【運営生活35日目】
目を空ければ、ピーカン照りだった。
太陽も高い。完全に昼間になっている。
「ガホッ!」
胃の中にまで黒い水が入っていたようだ。
自分の身体を確認したが傷や骨折などはない。しっかり心臓も動いていた。
半日ほど地面に埋まっていただけのようだ。南部の港町を走り回っていたから疲れが出たのだろう。
見上げると、白い鹿が見せてくれたのと同じ現実が巻き起こっていた。
『封印の楔』こと大きな杭はそのままで、チェルは魔人化し、ヘリーたちは合流している。
黒い水竜は相変わらず山のように大きいが、昨日よりは縮んでいる。蒸発したのだろう。
立ち上がって、身体に着いた土埃を払う。
遠くから魔物の鳴き声が聞こえる。『大穴』の外では『渡り』の魔物たちが待機しているらしい。
チェルたちは黒い水竜に決定的な攻撃を与えられていないし、水竜の方もチェルたちを排除できないでいた。白い鹿は俺の胸に足跡を残して消えている。
地上も地下も状況は確認した。
あとは実行するだけ。
黒い水竜の上を飛び回っているリパに狙いを定めて跳んだ。思っている以上に魔力の勢いがついてしまったが、箒を掴めた。
「おわっ! マキョーさん!」
「すまん」
「今までどこに行ってたんですか!?」
「寝てた。悪いんだけど、呪法家の隠れ里に行って、呪文を止めるように言ってきてもらえるか?」
「わかりました」
「ついでに魔封じの杭をいくつか持ってきてくれると助かる!」
リパが飛んでいくのを落下しながら見送った。
霊媒術を使って、地面から魔物の骨を蘇らせているヘリーの下へ着地。舞い上がる土埃を払うと、泥と血で全身を赤黒く染まっていたヘリーが、目だけ見開いてこちらを向いた。
「おう。もう骨は還して大丈夫だぞ。それからアラクネの糸は持ってない?」
「持ってるわけがなかろう! 今まで何をしていた!?」
「寝起きなんだ。大きな声を出すなよ。許してくれ」
「許すも何も、あんな風になってしまったチェルに謝れ!」
チェルは羽を二対つけて、飛び回り、水竜の攻撃を紙一重で躱しながら、魔法を繰り出している。身体はすっかり魔人そのものだ。
「あとで交代するよ。チェルは戻れるんだろうな?」
「知らん! 大事な時に寝おって!」
「アラクネの糸はシルビアが持ってるかな?」
「そんなに大事なことなのか?」
「大事だろう。あの杭を抜かないといけないからな」
「杭……!? 地殻変動を止めているのではないのか? 抜くのか!?」
「抜くよ。嵐が魔力吸っちゃって人間の力じゃどうしようもないだろ。人間ができることは人間を止めることくらいだ」
泥と血にまみれたヘリーに怒られると恐ろしいので、とっととグリフォンの上から火の玉を投げているシルビアへ向けて跳んだ。
「よう!」
明るく挨拶したつもりだったのだが、シルビアは犬歯を立てて俺に噛みついてきた。
「なんでだよ!? いてぇ!」
「こ……この湧き上がる魔力はなんだ!?」
俺の血を飲んで、シルビアが覚醒してしまった。
「なんだ!? じゃない! なんで噛みつくんだよ!」
「なんだ、マキョー生きていたのか?」
「勝手に殺すな。ほら心臓も動いてる」
胸を見せたら、何の躊躇もなくノータイムで骨のナイフで刺してきた。革の鎧で深くは刺さらなかったが、とんでもない奴だ。
「やめろ! なんで殺そうとするんだよ!」
「あ、幻覚じゃないようだな。幻覚だったらちゃんと殺せていたはずだ」
幻覚かどうかを確かめる度に、シルビアは俺を殺そうとするのか。
要件だけ済ませよう。
「アラクネの糸を持っていないか?」
「持ってないぞ。それが今、大事なことなのか?」
「大事だ。あれをやっつけないといけないだろ」
黒い水竜を指した。
「そうだけど……、持っていないぞ。ジェニファーなら持っているかもしれない」
「わかった」
シルビアはそのままグリフォンに乗り、砂漠に生えていた魔力を吸収する多肉植物を投げつけたりしていた。『渡り』の魔物たちも大穴の上空を旋回し始めているが、今のところシルビアが止めている。
ジェニファーは黒い水竜が吐き出す攻撃をスライム壁で弾き返している。
「なんの攻撃? 腐食系か?」
「いえ、腐食のような性質ではなく、泥と氷を混ぜたような攻撃ですね。威力が変わりますが……、はっ! え!? マキョーさん!?」
「ジェニファー、アラクネの糸を持ってないか?」
「持ってますけど……。それどころじゃなくて、見てくださいよ! チェルさんがまた魔人化して大変なんですから」
「大変なのは水の竜の方だろ。チェルは、まぁ、大丈夫だ。芯まで魔人にはなってねぇだろう」
「だけど、あんなに動き回って……」
「確かに、半日寝ていた俺よりは持久力がある。そろそろ交代しないとな。だから、アラクネの糸」
「鞄の中です。ロープ状になってますから、解いて使ってください!」
「いや、ロープの方がいいんだ。あとは魔力を伝導しないただの布とか……」
ジェニファーのカバンの中からアラクネの糸で作ったロープを取り出した。
「何でも持ってきているわけではありません!」
「仕方ない。ボロボロのインナーで済ますか。本当にすぐ破けるな」
だいたい指示は出し終えたので、『大穴』の中心地にある杭に向かう。
「ちょっと! マキョーさん、チェルさんはどうするんです!? 交代しないんですか!?」
「もうちょっとかかる。今、リパが水竜の呪いを解きに行っている最中だから、それまで辛抱してくれ!」
「そんな……」
人にはそれぞれの役割があって、その時その場面でそれぞれ違う。
人ではないが、きっとあの白い鹿は時を報せにやってきたのだろう。
俺もやるべきことをやるだけだ。
鳥人族から『封印の楔』と言われ、守られ続けてきた杭だが、抜く時が来た。
杭の保存状態はいいが、土台となる地面にはひびが入り、経年劣化が激しい。
蓋となって封じ込められているヌシもそろそろ肉体が限界に達している。ユグドラシールの民が封印して1000と有余年、永い眠りから目覚めさせてもいいだろう。
それが地中を見た俺の感想だ。
大きな杭の下には丸々と太った竜が眠っている。流れるマグマをものともせずに、地脈から魔力が噴出する穴に鎮座し、魔力の塊になっている。
そもそも古代の封魔一族は、魔封じの杭を大きくするだけで地脈からの魔力を封じ込めるとは思っていなかったようだ。地脈からの魔力を吸収できる竜を置き、さらにその竜を眠らせることによって封印してきたのだろう。北西の魔石鉱山にいたダンジョンモドキは図らずもそうなっていた。
竜によって噴出する魔力を調節し、地脈の流れを変えて地殻変動を抑える。
これが古代の計画だったようだが、1000年後の『大穴』やクリフガルーダと魔境の境にある崖を見ると、上手くいっているようには見えない。
なにより大陸が割れたとしても、それほど困ることなのかどうか今の俺にはわからない。
魔境には、およそ文明と呼べるものは残されていなかったのだから。
杭にアラクネのロープを巻きながら、頭の中を整理していく。
ロープの先には完全にボロボロになりただの布と化した俺のインナーを結びつけた。
徐々に黒い水竜の勢いが失われていて、中の骨がすっかり見えてしまっている。チェルたちの攻撃も骨に当たり、動きを止めさせていた。
「マキョーさん!」
リパが呪法家の隠れ里から戻ってきた。呪文を止めた成果はすでに出ている。
「おおっ! よくやった! ついでにこの杭を引っこ抜くのを手伝ってくれ!」
「引き抜くんですか!? ダメですよ! それ鳥人族が守ってきた杭なんですから!」
「いや、古代人の計画は失敗してるから、引き抜こう」
「失敗って……」
「魔境の文明は崩壊していただろ?」
「そうですけど」
「とにかく持ち上げられるかやってみよう」
空飛ぶ箒に2人がかりで魔力を込めて、思い切り飛んでみたが、びくともしない。むしろただの布が破けそうになった。布をねじり強度を増しても同じだ。
「おーい! チェルー! 遊んでないでこっちを手伝ってくれ!」
ズボフッ!
チェルの腕がこちらに向いたと同時に、巨大な炎が飛んできた。せっかく結んだロープが丸焦げになってしまうので、一旦退避。思い切り空飛ぶ箒に魔力を込めると、空高く舞い上がった。
「シャオラッ!」
雄叫びに似た声が聞こえてきた。
振り返ると、チェルの両手に頭を掴まれていた。
ズゴンッ!
額に向けて頭突きが飛んできて、目の前に星が飛ぶ。
魔族の角が突き刺さってとても痛い。
「ぐぅあらぁあっ!」
寝てない女のストレスはヤバい。口から黒い炎を吐き出しながら、犬歯を見せて威嚇してくる。早めに寝かせないと俺が死にそうだ。
「わかった! もう休んでいい! 徹夜続きで殺気立つのもわかるが、ちょっとその前に魔人化の呪いを解こう!」
チェルは俺の頭を掴んだまま、思い切り空気を吸い込んだ。
黒い炎が喉の奥にちらついているのが見える。呪いの炎が威力は知らないが、周りから水分がなくなっていくのがわかる。
俺は急いで顔面に魔力でスライムの口を作り出し、そのままチェルの口を人工呼吸さながら塞いだ。
ボォオッ!
喉の奥まで熱く焼かれるような感覚があったが、粘液で消火しながら胃の中に納める。
「う~わ、ペッ!」
黒い炎だったモノを吐き出した。死ぬほど気持ちが悪いし、食道から胃の中までが熱くひりついている。
「あれ? マキョー、何してんノ?」
目の前の魔人は、顔だけがいつものチェルに戻っていた。
「あの杭を抜いてくれ。水竜はほとんど形を保てなくなっているだろ? もう終わりだ」
「え? あ? ああ、本当だ」
水竜の形は崩れ、再び獣の頭をした黒い水溜りと化し、濁流となって再び『大穴』の中央に向かって流れ始めた。
「抜いていいのカ?」
「抜いていい。大陸も一気には割れないだろ? ちょっとずつこちらで対応すればいいんだ」
「それもそうだな。ヨシ!」
チェルは自分の身体を見て「うわぁ、なんだこれ」と一瞬戸惑っていたが、杭に向かって飛んでいった。
俺はというと落下している。リパは頭突きの衝撃でどこかに吹っ飛んでいるようだ。
魔力のキューブを作り出しても、キューブの時が止まっていないので一緒に落ちてしまう。
そのうちに、黒い濁流が眼下に迫ってくる。
俺の魔力に反応して黒い熊の顔が伸びてきた。
風魔法を付与した拳でぶん殴れば、熊の顔は拡散して消えた。
それでも落下は止まらない。
「誰か~、助けてくれ~!」
ヒュンッ!
風切り音がした。俺は地面にぶつかる直前にグリフォンの脚に掴まれていた。
「シルビア、こっちにぶん投げて!」
顔だけチェルの魔人が何か言っている。
まさかと思ったが、シルビアはグリフォンに命じて俺をぶん投げた。
細く長い魔人の腕が俺を荒く掴んだ。
「遊んでないで、魔力を送り込んで!」
「はい」
チェルに思い切り魔力を送り込んだ。
バサッ!
チェルの腕がギシギシと鳴った。羽を広げて羽ばたいてはいるが、『封印の楔』の杭は抜けない。
俺は地面に下りて、両腕で杭を掴む。
地面と接している足にだけ魔力を込めて、杭は掴むだけ。腕まで魔力を込めると吸い取られてしまうが、体幹までは魔力を込められるようだ。
姿勢を正し、思い切り杭を引っこ抜く。
すでに黒い水は足元まで迫ってきているが、杭を抜かなければ、濁流の行き場がない。『大穴』の外から『渡り』の魔物たちの鳴き声が聞こえてくる。魔物たちも待ち望んでいたのかもしれない。
ズズズ……。
一瞬、地面が動いた。
「おりゃぁあ!」
自然と声が漏れていた。
ズッポン!
鳥人族が守らなければならなかった杭が、空高く舞い上がった。
同時に黒い濁流が押し寄せてきた。
俺は思い切り空に向かって跳んだ。
空中でチェルが俺を掴んでくれた。
眼下には『大穴』の中心にぽっかり穴が空いている。濁流が穴へと消えていく。
パシュッ。
音はすごく静かだったが、濁流をかき分けて光の柱が穴の奥からはるか上空まで伸びた。とてつもない魔力量の柱だ。ただそれも一瞬で収まる。
キョェエエエエ!!!
穴から雄叫びのような声が聞こえた。きっと丸々と太った竜が起きたのだろう。
ジュー……。
黒い水がマグマの熱で蒸発。濁流はいつの間にか収まり、『大穴』のところどころに水溜りを作っていた。
穴からは白い煙が立ち上っていく。煙と共に『大穴』に魔力が満ちていくのがわかる。
ボフッ!
丸いキノコが生え、奇岩が伸びた。
水溜りには虫が湧いて、飛び立っていく。散らばった骨が組み合わさり、炎を吐きながら動き始めた。
『渡り』のグリフォンが虫をついばんでいた。
穴から出てくる魔力量は多く、一気に元の『大穴』へと復元していった。
地脈の蓋だった竜はマグマの中を泳いで消えてしまったようだ。
穴の中を覗くと熱気と魔力が噴き上がってきて、近づくこともままならない。魔力で探って見れば、マグマが流れて地脈の蓋になってはいるが、いつまで保つのかわからない。
「マキョー、どうなっても知らんぞ」
真っ黒に汚れたヘリーが近づいてきた。
空から『渡り』の魔物たちが飛んできて、キノコや虫を食べていた。シルビアは使役していたグリフォンを『大穴』に返していた。
リパは全身が汚れているが、とりあえず空飛ぶ箒は守ったようだ。
「とりあえず、一旦『大穴』から出よう。ちょっと私、もう眠いんだヨ」
「寝てくれ」
俺たちは顔だけチェルの魔人を担いで、大穴から出た。
晴れ渡る秋空だけが、普通の顔をしていた。




