【吸血鬼とエルフの後始末5】
リパが守りを固めているミルドエルハイウェイ跡の洞穴を通り、私はエルフの国へと入った。
ものの数時間でマキョーが掘った穴だが、壁も天井もしっかりしていて、崩れそうな雰囲気はない。
今のところ誰かに気づかれているような視線も感じない。嵐の影響で、周囲の草木は湿っている。
「まず、ここがエルフの国のどこかを探らないとな」
マキョーやカヒマンほどではないものの、私も気配を殺して移動を始めた。
ジビエディアの群れが走っているが、白い鹿はいない。やはり、マキョーが見たのは時の神なのだろう。
山脈付近を走り回っていると、早々に牢屋敷を見つけた。私が入っていたところだが、絶壁に建てられていて、逃亡しようにも山へしか逃げられないような造りになっている。
牢屋敷は相当古い建物なので、もしかしたらサトラの頃から使われていたかもしれない。
ただ、今は用がない。
東へと向かい、少数民族のウッドエルフたちの集落を見に行くと、岩が崩れて道が埋まっていた。以前なら魔法を使っていたが、今は全身に魔力を込めて岩を転がして脇に退ける。
ウッドエルフたちがこちらを見ていた。入れ墨だらけのエルフなど警戒して当たり前か。近くを通るジビエディアをクロスボウで仕留めて、担ぎ上げた。
「食糧はあるのか?」
ウッドエルフたちに近づいて聞いてみると、首を振っている。
「ほら。少しは腹の足しになるだろう」
地面に置いて離れようとしたら、声をかけられた。
「どうして、エルフのあんたが私たちを助けてくれる?」
「どうして……? て、言われても……」
そういえば、エルフの国で人助けなどしたことがなかったかもしれない。魔境だと助け合わないと死ぬから、何の躊躇もなく動いていた。クリフガルーダでもマキョーたちはやっていたし、今はこちらの方が当たり前だ。
「気まぐれだ。あまり深く考えるな」
優しくしたつもりもないのに理由を問われると、答えるのに頭を使わないといけないから面倒だ。魔境じゃ当たり前のことだと言ってやりたいが、ウッドエルフたちが今すぐ魔境の考えに納得するとも思えない。
少しだけマキョーの気持ちがわかった気がする。家賃などと言って働かせていた方が楽なのだ。
他にも山脈沿いにはウッドエルフやダークエルフなどが住んでいて、嵐の被害を受けていた。塞がった道を通し、獣を狩って届けるだけだが、私にできることはしてやった。
魔境に住み始めた当初は私も似たようなものだったので、怪我をした女を見ると自分の姿を重ねてしまう。
見て見ぬふりをしている方が、気持ちがざわつく。押し付けるように獣を狩っては集落の入り口に届けていった。
私はすっかり魔境に染まっているらしい。
当たり前と言えば、当たり前だが、誰もミルドエルハイウェイなど気づくことはない。山脈近くの集落は、どこも低木の精霊樹に固まり、生きているだけで精いっぱいだ。交易ができるような、特産品もない。
ウッドエルフたちからすれば、エルフは関わらない方がいい対象だろう。私は早々に、山脈を離れ北上し始めていた。
寒いはずなのに、シルビアの作ったローブは風をものともせずに私の体を温めてくれる。
特に目的地もなく走っていると、あっさり家に辿り着いてしまった。
トゥーロン家は東部でも名の知れた古い貴族だが、ここ100年ほどは落ちぶれている。魔法学院を首席で卒業した私を、元旦那が娶り自慢していたようだが、闇魔法の練習台にして捕まってしまった。
「闇魔法か」
魔境に住んでいると、分類など意味がなかったかもしれないと思うようになった。
わからないものを闇というなら、マキョーが使っている魔法はほぼ闇魔法だ。
トゥーロン家のある精霊樹の町に入り、土産物屋を覗いた。
ロゴが入った服や雑貨が置いてあるが、あまり売れていないらしく、ほこりをかぶっている。精霊樹は古く立派だが、観光事業にはなっていない。
ただ、ところどころ欠けた魔法陣が描かれたコップがあった。保温の魔法陣なのだろうが、魔法陣としての要素が足りないので機能していない。きっと元は魔法陣だったはずだが、今は単なるデザインになっていた。
思えば、エルフの国の道具には妙なデザインが描かれている物が多い。
気づいていなかっただけで、もしかしたら崩れた魔法陣なのか。いつの頃か、この国では戦闘に使う魔法の方が重宝されるようになり、それぞれで研究をしている。
生活に使う魔法の研究はほとんどされていないのではないか。
逆に魔境では、そちらの方がメインだ。
「環境が変わって、物の見方が変わってしまったのか」
思っている以上に、私は魔境にどっぷり浸かっているのか。
「買われますか?」
店員が厳しい目を向けてきた。そういえば、風呂にも入っていないし、見ようによってはローブも汚れている。
「いや……。すまん、珍しくてな。つい……」
コップを棚に戻して、土産屋を出た。
雑貨屋を回って研究材料を探そうと思ったが、そもそもお金を持っていないことに気づいた。
「貨幣経済を完全に忘れているな」
魔境にいるとお金は使わない。そもそも必要じゃないからだ。
食料はふんだんにあるし、寝床も作ればいい。服は、作ってくれる者もいるし、インナーがなくなれば交易で手に入る。
「仕方ない。取りに行くか」
こっそり入れば、誰にも会うことはないだろう。
私はトゥーロン家の屋敷へと侵入することにした。研究部屋にいくらか現金が残っているはずだ。
精霊樹の守り人の一族であるトゥーロン家の広大な屋敷は、精霊樹の真下にある。
ちょうど誰かが馬車でどこかへ行くところで、門は開きっぱなし。敷地内に入り、庭師の目をかいくぐり正面玄関を開けた。
気配を探っていたつもりだったが、枯れ枝のような老いたエルフが掃除をしているところだった。元旦那の母親で、私を天敵だと思っている。
「やあ、お久しぶりですね」
「ヘルゲン! いったいあなたは何を……」
「逆に伺いますが、当主の母親ともあろうお方が玄関を掃除ですか? いったい何をやっているんです? もしや新しい嫁ともうまくいっていないのでは?」
「あなたに言われる筋合いはありません。さあ、すぐに出ていって! ここは私の家ですよ!」
どうやら図星だったようだ。こういう勘だけは昔から働く。
「失礼。ちょっと忘れ物をしましてね」
老婆を他所に、私は家にズカズカと入っていって、正面の階段脇にある壺を回す。
ガコン。
階段脇の壁が開き、地下へと続く階段が見えた。
蜘蛛の巣が張っているので、私以外は誰も使っていないのだろう。
「なんですか!? それは?」
「研究部屋ですよ。あなたの家なのに、ご存じなかった?」
「知りません」
「まぁ、知らずに死んだ方が幸せなこともあります」
私は地下へと下りていった。なぜか老婆もついてきた。
「こんな場所があったなんて……」
中には失敗した研究が山ほど詰まっていて、本棚には禁書があるし、魔法陣を描いた羊皮紙もメモ書きも壁に貼っていた。今となってはどうでもいい魔法だ。
棚に金貨の入った袋や呪われた壺、亡霊を退治する時に使う腕輪、身体のコリをほぐすちょっと温かくなる杖、半分金に塗られた頭蓋骨などが雑然と置かれている。
金貨の入った袋を手に取り、懐に入れた。
「なんです、これは?」
老婆は頭蓋骨を手に取っていた。
「徐々に金になっていく呪いがかけられた頭蓋骨です。よろしければ、どうぞ」
「金に!?」
もちろん嘘だ。社交界で言えば、ウケるかと思ってペンキで塗っただけの代物。ただ、老婆が大事そうに見つめているので、あげることにした。老後に夢を見させるのも悪くないだろう。
革の鞄に紙とペンを入れ、鞣し革で包んで紐で縛る。小さい空き瓶もいくつか持っていく。魔境ではなかなか酒を飲まないので空き瓶が少ないのだ。
「とりあえず、こんなものか」
「ちょっとお待ちなさい! ここにある物はどうするつもりです」
「処分して結構ですよ。あ、呪われている物が多いので気をつけてください」
とっとと階段を上ると、衛兵の部隊がこちらに杖を向けて待ち構えていた。
「ヘルゲン・トゥーロンだな! 牢からの脱走の罪で逮捕する!」
正面にいた衛兵が大声を張り上げた。
「そうだわ! あなた、捕まっていたはずよね!?」
老婆も階段を上ってきた。
「今はトゥーロンの家名は使っていない。魔境の特使だ。聞いてなかったか? しかもこの方は当主の母親だ。杖なんて向けたら、昇進に響くんじゃないか?」
そういうと、衛兵たちの杖が下に向けられた。
「奥様、逃げてください」
「え!?」
「ちゃんと大きい声で言ってやれ。耳が遠くなってるんだから」
「失礼な! 私の耳は長く美しいと言われて来たんですよ!」
そう言った老婆の手から、ころころと頭蓋骨が転がっていく。
「頭蓋骨?」
「あ~、いけませんね。奥様。先ほど食べたばかりじゃありませんか。もう、つまみ食いですか?」
そう言うと、衛兵たちが老婆をギョッとした目で見た。
気が逸れたところで、手すりから階段を上がっていった。
「待て!」
衛兵の杖から、氷の礫が放たれる。
「性質変化」
私は手をかざして魔力の性質を変化させ、氷を一気に温めてみた。
ジュッ。
掌で、氷は一瞬にして水蒸気へと変わる。
「やはり、魔力の性質変化や操作は使えるな」
マキョーのやっていることは、状況を切り抜けることに使えるようだ。
攻撃を防がれたことで、また衛兵たちが一瞬たじろいでいる。
私は一気に駆け上がる。追いかけてくる衛兵を尻目に、窓を突き破って正面の庭へと飛び出した。
転がりながら着地。魔力で体を覆っていたので、どこにも怪我はない。
起き上がると忘れ物でもしたのか、馬車がちょうど戻ってきたところだった。中から出てきたのは、派手な服装の元旦那だ。
「ヘルゲン!?」
「やあ。えーっと、すまん。もう名前も忘れてしまったが、いい実験体であったことは覚えている。せっかくだから、魔境仕込みの一撃を食らってみないか」
「は? もうお前は魔法を使えないだろ!」
「魔法は使えなくても魔力は使えるのさ」
戸惑っている元旦那の後ろに回り込み、掌で魔力を回転させて、尻を思いきり叩いてみた。
ボッ……。
元旦那は宙に浮きあがり、衛兵たちが見下ろしている二階の窓へとすっ飛んでいった。
「こういう感じか」
マキョーもカヒマンも、いい魔力の使い方を知っている。いい魔力の実験になった。
「あなた? 私のイヤリングも持ってきてくれないかしら?」
馬車の中から、派手なピンク色のドレスに身を包んだ若いエルフが出てきた。
「あら? 御機嫌よう」
「御機嫌よう」
「トゥーロン家のお知り合いの方ですか?」
「ええ、少しここで研究を……」
「そうですか。私の旦那様を見ませんでした? つい先ほど馬車から下りたはずなんですけど」
「ああ、それなら、二階に待っているはずですよ」
「あの人ったら、まったく……。失礼します。庭が見たければごゆっくり」
若いエルフは、ドレスの裾を上げて屋敷へと向かっていった。
貴族ってのは忙しい生き物だ。




