【ジェニファーのスカウトキャラバン3日目】
エスティニア王国の西側まで来ました。
国を東西で分ける山脈の峠で軽く仮眠して、沢でしっかり身だしなみを整えてから走り始めます。
植物が襲ってくるようなこともなく、魔物もこちらをほとんど認識せずに素通りしていきます。グリーンタイガーは私よりも少し大きいくらいで、魔境のものと比べると子猫とかわりません。
気候の影響なのか植物は広く育ち、魔物も動物もいくらでも食べ物があるので殺伐とした雰囲気がなく、落ち着いた印象です。
山道にすら石畳が敷かれ、流通も安定しているのでしょう。安全な暮らしが確保されているように見えました。
王都があるのも頷けます。
王都周辺の町は栄えていて、通りには商店が並び、冒険者も東側より多い気がします。付近の森では少年たちがキノコ狩りをしている姿も見られます。凶悪な魔物は滅多に現れないのかもしれません。
犯罪も多いからか、衛兵も街中を歩いています。
冒険者ギルドの掲示板には、野盗への注意喚起や商人からの護衛依頼が多く、魔物討伐の依頼はごくわずかでした。もしかしたら、ここでは魔境のマニュアルが必要ないかもしれません。
「すみません。魔境からやってきました。生存率を上げるためのマニュアルを作ってきたのですが、もしよろしければ講習会を開きたいのですが……」
私はそう言いながら印籠と証明書を見せました。
ギルド職員は面を食らったような顔で見てから、大きく溜め息を吐きだしました。
「そういう詐欺は、田舎では通じるかもしれませんが、王都周辺のこの地域では誰も信じませんよ」
「いえ、詐欺ではなく本当に魔境から来たんです!」
どうにか食い下がろうとしたのですが、職員は完全に詐欺師を見る目でした。
王都周辺と魔境は距離以上に遠い場所なのかもしれません。やはり実力を見せるしかないようです。
「わかりました。なにか魔物討伐の依頼はありませんか?」
「なくはないけど、簡単に討伐できるような魔物はいないからバジリスクやオルトロスのような深い森にいるような魔物の依頼しか残ってないよ」
「それでお願いします」
バジリスクは蛇の王とも言われる魔物でオルトロスは双頭の犬の魔物のはずです。
町の北東部に広がる森の深部に棲みついているとのこと。他に何も情報はありません。
「とりあえず、様子を見に行きますか」
荷物を宿に置いてメイスとナイフだけ持ち、北東部の森へと向かいます。浅い森では野盗の追跡や薬草採取の依頼を請けた冒険者たちがいました。
魔物を討伐する目的の冒険者たちは森の奥深くへ向かうようです。徐々に人よりも獣の気配がしてきました。
キョェエエエ!
魔物のものらしき奇声も聞こえてきます。
獣道があやふやになり藪をかき分けていくと、森を吹き抜ける風に煙の臭いが混じっていました。
「人がいるんですかね?」
思わず、背の高い木に登り周囲を見渡すと、東に白い煙が立ち上っています。
野盗かもしれないので気配を殺し、音を立てずにそっと近づいて行ってみたところ、見知った顔のメンバーたちでした。
「ジェニファー!?」
冒険者パーティー『白い稲妻』のリーダー・アルクインが声を上げて、私を指さしました。突然、野営地に現れた私に他のパーティーメンバーも口を開けて驚いているようです。
「久しぶりね」
焚火では肉の脂が音を立てていました。匂いも遠くまで漂っているようなので、周辺の魔物は片付けたということなのでしょう。以前の『白い稲妻』なら、こんな森の奥まで来るような危険は冒しませんでした。
「驚いたわ」
「驚いたのはこっちの方よ! 今までどこにいたの? どうやってここまで?」
魔法使いだったジーナは、ローブを脱いで今は革鎧を着ています。
「変わったわね。ジーナ」
「え? ああ、自分の性格と能力を自覚しただけよ。それよりも質問に……」
「今は魔境に住んでるわ。サバイバルのマニュアルができたから魔境の使者として国中を回っているのよ。信用を得るために冒険者ギルドで請けた依頼が、この森の魔物の討伐だっただけで、本当に偶然ね。あなたたちも依頼で?」
アルクインとジーナ以外は説明しても、未だにポカンとしています。パーティーから追い出したはずの私と森の奥で会っているのですから、当たり前ですが……。
「魔境って、私たちが入れもしなかった極東の森のこと?」
「そう。無理やり住みついて、今は総務のようなことをしているわ。物資の管理ね」
「物資の管理だって!? ジェニファー程のタンカーがなにもしていないのかい?」
アルクインは、私が戦闘職をしていないことに驚いているようです。
「魔境では、魔物や植物に対応できないとそもそも生きていけないのよ。だからタンカーじゃなくなったからと言って、戦えなくなったわけではないわ」
「むしろ強くなってない? 魔力が……」
ジーナは魔力を感じ取れるようです。
「そうね。見た目はどうかわからないけれど、戦い方も価値観も変わってしまったかもしれないわね」
たった数か月前に別れたはずの仲間たちですが、随分距離ができてしまったように感じます。
「ちょっと待て。ジェニファー、荷物はどうした?」
「宿に置いてきたわ」
「宿って……。俺たちは森に入って、ここまで2日かけて来たんだぜ」
それほど町から距離があるとは思えませんが、確かに魔境にいると移動速度は、格段に上がります。
「何の依頼を請けてきたんだ?」
「私たちと同じマンドラゴラじゃないの?」
アルクインとジーナが矢継ぎ早に質問してきました。先ほど聞こえていた奇声はマンドラゴラのものかもしれません。
「私の依頼はバジリスクとオルトロスよ」
「たった一人でそんな依頼を請けるなんてバカげてる! やはりお前、ジェニファーじゃなく魔物が化けているんじゃないか!?」
アルクインが腰から剣を抜きました。他のメンバーもつられて弓矢や長剣を手に取ります。
「皆、武器を下ろして! 彼女が魔物だったら、私が気付いているわよ」
ジーナが叫びましたが、私への疑いは晴れません。
「足に魔力を込めて走ると移動速度が上がるのよ。ほら……」
足に魔力を込め、一足飛びに焚火を越えて、メンバーの後ろに回ってみました。
「ね?」
後ろから声をかけているのに、誰も振り返ってくれません。
「ジェニファー、ごめんね。私以外の皆は目で追えてない」
横にいたジーナだけが、私が移動したことを認識できていたようです。そんなことってあるのでしょうか。
ジーナの言葉で、ようやく皆後ろを振り返り、青ざめていました。
「幻術か?」
「いや、だから魔力を……」
そう言いかけたところで、藪の中から大きな気配を感じました。
バキバキと小枝を折る音が聞こえます。
「どうした?」
「魔物が近づいてきてるわ。聞こえないの?」
アルクインたちはお互いを見合わせてから、そんな音は聞こえないとこちらを見てきました。
「罠は仕掛けた?」
「罠って?」
「周囲を確認して野営地を決めたわけではないのね?」
「雨の被害が少なく済むようには確認したけど……」
「そんな……!」
これでは焼ける肉の臭いで、魔物をおびき寄せているようなものです。
バキバキ……。
音はどんどん近づいてきます。獣の臭いもしてきました。
「一旦、荷物を置いて逃げた方がいいかも……」
ようやく魔物の気配に気が付いたのか、『白い稲妻』のメンバーたちは、野営地から離れて逃げ出していきました。
グルルル……。グルルル……。
唸り声が二重で聞こえてきます。
オルトロスでしょうか。
私は観察するため藪に隠れて、じっと魔物が来るのを待つことにしました。
ほどなく、牛のように大きな双頭の犬が現れました。討伐対象であるオルトロスで間違いありません。
焚火で焼いている肉の臭いを嗅いでいますが、二つの頭が肉を獲り合っています。
ガウ! ガウ!
尻尾のヘビはうねうねと動いているだけで、飾りのようです。
試しに、オルトロスの後方にスライム壁を展開。焼けている肉の前にも魔力で防御壁を設置しました。
争いを止めて、同時に肉に齧り付こうとしたオルトロスですが、防御壁に阻まれて顎が外れそうになっていました。噛み付き攻撃はそれほど威力はないようです。
噛み付けないことがわかって爪を立てて肉を掴もうとしていましたが、やはり防御壁を切り裂くことはできず、ひっくり返っています。
魔物が弱いと言われている国の西側ですが、こんなんでやっていけるのでしょうか。討伐対象とは言え、危険な魔物には思えません。
攻撃は魔力の防御壁でどうにかなることがわかったので、藪から出て焚火の前に飛び出しました。
オルトロスは突然現れた敵である私に驚き、左右に飛び退こうとしますが、二つの頭で意思決定が違うため身体は留まったままです。なんとも間抜けな魔物がいたものです。
近づいていくと、ようやく危険だと思ったのか後ろに飛び退きました。
ビヨーン。
スライム壁にぶち当たり、跳ね返ってこちらに飛んできます。
空中で自由を失っている魔物は何もできないので、思いきり二つの頭部にメイスを振ります。
ボゴンボゴン!
オルトロスは二撃で、その場に倒れました。
さらにオルトロスの頭骨を砕き、追い打ちをかけ、心臓にナイフを突き刺して絶命させます。
魔境の魔物と違い、あまりに弱く、またしても魔境の戦い方ができませんでした。近くに来て食料を奪われそうになったから、嬲り殺したようなものです。
近くの木から蔓を採取し、オルトロスの後ろ足を縛って、大きな木の枝に吊るし血抜きをします。
「スコップってある?」
遠くからこちらを見ていた『白い稲妻』のメンバーに大声で聞いてみました。
リュックの側を指さして返してくれました。使い勝手の良さそうな小ぶりのスコップを持ち歩いているようです。
スコップで穴を掘り、血と内臓を入れます。マキョーさんのように魔力のキューブを使えれば簡単なのですが、今の私にはできません。
「本当にこんな凶悪な魔物を一人で倒したのね」
呆然と吊るされたオルトロスの死体を見ながらジーナが言います。
「人それぞれ『凶悪』の度合いは違うのね」
私には間抜けな魔物にしか見えませんでした。
「オルトロスの肉は食べる?」
「いや、俺たちはいい。それより、魔石は取らないのか?」
アルクインが心配そうに聞いてきました。
「ああ、忘れてた」
これほど弱いと大した効果は期待できませんが、血だまりの中から魔石を回収しておきます。
十分、血が抜けたところで、一旦オルトロスの死体を担いで町まで帰ることにしました。
「あんまり魔物をおびき寄せるようなことをしない方がいいと思う。あと野営するなら、周囲に罠を仕掛けた方がいいわ。諸々、マニュアルに書いてるから、よかったら読んでみて」
アルクインたちに魔境のサバイバルマニュアルの冊子を渡しました。
「変わったわね。ジェニファー」
冊子を受け取ったジーナが言いました。
「そうかも」
「私たちも自分たちの実力を認めて、たくさん依頼を請けてきたつもりだったけど……」
「魔境では変わり続けないと生きていけないから」
「あなたを追放した私たちを恨んでる?」
「恨む? 私が勝手に出ていっただけよ。気にしなくていいわ」
私は『白い稲妻』のメンバーと手を振って別れ、町へと帰りました。
冒険者ギルドにオルトロスの死体を持っていくと町中が大騒ぎになり、たった一人で討伐した私への注目が集まりました。すぐにギルド内の訓練場で講演会が開かれ、魔境のサバイバルマニュアルの冊子を懇願する声が殺到。すぐに在庫が切れました。
やはり実力さえ認めさせれば売れます。
講演会で得たお金を元手に、教会にて冊子の写本を頼み、バジリスク討伐のため再び森へと向かいます。
日の出ているうちに見つけようとしたのですが、結局見つからず、巣らしき洞窟を発見しただけで、宿へ帰りました。
ひとつしか依頼達成はできませんでしたが、ようやく魔境のサバイバルマニュアルを広める手掛かりを見つけたように思います。