【運営生活42日目】
沼の水面には無数の丸い影が出来ていた。宙にはヘイズタートルが浮いている。
浮かせているのは俺だ。
浮遊魔法の練習をしているのだが、自分を浮かせるのと他人を浮かせるのは大違い。
「島を浮かせるってわけわからんな」
浮遊魔法を開発したとして、島を浮かせるという古代人の発想は明らかにぶっ飛んでる。
相手の身体が大きいと、それだけ浮力を感じるのが難しい。さらに重力は下に向かっていて、魔力を多量に使う。
俺の魔力でも覆うことができるヘイズタートルほどの大きさと重さなら、浮かせることも可能だが、巨大魔獣となると、浮力だけではどうやっても浮かせられないのではないか。
「どうするよ、おい」
声をかけても、浮いているヘイズタートルは気持ちよさそうに甲羅に日の光を受けているだけ。返事が返ってくることはない。
浮いているだけなら、魔力の供給は丸一日だってできるはずだ。持久力ではなく、そもそもの出力が俺には足りていないのだ。
3日後に迫った巨大魔獣に間に合うような、魔力の出力を上げる修業はおそらくない。
「まいったな……」
ボチャン!
沼から上がると、カタンの美味しそうな料理の匂いがしていた。
今朝も俺たちは魔境の入り口から、洞窟の奥にある部屋へ支援物資を運んだ。
エルフの番人たちは、支援物資が浮く様に「あっ」と声を上げて驚いていた。
「まだ、この程度しか上げられないんだ。兵士たちに魔力の出量を上げる訓練があったら教えてくれって言っておいてくれるか?」
「……はぁ」
腑抜けた返事が返ってくる。
「大丈夫か?」
「いや、たぶん、大丈夫じゃないです」
「何が?」
俺がそう聞くと、意を決したようにエルフの2人は川を渡り始めた。スライムの攻撃を躱しながら、全速力で駆け抜けたらしい。
岸辺でゼイゼイと息をしていた。
「ようやく川を渡って、魔境の入り口近くなら入れるようになったんです」
「自分たちはこれでも成長した方だと思ってたんですけど、マキョーさんは見えない速度で成長していくんですか?」
エルフたちは、また俺と差が開いたと思っているらしい。
「すまん。俺は成長してるなんて思ってない」
「ええっ……」
「どういえばいいかな。魔境で必要だったから、魔法を開発したり、練習したりしているだけで、魔物とかヌシとかも、腹が減ったり邪魔だったりするから狩るだけなんだよ。だからまともな魔法の修行をしたことがないんだ。そろそろした方がいいとは思うんだけど」
エルフたちは絶望的な顔をしていた。
「ご自身が強いという自覚はありますか?」
「強い? いや『ここが弱いな』とか『うわっ、遅いな』とかは思うことはある。ただ、強いって思ったところで、ぶっ飛ばしたい誰かがいるわけでもないからなぁ」
エルフたちは混乱をしているような動きをしていた。もしかして人生に迷っているのかな。
「どうした? エルフの国に帰りたくなったか?」
「いや、なんというか、なんでエルフの国は魔境に攻めて来たんですかね? 愚かとしか言いようがないような……」
「それは、向こうに聞いてくれ」
「魔境の戦力調査依頼がエルフの密使から届けられたんですけど、『お前らに測れると思うな』と返しておいていいですかね?」
「まぁ、好きにしていいぞ。この先、ちょっと忙しくなるから」
「わかりました。あと、イーストケニアの特使が軍の施設に来るそうです。交易村の件で話がしたいとか」
「俺に?」
「はい。辺境伯にとのことですが……」
「俺から話はないんだよな。誰か行かせるかもしれん」
「了解です」
「カヒマン、行くか?」
「いや」
カヒマンは普通に断っていた。
「あ、これ、いいよ。あんまり疲れないし」
断った代わりと言ってはなんだが、カヒマンがエルフの番人たちに、魔力の回転でスライムを蹴散らす方法を教えていた。
「魔法ですか?」
「違う」
カヒマンの方が遅く魔境に入ったはずなのに、教える側になっている。魔境にいる者同士、技術は共有した方がいいだろう。
それが早朝に起こっていたことだ。
浮遊魔法の修行をして、ずぶ濡れのまま、坂を上っていくとカヒマンが慌てたように入口の森から駆けてきた。
「どうした? 人でも殺したか?」
力加減がわからなくてうっかりやったのかもしれない。
「違う。エルフの番人に魔力の回転を教えてたら、軍の施設から兵士たちが来て『俺たちにも教えてください』って……。どうしよう」
「教えればいいんじゃないの? 女性陣も俺もあんまり人に教えるのは上手くないからさ」
「俺、喋れないよ!」
「喋らなくてもやって見せればいいだけだ。俺たちは喋り過ぎたのかもしれないし。あ、それにほらカヒマンは結構、俺と一緒に行動してたから、知ってることも多いだろ」
「確かに……」
「魔境がどうなってるのかも教えてやってくれ。隊長とかも詳しくは知らないだろうから」
「いいの?」
「いいぞ。肩書が必要なら、特使とか従士とか名乗っていい」
「罠師になる予定だったんだけど……」
「魔境は思った通りの役職にはなかなか就かないんだ。なんでもやってみろ。意外なところで才能が発揮されるかもしれない」
「わかった。やってみる」
カヒマンはカタンから、弁当を貰って、入口の方へ向かっていった。手と足が揃っていたから、緊張しているのだろう。
「失敗して帰ってくるかも」
カタンは心配そうにしている。
「皆、失敗してるんだから、落ち込む必要はない。よく考えてもみろ。俺がどんなに教えたって誰も浮遊魔法の実験に付き合ってくれないんだぞ」
「そういえば、そうね」
「で、あいつらは何をやってんだ? 夜型のヘリーもシルビアもいないみたいだけど」
「さあ、朝暗いうちから、『覚醒期が……』どうしたとか言って、どこかへ行ったよ」
「あいつら覚醒するのか。仕事してくれないかな。竜の引っ越しも魔石の運搬道路も全然できてないんだぞ。何をやってるんだか……」
俺とカタンは、スイマーズバードの卵とフィールドボアのベーコン、野草とカム実のサラダで美味しい朝飯を食べた。
「カタン、エルフの国に帰らないでくれよ」
「うん。別に帰る予定はないよ」
のん気に朝飯を食べていたら、洞窟から寝癖をつけたリパが慌てて飛び出してきた。
「あれ? もう皆さん行っちゃいましたか?」
「ああ、どこに行ったかは知らんけどな。どうせ遅れてるなら、朝飯を食っていった方がいいんじゃないか?」
「いえ、ダメです。覚醒が始まってるんですから! これを逃したら、また追いつけなくなってしまう」
リパは急いで大きな葉を用意して、カタンが作った朝飯を弁当として包んでいた。
「カタン、いつもありがとう」
お礼は言っていく。
「いいのよ」
「なんの覚醒が始まるんだ?」
「魔境のです」
「魔境の覚醒なんて起きてるのか? 俺にはわからないぞ」
「当り前じゃないですか! 覚醒を引き起こしているのはマキョーさんなんですから!」
リパは木刀と箒を用意していたが、木刀が足りないと思ったのか、近くの木の枝を折り、木刀を作り始めた。
「俺は覚醒なんてしてないぞ」
「マキョーさんが思わなくても、皆、思ってるんです! よく考えてみてください。ここ二ヶ月ほどの出来事を」
「なんかやったか? いつも通りだろ」
「それはマキョーさんにとっては、です! 封魔一族から学んだ骨に魔力を通す武術やヌシを倒す魔力操作、いつの間にか地中深くの地脈を探れるようになっているし、クリフガルーダの封印の楔も抜いた。ダンジョンも孵化させ、果ては空まで飛べるようになってしまっている。これ、すべて数週間の出来事ですよ」
「そうだな」
言われてみると、いろいろとできるようになっているかもしれない。
「通常、人はそんな短期間に変化しません」
「え? そうなの?」
「地脈の流れが変わって、魔物やヌシたちも少しずつ変わっています。魔物も植物も新たな戦いのために覚醒しようとしているんです。この流れに乗らないと、魔境に順応できなくなってしまう」
「そうかなぁ……」
地脈を旅したけど、大した変化はしてないように見えたが、魔境の中では変化に富んでいたのか。
「そもそも竜が起きたじゃないですか。竜に一人で対応できるようにならないと、魔境では生きていけない」
「そうかなぁ?」
「ヘリーさんとチェルさんの言った通りだ」
「何が?」
「マキョーさんに言っても通じないって。とにかく、僕らは魔境の各地で修行しますのでよろしくお願いします」
「よろしくって言ったって、3日後には巨大魔獣の襲来があるんだぞ」
「ええ。準備は出来てるじゃないですか。支援物資は運んでますし、ヘリーさんが、巨大魔獣の中にいるミッドガードへ向けての手紙は代筆してましたよ」
クリフガルーダの『大穴』に運ぶにも、ミッドガード内部との交渉が必要だ。急に時の流れを戻しますと言っても混乱するだけだろう。こちらが3ヶ月かけて準備が万端でも、巨大魔獣の内部は1日しか経っていないのだ。
「今回の襲来で『大穴』に運ぶわけではないのなら、支援物資の転移輸送ができたかどうかの確認だけになる可能性が高いのでは?」
「それはそうだな」
「冬までにメイジュ王国へ魔石の輸送をしなくてはならないのなら、僕らは早く力をつけて魔石の採掘から竜の餌の管理までできるようにならないといけないですよね。ちょうどよく、魔境も覚醒期に入ったので、僕たちも覚醒しようという話になったんです」
真剣に訴えられると、俺も否定のしようがない。
「わかった。好きにしてくれ。ただ、そんなに焦らなくても追い出さないぞ」
「実力不足で追い出された方が楽だっていうこともあるんですよ」
なんだか思い詰めているような気がする。
リパは箒にまたがって、魔力を込めようとしていた。
「リパ!」
「はい?」
「楽にいこう。魔境は生き残りをかけたサバイバルだ。裏を返せば、生き残ってしまえば何をやってもいい。力が入り過ぎていると、パンチの威力は上がらない。抜けるところは抜いていいからな」
「あ……ええ? アドバイス、ありがとうございます」
リパはなんだかキツネにつままれたような顔で、東の空へと飛んでいった。
「カタンは覚醒しに行かなくて平気か?」
「私は覚醒がなんなのかはわからないから。でも、サッケツは随分焦っていたみたいだけど……」
砂漠の軍事基地にいるサッケツは新しい魔道機械を作ろうとしているらしいことは、又聞きで聞いていた。
「マキョーさん、覚醒ってなんなの?」
食器を片付けながら、カタンが聞いてきた。
「覚醒ねぇ。まぁ、確かにチェルがメイジュ王国に帰った時、残っていた全員が急激に技を身に付けたことがあるんだ。得意技っていうのかな。ジェニファーだったら防御魔法を強化したり、リパは魔物の弱点を見破れるようになったりさ」
「変化の時期ってこと?」
「そう。皆が同時期に変化したんだ。それがまた来たらしい。俺はわからなかったけど」
「なんか、私もした方がいいかな?」
「別にいいんじゃないか。いつも通りで。ワニ園と竜の世話だけやろう。巨大魔獣が来たら、ミッドガードの跡地にいる竜たちが潰されちまうからな」
「うん」
俺たちは、食後の運動にワニ園へ向かった。沼を迂回し、周囲を確認する。特に襲ってくるような魔物はいなかった。
付近のトレントは徐々に沼の方に避難しているし、インプは相変わらず騒々しい。
ワニ園のロッククロコダイルは、魔法で岩を柱のように積み上げ、陰で涼んでいた。
秋も深まり、それほど暑くはないが心地のいい温度に調節しているのだろう。
ジビエディアの肉を放り投げて、餌付けしておいた。
ミッドガード跡地に行くと、ほとんどの竜たちが寝ていた。
周辺には紫色の魔力が豊富なイモが残っているらしく、掘り起こして食べている竜もいる。
黒焦げた岩のようになっているスパイダーガーディアンは竜の子守りにつかれたのか、魔力切れになって転がっていた。魔力を込めると、足を動かして跡地の外へと向かっていった。
ダンジョンの民が武器を手に、竜に挑んでいたが鼻息で飛ばされている。
「どうやって倒すんですか?」
小さくなった山羊頭の魔王が聞いてきた。
「ん? 殴って……」
竜が吐く炎を魔力の回転で跳ね返すだけで、ダンジョンの民は驚いてくれる。
「難しくはないから、皆もこれくらいは身に付けよう。もうすぐ巨大魔獣が来るからダンジョンの民は避難するように」
「わかりました」
ダンジョンの民も、魔力操作を練習しているようだった。
「お前たちも避難するんだぞ」
竜たちに言ってみたが、芋のげっぷをしていた。
「この野郎!」
竜と取っ組み合いをしながら遊んでいたら、またしても浮遊魔法を発見。
上からふいに抑えつけようとすると、筋肉が元に戻ろうとして反射的に反発する。その力に魔力で干渉すると、ポンッと竜が空に飛んでいく。面白いのでポンポン飛ばしていくと、竜たちが集まってきてしまった。
竜は骨も筋肉も魔力の流れも単純なので、壊そうと思えば簡単に壊れる。トカゲとそんなに変わらない。逆にねんざや骨折なんかも治しやすい。
あとは、自分に魔力がなくても、相手の魔力を使えばいいということにも気がついた。
「ただ、巨大魔獣は魔力を吸いながら、動いてるからなぁ」
以前はまったく魔力が感じられなかったミッドガード跡地を眺めた。
空は曇り始めていた。
「やっぱり、私も覚醒しないといけないかも」
帰り道にカタンまでそんなことを言うので「新しい鍋でも買おう」と提案しておいた。