【運営生活41日目】
今日もリパの箒を借りて、浮遊魔法の練習をする。
魔法陣が書かれた箒を使えば浮くのに、素だと浮かない。
「人間は浮くようにはできてないもんな」
水の中なら浮くが、空中だと無理だ。水の圧力か。
試しに空気に魔力を混ぜて自分の身体を四方八方から押してみたが、ちょっとだけ挟まれる感覚があるだけで何も起きない。
「おかしいな」
魔人の呪いを受けていたチェルは飛んでいた。
羽はあったけど、羽ばたいて人の重みを浮かせているようには見えなかった。そもそも羽をとんでもない勢いで動かさないといけないはず。だとすれば、チェルは魔力で空を飛んでいたことになる。
「今チェルって、竜の農場作ってるのか?」
近くにいたカヒマンに聞いた。沼のヘイズタートルの甲羅についた苔を魔力の回転で削ぎ落している。趣味かな。
「たぶん」
チェルに聞いてみるしかないか。
「おーい、朝飯出来たよ~!」
カタンが坂の上から俺たちを呼んでいる。
早朝から起きて、ミッドガードへの支援物資を運んだ。洞窟の奥にある転移の魔法陣が描かれた部屋には結構な量の物資が溜まっている。そろそろ魔物たちも巨大魔獣に備え始める頃だろう。
「今日はドライフルーツを入れたパンと、東部にいるフィールドボアのステーキ、沼の魚の香草焼き、根菜スープだよ」
「朝からステーキを5枚も食わせるつもりか?」
カタンの作った飯は量が多い。ただ、全部美味しい。
「そうだよ。マキョーさん、食べるでしょ?」
「焼き加減、塩加減、腹持ち、全部完璧なんだ。やっぱりカタンは魔境料理屋を開いた方がいいんだよなぁ」
「魔境は素材がいいからね。いくらでも試せるし、誰でも美味しくなるのよね」
「そんなことはない。俺なんか、何か月も住んでいても全然肉を焼いたりするだけだった」
そう言うと、ドワーフ2人の手が止まった。
「そっか。マキョーさんも魔境に来て一年経ってないんだ」
「忘れそうになる」
「どうせ、2人も半年後にはこんな感じになってるぞ」
「ないない」
「それは、ない」
2人にとって俺は違うらしい。大して変わらないと思うのだけれど。2人と違うのは辺境伯の地位があることくらいだ。地位なんて魔境にいる限り、あまり意味はない。
「称号で飯食うってどうやってるんだろうな?」
魔境にいるとやらないといけないことが多すぎて、顎で人を使いこなし、のん気に暮らすなんてことはできない。
「知らない。私は今好きなもの食べられているから、満足だけどね」
「称号は腹に溜まらないんじゃ……」
「そうだな」
今は美味しいものを食べることに集中しよう。
飯の後、片づけを済ませて、北部へと2人を連れていく。
相変わらず、カタンが木の実や草を採取し、毒見をしている。パッチテストをしなくても、最近、植物に毒があるかどうかがわかってきたらしい。
「周りの植物が違うから、わかるのよ。もちろん危なそうなキノコでも処理をすれば食べられるってこともあるんだけどね。毒キノコの方が、旨みが出るってこともあるから難しいの。あ、ほら、あの狼」
目の前には剣のような鋭い毛を持つ狼が、ふらふらと歩いている。
「あれはたぶんキノコ中毒になってる。鼻もバカになってるから、キノコが見つからないってことに気がついていないのよ」
「つくづく食は大事。簡単な怪我や毒より、中毒を治す方が難しいよな」
「そうなのよ。どうする? 狼の毛皮いる?」
カタンは小さなナイフを取り出した。
「いや、毛皮は倉庫に溜まっているから十分だ。それよりカタンも魔物を狩れるようになったのか」
「ああいう簡単なのはね。マキョーさんやカヒマンみたいには狩れないわよ」
カヒマンは「ちょっと違う」と返していた。
「マキョーさんは何肉を食べるか考えているけど、俺はどうやって魔物に近づくかを考えてる。同じ狩りでも考えてることが違う」
「確かに、そう言われるとそうかも……」
魔境で狩れないと思う魔物が、ほとんどいないかもしれない。空を飛んでいても、石投げて落とせばいいかと思うくらいだ。
「マキョーさんに、狩れない魔物はいるの?」
「そりゃ、いるだろう。いると思うぞ……」
だんだん自信がなくなってきた。もしかして俺は魔物である限り狩れてしまうのか。
「ダンジョンとかは無理だ」
俺のダンジョンは身体にへばりついていて、鎧のようになってしまっている。スライムと同じでコアの位置はわかりやすく狩れないことはないが、狩る意味がない。俺に懐いているダンジョンは日に日に成長している。
「そうかなぁ」
カヒマンは納得いっていなかった。
「入り口近くに住んでいるグリーンタイガーの親子も狩れない。門番みたいなことをしてくれてるからな」
「それって役割がある魔物は狩りにくいだけじゃないの?」
「あ、そうかも」
ダンジョンもいずれ実験に使うつもりだ。
「ちょっと待て。役に立たない魔物は全部肉に見えてるってことになると、俺は相当ヤバい奴だぞ」
「「うん」」
ドワーフの2人が同時に頷いた。
「そうか。自覚しないとな」
それから行き交う魔物や飛んでいる鳥を見ても、肉が美味そうなどと思わず、なんの役に立つのか考えながら走った。意外と役に立つ魔物がいるかもしれない。
考え事をしている間に北上を続け、魔石鉱山前の竜の引っ越し先に辿り着いてしまっていた。
「な、なんだ? 何しに来た? 手伝いに来たんだな。よし、ちょっと山を掘ってくれ」
出会い頭にシルビアが、指示を出してくる。
「マキョー、いいところに来た。ここら辺の木を切ってくれ。竜が空から着地するときの邪魔になるのだ」
「暇つぶしに来たようだけど、働かないなんて選択肢はないんだからネ。結局、地脈の先に何があるのかわかったのカ?」
彼女たちの方が、目の前の男が役に立つかどうか見定めている。辺境伯などと一度も思ったことがないんじゃないか。
「地脈は北東にある鉄の鉱山まで続いて、海に沈んでた。エルフの国へ密航もできそうだけど止めておいたよ。シルビア、山を掘ってなにをするつもりだ? ヘリー、切った木を置く場所を考えておいてくれ」
「そうカ。言ってたもんな。鉄かぁ。ってことは魔道機械の修復には役に立ちそうだネ」
「りゅ、竜の巣にするつもりに決まってるだろ。鉱山のダンジョンで火山帯を作ってみたが、なかなか住みついてくれないんだ」
「木の幹は木材にして、枝は弓の素材に、葉は着火剤にするから、切ったらそのまま置いといてくれればいい。無駄なく使おう」
「わかった」
俺が作業に入ろうとしたら、ドワーフの2人が気持ち悪そうに俺を見ていた。
「やっぱり、おかしい」
「マキョーさん、今、3人と会話をしてましたよ」
「そう言えばそうだな。おい、ドワーフたちが驚くから、3人同時に話しかけるなよな!」
「「「へーい」」」
わかってない返事が同時に返ってきた。
「すまん。奇人の集まりなんだ。勘弁してやってくれ」
「「「奇人はお前だ!」」」
女性陣は無視して、封魔一族に教えてもらったように姿勢を正し、木を指から出した魔力で切った。5本くらい一遍に切れてしまう。
「倒れるぞー!」
掛け声は忘れない。ドワーフたちに枝払いをしてもらうように頼んでから、山へと向かった。
図面を見ながら、魔力のキューブで山の崖に穴を掘っていく。シルビアの図面は意外に上手い。武具を作っているから、頭の中のイメージを書き起こすのは得意なのかもしれない。
「山全体を竜の巣にするつもりか?」
「そ、そうだね。地下に地脈が通ってるから、竜にとって居心地はいいはずだ」
「なるほどね」
「ど、どうやら床の窪みも大事なようなんだ」
「生態調査しているな」
俺が掘りだした穴に、チェルが竜に合わせた窪みを作っていく。
「あ、そうだ。チェル、空の飛び方を教えてくれ。そのために来たんだ」
「え!? また魔法使いになりたい子どもが言うようなことを……。私だって魔道具がなければ空は飛べないヨ」
「魔人化したときは飛べていたじゃないか」
「そう言えば、そうだナ。ちょっと待って、窪みだけ作っちゃうから」
俺とシルビア、チェルは大急ぎで竜の巣穴を作った。
昼休憩を挟み、俺が最近の試行錯誤をチェルに語って聞かせた。
「水の中で身体は浮くのに、空中で浮かないのは変じゃないか? しかも古代ユグドラシールの民は、島まで浮かせているんだぞ」
「そうだけど、体重はなくならないからナ」
おやつで出てきたカム実のジャムを塗ったクルミパンが矢鱈美味しく、議論と試行は捗った。
日が傾き始めた頃、チェルは何も持たずに空を飛び始めていた。
「結局のところ初動が大事だネ」
チェルが言うには、初動に体内にある水分を一時的に皮膚の表面に出して、水の中を再現し、浮力を作り出すとか。
「頭おかしいな。水魔法で湿気を集めた方が早いんじゃないか?」
「そうかもネ」
俺も試しに自分の周りの湿気を集めて、簡易的な風呂を自分の周りに作りだし、浮力を感じた。あとは、その浮力に魔力で干渉していけばいい。
ふわっ。
傍から見れば、身体の周りにある水が服に隠れて突然浮いているように見えるだろう。
初動の浮力さえつかんでしまえば、あとは魔力操作で方向も決められるし、練習さえすれば誰でも空を飛んで移動できるようになりそうだ。
「でも、これ。水球さえ作ってしまえば、腕にかかる浮力でも掴んでしまえば飛べるんじゃない?」
「本当か? そんな簡単じゃ……」
チェルが作り出した水球に、腕を突っ込んで浮力を感じる。その浮力に魔力で干渉すると、あっさり空へと浮かんでしまっていた。おそらく肝は怖がらずに、身体がついていく方向へ流されていくような感覚だろう。
「またしても古代ユグドラシールにしかなかった魔法をいとも簡単に再現するんじゃない」
「ま、魔法を作る瞬間に立ち会うとは……」
ヘリーは引いていた。魔力は使えるようになっているはずだから、ヘリーにも練習させよう。
「で、結局のところ、移動を楽にしたかったから、こんな浮遊魔法を練習していたのカ?」
「違うよ。巨大魔獣をクリフガルーダの『大穴』に運ぶのに、地面を引きずっていくわけにもいかないだろ」
「「「ああ!」」」
その場にいた全員が納得した。
「あれ!? マキョーさんとチェルさんが宙に浮いてる!?」
「魔道具も使ってないなんて!? なんで!?」
突然、森からジェニファーとリパが現れた。魔石鉱山からの輸送経路を確認しているのだろう。
2人はしばらく口をぽかんと開けてこちらを見ていた。
俺とチェルは、羽も魔道具もなく空を飛べるようになった。だからと言って魔境で何かが変わるというわけではない。
ただ、カタンとカヒマンが書いている日誌には「魔境の辺境伯は3倍喋って、3倍働いて宙に浮く」と記されたらしい。