【運営生活19日目】
「つまり1000年前にミッドガードが移送した時点では生活が便利になっていて、その前に培われていたはずの身体的な技術は失われていたということだ。だが、生活に便利な技術が失われて以降の1000年の間に、身体的な技術を取り戻せず失われたままだったと……」
塔の当主であるミノタウロスは太い腕を組んで、難しい顔をしていた。
塔に住む者たちと朝飯を食べながら、見識をすり合わせているところだ。ちなみに朝飯は芋のポタージュスープと野菜と果物の煮込み料理だ。昨日は肉の串焼きだったが、本来は獣肉よりも魚肉や野菜を食べるという。
「エルフの国ではどうだ?」
ミノタウロスの爺さんが武術についてヘリーに聞いた。
「いくら長寿のエルフでも1000年も生きることはない。だが、武芸に秀でた里はあって継承している可能性はある。ただなぁ……」
エルフのヘリーは腕を組んで、こちらを見ていた。
「何か、俺の顔についてるか?」
封魔一族に、4人で朝飯をごちそうになったところだ。食堂と厨房がはっきり分かれていて、魔境とはだいぶ違う。上階にある寝室も個室で分かれていて、普通の宿のようだった。
「エルフの国との国境で見た衛兵たちがそれなんだ。どれだけ武芸に秀でた里の出身者であろうと、マキョーに勝る者はいないと思う。サトラとユグドラシールでは身体的な技術の発展も違っていただろうし……」
「戻ったらゴーレムたちに聞いてみよう。彼らだって軍人だ。少しは知っているかもしれない」
「そうだな」
「そ、それでこの島はどこに向かっているんだ?」
シルビアが鮫汁を平らげて、ミノタウロスを見た。
「わからん。主亀の意思次第さ。どこかに餌場を見つけたか、魔力だまりを見つけたか……」
「シルビアたちがいた島はどうだった?」
「さ、最初は警戒されていたが島が動き始めたら、すぐにワイバーン乗りに連れられて塔に避難させてくれた。群島の外から来た者で生きている者は数百年ぶりだと言っていたよ」
「俺は骨が太いのにもったいないって言って、全身を引っ張られた」
カヒマンは以前、猫背だったが今は姿勢がよくなっている。
「カッポウ一族だろう。骨を正常な位置に戻したのだ。血行も魔力の流れもよくなっているのではないか?」
ミノタウロスの爺さんがカヒマンを見た。
カヒマンは手を開いたり閉じたりしながら、「確かに」とつぶやいた。
「骨が整うと筋肉も魔力も整う。我々、小鬼族にとっては重要なことでね。実力がそのまま体に表れるから、はっきり分析できるようになるんだ」
隣でスープをすすっていたゴブリンが眼鏡のレンズを拭きながら、説明してくれた。
「外では我々のように、実力を数値で計るようなことはしないのか?」
「冒険者ギルドではやっていたけど、費用が高くて俺はやらなかったな」
「マキョーは計測器が壊れるからやめておけ」
ヘリーが俺にツッコミを入れるゴブリンたちは「違いない」と笑っていた。
「外にも一応、計測器はあるがこの島の計測器とは比べ物にならないくらい簡易的なものだ」
ヘリーは昨日、ゴブリンやオークたちに魔道具を見せてもらっていたらしい。
「数値はあくまでもその時点でのものに過ぎん。できれば、魔物の位置が正確にわかる魔道具が欲しいのだが、外にはあるか? 霧の中での狩りには、位置情報の方が重要なのだ」
騎竜隊だという犬頭のコボルトがヘリーに聞いていた。
「魔道具はないが、マキョーは魔力を捨てることで周囲の状況を見ているらしい」
「本当か!?」
「魔力を捨てる!?」
「我らにもできるか?」
一斉に封魔一族の目がこちらに向いた。
「やめておけ。マキョー殿を真似しても魔力切れを起こすだけだ。よく考えてもみろ。魔道具とはいえドアに乗って霧を抜けてくる者たちだぞ」
ミノタウロスの爺さんが説得していた。
「試しにマキョー殿にいくつ同時に魔法を使えるのか聞いてみろ」
「え? いくつ?」
いくつと言われると答えられない。
「マキョーはそういう単位で展開していない。できるかどうかでしか考えてないからな」
俺の代わりにヘリーが答えてくれた。
「しかも詠唱なしだ。おそらく魔法の概念が違うのではないか? マキョー殿がやっているのは魔力の運用であって、魔法ではないなにか別の……」
「その通り! マキョーは魔法の抜け穴を全力疾走しているようなものだ。ユグドラシールの天敵と言っていい」
「人を化け物みたいに言うなよ」
俺なりの抵抗はしてみる。
「化け物! まさにぴったり!」
「先に言っておくが、マキョーは外のどの国でも化け物だ」
談笑しながら芋のポタージュスープを飲んでいたら、ワイバーンの騎竜隊の隊員がミノタウロスに報告に来た。
「塔主。やはり全主亀が移動を始めているらしい」
「地脈が動いたか?」
「それはわからん。ただ、行先は『封骨』で間違いなさそうだ」
「そうか」
封魔一族は皆、黙ってしまった。
「『封骨』ってなんだ?」
「魔力だまりにある主亀の甲羅さ」
魔力だまりって、クリフガルーダにある『大穴』みたいなものか。
「大きいのか?」
「今いるどの主亀よりも大きい。ユグドラシールで育った主亀の中で一番大きかった。あまりの大きさに魔力だまりの蓋にしてるんだよ」
「主亀の植生とはまた違う色鮮やかな草木が生えていて、魔物も大きいんだ」
眼鏡をかけた小さなゴブリンたちが教えてくれた。
「なぜ甲羅を? 波に削られないのか?」
確かに岩でも削られるというのに骨と同じ甲羅などすぐに壊されそうだ。
「魔力の通っている骨は丈夫だろ?」
ミノタウロスの爺さんが何気なく答えた。
「「「え?」」」
俺たちが同時に爺さんを見た。
「そうなの?」
「まさかマキョー殿は魔力を骨に通さずに使っていたのか?」
「関節とかは意識してましたけど、別に……。腕なら腕とか脚なら脚ぐらいで、身体のどこに魔力を通すまでは意識してなかったですけど……」
「今度から魔力を骨に通してみてくれ。筋肉が1とすれば、骨は10違う」
「それは魔力の通り方ですか? それとも威力ですか?」
「両方だ」
ミノタウロスの爺さんにはいろいろと教えてもらったが、どうも胡散臭い。魔力を骨に通すなんて、力が入るようには思えない。何より骨だけに通すよりも、流れる魔力量は多いはずだ。
「試してみるか?」
手を見ながら訝しんでいる俺を見て、爺さんが声をかけてきた。ただ現在、地下の武術場は穴だらけだ。
「これ以上、塔を壊されたら敵わない。外でやってくれ」
現塔主から言われ、俺とミノタウロスの爺さんは苦笑いをするしかなかった。
食後に皿を洗っていると、封魔一族に驚かれた。
「魔境の領主なのに皿を洗うのか?」
「なんでだ? 自分が食べた後の食器くらい洗うだろ?」
ヘリーたちも食堂の掃除をしている。無料で飯を食べさせてもらっているのだから当たり前のことだと思っていたが、騎竜隊や狩りをする者たちは違うらしい。
「塔の当主たちはそんなことしないよ」
「そうか。でも、皿を作るのも大変だろ? 窯を作ったり、温度調節したりさ。大変さを知っているからなるべく大事に使いたいんだよ」
「その情けを塔の建築にも向けてはくれぬか?」
当主のミノタウロスがいつの間にか傍らに立っていて、一緒に皿を洗い始めた。
「確かに、そうだ。魔境ではほとんど洞穴に住んでいるし、家を作ってもすぐに魔物か植物に壊されるから考えてなかった」
「なら浮遊植物の巣に行ってみるか」
「あれに巣なんてあるのか……?」
皿を片付けた後、ミノタウロスの爺さんに連れられて俺たち4人は塔の外に出た。
狩人たちも俺たちを囲むように森に潜伏している。
「大丈夫だぞ。俺たちだって自分の身は自分で守れる」
「ああ、そうじゃない。一応、よそ者だからマキョー殿を警戒しているんだ。ゴブリンたちも抵抗しても無駄だから歓迎するよう説得していたんだが、なかなか……」
ミノタウロスの爺さんは頭でわかっていることと心で動いてしまう体について語っていた。
「ここだ。おーい! 床材を壊した張本人を連れて来たぞー!」
大きな岩が積み重なり、その岩に植物が根を張り空へと枝葉を伸ばしている。空は青く霧が晴れていた。
「石切りの様子を見せてやってくれ。それから試し割りもしたい」
ミノタウロスの爺さんは、にこやかに猪顔のオークに言った。
「まだ壊し足りてねぇのか!?」
大きくがっしりした体で野太い声のオークがギロリとこちらを見てくる。
「壊したいわけじゃなくて、見せてみろって言うから……、すみません」
他人に責任を擦り付けても仕方がない。
「……悪く思ってんなら、今後は気を付けてくれ。主亀の上じゃこういう岩は限られているからよ」
オークは頭を下げた俺にそれ以上は責めてこなかった。
「ああ、そうか。亀の甲羅の上になんでこういう岩があるんですか? 急に甲羅から湧き出てくるわけじゃないですよね?」
見たところ、魔境で切り出した岩に似ている。
「浮遊植物さ。普段は霧のなかを漂っているが、時々、こうして岩に張り付いて水分や栄養を補給しているんだ。大きな浮遊植物だと大きな岩ごとを持って行っちまうこともある。それが溜まっているんだ」
「な、なぜここに!?」
シルビアが大きな声で質問した。
「始まりは海底火山の噴火で飛んできた大岩らしい。そこに浮遊植物が集まってくるようになって、こんな岩場になったんだってよ。だから俺たちは浮遊植物の巣って呼んでる」
「ちょっと待て。周りは海原が広がっているし、いたとしても主亀の島だけのはずじゃないのか。この岩はどこから来たのだ?」
ヘリーが岩の表面を触りながら、オークに迫りながら聞いていた。
「海底火山の噴火でできた島か、もしくは空に浮いた島という説が濃厚だけど、騎竜隊でもどこから運んできたのか見た奴はいねぇよ」
大柄なオークだが、答えた後に俺に向かって小声で「魔境の女は皆、こうなのか?」と聞いてきた。
「申し訳ない。ちょっと好奇心が強めなんだ」
その後、オークは部下たちと一緒に杭とハンマーを使って石を切るところを見せてくれた。杭には魔法陣が描かれて、少しの力で真っすぐ石が切れていく様は職人技だ。見る間に直方体の床材が出来ていた。
「せっかくだ。マキョー殿にも石工技を見せてもらおう」
ミノタウロスの爺さんが
「俺のはただの魔力の力技ですから、見せるようなものじゃないです」
「……見せてくれ」
断ったのだが、結局オークの圧に押されて、魔力のキューブで岩をキューブ状にくりぬいて見せた。
唖然としているオークや狩人たちを他所に、爺さんは「次はこれだ」と角ばった岩を一つ取り出していた。
「魔境でこれができるのはマキョーだけだ。気を悪くしたらすまない」
「ま、魔境に住んでも、こういうことはできないから期待しないように」
ヘリーとシルビアがオークたちに説明していた。
「骨の使い方だったな。骨の使い方を知らないということは指の使い方も知らないのか?」
ミノタウロスの爺さんは岩を前に聞いてきた。
「指で魔力がどうにかなっちゃうんですか?」
胡散臭くはあるが自然と期待度が上がってしまう。
「人差し指で方向を定め、中指で回転させて、親指を添えて力を増幅させる」
爺さんは右手の中指と人差し指だけ立てて、親指を添えた。
ズッキュン!
岩に当てた指から魔力が放たれ、穴が空いている。
「ざっとこんな感じだ。マキョー殿もやってみてくれ」
「はい!」
せっかくなので思い切り丹田で魔力を回転させて、骨を意識し背骨から肩、肘、手首、指と順番に魔力を通して放ってみた。
ズッ……!!
岩に穴は空いたようだが、上手くいかなかったようだ。振り返ると、オークたちが目を丸くしている。ヘリーたちまで口を開けている遠くを見ていた。
「失敗した。仕方ない。もう一回挑戦していいですか?」
「ダメだ。おそらく森がもたない」
「は?」
ズズン! ズン! ズズズズン!
岩の後ろにある木々が、突然倒れ出した。隠れていた狩人たちの頭上を通過したようで、腰を抜かしている。
「あ……」
「なにか魔力に付与したのか?」
「いや、丹田で練っただけです」
倒れている木々を見ていると、以前、P・Jのナイフで切った倒木に似ていた。
どうやら俺は魔道具を使わなくていい格安な技術を手に入れたのかもしれない。
「すみません。やり過ぎました」
「木はそのうち生える。季節外れの間伐をしたと思えば問題はないさ。で、骨を通した感想はどうだった?」
「楽ですね。無駄な引っかかりがなくなったような」
「そうだろう。全身の骨にいきわたらせると、それだけでも固くなる。やってみるといい」
その後、薬指は精神的な安定に役立つとか、小指は力がまとまっていくだとか、いろいろと教えてくれた。
ヘリーやシルビア、カヒマンにも体の使い方や魔力や呪いとの付き合い方まで語ってくれて、本当にありがたかった。
「なんでそんなに親身になってくれるんですか? 急に現れた変人集団ですよ」
「我々の祖先はこうして人とは違う容姿になっていても、生き残ることはできた。だが、ユグドラシールという国は亡びた。祖先はそれをかなり後悔していたようなんだ」
亡国から逃げ出した封魔一族は、生きる大きな亀の上で哲学をしていたのか。
「技術力の高さも、権力差の無知も、獣魔病からくる少子化も、経済不安も、ダンジョンでのシミュレーションではすべて乗り越えられる……はずだった。ただ、ここがわからなかったらしい」
ミノタウロスの爺さんは心臓あたりを指さした。
「心……信仰か?」
ヘリーが尋ねた。
「ユグドラシールにはたくさん神々がいた。職業によって崇める神も違う。愛、自由、平等、契約、義、情、こういう力ある言葉には、一方向だけに影響が出るわけではない。国になるほど人が大勢いれば、その影響がシミュレーション通りというわけにはいかなかった。俺も憧れていた塔主になっても想像通りにはいかなかった。マキョー殿もそうだろ?」
「そうですね。元はと言えば、辺境にある農地を買っただけだと思ってましたから」
「技術だけならいくらでも教える。古い逸話もできるだけ伝える。魔力はイメージを形にする。ユグドラシールを復活させろとは言わない。自分が思う領地を形にしてみてくれ。きっとマキョー殿ならできるはずだ」
「そんなことしていいんですかね? 大通りの両脇に娼館が100軒建っちゃいますけど……」
「娼館ってなんだ?」
冗談で言ったつもりだが、この島には娼館がないらしい。
「春を売る場所です」
「ん? ……ああ! そんなものが店としてあるのか!? ふしだらな! まさか2人とは婚姻関係が……?」
ミノタウロスの爺さんはヘリーとシルビアを見た。
「ああ、ないない!」
「これほど魅力的な私やシルビアがいてもマキョーは一切手を出さない。魔境の運営にとって子作りは重要だと思うけど、そういう素振りすら見せないのだ」
そういえば確かに、子作りは大事だ。魔境で性欲が湧いてきたことがない。むしろシルビアが裸でいても、目に毒だから何か着た方がいいと思っていたくらいだ。
「貴族になる時、王都の娼館でがっつりしてきちゃったからな。魔境の女性陣の魅力に問題があるんじゃないか?」
「な、なにを!」
シルビアが大きな胸を突き出して、憤慨している。
「普通の女性にならドキドキしていたかもしれないが、今の俺はシルビアの胸をわしづかみにしてぶん投げた方が面白いなと思ってるんだ」
「や、やめろー!」
シルビアは胸をかばうように俺から離れた。
「お互い、関係が近くなりすぎているのではないか?」
「そうかなぁ……。だったら封魔一族の誰かを紹介してくれませんか?」
石切り場で骨の使い方を教えてもらう予定が、いつの間にか嫁探しに変わっている。
「ちょうどいい。『封骨』には各主亀の住人たちが来るから、交流してみるといい。ちなみに昨日、今日で、この主亀の塔に気になる娘はいなかったか?」
ミノタウロスの爺さんもなぜか乗り気だ。
「え? どれがメス?」
「「「メスって言うなよー!」」」
石切り場にいたオークたちも、森に隠れていたはずの狩人も立ち上がって俺を指さしてきた。