【運営生活34日目】
夜中、駆け回り、西の救助活動はハーピーの群れに任せ、東へと向かっていた。
東に行けば行くほど大嵐の被害は低地の町から高台へと徐々に及んでいて、崖崩れなどの土砂災害が広がっていた。
ゆっくりと進む真っ黒な雲は、避難民の身体を冷やし、絨毯に乗った魔法使いを吹き飛ばしていく。簡易的な避難所を作り、怪我人を治していた。
一晩中、やっていればそれほど時間はかからない。崖があれば、魔力のキューブでくりぬいてしまえば避難所も楽に作れる。
いつの間にか俺たちは大嵐に追いついてしまっていた。
夜が明けて、雨脚が弱まったものの、強風と雷鳴は止まらなかった。
ゴロゴロゴロゴロ……
腹に響くような雷が緑深い森に落ちた。
川が氾濫し、王都へと続く橋は崩れ、通行止め。
嵐が過ぎ去るまで待つしかない。
避難民は俺が作った洞窟で身を寄せ合っている。
「待ち、ですね。雨が止んだら橋をかけて王都に向かいましょう」
心配そうに外を見つめる中年女性に声をかけた。
ボロボロだったチェルのローブはさらに破けている。すでに魔封じの腕輪は外していて、魔力の吸収量を上げていた。
とにかく、俺もチェルもカヒマンも、昨夜からずっと動き続けていたので疲労が溜まっている。
雷の音を聞きながら、自然とカヒマンがあくびをした。
つられて俺もチェルも大きな欠伸が出た。
「雷が鳴っていても欠伸は出るもんです」
「皆ボロボロに汚れて、呪術師の森が近ければ誰だって眠くはなりますよ。この時期だもの」
俺と呪術師が初めて出会った森まで来ていたようだ。
つまり森の奥には『大穴』がある。
キィエエエエエ!
奇声の後に、森の中を駆け回る魔物の足音が聞こえてきた。
バチバチバチィ!
突然、雨水が流れる街道に小さな雷が走る。
瞬きする間に、真っ白な鹿が突然現れた。
体長は魔境のジビエディアと同じくらいで、アルビノ種だろう。全身に雷を纏っているらしく、汚れなど一切ない。
優雅に北を見上げて、立ち止まっている。
魔物の足音は止まらず、バキバキと枝葉を折りながらこちらに下ってきているようだ。
折れた太い枝が街道にも降ってくる。
白い鹿は除けもせずに、枝を弾き飛ばした。
「魔力を回転させているのか」
人以外でも魔力を回転させているなんて、ヌシのような鹿だ。
バキバキバキバキィ!!
今度は坂の上の方から赤茶色の鱗を纏った大きな犬が街道に飛び出してきた。
「あれは……!」
「『大穴』の魔物だ!」
俺とチェルが同時に叫ぶ。『大穴』の魔物が出てきたとして、クリフガルーダで対処できるのか。
大犬は白い鹿を威嚇するようにグルグルと喉を鳴らしている。見る間に茶色がかった鱗が赤く染まっていった。
「こんなところで戦われたら溜まったもんじゃない!」
避難所を飛び出して、白い鹿に飛び掛かる大犬の頭を指から魔力を放って切り落とすつもりで振り下ろした。
ガキィン!
あっさり赤い鱗に弾かれたが、大犬の体勢が崩れる。白い鹿は俺に驚いている様子だが、その場から動くことはなかった。
大犬の敵意がこちらに向く。炎が口から放たれる隙に、風魔法を付与した手のひらで鼻っ面をひっぱたく。
ボフッ!
回転した大犬は空高く打ちあがり、呪術師の森の奥へと飛んでいった。
バチンッ!
破裂音が耳をつんざく。
振り返ると白い鹿は煙のように消えていた。
「カヒマン!」
「ん!」
「ここを任せた! 『大穴』から魔物が出てくると被害が広がる。今の王都で暴れられたら大事だ!」
「わかった!」
「チェル、行くぞ!」
「干し肉! 力足りなくなるゾ!」
チェルから干し肉を受け取って、口に放り込んだ。干し肉の塩味が唾液を溢れさせる。疲労感が吹っ飛ぶわけではないが、気力は湧いてきた。
大犬が吹っ飛んだ方向へ走り出す。根を張り動かない植物であれば、気にせず躱しながら走り抜けることも可能になってしまった。
転がって慌てている大犬の尻尾を掴んで引きずり、小高い崖を上った。
「こりゃ、ひでえ」
大嵐はしっかり『大穴』に辿り着いていた。
雷と牛のように大きな氷が降り注ぎ、そこら中で竜巻が発生している。
「大犬が逃げ出すわけだ」
怯えて固まっている大犬の尻尾から手を放した。
『大穴』の中心部には、大陸の地殻変動を止めたと言われている大きな杭がある。
「大杭を抜かれたらマズいな」
「魔力が溢れ出すぞ」
俺たちは大きく息を吸って、『大穴』に一歩踏み出す。
魔力が地面から噴き出してきて、体中を満たしていく。
「魔力は骨に通して、氷と雷を弾いていこう」
「竜巻は?」
「距離を取って対処」
「了解」
大声で会話しないと聞き取れない。
ただ常時、魔力が体を満たしているようで、感覚が鋭くなってしまう。どこに何があるのか、視覚の届かない真後ろで何が起こっているかも肌で感じるようになった。
坂を下り切る頃には、俺もチェルも魔力を使って降ってくる氷も雷も対処できるようになっていた。
骨の魔物が降り注ぐ氷に炎を吐いて対応しているが、あっさり砕けて骨片が飛び散っている。骨は集まり修復していくが不自然にくっついてしまい、動けなくなっていた。
真っ赤な牛と、黒い熊が降り注ぐ氷と雷を躱して『大穴』の中心に向かって駆けていく。もしかしたら、俺たちには見えないルートがあるのかもしれない。
ズン……。
突如、突き出すように伸びていた奇岩がゆっくりと動き始めた。
「なんの冗談だ」
奇岩だと思っていたものは、王都の門よりも大きな蜘蛛の魔物だったようだ。ガーディアンスパイダーには元になる魔物がいたらしい。
氷が解け、真っ黒に汚れた水溜りが溢れ、鉄砲水のように後ろから押し寄せてくる。水に魔力が溶け、勢いを増していく。
俺たちの脇をバリバリと雷の音を立てて、白い鹿が駆け抜けていった。
俺たちも必死で魔力を回転させて、白い鹿を追いかける。
グゥオオオ!
遅れた黒い熊が鉄砲水に飲み込まれた。
直後、水が形を変えて熊の顔で俺たちを追いかけてきた。チェルが氷魔法で凍らせたが、1秒で破られてしまう。
魔力のキューブで防ごうにも、熊の口に噛み砕かれてしまった。
前を向くとなぜか白い鹿がこちらを見て、立ち止まっていた。
「マキョー! 走れ!」
チェルに急かされながら走り始めると、白い鹿はこちらと歩調を合わせるように俺とチェルの間を並走してきた。俺たちに何かしてほしいのか。
「キューブだ! キューブ!」
チェルの声で、俺は目の前に魔力のキューブを出した。
白い鹿は角でちょんと触り、飛び越えていく。
俺たちは白い鹿を追いかけながら、後ろを振り返ると黒い熊はかみ砕けず、迂回するように速度を下げた。
「キューブの時を止めたのか?」
ようやく俺は東海岸の倉庫を発掘しているときに発見した鹿の紋章を思い出した。
巨大魔獣に乗り込むときと同じように俺が魔力のキューブを階段状に出していくと、白い鹿はすべてのキューブの時を止めていった。
足元を黒い水が濁流と化して、魔物も奇岩も飲み込んで流していってしまう。
魔力の階段を白い鹿と一緒に駆け上がると、『大穴』を俯瞰して見ることができた。
『大穴』が真っ黒に濁った水溜りとなって、そこら中に渦を巻いている。竜巻で巻き上げた水が形を成し、城門のように大きな熊や牛、犬、虎など獣の頭部が駆けずり回り、逃げ出す奇岩の蜘蛛を飲み込んでいた。
水の流れは中心部の地面に突き刺さった杭に向かっている。
近くだと巨大な杭に見えていたが、今は恐ろしくちっぽけに見えた。
「こんなところに『渡り』の魔物が来たら、一瞬で絶滅するぞ」
「治まるまで待つしかないのか」
白い鹿を見上げても、見返してくるだけ。
何もできぬまま見ていろ、と言うことか。
時が止まった魔力のキューブから身を乗り出してみていたが、黒い濁流の勢いは止まらず、広がっていく。骨も奇岩も飲み込んでいく。
ついに黒い雨水でできた獣の頭が大きな杭まで辿り着いてしまった。
パシャンッ!
獣の頭をしていた黒い水が、弾け飛んだ。
魔力を封じる杭は、魔力を多量に含んだ水が触れることを許さなかったようだ。
黒い水が押し寄せても一切杭の周りには寄せ付けていない。
どこからか呪文のような声が聞こえてくる。
そういえば、呪法家が大嵐に名前を付けていたな。ただ、呪法家の隠れ里からあまりにも遠い。声が届くはずがないのに。これが呪法か。
空を覆っていた雲が集まって一気に吹き下ろされていく。『大穴』に溜まっていた黒い水が、雲に向かって流れを変えた。
砕け散っていた魔物の骨まで流されていく。
すべて大きな竜巻によって集まり、形作られていった。黒い水の中に骨が透けて見えていた。
呪法家は災害に人格をつけて呪いに仕上げ、解くのかもしれないが、出来上がったものを見てもそう言えるのか教えてほしい。
ジュラアアア!!
俺とチェルは、黒く溶けてしまいそうな巨大な竜を見ながら、言葉を失った。
ジャッポンッ!
山のように大きい黒い水竜が一歩踏み出すと、身体中から水が漏れだす。
「あんなの、どうしろって言うんだよ!」
「マキョーがあの大嵐の呪いを解くんだよ!」
「無理だろ!? 相手は自然災害だぞ。俺にだってできることとできないことがあるんだよ!」
「じゃあ、あれはどうするのよ!」
俺とチェルが言い争っている間に、白い鹿がパチンと消えてしまった。
「あれ、鹿は!?」
「あそこだ!」
黒い水竜が作り出した水溜りの上に白い鹿が凛と立っていた。
バチンッ!
薄くなってしまった雲から雷が水竜を目掛けて落ちたが、水竜には何の効果もなく動き続けている。
「どこを目指して……」
「マズいぞ!」
黒い水竜があと数歩進めば、大陸の地殻変動を止めていた杭にたどり着いてしまう。
それだけは抜かせてはいけない。
勝手に身体が動いていた。
指から放った魔力で、水竜を切り刻んでいく。細切れになっても元は水なので、あっさりと元の竜の形に戻ってしまう。
「チェル! 焼け!」
細切れになった黒い水の塊をチェルが槍の穂先を無数に出して蒸発させたが、山のように大きな竜が小さくなったとは思えない。
「その杭は抜かせないぞ!」
巨大な杭の傍までは俺たちの方が早く着いた。
『竜人、この杭をもちて大陸の断絶を防ぐ。末裔である鳥人はこの杭を、守り続く』
杭に書かれていた文字が読める。シュエニーは『封印の楔』だと言っていた。
「俺は鳥人族じゃないぞ」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ!」
振り返れば、黒い水竜が間近に迫っていた。
水竜の前足が迫ってくるも、俺が切り落とし続け、チェルが蒸発させていく。
「なんでこんな杭を抜こうとするんだ!?」
魔物は魔力に寄っていく。地下に巨大な魔力がある。そんなことはわかってはいるが、言わずにはいられなかった。
「ワァアアアア!!」
チェルが叫びながら、水竜の前足を沸騰させている。腕の血管が黒く変色していく。俺も魔力のキューブで前足をくりぬいてみたが、すぐに黒い水が押し寄せてきて修復されてしまった。
俺は巨大な杭に飛び乗り、迫りくる水竜の前足に備えた。防御魔法を使ったが、どんどん魔力は杭に吸い取られていく。
ボッ! ゴポッ!
水竜の前足が横に振られた。
巨大な水袋で叩かれたような衝撃が全身を打ち、魔力を含んだ水が押し流していく。魔力を込めようにも杭に吸い取られ、踏ん張りは効かなかった。
吹っ飛ばされ、転がって地面に倒れた。
「マキョー!」
俺を心配するチェルの声が遠くから聞こえてきた。
左耳が聞こえにくい。左半身が打撲で、どこかの骨が折れているのかもしれない。
俺は自分の身体を確かめる前に、姿勢を正して地中を探った。
巨大な魔力の塊とマグマの流れ。
所詮、自然災害に人類が勝つなどできるはずがない。技術力が高かったユグドラシールの民もほんのわずかな誤差を作っただけに過ぎない。『封印の楔』なんてものを打ちつけても、この星の流れが変わるわけではないのだ。
達観している俺の胸に衝撃が走り、目を開けた。
白い鹿が俺の目をのぞき込んでいた。
目を合わせると、引き込まれていく。
ふと目の前に『大穴』を空から見た風景が広がった。
チェルが魔人化して、水竜を攻撃し続けている。
ヘリーが合流していて、『大穴』に埋まっている魔物を蘇らせ、シルビアが『渡り』の魔物を操っていた。
リパが飛び回り、黒い水の竜を陽動。ジェニファーが水竜から放たれる攻撃を防ぎきっていた。
半日後の風景か?
俺は何をしている?
疑問が湧いたまま意識が遠のいていった。