【吸血鬼とエルフの後始末7】
「音声を光で送る?」
「そう」
イモコは丸い小さな魔石灯のようなものを見せながら、説明してくれた。
音声を取り込んで、送信。同じ魔道具から壁や床、机、テーブル、とにかく面であれば、どこにでもメッセージが文字として映し出されるというのだ。
「なんという面倒な魔道具だ。音声同士で会話できればいいのに」
「それが、音声同士だと魔力によって阻害されることが多いんだって。だから高い精霊樹を中継して光魔法で送った方が確実みたいなのよ」
「へぇ~。音声を光で送るかぁ。考えたこともなかった。これって映すのは手でもいいの?」
「うん。読めればね。人の背中とかにも映せるよ。もちろん、光が届かない山とかがあると使えないけどね」
「中継地点が山よりも高ければいいってことなのだよな?」
魔境でも使えそうだ。中継地点を空島に設置すれば、魔境全土で使えるかもしれない。
「まぁ、そうだけど……。欲しければ取り寄せるよ。魔法省に勤めていた頃の友達に送ってもらったんだ」
やはりイモコは魔法省に勤めていたらしい。
「欲しい。どこで売ってる?」
「白亜の塔」
最悪だ。
白亜の塔とは、サトラの時代から残る遺物のような塔で、精霊樹と同じくらいの大きさがある。かつてはハイエルフの居住区で、エルフの歴史のすべてが詰まっているという図書館も存在しているが、全ての本、石板、スクロールを読んだ者はいない。また図書館の奥は未だに太古の遺物が管理していて、入ってきた者がミイラにされて出てくる迷宮と化している。
幼い頃、私が育った場所でもある。正直なところ、訪れることは生涯ないと思っていた場所だ。
「父君もきっと心配しているんじゃない?」
「エルフは皆、精霊の子だ。親などいない」
血のつながった父母は本当に知らない。生まれて間もなく消えてしまったらしい。もしかしたら、図書館で消えたのかもしれない。
幼かった私を拾ってくれたのは風魔法の使い手の男だった。体術と風魔法に特化した能力を持っていて、道場を経営していた。
私がクロスボウの矢を外さないのは、この時に身に付けた風を読むスキルがあるからだろう。「身体を柔らかく使え」と言われ続けていたせいで今でも夜中にストレッチをしてしまうが、体術の方は魔境ではさっぱり使えなかった。封魔一族の方がよほど進んでいる。
「正直、私もヘリーの里帰りなんかどうでもいいんだけど、魔法省がさ」
「そっちが目的だろう。わかっているのだ。こちらもマキョーの能力を見せたから、説明した方がいいとは思っている。しかも竜も起きた今、幻想を抱いているエルフたちには現実を教えないといけない」
「竜が起きたって本当?」
「ああ。地脈の流れを変えた時に、シンクロするように起きた。ただ、竜骨の道具を使っているのを見た感想としては、それほど素手と変わらないのだ」
「それはヘリーが言っていた奇人が使っているからじゃない?」
「うん、否めない。魔道具のナイフを使って『これは威力を制限できるからいい』と言っていたからな。そんな者と戦ってはいけないよ」
「そうね。魔境の情報も含めて、魔法省はあなたの帰還を待ち望んでいるわ。昨日言っていたことは一部でしょう?」
「うん」
「行ってあげてくれない?」
「イモコ。よく考えてみてくれ。私に得がないんだよ」
「この音光機じゃダメだったかぁ。近年のエルフの国でも結構な発明だと思ったんだけどな」
「いや、これはいいものだよ。でもね……」
「まぁ、そうね」
こういう時、マキョーならどうするだろう。
考える前に走り始めているだろうな。マキョーは、口では損得を言うのに、あまり損得で動いたりはしない。そもそもつまらぬ感情に振り回されない。ヌシの感情にも、ちゃんと距離を取っていたから呪いにはかからなかったのだろう。
目の前のことに対応しているだけのようでいて、古代のことを解き明かそうとしたりする。なにより、ちゃんと魔境に向き合っている。
それに比べて、私ときたら、なんと矮小なことか。
「行くか……」
「やっぱり行くの?」
「ああ、うん。こういうことはあまり考えない方がいいらしい。魔境の領主からの教訓だ」
「もしかして、いい領主なんじゃない?」
「いや、いい領主ではない。いい人間なのだ」
私はすぐに荷物をまとめた。
「駅馬車が、午後一で来るけど?」
「走った方が速い」
「そうなのよね。歩くと丸一日かかるんだけど」
「じゃあ、それほどかからないな。場所は移動してないよな?」
「ええ。これ、お弁当の肉野菜包み」
「助かる。それじゃ」
「ええ、また魔境の話を聞かせて」
私は食堂から出て、学院の屋根に上り、遠くの山を見る。白亜の塔がある町はその麓だ。学院の屋根から飛び降りると真っすぐ北を目指した。
森があるだけで何一つ障害はない。ただ、風のように走るだけ。
魔法を使えなくなったあの日の私に今の姿を見せてあげたい。
魔法を失い、絶望し、悔しくて奥歯が痛くなるほど噛み締めたあの夜を忘れたことはない。でも、今なら言える。魔法が使えなくなったくらい、大したことではない。
魔法が使えていた頃よりも、自由だった。
青い空に突き刺さるような白い石でできた塔が見えてきた。白く決して壊れない大理石で作ったと言われていた。サトラの技術者が作ったのなら時魔法の魔法陣で固めた石だから、素材は何でもよかったのだろうと思う。
嵐や地震にも耐え、火事でも焼けないその塔の周りにエルフたちは町を作った。
その町の端っこに、『風共同体』の看板を掲げる道場がある。
柱は古く、壁には隙間が出来ている。中から野太い声が聞こえてくる。
「風と共に、風のごとく身体を動かすことだ!」
何十年も変わらない術理を教えているらしい。
引き戸を開けて中に入ると、門下生たちが稽古着を身に着け、稽古をしていた。
奥には、風を送り続ける髭の長い老人がいる。私に気づいたようだが、挨拶などしない。
「看板を貰いに来た」
道場内に響き渡るように言う。
「ほう。魔法も使えぬ体で、道場を潰せると申すか?」
老人が笑っている。
ドンッ。
柱を軽く叩いて見せた。
「帰れ。道場は神聖な場所だ。罪人の来る場所ではない」
「私はエルフが恐れる魔境の特使だ。震えて立ち上がることもできんか?」
簡単な挑発に乗って、老人が立ち上がり、風魔法を放ってきた。
手をかざし魔力の形を流線形に変えれば、風は受け流せる。両側から、門下生たちが風魔法を放ってくるが、そよ風のようなもの。躱す必要もない。
体術も関節に魔力を使っていないから、脆く見えてしまう。
掌底から繰り出される風魔法は、マキョーのものに似ているが、手を合わせて呪文を唱え、振りかぶらないといけないため、動作が多すぎるのだ。魔法も直線的で形を変えたり、性質に何か別の魔法を付与したりはしない。
シンプルであることがベストである、ということにはあらゆる方法を試した後ならわかるが、この門下生たちには失敗を笑われたくないという気持ちの方が強い。
怯えて、何もできないだけだ。
「手も足も出ないではないか。魔境の特使とやら」
「そろそろ、いいか?」
トンッ。
老人の腹に、回転する魔力を叩きこんだ。
バキッ。
老人の身体が、看板が掲げられた壁に埋まり気絶。看板は真っ二つに割れた。
「さて、まだやるか?」
門下生たちから返事はない。
とりあえず、教え子が元気であることは証明できただろう。
悪くない里帰りだ。
「これが戦力なのですか!?」
門下生の一人が前に出た。
「ん?」
「私はエルフの衛兵として鍛え上げてきたつもりですが、何をしたのか見えなかった。あなたが魔境で武術を教えているのなら、私は目指さなければならない」
「私は魔境では単なる魔道具屋だ。魔境の戦力とは、私の遥か上を行く者だ。魔物よりも素早く動き、邪悪なヌシを倒し、ダンジョンを従え、空を飛ぶ。とち狂っても目指そうなどと思うな」
捨て台詞を吐いて、白亜の塔を目指す。
幼い頃は毎日通った道だ。石畳の模様は変わらないが、店も変わり、街路樹は育ち、道行くエルフたちの格好は変わってしまった。
白亜の塔には自動で開く扉がある。これは床に魔法陣が仕込んであるが、面倒なので誰もやらない魔道具。正面には階段があり、地下に行けば図書館がある。
二階に魔法省の施設があり、店も並んでいるはずだ。
「あ、来た」
階段を上っていく途中で声をかけられた。
「ヘリーさんですね?」
「そうだ」
「イムラルダの元同僚です」
「よく私がわかったな」
「目立ちますからね」
「そうか?」
「魔法が使えないのに、魔力の総量が多いというのはどんな気分です?」
何かの測定器で見張られていたらしい。
「どんな気分って、法則に縛られていない分、自由かな」
「自由!? ですか?」
「魔力を運用する基礎研究が足りてないのだ。今でも、魔法を学ぶ最初の日、手合わせはするだろ?」
「手合わせくらいはすると思いますけど……」
階段を上がって、ホールに辿り着く。エルフたちが大勢いて職員たちも多い。
近くのソファに座り、イモコの元同僚と手合わせをしてみる。
魔力を送りあうだけだが、どうやら私の魔力量は魔境に住み始めて増加しているようだ。送られてくる魔力がわずかにしか感じられない。
「これを極めていくと、こうなる」
職員がパンフレットとして持っていた紙を指から出した魔力で切って見せた。見ていた職員たちも驚いている。
「爪も魔法も使っていない。純粋な魔力だけ。あとは魔力を通すなら、骨を通した方がいいことも知らないだろ?」
「知りません」
「鉄よりも魔物の骨の方が魔力を通しやすいのだ。なぜ竜骨が重宝されているかと言えば、魔力の伝導率がいいから。でも、それを知らずにとにかく竜骨の武器や防具があれば、とんでもない力が手に入ると思っていないか?」
「確かに、竜骨に関してはブランド的な価値は強いと思います」
「魔境には魔道具を、『魔力が制御できるからいい』代物と思っている者もいる」
「制御?」
「その者から言わせると、やはり竜骨のつるはしは伝導率がいいそうで、数時間で山にトンネルを作っていた。ただ、それには本人の魔力量によるところが大きい。つまり、いくらいい魔道具をそろえたところで、本人の資質によるのだ」
「魔力量が少ないエルフが使うより、魔族が使った方がいいと?」
エルフの魔力に対抗できるのは魔族しかいないという固定概念があるらしい。
「その者は人間だ」
「そんな……」
「エルフの悪い癖だと思うが、種族差別は今すぐ止めた方がいい。その人間はおそらく私の倍以上は魔力量を有している。地中深くの地脈を測れるほどだ。御伽話に聞こえるかもしれないがな」
「にわかには信じられません」
「だろうな。どう言えばいいか……」
事実を見せるしかないのだろうが、面倒ではある。別に信じてほしいわけでもないが、世話になったからイモコの顔を立ててやらないといけない。
「やはり魔法こそが最も崇高な武力だと思うか?」
「ここは魔法省です。当たり前じゃないですか」
「仕方ない。ちょっと時間はかかるが、いいか?」
「ええ、どうぞ」
私は売店で薬草を買い、調理場を借りて回復薬を作る。空き瓶もあるのでちょうどよかった。
「今からやることに敵意はない。どのくらいの実力があって、例えば私が魔法省を襲うなら、という演習だと思ってくれ」
「わかりました」
イモコの元同僚は頷いただけ。
「ここにいる者たちにも知らせておいてくれ」
「大丈夫です。ヘリーさんが来た時から、皆注目していますよ」
「わかった。では、演習を始める! 躱せる攻撃は躱してくれ。目標は、私を拘束することだ! いいな!」
大声でフロアにいる者全員に聞こえるように言った。
返事はないが、皆、了承してくれたようだ。
「では、開始」
天井にいる使い魔にクロスボウの矢が刺さり、墜落。ドア付近にいた幻術を使っている衛兵の鎖骨にも矢が突き刺さり、昏倒。大きな身体の職員を、回転させた魔力で壁際まで吹っ飛ばす。
「さて、大幅に戦力を失ったようだが、杖はここにある」
売店の杖が刺さっている樽をホールの真ん中に置いた。
「存分に魔法を使ったらいいと思う。私は、見ての通り魔法は使えない」
私は体のタトゥーを見せた。
私の言葉通り杖を取りに来ようとした職員の足の甲に封魔の杭を投げつけ、一歩も動けないようにした。
「ああっ……」
結局、私以外誰も動けなくなった。
「おわかりか。私は一度も魔法を使っていないのに、エルフの魔法を司る魔法省を制圧した。四大魔法の研究は結構なことだが、武力とは魔法以外にもこれほど豊かにある。エルフの国だけで言えば、魔法こそ最高の戦力かもしれないが、エルフの国の周辺では魔法以外のあらゆる戦力も使う。国防を考えるなら魔力の研究をしておいた方がいいと、進言しておくよ。さ、治そうか」
使い魔や衛兵を回復薬で治していく。
「この杭はいったいなんです? 魔法を放てなくなりました」
杭が突き刺さった職員が聞いてきた。
「封魔の杭だ。この杭だけで魔法は崩されるよ」
職員たちの血の気が引いていった。
「あ、そうだ。すまない。音光機という魔道具が欲しいのだが、売ってくれないか?」
私は売店で、音光機と中継地点に使うアンテナを購入。白亜の塔を出た。
「ミルドエルハイウェイを通すには、まだ早いか」
意識が古いままだと、交易での交渉もできない。衝突も多くなるだろう。
エルフの国で魔境の理解者を増やすのは、非常に困難。
「図書館の司書と話すしかないのか」
私は暗澹たる気持ちで、近場の宿を取った。