【運営生活28日目・それぞれの救出記5日目】
朝からスライムの観察をしていたら、軍の兵士たちが馬車を連れてやってきた。
「ミッドガードに移送する食糧です! 我々だと時間がかかるので、数日に分けて持ってくることになりました!」
魔境の訓練場にも来たことがある兵士らしい。俺はあまり知らないが、「また訓練に参加させてください」と言っていた。
「ありがとね。そこに置いといて」
荷台には小麦の袋が大量に積まれていた。
「ちょっと手伝ってくれ」
エルフの番人たちを呼んで、3人で洞窟へと運んだ。
道もできたし、護衛代わりのグリーンタイガーが「なでろ、なでろ」とついてくるので魔物に襲われることもない。
入口の小川と洞窟を何度か行き来して小麦袋はすべて倉庫に入れた。
これで、ミッドガードのパンは数日保てる。
「何かいるか? 今なら俺しかいないから、いくらでも持って行っていいぞ」
倉庫には干し肉が大量にある。駄賃代わりにエルフの番人に干し肉をあげた。
「いいんですか!?」
「すごい! 太っ腹!」
人の胴体ほど大きなワニ肉の干し肉を担いで番人たちは嬉しそうに帰っていった。
「あと何回か死にそうになれば、あいつらも魔境に馴染むようになるかなぁ」
グリーンタイガーの顎と腹をなでながら、番人たちを見送った。
目下のところ問題は魔石の鉱山にいたヌシ。魔力を抜き取るような技術がないと、魔石もおちおち掘っていられない。スライムを観察してみたが、クリフガルーダで見たヌシとは違う。スライムは表面を回転させているが、ヌシは体の内部を回転させていた。
魔石鉱山のヌシは、その両方だろう。
「考えていても仕方がないか」
パンを焼いて肉と野草を挟み弁当を作って、ヒントを探しにワニ園へ向かった。あまり管理していないのか、ロッククロコダイルは丸々と太っていく。腹がいっぱいだと襲ってくることもない。
鱗には岩と苔が生えていたので、ヤシのたわしでごしごしと鱗をこする。
「グー」とか「ゴー」とか言いながら、じっとしていた。
一頭やれば、二頭目も来る。結果、全頭を洗う羽目になった。
本来、シルビアの仕事だが、いないのだから俺がやるしかない。
「クエー!!」
見上げればミッドガード跡地のグリフォンたちが空高く飛んでいた。
そろそろ『渡り』の魔物たちがクリフガルーダに戻る頃か。
ミッドガード跡地周辺は森が鬱蒼と生い茂っている。魔物の糞が肥料になって成長しているようだ。主に蔓や蔦が木に絡まっていき、どんどん伸びていっている。カム実も凶暴化しているようだが、味は変わらず美味しい。
魔境は数日で森の環境が変わる。もしかしたら、他にも変わっているかもしれない。
魔力を捨てて、周辺に飛ばしてみた。
前にアラクネの群れを駆除したところはすっかり森と化しているし、ダンジョンの民が水路を作ろうとしていたところに、ちゃんと水路が出来ている。ダンジョンの外にいたサテュロスが俺の魔力に気づいたのか空を見上げた。
遠く南へ行った場所では、大鰐の魔物が沼の畔でじっとしていた。前に大猿の魔物と戦っていたヌシの一頭だろう。
「ちょっと観察させてもらおうか」
絡まる蔓を引きちぎり、南へと走った。
気配を殺して藪に潜み、ヌシを遠目から見ると、周囲を警戒していた。バレてしまっているのか。
首を振るだけで、周囲にいたスイマーズバードが飛び立っていく。スイマーズバードは俺の身長と同じくらいの大きさのはずだが、ヌシの歯と同じくらいのサイズだ。
寝転がり姿勢を正すと、地中を探ると地脈ではないが、やはり魔力が溜まっているポイントだった。
ズンッ。
ヌシが歩くと振動が伝わってくる。
顔がこちらに向いている。
ヌシの魔力は体の内部で回転しているらしい。吐いている息に、魔力が加わっているのか息がかかった木々の葉がしおれていく。
俺は魔力を目に集めてじっと目を凝らすと、黒い煤のような魔力が鱗の隙間から立ち上っているのが見えた。
「なるほど、こうなっているのか……」
ヌシが尻尾を振ると黒い魔力が塊となって飛んでくる。
目の前に落ちた魔力の塊が、草木を枯れさせてしまった。真っ黒に変色した木が立っていられなくなって朽ちていく。
ヌシは縄張りを誇示し、「立ち去れ」と言っているらしい。
「腐食か。もうちょっと付き合ってくれると助かるんだけど!」
隠れる必要もなくなったので、立ち上がって一歩一歩ヌシに近づいていく。骨の棒を取り出して、粘着性の魔力を込める。
大鰐が再び尻尾を振って黒い魔力の塊を飛ばしてきた。
骨の棒で受け止めようと思ったが、刺さったものの高速回転する魔力に弾かれて吹っ飛ばされた。棒も粉々に砕け散った。俺が立っていた場所は黒く変色している。
「回転だけに特化すれば、弾けるかなぁ。別に魔力の塊は埋まってるわけじゃないもんな」
丹田で魔力を思いきり回転させる。
もう一発黒い魔力を打ってきてくれと挑発すると、突進しながら口を大きく開けて森の木々ごと飲み込もうとしてきた。
バキバキバキッ!
魔物も植物もお構いなしに地面を削りながら、すべてを口に入れていく大鰐のヌシを見て、一瞬死を覚悟した。丹田で回転させていた魔力が爆発するように足から地面へと放たれ、俺は空高く飛んだ。
着地の心配する余裕はなかった。
空に飛んでも、大鰐のヌシは大きな口を開けて跳び上がり、俺に襲い掛かる。
魔力のキューブを足場に、ヌシの頭の横へと方向転換して跳んだ。
バクンッ!
今俺がいた空中で、ヌシの上顎と下顎が閉じた。
隙だらけの一瞬を逃さず、風魔法を拳に付与し回転を加えて、落下しながら大鰐の主の横面を叩いた。
ボフンッ!
それほど威力はないが、大鰐のヌシと距離が取れた。
地面がむき出しになった森で大鰐のヌシはこちらを警戒しながら、尻尾を振る。近距離で戦うことより、遠距離からこちらの体力を奪うことにしたようだ。
飛んでくる黒い魔力の塊を、高速回転させた魔力で弾き返す。
「どれだけ思いを込めた魔力でも弾き返すのはできる、と。問題はここからだ」
大鰐のヌシは尻尾を振って次々と黒い魔力を飛ばしてくるので、すべて対応していく。
骨に魔力を通して切り落とそうとしたが、方向を変えただけだった。魔力のキューブはやはり弾かれてしまう。形状が悪いのかもしれないと思い、魔力の壁を歪曲させてみると、ジェニファーのスライム壁のように黒い魔力が跳ね返っていった。
自分が放ったはずの魔力が返ってきたので、大鰐のヌシは驚いていた。身体が腐食するということもなく、魔力を吸収している。
「ああ、そうか!」
俺は右手に魔力を集めて、ふにゃふにゃに柔らかくする。イメージは観察していたスライムだ。とらえどころがなく打撃も効かない。時に噛みつく。
食うか食われるか。魔境で最もわかりやすい理だ。
ヒュンッ!
飛んできた黒い魔力を、右手の魔力を変化させ噛みつかせて取り込む。スライムの口の中を再現して、黒い魔力を胃袋で覆い、体の中に入れてみた。
黒い魔力が腕から胴体へ、臀部から足先へと暴れまわるが、魔力で作った胃袋が破けるようなことはなかった。ただ、一瞬頭を通過したときに、黒い魔力に込められていた種族への義理、種族間での足の引っ張り合いや自身の老いに悩んでいるような感情が記憶と共に薄っすら感じられた。
あとは胃袋と同じように、粘着性の魔力を注いで黒い魔力の回転を止めた。手に移動させて垂らしてみると、黒い粘液が地面に広がっていく。草は黒く変色してしおれてしまった。
大鰐のヌシからの攻撃は止まらないので、実験を繰り返していく。
結果、スライムの胃袋を再現してしまえば、回転するヌシの魔力にも対応可能だとわかった。胃袋に収まった魔力なら、粘液に限らず魔力の性質変化でどういう形にもできそうではある。
魔力を使って疲れていた大鰐のヌシにお礼を言って、その場を離れた。
いつの間にか、日が傾いて空が茜色に変わっている。
「あとは、どのヌシにも有効かどうかだよな」
ぐぅ、と腹が鳴った。
ようやく自分の腹が減っていることに気づいて、弁当を食べることにした。疲れているときに狩りをするのは面倒なので、朝弁当を作った自分への自己肯定感がすごい。
一人で食べるより、誰かと食べようと思い、近くの遺伝子学研究所のダンジョンへ向かった。
「やあ!」
「マキョーさん、どうしたんですか!?」
外で仕事をサボっているサテュロスに驚かれた。
「飯食った? 弁当作ったんだけど一緒に食べない?」
「いいですねん~! ちょうど夕飯時です」
サテュロスは崖下の長い通路を通りダンジョンへと俺を招き入れた。相変わらず、不思議な敬語を使う。
ダンジョンの村では民が大量の魚を焼いているところだった。
「お、美味そうな匂いしてる!」
「水路ができて、魚が獲れるようになったんです。そんなに大きくはないですが、魔物を狩るよりは皆、得意なんですよねん~」
川魚とはいえ、子供と同じくらいの大きさはあるので十分大きい。
「あら、珍しい。マキョーさんじゃないの?」
知らないアラクネに話しかけられた。アラクネにしたら、ダンジョンを解放した張本人のことくらいは知っているのだろう。
「どう? 飯食えてるか? 狩りに出かけて死んだりしてない?」
「うん、割と大丈夫よね?」
アラクネは隣にいたラミアに話しかけた。
「最初は怖かったけど、ちょっとずつ慣れてきたよ。魔力だけの生活より肉があるって本当にいいのよね」
ラミアもアラクネも自分の服の上から、胸を揉んでいた。
「脂肪もいいけど、筋肉もな。それより、いい加減腹減った。飯食おうぜ。ベント作ったんだけど食うかい?」
「いいわね!」
「なにサンド!?」
「干し肉野草サンドだな!」
「「へぇ~!」」
ダンジョンの民には調理の意識が薄いようで、魚も塩を振って食べるだけで、スープも塩味だけだったらしい。
最近になって、ジェニファーが来て、山椒や辛子などの調味料を教えてもらっているところだとか。
「そういえばジェニファーさんが所長と奥で何かやってるのよ。あれは何をしてるの?」
「俺も知らないんだよね。仕事が溜まってるんだけどな」
噂をしていたら本人のジェニファーがやってきた。
「マキョーさん、何しに来たんですか!?」
「弁当、食いに来たんだよ」
「夕飯なんかどこでも食べられるじゃないですか?」
「皆で食べた方が美味しいだろ。随分あやしいことをしているみたいだけど、ジェニファーたちもちゃんと飯は食べた方がいいぞ」
「あやしいことなんて……、してませんよ」
「いや、仕事が溜まってるからさ」
「こっちはそれどころじゃないんですよ! チェルさんがあんな風になって! 今、所長に行って腕を……!?」
「ジェニファー、俺に秘密にしたいならそれ以上口を開くな」
ジェニファーは手で口を塞ごうとして、腕を噛んでいた。野性的だ。
「なんで怒っているのかわからないけど、チェルに『倒したヌシの居場所を教えてくれ』って伝言を頼む」
「自分で聞いてくださいよ!」
「聞いていいなら聞きに行くけどいいのか?」
「ダメですよ! 何を言ってるんですか!?」
「何を言ってるかわからないのはこっちの方だ。とにかく、地脈に魔石の鉱山が見つかったり、ヌシで実験した技もあるから、そろそろ皆戻ってきてくれ」
「なにを自分だけ仕事しているようなことを! 私だってねぇ! 必死でやってるんですよ!」
ジェニファーは俺の胸ぐらをつかんで、思い切り揺すり始めた。
「ちょっと待て! 革の鎧が千切れる! やめろって! これ一つしかないんだから! 謝るから助けてくれー!」
ダンジョンの民は笑いながら俺を見ていた。ひどい、俺領主なのに。
「私をこんな剛力にしたのは誰だと思ってるんですか!?」
「なんでこうなるんだ!」
◇ ◇ ◇
「どうしようか?」
呪法家たちに魔力の測定器を貸したリパとカヒマンは、大量の呪具を担いでクリフガルーダの森を歩いていた。
「ん~、仕方ない」
「そうだよな! これだけ呪具を貰ったら貸さないわけにはいかないよ」
「うん、この呪具でチェル姉さんを治せばいい」
「そうだ! チェルさんが治ればいいんだ! あとはもう仕方ない!」
魔境で生活している二人にとって、特に荷物が重いわけではないのに足取りは重い。
「もし、帰った時にチェルさんがすでに治ってたらどうする?」
「よかったと思う……」
「勝手に魔力の測定器を貸した俺たちはどうなると思う? 地脈を探すのに必要なんだよなぁ、あれ」
「ぶっ……、考えない方がいい。考えない方がいい」
「そうだな! 悪いことを考えても仕方ない」
リパとカヒマンは、十分に時間をかけて魔境の砂漠へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
「べ、別に夫婦になりたいってわけじゃ……」
川を下る定期船の甲板で、シルビアは夕日を眺めながら口を開いた。
「そうなのだ。必要なのはマキョーの子種であって、結婚したいかと問われると世話しきれんだろ」
ヘリーも渋い顔をしながら、夕日を眺めている。
メイジュ王国の川岸には秋桜が咲いて風に揺れていた。
「お、押し倒したところで、アイツが受け入れるかどうか」
「同時に結婚するなど面倒だし、子を成すなら同時には無理だろうし……。ん~、その辺のことは遺伝子学研究所の所長に聞いてみようか?」
「じ、人工授精ならいいかもしれない!」
チェルの魔人化の呪いについて調べに来たはずなのに、シルビアとヘリーは全く別のことを考えていた。




