【運営生活33日目】
起きると雨が降っていた。坂の下の泉にぽつぽつと雨粒が波紋を広げていた。
大きな木の根元で眠っていたので、焚火も消えていない。
泉で顔を洗い、水を汲んで出発。南に行くと雨脚が強くなっていた。
とりあえず王都に向かい、国の北側、特に『大穴』には近づかないようにしてもらわないと被害が出る。
そう思って走っているのだが、道行く行商人も馬車もすでに王都へと急いでいる様子だった。
「そんなに急いでどうかしたんですか?」
馬を操る御者の爺さんに走りながら聞いてみた。
「え!? あんたたちとんでもなく速く走るんだな! 満月の夜には『大穴』の魔物が帰ってくるからよ。王都の近くに避難してるんだ」
俺たちよりも長くクリフガルーダに住んでいるのだから、毎年のことなのだろう。いらぬ世話だったか。
「折からの魔石不足で飛行船は使えないし、南部じゃ大雨で土砂崩れが起きてるって話だ。今年のお月見は北から魔物、南から大嵐の挟み撃ちだから月どころじゃないってよ!」
「それってもしかして、『大穴』で魔物と大嵐がかち合うんじゃ……。いや、その前に南部の避難からか」
この先、俺たちの行動の順序次第で、被害状況が変わるかもしれない。
「マキョー!」
話を聞いていたチェルが声をかけてきた。とにかく王都に行って確認した方がいいということだろう。
「おじさん、ありがとう! 先行く」
「おう。雨で滑るから気をつけろよ!」
御者の爺さんに見送られ、俺たちは王都へと向かった。
途中からすでに馬車が渋滞を起こし、町の外にはテントが張られて、避難所と化している。石畳の街道を進み、人でごった返している門をすり抜け、飛行船の発着場近くの小さい交易店へ向かう。
俺もカヒマンも気配を消す訓練をしているが、チェルは何度も町の人たちとぶつかって謝っていた。
交易店のシュエニーは軒先で、雨宿りをしている人たちにお茶を出していた。
「シュエニー!」
「ああ、マキョー様! ちょうどいいところにおいでくださいました!」
シュエニーはお茶のポットごと客に渡して、俺たちを店の中に招き入れた。
「大変なことになってまして」
「町の外にはテントが並んでた。『渡り』の魔物が『大穴』に戻るって警告しに来ただけなんだけど、南部から嵐が来てるって?」
「そうなんです! 魔物が北部から来ることは予想できたんですけど、南部の低地に大嵐が直撃しているとのことです。飛行船も出せないので、どうなっているか。軍は魔法使いを集めて、空飛ぶ絨毯で向かうとかいう噂が出ていますけど、あくまで噂です。気球も雨と風で、上手く飛ばないと爺ちゃんは言ってますけど……」
そのシュエニーの爺さんは、現在商会に呼ばれて、避難民への物資調達に奔走しているとか。
「南部の避難民も北部の避難民も王都に集まっているみたいなんですけど……」
「メイジュ王国に連絡して、必要物資を送ってもらうようにしてもらえる?」
チェルがまともに聞いていた。
「手紙を送るのは構いませんが、私どもは魔境専門とはいえ一個人店ですから、なんとも……」
「魔境の使者マスター・ミシェルの名前で出してくれていいよ。たぶん、それで通じる。被害状況が知らされるまで、どのくらい時間がかかる?」
「わかりません。ただ、たった2日で城下町から人が溢れています」
確かに門兵がほぼ機能していなかった。
「現場で確認するしかないか。南部には避難するような場所はないのか?」
「わかりません。土地勘もないので」
「リパを連れてくるべきだったか」
「呪法家たちの隠れ里ならわかる」
黙っていたカヒマンが口を開いた。
「この前、チェルさんの呪いの時に行ったから覚えてる」
「よし、呪法家たちにも協力させよう」
「いや、それは……」
シュエニーが目を見開いて止めてきた。
「なにかマズいことでもあるのか?」
「軍と呪法家は、ちょっと仲が良くないというか……。特に魔法使いとは……」
「そんなことを言っている場合か? まぁ、いいよ。俺たちは魔境の住人だし、クリフガルーダには関係ない。勝手に協力させよう」
店を出て屋根に上り、屋根伝いに移動を開始。
町行く人に指されながら、門を越えて、大穴へと向かった。
呪法家の隠れ里は『大穴』に近い谷にあり、崩壊した封魔一族の村を思い出した。
雨が降る谷の底は小さい川と化して、どこかから呪文のような声が聞こえてくる。
その川を平然と歩いていると、仮面をつけた呪法家たちが上から覗くように見てきた。
「こんちは!」
手を上げて挨拶してみると、続々と呪法家一家が集まってきた。
「あ! 魔境の!」
女性の声が聞こえてきた。
どうやらカヒマンの知り合いらしい。
「知り合いか?」
「うん、呪具一家の鍛冶屋さん」
チェルとカヒマンと一緒に、崖を駆け上った。
呪法家たちは驚いたようで、大半が腰を抜かしていた。崖の上には茅葺の色合いの少ない立派な家が建っていて、仮面をつけた者たちが静かに暮らしているようだ。
「魔境の領主、マキョーさんと、魔人の呪いに罹っていたチェルさん」
カヒマンの紹介は簡潔だった。
「はぁ……。呪具一家のラグです!」
「こんな生物がいるのか!?」
大きな目を額に描いた仮面をつけた老人が叫んでいた。身体中にお札をつけた人たちも家から飛び出してきた。聞こえていた呪文が消え、黒いコートを着た呪法家も道に転がり出てきた。
「そのぅ……。未だ地脈は見つけられず、測定器を返せないのですが……」
ラグが申し訳なさそうに詫びた。
「いや、それはもういい。それより、南から大きな嵐が迫ってきてるって聞いた。魔境から来る『渡り』の魔物と『大穴』でかち合ったりしないか?」
「我らは『大穴』について研究はしているものの内部で何が起こっているのかはわかりません」
「あ、そうか」
「かち合うと危険なのでしょうか?」
「そりゃ危険だろうな。自然災害の力が『大穴』の魔力と干渉すると結構なことが起こるから、『渡り』で戻ってきた魔物は全滅するかもしれない。そうなると魔境の一部にも影響が出てくる。まぁ、でもその前に低地で避難できずにいる人たちを助けに行かないか?」
「助けに!?」
ラグは戸惑って自分の胸を押さえていた。
「我らはそれほど移動速度が出ません。ただ、此度の大嵐に名をつけることで、その威力を落とそうと呪法を使っておりました!」
腰を抜かしていた爺さんが急に話し始めた。災害に名前を付けることによって威力を落とそうとするなんて呪いを扱う一族らしい。
「我ら呪言一家。貴族たちのように南部の者を『低地の貧民』などと差別して命の力を軽くは見ません。行けるならば、すぐにでも行きます!」
「我ら呪体一家も同じです!」
「無論、裏百家の操呪一家も!」
「呪系百家の総意です!」
こんな隠れ里で仮面付けているくらいだから、人と関わらないように生きてきたのかと思ったが、意外に助け合いの精神があるようだ。
「なら、言葉を解するハーピーを南部に連れて来てくれないか? 魔法使いたちが空飛ぶ絨毯で運ぶのは時間がかかりそうだ」
「えっ!? 獣化の呪いを受けた魔物ですか?」
やはり呪術師が言っていたように、服を着たハーピーたちは差別されているらしい。
「あれは獣魔病患者として魔境では普通に暮らしている。彼女たちの力は、大嵐で被害を受けた人たちの役には立つから、協力してほしいんだけど……」
戸惑うように呪法家たちは仮面を寄せ合っている。
「あまりクリフガルーダで受け入れられないようなら……!」
俺が呪法家たちを説得しようとしたら、呪術師の一行が測定器を手に谷に下りてくるのが見えた。
「なんだぁ!? 魔境の領主様か。測定器が振り切れたからなんだと思ったじゃないか!」
呪術師の後ろではハーピーが飛んでいる。呪法家の中でも彼らは一緒に作業をしているらしい。呪法家たちの意識改革の狭間に立ち会っていたのか。
「どうしたんだ? 皆尻もちなんかついて、魔境の領主様を見て腰抜かしたのか?」
天才呪術師は、呪法家たちを見て聞いて回った。ただ、誰も答えを返さない。
「誰か、状況を説明してくれないか?」
「俺たちは魔境から来る『渡り』の魔物に注意してくれって言いに来たんだけど、南部で大雨の被害が出てるって聞いてさ。『大穴』でかち合うと『渡り』の魔物が全滅しかねないと思ってるんだ。俺としては嵐の規模が知りたいし、被災者救援に向かうから呪法家の皆さんに協力を頼みに来たんだ」
「ああ、じゃあ手の空いてる者たちで手伝いに行けばいいんじゃないか? 軍に止められてるわけじゃないんだろう?」
呪術師には何がいけないのか、まだわかっていないらしい。
「それが獣化の忌み子衆にも協力を頼むと言っていて……」
「ああ! なるほど! 魔境の領主殿、やはり魔境は時が進むスピードが早いようだ。まだ、こちらはハーピーたちを呪われた魔物たちだと思っている人間が多い。ちょっとやそっとで民衆の概念を変えるのは難しいのだ」
「意識が変わっている最中だったか」
「その通り!」
「ただ、それだと救える命が救えないぞ。時間がもったいないから俺たちは先に行く」
意味もなく時間を浪費している場合でもない。
飛び出していこうとした俺たちを、呪術師が止めた。
「わかってはいるんだ! この際、軍も魔法使いも、後の交渉もひとまず脇に置く。ただ、ニンジンをぶら下げないと馬も走らないと言う。忌み子衆、いやハーピーの面々を口説くのに、魔境の名を出していいか?」
「別に構わないぞ。クリフガルーダが受け入れなくても、魔境は服を着たハーピーたちなら受け入れる」
「わかった!」
「それじゃ」
俺たち3人は呪法家の里を出て、南へと向かった。
雨は強かったが、風は木々があるからそれほど感じない。
樹上まで跳び上がり、木々の切れ目を探す。低地へと繋がる川があるはずだ。
そう思って、木々の切れ目に向かったが、水の音の代わりに人の声が聞こえてきた。
「大丈夫か~?」
なるべく厳しい声にならないようにのん気な声をかけた。森から不審な3人組が現れたら、誰だって警戒するだろう。ただ、ほとんど避難民と似たような恰好をしているので、あまり警戒はされなかった。
目の前には泥だらけの鳥人族たちが、街道に列をなしていた。馬車が通るからかちゃんと道幅を開けている。足が折れた人も肩を借りて進んでいく。
王都は人で溢れていたが、さらに多くなる。
「チェル!」
「わかってる!」
一歩前に出て、足が折れた人の脚を掴み、骨を戻して回復魔法を使った。
「ギャー! ……あれ?」
チェルが大きく息を吸った。
「魔族の回復役だ! 歩けないほどの怪我をしている者たちは並んでくれ! ここまで来られないなら、街道の脇に避けて座っていてくれればいい!」
すぐに怪我人たちが、チェルの前に並んでいた。
降りしきる雨に避難民は体温を奪われている。
街道脇に壊れた馬車の荷台が落ちていたので、縦に地面に突き刺して風よけにして、破れた幌を屋根にした。幌に空いた穴は森で調達した枝葉で塞ぐ。
カヒマンと一緒に枯れ木を集めたが、もちろん濡れていた。枯れ木を割って中に火を点けて燃やす。煙はひどいが、街道には流れず森の方に飛んでいったのでよかった。
「休憩所だ。体温が低くなってるから、気を付けてくれ! 低体温症で死ぬぞ!」
街道の避難民に叫ぶと、ガタガタと震えている半裸の男たちが集まってきた。
「どこに一番被害が出てるかわかるか?」
唇が青ざめている男に聞いた。
「わからねぇ。俺は低地でも上のほうに住んでたが、川沿いにあった家は流されちまった」
「村一つ、なくなったって言ってるやつもいたぞ」
「南の港町は悲惨だろう」
相当な規模の大嵐のようだ。
「こんなこと俺の人生でも初めてだ」
やせ細った爺さんが言っていた。
「避難所はないのか?」
「逃げ出した貴族の家を避難所にしてる奴らもいるが、あれはそのうち食料がなくなって争いになる」
軍が集めた空飛ぶ絨毯の部隊が動き出せば、食料はどうにかなるだろう。
一通り怪我人の治療を済ませたチェルが追い付いてきた。すでに避難民の列は途切れている。
「嵐は東に逸れていったらしいけど、嵐を追うか?」
「いや、人命救助の方が先だ」
「『渡り』の魔物が来るよ」
「明日の晩、ミッドガードの跡地から飛び立っても、たどり着くまでに丸一日はかかる。それに『渡り』の魔物たちも、魔境の巨大魔獣は経験しているからな」
「なんだヨ。全滅なんてしないじゃないカ」
チェルは気が抜けたように肩を落とした。
「そうじゃない。『大穴』は一回しか入ったことがないから、魔力が多いくらいしかわからないだろ? 大きな嵐が来てバカでかい雹が降ってきたら、地面はボコボコだ。『大穴』が親の魔物たちも経験してない環境になっていたらどうなる?」
「そんなのなってみなくちゃわからないヨ!」
「わからないものを追うよりも、今ある被害を食い止めよう」
「そっか」
休憩所を爺さんたちに任せて、俺たちは街道を走り始めた。
街道の途中にあった橋は半分流されて消えていた。避難民たちは倒木で簡単に補修して渡っている。森の倒木を指で切り、蔓で結びなおして橋を丈夫にはしておいたが、馬車は通行不可能だ。
橋を渡る時に川の流れの先を見ると、大きく広がっていた。岸には崩れた民家が見える。消えた村か。
蛇行する街道を進むと、泥にまみれて石畳もなくなっていった。街道の出来たばかりの小さい脇道の先に、避難していた人たちを発見した。ちょっとした高台になっていて、遠くまで見渡せた。
呆然と立ち尽くす人たちと同じように南を見れば、冠水した港町があった。家具が流れ、建物に当たって浮かんでいる。家は傾き、崩れていないのが不思議なくらいだ。
雨に打たれて震えているので、木を伐り、柱を立て、枝葉を結び屋根を作った。再び煙の多い焚火を焚いた。
「できることが少ないな」
「できることだけでもしないと」
「うん」
冠水した町に入り、逃げ遅れた人たちを探した。
「おーい! 生きてる者はいないかー!」
耳に魔力を込めれば、雨脚が激しくてもか細い声を拾える。
目に魔力を込めれば、わずかな魔力を出している人も見つけられる。
それでも、倒れてきた柱の下敷きになった人は助けられなかった。涙が枯れた子どもにかける言葉は見つからない。
子どもを高台に送り届け、海岸線を進むと同じような町が見えてきた。
できることは変わらない。
高台に簡易的な避難所を作り、逃げ遅れた人たちを担いで運ぶ。怪我をしていれば回復魔法でも治せるが、死んだ者たちまで生き返らせることはできない。
死者の関係者でもないのに、涙は流せないが、己の無力感を嫌というほど感じる。
南西部の避難民たちは王都へは逃げず、西の町へと向かうそうだ。
避難所を出る人を見送り、次の町へ行こうとしたところで、風に煽られたハーピーたちが飛んできた。
「頼む。助けてくれ」
「我らを拒絶した町を救うのは些か抵抗があるが、魔境に居場所を与えてくれると聞いた」
「過酷な場所だけど、住めなくはない。腹いっぱい食えるし、仲間も多い。魔境は姿かたちが違うくらいで拒んだりはしない。死んでも生活している者たちがいるくらいだ」
胸当てをつけた傷痕の多いハーピーは、震えながら頬を上げて笑っていた。
「頼む。生きている者を救ってくれ」
「承った」
ハーピーの群れが一斉に飛び立っていく。
いつの間にか雲の隙間から夕日が差していた。