【中央のダンジョン攻略・マキョーら7】
遺伝子学研究所のダンジョンに大量の食糧が運び込まれた結果、住人たちは一気に元気になった。
やはり魔物の身体だろうと栄養は必要だ。
リパの狩り演習もあり、徐々に外に出る住人たちが出てきた。
「おおぅい! これでいいのかぁ!?」
そのうちの一人であるダンジョンの魔王は、率先して魔物を狩り、俺たちの指示で腐葉土を採取している。
「とにかくガーディアンスパイダーにバレないように、枯れ葉でも倒木でもダンジョンに運び込んでください」
「うむ!」
魔王はドスドスと大きな足音を立て巨体を揺らしながら、頑張っている。
どうやらダンジョンのために何かができるということがうれしいのだそうだ。
「今まで、身体が大きいだけで何もできなかったのだ。民のためならなんでもやる」
魔王は自分のことを役に立たないダンジョンの支配者だと思っていたようで、外に出るのも数年ぶりだと言っていた。ダンジョンの魔王は民に奉仕するタイプだったようだ。
「所詮、ダンジョンとは仮初めの空間にすぎん。実体が伴わないから何度でも失敗できるのだ。私など失敗作の王だ。だからこれほど身体が大きくなってしまった」
魔王はダンジョンで生まれ育ったが、大きくなるつもりではなかったらしい。ただ、大きなケガをするたびに、身体が大きくなっていったという。
「どういうこと?」
仮の麦畑を作っているダンジョンマスターの所長に聞いてみた。
「筋肉が断絶して回復すると太くなっていくようなものよ」
「いや、それでも、魔王ほどは大きくならないんじゃ……?」
「確かにそうなんだけど、話が長くなるわよ」
「どうせ、暇ですから」
「あらゆる生物って細胞でできてるんだけど、その中にミトコンドリアっていうのがあって、それを活性化させると、寿命が延びるのね。老化が抑えられるっていうか……。これ言ってる意味わかる?」
正直なところ、この世界で初めて聞く単語が多かったが、なぜか俺は知っていた。おそらく夢の世界で聞いたことがあるのだろう。
「なぜかわかります」
「すごいわね! ダンジョンの誰に説明してもわからなかったのよ!」
「ちょっとだけ特殊な記憶がありまして……」
「ああ、そう。それじゃあ、ちゃんと説明するけど……」
所長はわざわざ白い看板を用意してくれて、図を描いていろいろ説明してくれた。
古代のユグドラシールでは、ミトコンドリアを活性化させる薬を開発して長寿の人たちが増え、政治が停滞してしまっていたという。
その後、さらに移植手術の改良やケガを素早く治せる薬草の開発などが進んだのだが、魔力も細胞内に多く貯められるようになったらしい。薬の影響なのか、土地に溜まっている魔力の影響なのか、細胞の変異が起こり、獣魔病が発生。2年ほど研究を重ねたが、一向に治療薬が開発できなかったと本に書いてあったのだとか。
「で、結局ミッドガードがああなっちゃったんだって。時を旅するダンジョンに移送された、と歴史はここまでね。それから私が生まれて、細胞を分裂させて、魔力の受容体を拡散させる薬を開発したのよ」
「えっ!? 所長が!?」
「そう。細胞を分裂させすぎると人って大きくなるのよね」
「そうでしょうね」
「使う気はなかったんだけど、魔王が外で食料確保に無理して帰ってきたときに、死にそうな怪我をしてたから、仕方なく使ってみたら、あんなデカくなっちゃって、びっくりしたわ」
所長は人体を巨大化させる薬を開発した、マッドサイエンティストだった。
「じゃあ、魔王はあんなに大きくなる予定じゃなかったんですか?」
「そうね。ただ、ユグドラシールの研究者たちもそういう薬を開発したり、遺伝情報をいじったりして、魔物を巨大化させてコロシアムに出していたみたいだから珍しい研究でもないけれど」
十分危険だと思うので、できるだけ距離を保ちたい。
「ダンジョン内はいくらでも実験可能だから、試してみればよかったんだけどね」
「魔王もダンジョンは仮初めの空間だから、失敗がいくらでもできると言うし、所長はいくらでも実験ができると言うけど、そんなにダンジョンってなんでもできるんですか?」
「かりそめを作れるからね」
「実体はないけど実験はできるって、そういうことだったんですかぁ。じゃあ、人間のかりそめも作れるってことですかね?」
牧場の亜竜は実体がなく、死んだらドロップアイテムが残ると言っていたが、人間のドロップアイテムはあるんだろうか。
「できなくはないけど、やめた方がいいわ。自分と自分のかりそめとのちょっとした差異に耐えられなかったり、かりそめが消えると精神的なショックを受けることが多いから。ユグドラシールでも禁止されていたはずよ」
「消えるって人間のドロップアイテムってないんですか?」
「わずかな塩とカルシウムだったかしら……。それよりも思念が残る方が厄介よ。魔力とくっついて、ゴースト系の魔物が発生するの。言語を解せる分、感情も豊かで深い。人間の特徴ってそんなものなのよね」
所長は達観したようにつぶやいた。
「マキョー殿は何か実験したいことでもあるのか?」
唐突に後ろにいた魔王に聞かれた。
「いや、自分は夢でよく前世の記憶を見るから、もしかして再現できたりしないかな、と思って……」
前世の記憶から、自分の部屋だったものを再現できるかもしれない。ただ、そんなことをしても俺が満足するだけで意味はない。むしろダンジョンで再現できる『かりそめ』という仮想現実で何ができるのか……。前世では仮想の通貨が随分騒ぎになっていたような気がする。
もしかしてダンジョンで実験し再現すべきなのは形のある物質ではなく、形のないものなのかもしれない。
「魔王、偽金貨ってまだ持ってますか?」
「やっぱり欲しいのか? ほら」
偽の金貨を一枚渡してきた。
「ダンジョンに造幣局なんか作ったら国に捕まりますよね?」
「そうね。取引相手として信用も失墜すると思うし、流通させたら犯罪だと思うわ」
所長が顎のうろこを触りながら頷いた。
「そう。これって信用なんだよなぁ……」
通貨とは、その国の信用だ。国民全体が、食料品や雑貨、家、土地、仕事と交換可能な価値があると思ってる。
領内でだけ使える、通貨としてならこの偽金貨も使えるようになるだろう。領主は俺だし。
「うわっ、すごい悪い顔しなかった?」
所長にツッコまれた。
「そうですかねぇ。へっへっへ。さ、魔王、食料を運ぶのを手伝ってください。信用を得るには実体も必要ですから」
「よし、きた!」
俺は魔王を連れて、ダンジョンから出た。
穴を抜けたところで、リパがダンジョンの住人を治療していた。
「狩りで怪我したのか?」
「ミッドガードにいる『渡り』の魔物たちが飛びながら狩りの練習しているみたいで……」
もともと『渡り』の魔物たちは空を飛んで、クリフガルーダの大穴から魔境まで来ている。食い物がなくなったからミッドガードの跡地から出て、空を飛ぶ練習をしつつ狩りをしているのだろう。
「上空から急襲してくるので、ダンジョンの住人だけでは対応が難しいです」
「私が守るしかないか……」
魔王がローブの袖をまくり上げて、筋肉を見せた。
俺はそれを手で制した。
『渡り』の魔物は魔境で飛行や狩りの訓練をしてから、クリフガルーダに戻るはずだ。だとしたら、これは毎年繰り返されていること。
いつもと違うのは、俺たちの方だ。
「繁殖した魔物をたくさん駆除しちゃったからな。獲物が少なくなってるのかもしれない」
アラクネやビッグモスが繁殖していたが、俺たちが駆除をしてしまったからバランスが崩れてしまったのか。
「襲ってくる魔物の観察はしたんだろ?」
「ええ、グリフォン、ハーピー、火吐き鳥なんかですね。若い魔物が多くて、動いている魔物や植物はとりあえず見境なく攻撃しているみたいです。当たり前ですけど弱点は羽ですね。地面に落ちてしまえば動きも読みやすいです」
リパは簡潔に説明した。
「俺たちが対応すると殺しすぎるかもしれない」
「とはいえ、ダンジョンの住人だと食べられる可能性が高いですよ」
自然はバランスが難しい。
「じゃあ、ミッドガードの番人に働いてもらうか」
「カリューさんですか?」
「いや、ガーディアンスパイダーの方さ」
ガーディアンスパイダーは食事をするわけでもないので、魔力で動いているはずだ。魔力が過剰に供給されれば、動いて消費しようとするだろう。
動いていれば、『渡り』の魔物が攻撃を仕掛ける。
たとえ、武器を持っていなくても攻撃してくる魔物であれば、ガーディアンスパイダーも反撃はする。
岩として動きを止めているガーディアンスパイダー5体に、魔力を込めた。
キュイン。
起動音が鳴り、予想通りにガーディアンスパイダーが周辺を巡回し始めた。魔境の魔物たちは危険性を知っているので攻撃はしないが、成長中の『渡り』の魔物は威嚇しながら攻撃していた。
ガーディアンスパイダーは、最初されるがまま反撃はしなかったが、局所的に攻撃され部品が欠けたりすると、長い脚で魔物を捕まえて地面に叩きつけていた。
「ミッドガード周辺では武器は抜かないようにな」
「それじゃあ、狩りの練習にならないじゃないですか」
「狩りの練習にはならないけど、食料なら、ほら」
食料と化した『渡り』の魔物が、アイスウィーズルの群れに食われている。それを植物の蔓が横からかすめ取っていく。魔境の食糧は争奪戦だ。
「ガーディアンスパイダーが仕留めたものを頂こう。魔物を倒したければ東の海岸の方に行け」
「移動も教えろってことですか……?」
「鳥の魔物の糞はいい肥料になるから、それも回収しておくように」
「そんなぁ……」
リパは不満そうにしながらも、ちゃんとダンジョンの住人たちに魔力を使った移動方法を教えていた。俺の足りないところを補ってくれるので頼もしい。
小麦粉と雑貨を運ぶため、魔王と一緒に一度家に戻る。
「こんなに遠いのか……」
魔王は息を切らせて、俺についてきた。前を行く俺が魔物や植物を蹴散らしているので、楽なはずだが、ワニ園を通り過ぎて沼まで着く頃には汗だくになっていた。
「一日でこれほど歩いたことがないのだ」
「もう少しだからがんばれ!」
とりあえず、魔王の尻を叩いて、家へと向かう。
「あ、ああ、え!?」
「な、なにぃ!?」
「領主様、その魔物の親分みたいなのはなんですか!?」
ドワーフたちは魔王を見て、一様に驚いていた。
エルフの番人、2人は声も出せないでいる。
「遺伝子学研究所のダンジョンに住んでいる魔王だ。仲よくしてやってくれ」
チェルたちは「わかった」と受け入れている。
「あれ? そういや、訓練が終わったのに、なんでここにいるんだ?」
エルフの番人2人は、交互に魔境での訓練を受けていたはずだ。2人とも揃っているなんてなにかあったのか。
「あ、辺境伯、基地の隊長さんが、お呼びです」
「隊長が? ジェニファーがなんかやらかしたかな?」