【ジェニファーのスカウトキャラバン初日・午後】
正午を少し過ぎた頃でしょうか。街道を進んでいると、いつの間にかホワイトオックスの領地に入っていたようです。
鉱山があるというアイアンパークまではゆっくり走りながら、道行く商人や冒険者に話を聞いて草原を進みました。強盗も出ましたが、相手にすることもなくスライム壁で弾いて飛ばしていきます。マキョーさんは裏拳を使っていましたが、その方が走る勢いも殺さなくていいので楽ですね。
途中、冒険者たちがゴブリンの群れと戦っているのが見えました。パーティーを組んで、前衛が戦っているうちに後衛が準備を整えて、魔法を放つという危なげない戦いをしています。前衛はある程度の攻撃を受け、怪我をしていますが戦いの後、回復役が治療するでしょう。
「魔境に住む前なら、いいパーティーと思っていたのでしょうね……」
魔境なら、マキョーさんが一撃でゴブリンの群れを粉砕。全員が一撃で仕留めるでしょう。そもそも人の形態をしていて、弱点も同じなら、恐れる必要がないのです。
たとえ、とんでもなく強いゴブリンの群れだとしたら、逃げて落とし穴に嵌めるか、魔法や毒で動きを止めてから、とどめを刺す方法をとるでしょう。その場合、戦闘と言えるような方法ではなく、相手に攻撃をさせずに、一方的にこちらが命を刈り取るだけ。怪我をするタイミングがないので回復役の必要がありません。
むしろ回復は、イレギュラーなことがあった時だけでしょう。
やはり魔境の生活と、外ではなにかが明確に違うようです。
鉱山の町・アイアンパークには夕暮れ時に到着。東側に大きな山があり、さらに北に街道を進むとダンジョンがあるホワイトオックスの城下町があるそうです。
町のそこかしこから鉄を打つ音が聞こえ、多くの店の看板にも鉄が使われていました。広場の屋台からは牛肉が焼ける匂いが漂っています。ホワイトオックスでは、鉄やダンジョンと共に牛も名産だそうです。
冒険者ギルドに併設された宿で部屋を取り、そのままマニュアルを持って職員の方に話を聞いてもらえました。王家の印籠と紹介文で、信用されたので帰ったら、隊長さんにお礼を言わないといけません。
「魔境って、辺境の?」
「ええ、そうです」
「あんなところに人が住めるのかい?」
職員の方は訝しげに、私を見ていました。
「最近、魔境に住みついて辺境伯になった人の話を聞いてはいませんか?」
「ああ! そういえば辺境伯就任の話は聞いているけど、本当だったのかぁ……」
職員さんは、おとぎ話か何かだと思っていたらしいです。情報がちゃんと届いていない他の領地の人からすれば、魔境はその程度ということらしいです。
「魔境生活のマニュアルを伝えれば、冒険者さんたちの生存率が上がると思うのですが、よければ話だけでもさせてもらえませんか?」
「まぁ、訓練所が空いてるなら、勝手にやってもらっていいけれど……」
「ありがとうございます!」
夕飯時で、狩りを終えた冒険者たちがたくさんいたので、これはいけると思ったのですが、ギルドの訓練所には4人しか冒険者が来ませんでした。それも、わざわざ辺境から来た僧侶の私を一目見てやろうという中堅の冒険者だけです。
それでもいないよりはましです。
先ほど見た冒険者パーティーの例を上げながら、魔境での生活とサバイバル術を説明していきました。
「……と、そもそも魔境では対峙するよりも、対処法を見つける方を優先させて、逃げることが多く、怪我も少ないわけです。お判りいただけますか?」
一通り説明したので、質問を受け付けようと思ったんです。
「そんなことよりもねえちゃん、俺たちと酒でも飲まないか?」
冒険者たちの態度から聞いてないな、と思っていたのですが、やはり実力を見せないと話は聞いてもらえないようです。
椅子に座っている軽口を叩いた冒険者の額に、人差し指を当てます。
「立てますか?」
「ん? なんだこれ?」
立ち上がろうとしても、体の構造として指を振りほどかなければ、立ち上がれません。
「私はあなたの立つ自由を奪ったんです。これでは踏み込みもできませんから、有効な打撃も与えられないでしょう。その点、こちらは片腕が空いてますから、殴りたい放題です」
戸惑いの表情を浮かべた冒険者に、私は笑みを浮かべて続けます。
「魔境では動けない相手に容赦するようなことはありません。死ぬ手前の魔物と同じだからです」
冒険者は椅子から訓練場の床に転げ落ちて、私の指から離れました。
ただ、悪手です。転がった冒険者の鎖骨から首にかけて足の裏で踏み、相手を押さえつけます。
「てめえ!」
「何しやがる!」
「やる気か!」
仲間の冒険者たちが立ち上がって、得物を握りました。
「動けば、この方の頸椎ごと踏み抜きますよ」
「「「……」」」
これで訓練場にいる他の3人の冒険者が動けなくなりました。本当に踏み抜く力があるのかどうか、ようやく私の実力を計り始めました。
観察が遅く、迷いがあるから判断もできないんです。
「人間相手だと話が通じるので簡単ですね。相手を動けない状態にすれば、こちらが怪我をするようなことはないのです。たったこれだけのことで、狩りは非常に楽になる。よろしいですか?」
踏んでいた足を離し、冒険者の腕を掴んで立ち上がらせます。
「くっ、この女!」
立ち上がった冒険者は腰からナイフを抜いて、斬りかかってきました。仲間の手前、恥をかかされたとでも思っているのでしょう。
勢いをスライム壁で受け止め、そのまま壁へと弾き返します。
ドゴンッ!
練習用の剣が刺さっている樽にぶつかり、冒険者は昏倒。口をだらしなく開けて、訓練場の床に転がりました。
他の冒険者たちはどうして、仲間が吹っ飛ばされたのかもわからない様子です。スライム壁は私が作った新しい魔法なので、当然と言えば当然なのですが、マキョーさんを見ていると、どうも自慢できる気分にはなれません。
「まず、狩る対象を観察し、実力を見極めることが大事です。無暗に突っ込んで彼のようになりたくなければの話ですが……。あなた方も冒険者としては中堅にあたるのではないですか? もう少し、考えて行動した方がいいでしょう」
私は鞄から、マニュアルを取り出して見せた。
「マニュアルいりますか?」
冒険者たちは、得物を構えたままの状態で、大きく頷いていました。
マニュアルの冊子は銀貨3枚で売れました。宿代の3日分にあたり、なかなかの収入です。
初めて講習会を開いて、わかったことがあります。王家の印籠や証明書はギルドの信用は得られますが、実力を見せなくては冒険者たちには伝わりません。
ギルド内に併設されている食堂では、新人冒険者たちが目ぼしい娼館の情報交換をし、ベテラン冒険者たちが魔物の狩り方について説教をしていました。明日の狩りの準備をしてるようには見えません。
掲示板には、草原にゴブリンやコボルトの群れが出現している情報が張られています。
山道に出現したポイズンスパイダーの情報もありますが、小さい紙で報酬の金額も見えません。入れ墨の女兵士が言っていたことなので驚きはしませんが、元冒険者として忸怩たる思いはします。
「すみません。ちょっと話を聞きたいのですが……」
仕事もほとんど終わり、帰り支度をしていたギルド職員に声をかけました。
「ああ、魔境の使者の。講演会はどうでした?」
「まぁ、そこそこでした。それよりもやはり実力を見せた方がいいようなので、依頼を請けたいのですが……」
「それは助かります。今は、ゴブリンやコボルトが繁殖しているので依頼はいくらでもありますよ」
「できれば、山道の依頼を請けたいのですがよろしいでしょうか?」
私の言葉に、ギルド職員は少し驚いたように目を見開き、「構いませんが……」と詳しい依頼書を見せてくれました。
「報酬の額はそれほど高くはないですが、やってもらえるのであれば、冬の間、山に住む人たちが大変助かります」
「それを請けようと思って、ホワイトオックスまで来たんです」
「そうですか。わかりました。出来るだけ協力させていただきます」
そう言うと、ギルド職員は鞄を置いて、奥から回復薬や保存食などを持ってきてくれました。
「こちら冒険者ギルドからの支給品です。それから中継地点として、山の中腹に山小屋がありますので使用してください。山小屋の管理人がとっつきにくいかもしれませんが、悪い人ではないので気を悪くなさらないように」
ギルド職員は矢継ぎ早に説明してくれました。
「武器の方も貸し出ししていますが……」
「ああ、大丈夫です。必要であれば、途中の森で採取するので。それよりも魔物の特徴はわかりますか?」
「大型犬サイズの蜘蛛の魔物で、毒液を吐き出す攻撃をしますね。廃坑に巣を作っているので、傭兵や仲間を集めた方がいいでしょう。期間は雪が降るまでの間でゆっくり達成していただいて構いません」
「わかりました」
支給品を受け取り、地図で廃坑の場所と山道を確認。休憩所として使える山小屋を目指して、ギルドから出ました。
酔っ払いが騒ぐ町中を行きます。今日の依頼達成を祝うため冒険者たちが飲み、商人たちが仕事の話をしています。アイアンパークは普段ダンジョンに潜っている冒険者たちの休憩地として使っているらしく、酒場も娼館も混んでいます。
私は喧騒の脇を通って、閉じている門をそっと開けて外に出ました。
町から出ると途端に夜の雰囲気が辺りを覆い、町人の声が聞こえなくなりました。
睨みつけるような魔物の視線を感じます。おそらくゴブリンやコボルトでしょう。もしかしたら強盗かもしれません。どちらにせよ明日には冒険者たちが対処しているはずです。
襲ってこない魔物は放っておいて、街道のわき道から東に伸びる山道を上り始めました。月光や街の光によって辺りは明るく、完全な闇にはなりません。
山は針葉樹林が多く、岩がむき出しになっている場所もあります。ギルドから貰った地図を魔石灯で照らしながら、山道を上っていくと、真っ黒な狼がついてきました。
こちらを観察しているのか、喉をぐるると鳴らすばかりで攻撃を仕掛けてきません。やはり野生の動物の方が、そこら辺の冒険者よりも警戒心が強いようです。
ただ、魔境の魔物と違って子犬のような気配しか感じられません。ちょっとした旅の道連れの様でかわいいくらいです。
すっかり日が落ちて暗い山道では月明かりと音が頼りです。
もっと暗い魔境で慣れているので、藪に潜む魔物にも気が付きました。サイズは大型犬ほど。依頼対象であるポイズンスパイダーでしょう。
バウッ!
狼が立ち止まり、吠えました。
それが合図だったのか、ポイズンスパイダーが狼に向かって毒液を吐き出しました。
咄嗟に、狼を魔力の壁で覆ってしまいました。野生同士の喧嘩に構わなくても良いのですが……。
ポイズンスパイダーは私を認識し、飛び掛かってきます。毒液の攻撃は、溜めに時間がかかるのかもしれません。
空中で直線的な攻撃なので迷うことなく腰にあるメイスを手に取り、振りぬきます。魔力も使わない、単純な片手の攻撃です。
ゴシャッ!
クルミの殻が砕けたような音が鳴りポイズンスパイダーの腹が変形。山道に転がっていき、そのまま動かなくなりました。
魔石灯をかざしてみると紫色の液体を流して死んでいるようです。
「一撃ですか……」
これには困りました。
観察して判断する間もなく、咄嗟に対処しただけです。魔境の戦い方ではありません。おそらくこのポイズンスパイダーは若い個体なのでしょう。あまりに身体が柔らかすぎます。
「おいで」
狼を呼んで、顎の下をわしわしと撫でてやりました。毒液から守ってあげたからかこちらへの警戒心がなくなっているようです。死んでいるポイズンスパイダーの臭いを嗅がせました。
「この魔物の仲間がいる住処を辿れますか?」
言葉はわからなくとも私が何をやろうとしているのかわかったようです。
狼は山道を逸れて枯れ葉が積もる坂を上っていきました。私も周囲を警戒しながら後を追います。
辿り着いたのは地図に描かれた廃坑の一つ。入り口には血で汚れた鎧が転がっていました。山賊がポイズンスパイダーの餌食になったのでしょう。
「獲物を巣穴に運ぶんですかね?」
狼に聞いてみましたが、廃坑を唸りながら睨むばかりで返事はありません。
ひんやりとした夜風が木々を揺らしていきます。
「どうしましょうか……」
スコップでもあれば落とし穴を掘るのですが、魔境のように都合のいいヤシの樹液があるわけではありません。
しばらく考えていると、狼が廃坑の穴に向かって吠え始めました。
バウッ! バウッ!
狼の声を聞きつけたポイズンスパイダーが、ガサゴソと音を立てながら入口の近くまでやってきます。毒液の攻撃が飛んでくるので、魔力の壁を作ってあげました。
毒液が防がれるとわかったポイズンスパイダーは、直接攻撃をしようと洞窟から出て狼に飛び掛かっていきます。
入口の横に立っていた私の目の前に大きな蜘蛛が這い出てきます。蜘蛛の目は8つもあり、私も見えているはずなのですが、気にせず狼に向かっていきました。
ぐしゃ!
あまりに隙だらけだったので、思いきり上段からメイスを振り下ろし、ポイズンスパイダーの腹を叩き潰しました。あまりの手ごたえのなさに、何度かメイスで殴りつけて確認したのですが、やはり若い個体だからか表皮は柔らかく、紫色の液体を流してあっさりと死んでいます。
「おかしいですね」
その後も、這い出てくるポイズンスパイダーをメイスで殴りつけて討伐。メイスを振り下ろすだけで、ポイズンスパイダーの身体の一部が潰れていきます。
「若い個体しかいないのでしょうか?」
訝しげに狼に聞いても、もちろん答えはありません。
調査するため、廃坑の中に入りました。
魔石灯で足元を照らしながら、魔力の壁を展開。毒液の攻撃が来た方向へ行き、メイスで殴りつけていくだけ。
途中で卵や、糸に覆われた山賊と思しき死体や皮と骨だけになった熊の死体がありました。卵は全て潰していきます。
最奥に他の個体よりも大きい牛ほどのポイズンスパイダーがいましたが、表皮の固さはあまり変わりませんでした。むしろ小回りが利かず魔力の壁で囲み一方的に殴って討伐。今夜、討伐したポイズンスパイダーの中で最も簡単な相手でした。
観察にならず、非常に困ります。
一通り廃坑を見てから外に出ると、すでに狼の姿はありません。ねぐらに帰ったのでしょうか。囮役としてはちょうどよかったのですが……。
地図を見ると他にもいくつもの廃坑や鉱山があるようなので、明日から回ることに。
今夜はもう遅いので山の中腹にある山小屋へ向かいます。
「夜分にすみません。冒険者ギルドからポイズンスパイダーの討伐依頼を請けて来ました」
山小屋のドアをノックしながら声をかけると、髭面の大男がぬっと出てきました。山小屋のおやじでしょう。
「一晩、泊めてもらえませんでしょうか?」
山おやじは外を見まわしてから、私を見てきました。
「お前さん一人か?」
「ええ、一人です。雨風さえ凌げれば、いいのですが……」
「構わないが……。お前さん、その服の血はなんだい?」
見れば袖にべったりポイズンスパイダーの血がついていました。
「ああ、先ほど廃坑でポイズンスパイダーを潰して回っていたので、その時に付いたのです。明日の朝、洗濯するので気にせず。それよりも寝床を」
メイスを見せながら説明すると、山おやじも理解してくれたようです。
「わかった。奥の部屋にあるベッドを使ってくれ。俺しかいないから、どのベッドを使ってもいい」
「ありがとうございます」
山小屋は手前に食堂があり、奥に寝室があるだけの簡素な作りでした。
寝室には2段ベッドが4組置かれ、一番手前のベッドに荷物を置いて寝転がってみます。シーツは洗い立てのようで柑橘系のいい匂いがしました。
寝心地はよく、移動で疲れていたのか食事もせずに、いつの間にかその日は寝てしまっていました。