植物園に力が集中していったのだろう」
確かに人間は食事も、籠や道具、家の屋根も植物に依存している。魔物も肉食ばかりではない。
「長期戦になれば、植物に軍配が上がるのは目に見えていたから豊穣の女神に改宗する者もいたくらいだ。ただ、この後、軍によるガーディアンスパイダーの暴走もあったし、遺伝子学研究所からキメラが発生したのもユグドラシールが崩壊してからだ。我らの一族は、魔法陣と罠くらいしか対抗策がなかったから、非力だったようだ」
絵巻にはキメラとガーディアンスパイダーが戦っている姿も描いてあった。
「魔封じの杭もこの頃に発達したんですか?」
「いや、ずっとあったはずだ。ユグドラシール全盛期に『封印の楔』を作っていたからな。この時は投擲術の部隊を作ったとされているな。すぐに軍に打ち破られてはいるが……」
絵巻には建物がいくつも描かれている。
「当初はダンジョン同士が戦っていたわけではないんですか?」
「もちろん、ダンジョンの周りには町があったはずだ。それが植物の浸食や争いによって壊されたと見るべきだろう。もう、魔境に建物はないのか?」
「廃墟があるくらいで、ほとんどありません。封魔一族の村は谷にあったから残っていましたけどね」
「谷……。今でも砂漠の鉄砲水から村を守っているのか」
砂漠で雨が降ると、一か所に集まって鉄砲水になることがある。魔境の東部にある封魔一族の村は鉄砲水をダンジョンに流すために設計されていると伝えられていた。
溜まった水をろ過して、農地などに使っていたとか。
つまり封魔一族が栄えていた時代、ダンジョンは村の機能の一部だったのだろう。
「貯水池や研究施設として使っていたのに、ダンジョンしか残らなかったのか……」
「破壊が繰り返され、避難所になり、要所となっていった。今のダンジョンはどうなっている?」
「研究所や家として使っている者たちが多いですね。俺のは、まだ魔物のままですけど……」
俺は鎧からダンジョンを取り出してみた。すでにダンジョンの体は大きくなっていて、塔の外に出さなくてはならなかった。
「蛇の魔物だったのか?」
「蛇とスライムの合成獣だそうです。自分の身体を変形させられるし、体内で空間魔法を扱えるから、物を運ばせたりしています」
俺は透明な蛇を撫でてやった。「ぐぅ」と鳴いているが、俺は機能だけでこのダンジョンを連れているのだろうか。魔石の鉱山で命を助けられたが、特に機能がなくても一緒にいるだろう。
「遺伝子学研究所がダンジョンを作っていたとみるべきか?」
「過去にエスティニアにはダンジョン売りと言って、ダンジョンの卵を売り歩く商人もいたそうです。ただ、どうして作らなくなったのかはわかりませんけど……」
「合成獣だろう? 魔物を売る者たちもいるか……」
塔の上ではワイバーンが、ダンジョンを見つけて騒いでいる。ダンジョンの方は気にせず、とぐろを巻いて寝始めた。万年亀の上は気持ちがいいのかもしれない。
「商売をするにも、街道が必要ですよね。今は完全に崩壊していますが、いつ頃なくなったと思いますか?」
「予測でしかないが、社会基盤を整える者たちが消えた時期じゃないか」
ユグドラシールは多民族国家だ。建築系の種族と言えば、思い当たるのは一つしかいない。
「サトラの者たちですか?」
「うん。エルフだろうな」
「指示を出す竜人族は西へと向かいエスティニア王国を作り、サトラのエルフたちも北へ帰っていった。だから、インフラが保てなくなったということですか?」
「指示もなく、職人も消えたら、街道もなくなるのは当然だ」
ダンジョンの民を発見したとき、まともに建物も建てられなかった。インフラストラクチャーは大事だ。
「あと残っているスクロールは戦いの記録とかだな。すまない。あまり話ができなかったな」
「いえ、残っているだけありがたいです。何もわからないまま、探すよりも方向性くらいはわかっていた方がいい。助かりました」
俺の朝飯のお礼を言って、塔を出た。すぐにダンジョンが寄ってきて、俺の鎧の中に入っていく。ダンジョンは自分の質量を変えてしまうので、見た目はかなりおかしい。
「それじゃあ、また来ます」
「ああ、マキョー殿、またな。あ、そうだ。北西の海域で、幽霊船がこちらに向かってきているそうだが、第2塔主が壊していいか聞いていたぞ」
おそらくジェニファーが言っていた奴らだろう。
「いや、それは魔境の船のはずです。船員が不死者だったら、聞いてみてあげてください」
「わかった。それじゃ」
俺は空へと飛び、ワイバーンたちに見送られながら魔境の本土へと戻った。
「サトラに関する記述があれば、調べておいてくれ」
音光機でヘリーに連絡する。
『了解。時間はかかる』
すぐに返信があった。グッセンバッハが彫った石板は多いから、調べるのも大変だろう。
「先に竜人族にも聞いてみるか」
ホームの洞窟に帰り、カタンの昼飯を食べてから訓練施設へと向かう。
空も飛ばずに歩いていく。
途中で、エルフの番人たちに挨拶すると、すっかり魔境の住人になっていた。
魔物の骨で武器を作り、薬研で毒を作って落とし穴に詰めているし、傷には薬草を貼って、スライムのいる小川からちゃんと水を汲んでいる。
「おっす。何か足りない物はあるか?」
「ないです。物資も届くし、必要なものは森から調達しています」
「魔境も浅いところなら、入っていますけど、いいですか?」
「もちろん、いいぞ。死ぬなよ」
「はい」
もしかしたら、外から来た人間はこの2人にサバイバル術を教えてもらった方がいいかもしれない。
「そうだ。2人ともエルフだけど、サトラについて知っていることはないか?」
「サトラっすか……」
2人はお互いを見合わせていた。
「言い伝えとかだけでもいいんだけど。まぁ、禁じられているなら、それはそれで別にいい」
「いや、もちろん名前は知っているのですが、エルフの国ではあまり語られることはないですね」
「歴史学者くらいっすよ。ほぼ」
「建築が優秀だったとかは聞いたことないか?」
「いや、悪神を崇めて崩壊したとか聞いたことはありますけど……」
「あ、でもエルフの国で図書館を作ったのがサトラだったというのは聞いたことありますよ。技術を盗んで集めたとか」
「へぇ」
「まぁ、でも、田舎エルフの噂話程度ですから、どこまで真実かわかりません」
「いや、噂話や逸話程度でもいいんだ。今は魔境の歴史を掘り起こしているところだから。何か思い出したら教えてくれ」
「わかりました」
エルフたちと分かれ、整備された道を歩いていく。脇にはスイミン花が咲き、魔物を寄せ付けないようにしていた。
相変わらず、森では兵士たちがサバイバル訓練をしている。前ほど、積極的に戦うというよりも、罠に嵌めたり、自分たちに有意な状況を作り出しているようだった。兵士たちも成長している。
小一時間歩けば、訓練施設だ。本当に近所になっていた。
魔境開拓当初は、丸1日移動に費やしていたというのに、どんどん早くなっていく。
「こんにちは! 魔境の領主さまですか?」
訓練施設の正面玄関に回ると、門兵が挨拶してくる。
「そうだよ。隊長いるかい?」
「たぶん、今保存食を作っているので、中に入ってちょっと待っていてください。用件だけ伺ってもよろしいですか?」
「古代の王国に関することだ。竜の血を引く人たちについて……」
「王家ですか……。わかりました!」
門兵は仲間に断り、俺を訓練施設内に案内した。
ホールの椅子で待っていたら、エプロン姿の隊長が現れた。
「いやぁ、すまない。ジャムとピクルスを漬けていてね。待ったかい?」
「全然、待ってませんよ」
「王家の話と聞いたけど……」
「ええ、ユグドラシールから西へ向かった竜人族について、教えてもらいたくて」
「そうか。とりあえず、込み入った話はこっちだ。こんな訓練施設でも図書室があってね」
隊長はエプロンを外しながら、図書室に案内してくれた。
「これでも王家については調べて来たんだ。魔境と王家は密接に繋がっている。俺が、ここに赴任してきたのもそれが理由でね」
図書室には隊長が集めた資料が収蔵されていた。大きな机に、白いノートが置かれ、いくつかの本が次々と積まれていく。この時を待っていたかのようだ。
「さて、どこから話そうか。なんでまたエスティニア王家について知りたくなったんだい?」
「魔境でいくつかのダンジョンが見つかって、住民たちがダンジョンマスターになったんです。かつてユグドラシールが崩壊後にダンジョン同士の抗争があったと聞いて、歴史を繰り返したくないと調べ始めたところです」
「マキョーくん! 暇か?」
隊長は真剣な表情で聞いてきたので、笑ってしまった。
「鉄の鉱山で仕事をしていたんですけど、ドワーフの職人に任せることができて暇になったというのはありますね」
「暇なときに歴史を学ぶ方がいい。正しいよ。ちなみに、魔境ではどのダンジョンが見つかっているんだい?」
「砂漠にある軍の基地、封魔一族の村、植物園、遺伝子学研究所、それから魔石の鉱山は新しく出来ましたね。他には、南西の海にある『封骨』にもあります」
「そんなに……!?」
驚きながらも、隊長はノートに書き記していた。
「ダンジョンマスターがいないのは封魔一族の村ぐらいですかね」
「他にはダンジョンマスターがいると?」
「ええ、前に来た魔族が魔石鉱山のダンジョンマスターで、植物園は以前来た僧侶のジェニファーがダンジョンマスターになっています。あ、俺のもあるか……」
俺は図書室に自分のダンジョンを鎧から取り出して見せた。
「まだ幼体で、ちゃんとしたダンジョンにはなっていませんが、そのうちどこかに定着するはずです」
窓から入る光に照らされて、俺のダンジョンは「グルグル……」と喉を鳴らしていた。
「はぁ……。なるほど……」
隊長は驚きすぎて、溜息を漏らしていた。
あまり驚かせすぎてもいけないので、ダンジョンはすぐに鎧の中にしまった。
「そうか。こちらがダンジョンについて知り得ることと言えば400年前に魔境に赴いた王家の探検家が、ダンジョンを探していたが、消息を絶っていることくらいだ。それもマキョーくんたちが見つけてくれたろう?」
「そうですね。なぜ竜人族……、いや竜の血を引くエスティニア王家はユグドラシールから西へ向かったんです?」
「今の王家の一族はユグドラシールで政変があって、袂を分かち、逃れてきた一族と言われている」
「その政変がミッドガードの移設ですか?」
「おそらく、そうだ」
「どうやら竜人族が消えて、サトラの業者もいなくなってインフラが崩壊していったみたいなんですよね。宗教家は残ったみたいなんですけど……」
聖騎士についても簡単に説明はしてある。
「建設業者がいなくなって、空島や『封印の楔』の設計を担っていた封魔一族も追い出されて、避難所としてのダンジョンが残ったようです」
「そこからダンジョン同士の抗争が発展していったということかい?」
「ええ、ダンジョンに避難していたのは獣魔病患者にゴーレムたちですから魔石の奪い合いがあったようです。エスティニア王家とサトラで密約があったとか、そういう記録はありませんか?」
「あれば教えられるんだけど、俺が調べた限りではないね。本家の方には残っているかもしれないけど、サトラってエルフの国だろう? 嫌っているからなぁ。密約があったとしても裏切りがあったかもしれないよ」
エルフへの悪口を本に書いた王もいたらしい。
「王家は何度となく魔境への探索を試みているんですよね?」
「そうだよ。昔は頻繁に行っていたが、いずれも失敗している。道がなくなり、環境も大きく変わってしまった影響とみるのが自然だ」
「やはり道が大事なんですね」
「社会生活の基盤なのだろう」
道は作った方がいいだろうくらいにしか考えていなかったが、道がなくなれば文明まで崩壊することになるとは思わなかった。
空も飛べるようになり、竜たちもいるから必要がないかと思ったが、文明が発展しないと言われると是が非でも作らないといけない気がしてきた。
「サトラに関する情報が見つかったら、すぐに連絡するよ」
「助かります」
これ以上、隊長から魔境の歴史について聞き出せそうになかった。そもそも魔境のダンジョン抗争期には、エスティニア王国は探検家を派遣することしかできていない。抗争があったことを詳しく知る術もなかった。
サトラについて調べるなら、エルフの国に行くしかないのか。
俺は図書室を出て、お土産のジャムを貰って魔境へと戻った。
ホームの洞窟の前で、ジェニファーとリパが、鹿肉ステーキを食べているところだった。
「ああ、マキョーさん、ようやく帰ってきましたか」
「ん? 何かあったか?」
「いや、魔境にいたエルフの痕跡を探しているとヘリーさんから聞いたんですけど……」
「ああ、サトラな」
「植物園のダンジョンにあった大きな木は精霊樹でしたよ」
植物園のダンジョンに入ると、通路の先に大きな木がある。
「エルフの国からの贈り物だそうです」
1000年前にサトラとは断交しているはずだ。ミルドエルハイウェイも塞がっていた。
「つまりサトラからの贈り物ということか?」
「そのようです」
植物園はサトラから支援を受けていたようだ。
もしかしたら、ダンジョン同士の抗争は仕組まれていたのか。