【運営生活21日目】
まだ夜も明けきらないうちに、俺はヘリーに連れられて『封骨』の甲羅を登った。
甲羅にはサンゴや大きな貝の他にも地衣類なども生えていて、つるっと滑るということもない。
頂上付近は明かり取りのためかところどころ穴が空いているものの、道は続いている。
「眠いんだけど……」
「我慢しろ」
急に起こされて文句を言ってみたが、ヘリーの返事はそっけない。
甲羅の頂上には、俺の背丈の3倍はありそうな大きなサンゴが生えていて、石碑が埋まっていた。ところどころ風化して文字は判別できないが、丸いドーナツ型の窪みだけはきれいな形を保っている。
「え、ダンジョン?」
ヘリーを見ると大きく頷いた。
「罠はないはずだ。敵意があるなら寝込みを襲っているだろ?」
「それもそうだな。あれ? じゃ、ヘリーは誰に呼ばれたんだ?」
そう言いながら俺はドーナツ型のダンジョンキーを、回していた。
「いや、だから主亀の霊、思念体だな」
霊が嫌いなのを知っているヘリーは悪い笑みを浮かべていた。
「……え!?」
すでにダンジョンは開いていた。
俺とヘリーは吸い込まれるように、いつの間にか中へと入ってしまっていた。
封骨の中と同じくらい大きな薄暗い空間に、人と同じくらい大きな亀7頭が空中に浮かぶクラゲを食べている。
亀は全体的に白く、背景の黒いサンゴが透けている。だいぶサイズは小さくなってはいるが主亀たちの思念体と呼ばれるものらしい。
見上げるとキラキラと輝く水面のように動いていた。床にも光が反射して幻想的だが、ダンジョンに潜り過ぎたせいか、あんまり感動はしない。
「呼んだ?」
声をかけてみると、亀たちが食べるのをやめてこちらに向かってきた。
「おおっ。これが新しいユグドラシールの主か」
亀の一頭がしゃべり始めた。
「いや、違うよ。ユグドラシールは滅亡した。その跡地が魔境になって、そこの領主が俺だ」
「そうか。我らが故郷は滅亡したか」
「時を渡っている兄弟はどうなる?」
「そうだ! 時を越えて旅をすることにした兄弟がいたな」
「まだ時を旅しているのか?」
「今も3ヶ月に一度、時を旅しているよ。都市ごと引っ越しをしている最中らしいけど、兄弟は首がなくなっていた」
「なんと!?」
「首が!?」
「なぜ!?」
「何があった?」
一斉に主亀たちが話し始めた。背筋に冷たい汗が流れるのを感じる。亀の霊でも、怖いものは怖い。ただ、ここは魔境の領主として話をしなければならない。
俺は、ただの亀と喋っていると思うようにした。
「人が食糧難で生きていけなくなったからだと聞いている。その兄弟を守っていた者から『もう止めてやってほしい』と頼まれてるんだけど、どうやったら止まるんだ?」
「首がなければ意識もないまま動き続けているということだろう」
「ならば勝手に止まる。むしろ動いている方がおかしかろう?」
「おかしいんだけど結構な距離を歩くから3ヶ月に一回くる災害と化していて結構困ってるんだ」
「ミッドガードの権力者が始めた事業だ。我らとてどうにもできん」
「今はそのユグドラシール跡に何人住んでいるのだ?」
主亀たちはよく話を聞いてくれるし、おしゃべり好きのようだ。そう思うと、怖さも半減する。
「生きているのは遺伝子学研究所のダンジョンに住んでいる奴らを含めると300人ちょっとくらいかな。完全に魔物化している奴らもいるから実際はもっと少ない。それからゴーレムや骸骨なんかもいて領主の俺にもよくわからなくなっているね」
「我らの背に住む者たちも合わせればそのくらいか」
「いや、我らの背には各々100人ほど人間が住んでおるから700人以上はいるはずだ」
「我の背の人は多いぞ」
「我は少ない」
「背の者が何人いようといいではないか?」
「それだけ発展できるということだ」
主亀の背にいる封魔一族の末裔は合計で1000人ほどいるらしい。
「で、何の話だ?」
「あなた方の兄弟の首を切り落としても動いているからどうしたらいいかって話だ」
「住んでいる者たちで決めるといい」
「ミッドガードに住む者たちとは連絡はつかないんだけど……」
「1000年も前の権力者の言うことなど聞く必要はない。今生きている者たちの話を聞くことだ。我らは魔力に沿って移動する。行先に魔力溜まりはないか?」
そう言われて、クリフガルーダの『大穴』を思い出した。
「我らのように大きな身体の墓標はそれだけで島や山となる。腐り神となれば辺り一帯、数百年は腐食の者たちしか来なくなるぞ」
確かに、主亀のような大きな魔物が死ねば、それだけ内臓も肉も腐っていく。
「この『封骨』も死んだ当初は肉を求めて海の魔物と空を飛んでやってくる魔物が争いを繰り広げていた」
「すべて我らの血肉に変わったがな」
主亀たちは笑っていた。
「肉に群がる魔物は徐々に小さくなっていき、最後は植物が飛んでくるようになる。それが自然の理だ」
浮遊植物は『封骨』の腐肉を求めて飛んできたのか。
「じゃあ、あの魔境にいる時を旅する主亀は魔力溜まりに安置してやればいいのか」
「我らの兄弟が災害となって民を苦しめるくらいなら、そうするがいい」
「空島で運べば住む話だろう」
「あれを運べるほど大きい空島は、もう魔境にはないんだ。時を旅しているから一日しかないし……。そもそも魔力溜まりには別の国が出来ているし……」
巨大魔獣を魔力溜まりにおけば、一石二鳥だと思ったが、腐肉の処理からクリフガルーダとの交渉、移送の技術不足、問題は山積みだ。
「すまぬな。我らの創造主たるユグドラシール人たちが……」
「ユグドラシールの跡地に領主が生まれたと聞いて、厄介なことになってはいないかと呼んでみたが正解だったようだな」
「いや、ゴールが見えただけよかった」
他にいいことがないだけとも言う。
「では、我ら亀群島の民もその『魔境』とやらに属することにしよう」
「おう、それはいい。避難から1000年、そろそろ南西諸島への進出もしなければならん」
「いい加減、霧の中は飽き飽きだ。力あるうちに移動するのもいいだろう」
「我らが『封骨』に依存している間に、世界も変わっているはずだ」
「避難島としての役割は終えたと思っていいのだな? では世界の果てへの旅も悪くない」
「我らは万年も生きるのだから、同じ場所で生きていくにも限界はあるものさ」
「我らも役に立つぞ。魔境の領主よ」
7頭それぞれ一斉にしゃべり始めた。亀群島は魔境に所属するらしい。
「待て待て待て!! なんでそうなるんだ!?」
亀群島の封魔一族1000人も魔境に加わったことになる。なんとも勝手な亀たちだ。
「そういう大事なことは島にいる塔主たちにも聞いた方がいい。だいたい、俺は領主として何もしないぞ! なあ!」
振り返るとヘリーは笑っている。
「主亀様方、領主の従者でございます」
ヘリーが口を開いた。
「この者は領主の器にあらず。ですが、何かを成します。期待とは別のことかもしれませんが……。それでもよろしゅうございますか?」
何を考えているのかヘリーは恭しく頭を下げて、主亀たちの前に出た。
「無論、それは我らもわかっている」
「これほど権力の匂いがしない領主も珍しかろう」
「支配よりも自由を重んじているように見える」
「竜人族とは別の何かをやるのだろう」
「我らの寿命は長い。変化を重んじる」
「政など部下にやらせればいいのだ」
「時代を進めてくれ。亡国の先へ」
俺の何を知っているのか知らないが、勝手に信用してくれているらしい。
「先に言っておくけど、俺は期待にこたえる気なんてないからな! 裏切るし、適当な嘘でごまかすつもりだ!」
「そう器用でもなかろう?」
「その通り。正直が服着て歩いているような男です」
主亀の疑惑をヘリーが答えた。
「上手く支えてやってくれ。従者たちよ」
「かしこまりました」
結局、なぜかヘリーが了承していた。
「さ、そろそろ夜明けだ……」
「また、来い。マキョーよ」
足が勝手に浮いたと思ったら、いつの間にかダンジョンの外に飛ばされていた。
サンゴの間から朝日が昇っている。
ヘリーも後から、石碑の入り口から出てきた。
「ほら、これ。渡してくれって言われた」
亀の甲羅が描かれている金貨を渡してきた。
「なんだ、これ?」
裏面には〇に1と書かれている。
「通貨だろうな」
「手間賃か?」
「いや、そうじゃない。通貨とは流通における約束のようなものだ。領地を運営するというと広いし大変だろう。きっと構造を作れというメッセージだ」
「なんの構造だよ」
「人のつながりのだろう? 魔物は通貨を使わない」
「魔境でも全然使わないぞ」
よくはわからないがとりあえず、ダンジョンの卵と一緒に革袋にしまっておいた。
とりあえず、寝床に戻り、仮眠していると、朝っぱらからシャーマンだとか僧侶だとかいう爺や婆が起き出して「お告げを聞いた」などと騒ぎ始めた。
「マキョー殿、亀群島が魔境に属するというのは本当か!?」
ミノタウロスがドア代わりの布をはぎ取って、寝ている俺に聞いてきた。
「さっき、主亀たちと話しただけです。自分たちで決めてください。ただ、俺が何かするなんて期待しないように。ただ知り合ったから、骸骨たちがいる港には灯台ぐらいは作るつもりです。変に敵対しても面白くないでしょ?」
なぜか主亀にはため口なのに、塔主には敬語だ。獣と人の差だろう。
「いや、我々はそもそも霧の外に出られないのだが……」
「それもなにか考えましょう。ワイバーンに火炎放射器を取り付けるとか。俺たちができたんですから、亀群島の人たちにもできるはずです。とにかく東には広大な土地があります。恐れずにやってきてください。寝不足なんで、もうちょっと寝ていいですか?」
「すまない」
まくしたてるように言うと、ミノタウロスはどこかへ行ってしまった。
二度寝して、昼前にもぞもぞと起き上がると、『封骨』はお祭り騒ぎになっていた。
どうやら亀群島の魔境入りは決定事項として、交易班という騎竜隊が結成されつつあるという。
魔道具屋たちは集まって、邪魔な浮遊植物に対抗する手段やサメ対策などの案を持ち寄っている。
「な、なにがあったんだ? 祭りの延長戦か?」
シルビアも起き出して聞いてきた。領主の器があるとすれば、シルビアかチェルだろう。
「なんか忙しそうだから、そろそろ俺たちは帰るか。地中の魔力を計測する魔道具は貰ったんだよな?」
「うん、大丈夫。持っている」
ヘリーが魔力計を見せてきた。
「カヒマン、やることはあるか?」
「身体操作の修行は……、魔境でもできると思う」
カヒマンは少し考えて答えていた。
ミノタウロスの爺さんにだけ挨拶をして、俺たちは魔境の陸地へと帰ることにした。
連れて来た大フクロウは騎竜隊に世話をされていたので問題なく飛べるらしい。
「お世話になりました」
「おう。また来いよ。領主殿」
「今回は挨拶くらいでしたが、次は交渉もしていきますので、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。いや、これからもよろしくお願いいたします。どっちが上だかわからなくなるなぁ」
ミノタウロスの爺さんは笑っていた。身体操作の師匠なので、こちらが生徒扱いで構わない。
「じゃ、帰ろう」
ドアが地面から浮いた。『封骨』から離れると霧が深くなっていく。
ギャー!
腹の底に響くような耳なじみの魔物の声が聞こえる。