【運営生活8日目】
朝、固いベンチから体を起こすと、肉と野草のスープの匂いがした。目の前の飛行船から漂っているらしい。
勝手に侵入して中を見たが、まるで巨大な建物の中を迷っているような感覚に陥り、すぐに甲板でリパを待つことにした。
窓から見える東の空が白んできていた。
「マキョーさん!」
いくつもあるドアの一つからリパが出てきた。
「おはよう。どこがどこだかわからなくてな」
「ここがどこかわからないわけじゃなくてよかったです。朝飯出来てますので。どうぞ」
リパがバカみたいに大きな飛行船の中に招き入れてくれた。リパは元々、ここで掃除夫をしていたことがあり、部屋の位置は知っている。中にはちょっとした食堂もあり、テーブルにはいつもの肉と野草のスープが出来ていた。
「ここで飯を食べてみたかったんですよー!」
リパが食堂で何かを食べさせてもらえることはなかったそうだ。
「それにしても不用心なことだ。飛行船が盗まれるかもしれないっていうのに、護衛の一人もいないじゃないか」
スープを口にしながら、周りを見た。飛行船の中にも駅の中にも、人っ子一人いない。
「飛行船はそんなに簡単に盗めませんよ。動かすのだけでも、魔石が山ほどいるんですから。今は魔石も数がないですから、誰も盗もうなんて思わないですよ」
「そうなのか」
「それに、プロペラが一機壊れてますからね。食べ終わったら見せます」
久しぶりにイスとテーブルで朝飯を食べ、ちょっとでも力加減を間違えたら壊れそうなティーカップなるもので慎重にお茶を飲んだ。
「なんか間抜けじゃないか?」
二人で食器を洗い、泡だらけになりながら、リパに聞いてみた。
「そうっすね」
「ちょっと俺たちには早かったかもな」
使用料として懐にあった魔石が入った袋を台所に置いて、とっとと発着場を出た。
通りをぐるりと一周して人の話に聞き耳を立てたが、瓦版以上の情報はなかった。
魔法使いや空飛ぶ絨毯のおじさんが、とにかく忙しそうに移動している。魔石が少なくなって駆り出されているのだろう。
「とりあえず内戦の現場に行ってみるか」
「チェルさんたちは待たなくてもいいんですか?」
「別にいいだろ。途中で会えたら瓦版を渡せばいいだけだし」
王都を出て、馬車が並ぶ街道を西へと進んだ。街道脇の木々が増えたら、そのまま森に突入して一気に走る。いつの間にか大穴の横を通り過ぎていた。
町や村を経由していくと徐々に馬車の数は減っていき、揃いの軍服を着ている鳥人族の姿が増え始めた。軍人をたくさん乗せている馬車も見た。
谷や山が増え、街道からも離れてしまったが、構わず自分たちのペースで西へと進む。街道から離れても最終的に瓦版に書かれている土地に辿り着けばいい。
休憩中に薬草をふくらはぎに貼っているリパに「貼りますか?」と聞かれた。特に筋肉痛にもなっていないので断った。
「疲れてもいないんですか?」
「走ってるだけだし、無駄なエネルギーを使わないだろ? そんなに筋肉を使わずに楽に走ってみれば? 筋肉は初動だけ使って、あとはスピードを落とさないように魔力を足に流していく感じで。加速も割と楽になるはずだ」
「怖くないですか?」
どうやらリパは恐怖心で減速しているらしい。
「見えてないからじゃないか。一点に集中するより、ふんわり周囲を見ていた方が地形もわかるし、いいような気がしてるけど……。魔境じゃないんだし、踏み抜いて噛みついてくる植物はいないよ」
「それもそうですね」
その後、リパの走るスピードは上がった。
渓谷の吊り橋を越えて、岩山の上から周囲を見渡す。低木が多く、遠くまで見えた。街道からだいぶ離れてしまったが、遠くに人影があった。
「こーんにちはー!」
人影に向け、一気に距離を詰める。
「ひっ!」
大きなリュックを背負った商人らしき中年男性を完全に怯えさせてしまった。
「山賊? お金なら、これしかありません」
商人は小さな財布袋を取り出して見せてきた。
「なにも取る気はありません。ちょっと、お尋ねしたいことがあるんですけど」
「はい……?」
「内戦をやってるところってここら辺ですか?」
「そうですけど……。斥候の冒険者とかですか?」
「いや、興味本位で来た魔境の領主です」
「はぁ?」
「だから、北の崖に下に広がっている魔境があるでしょ。そこの領主です」
「へ……?」
何度言っても商人にはわからないようで、隣にいたリパに助けを求めた。
「あー、正規軍がいない町ってこの先にありますか?」
「ありますけど……」
「マキョーさん、行きましょう。すみませんね。困らせちゃって……」
リパに連れられ、山道を下りていくと小さな採掘場がある村があった。入口の門には三又のピッチフォークを持った農夫が立っていた。
「不審な者を通すわけにはいかない。何者だ?」
「だから魔境の……って言っても信じてもらえないのか。なんて言えばいいかなぁ」
「不審だな!」
「冒険者と言うか……」
「冒険者だと!? 証拠を見せてみろ」
言われるがまま冒険者カードを見せてみたが、どうやらクリフガルーダのものとは違うらしく、「偽者か!?」と怒鳴られてしまった。
「更新してないから、古くなっちゃったのかもしれませんよ」
「ああ。どうやったら信じてくれますか?」
「食料になる物を狩ってくれば、信用しないわけではない」
門番の農夫は痩せていた。あまり食べてないのかもしれない。
「なんだ、腹減ってんのか。ここら辺は何が獲れるんだ?」
現地で確認すればいいかと、村から離れ低木の森の中に突っ込んでいった。リパも追ってくる。
木々と同系色で潜んでいる短い角が鹿の群れがいた。黒い狼が影に隠れて狙っているが、視野が広い鹿には見つかってしまうだろう。
一足飛びで近づいて、空中で鹿の頭を触る。触る瞬間に魔力を回転させて流せば、鹿の頭が上を向いて捻転。仲間の鹿が何か飛んできたことを確認している間に、触った鹿の首の骨は音を立てて折れた。
「一頭でいいと思うか?」
と、聞いている間に、リパは他の鹿の背骨を折っていた。
「え? 二頭目、仕留めちゃいましたけど」
「腹減ってるなら食えるだろう」
内臓は魔力のキューブで取り出して、黒い狼の方に放り投げておいた。美味しそうにがっついていた。
村に戻って、鹿二頭を門番の農夫に見せた。
「食料です。冒険者だって信じてくれますか?」
農夫は口をあんぐりと開けて大きく頷いていた。
通行許可が出たので、とっとと村に入り採掘場を見に行った。渦を巻くように掘っていく露天掘りの採掘場で、大きな家がすっぽり埋まりそうなくらい掘られている。
「兄ちゃん方はどこから来たんだい?」
採掘をしていた発掘作業員の爺さんが尋ねてきた。
「えーっと北の方からです」
「義勇兵の志願なら、もうちょっと南だよ」
「いや、ちょっとだけ話が聞きたいだけなんですけど……」
「なんだ?」
「魔石を掘ってるんですか?」
「そうだ。採れないけどな。すっかり流れが変わっちまった。ここも出てこないとなると、もっと東に行かないと魔石の鉱山はないかもな」
そう言って爺さんはメモリが付いた計器を見せてきた。俺に近づけたからか、メモリの針が一気に振れる。
「兄ちゃん、魔法使いか? そうは見えないけど」
「故障してるのかもしれないですよ。それより、西には魔石の鉱山はないんですか?」
「西の大鉱床が枯渇しちまったんだ。物がなければ価格は上がるのが当然だが、飛行船会社が魔石の価格を上げたら買わないときた。俺たちも新しい鉱山を探してはいるが、ないものはない」
「それで反乱が起こったんですか?」
「何年も前から魔石が採れなくなることはわかってたんだけど、『どこかに隠してるんだろう』の一点張りでな。あるものはいずれなくなる。地脈だって変わるんだ」
「地脈って地中を流れる魔力の流れのことですか?」
ヘリーも地脈と言っていた。
「そう言わないか?」
「いや、少し前までそんなこと知りもしなかったから」
「冒険者には関係ないか。でも太い地脈が流れている場所には強い魔物が現れるって話だ。冒険者なら覚えておいて損はないかもしれないぞ」
もしかして魔境って……。
「ありがとうございます。ちなみにこの辺りで強い魔物と言ったら何がいますかね?」
「魔物というかクリフガルーダの南東じゃヌシって言われる大きな魔物が出る伝承が多い。観光地になってるところが多いけど、今だったら真南にハーピーの巣があるな」
ハーピーとは腕が羽になっている魔物のことだ。
「行ってみるか?」
「了解です」
爺さんにお礼を言って、鹿肉の美味しいところを渡しておいた。
村を抜けて、南の丘陵地帯を進むと、戦闘の音が聞こえてきた。いくつもの気球が飛んでいた。
ボガンッ!
気球に乗った兵士が岩山に爆弾を投下している。岩山の周辺にはハーピーの群れが飛び交い気球を攻撃しているが、空飛ぶ箒や絨毯に乗った魔法使いが守っていた。
「変だな。ハーピーが鉄の胸当てをしてるなんて」
「使役されているってことですか?」
「魔物使いは見あたらないけど……」
「あのハーピー、叫んでませんか?」
「服を着て、言葉を解するなら決まりなんだけど」
「とりあえず戦闘が終わるのを待ちますか。魔法使いたちの方が限界に近そうです」
「そうだな」
俺とリパは、戦況を見ながら回復薬の用意を始めた。
そのうちに気球に乗った兵士たちは爆弾が尽きたのか魔法使いを連れて去っていった。
「よし、行くか」
「はい」
岩山を登りきるのに数秒。
日が沈みかけている薄暗い洞窟の中にハーピーたちを発見。
ハーピーたちの被害は血を流す怪我人多数。骨折、火傷、特に羽が焼けてしまっている者が多いようだ。
足が鳥の爪ではなく人と同じ足の者が声を上げて怪我人に対応している。同じ獣魔病でも症状が違うのか。
「敵襲!」
こちらに気づいたハーピーが叫び声を上げた。
群れが攻撃態勢に入る前に、叫び声を上げたハーピーを触診。折れた腕を伸ばし、回復薬を塗る。
「あがっ! え……?」
「大丈夫か? 重傷者から治していく。腹部をやられた者はいないか?」
ゴフッ。
「ダメだ!」
吐血の音と悲壮感のある声が、洞窟の奥から聞こえてくる。
「やめろ!」
「何をする気だ!」
「治す気だよ」
ハーピーたちの攻撃を躱して奥に行き、鉄片が腹部に刺さったハーピーを触診。魔力を放って体の中を見れば、腸が飛び出しそうになっていた。
鉄片を引き抜きながら、回復魔法を使う。他人に使うことはほとんどないが、チェルに教えてもらった通りに損傷した血管を空気が入らないように繋げていった。後は腹に内臓を収めて、回復薬をぶっかける。
解毒剤が必要だとは思うが、明日にはヘリーたちが来るのでなんとかするだろう。
「次は!?」
洞窟の奥には損傷が激しい者たちが多い。外に出て戦う部隊と回復役がいる。それだけで並みの魔物ではなく、やはり獣魔病患者だ。
目が飛び出したハーピーの目を眼窩に押し込み、肩から取れかけた羽を繋ぎ、火傷した皮膚に回復薬を塗り込む。途中から、ハーピーたちも俺たちを敵ではないと認識したのか何も言わずに見守っていた。
「薬草の備蓄は?」
「少しなら」
「よかった。後はそのうち、仲間の女性陣が来るから解毒とかは頼んでくれ」
「すまない」
「いや、いいんだ。ひとつだけ聞いていいか? ここにいる者たちは魔物から生まれてないだろう?」
「「「……」」」
沈黙が返ってきた。それだけで答えは十分だ。
「生きていてくれてありがとう」
日が西の山に落ちていく。
俺とリパは洞窟から出て、山の麓に野営地を作った。
ダンジョンの民に仲間がいた。魔境の外でも生きられる。自然と顔がほころんでいた。
焚火で新たに獲ってきた鹿肉を焼いていると、山肌にハーピーたちが張り付いてこちらの様子を窺っているのが見えた。
「欲しければどうぞ! 鍋があればスープも作れるんだけど……。ないかな?」
声をかけてしばらくすると、鍋と自分たちの皿を持ったハーピーたちが舞い降りてきた。
その辺に生えていた野草と肉に塩だけで味付けしたスープだったが、ハーピーたちには好評のようだ。
「そんなに美味いか?」
咀嚼音だけが返ってきた。敵ではないことは伝わっているようだが、俺たちが不審者には違いない。
怪我人にも食べさせたいようなので鍋ごと持たせた。
夜が更けていく。