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魔境生活  作者: 花黒子
~知られざる歴史~
155/371

【ジェニファーのスカウトキャラバン初日・午前】



 昨夜は森で野営しました。

朝方、木に吊るしておいた血が抜けたジビエディアを解体。血の臭いを嗅ぎつけたワイルドベアと大きな蜂の魔物であるベスパホネットがやってきましたが、スライム壁で弾き返しました。


「この鹿肉は、あなた方の餌ではなく、お土産ですよ」


ジビエディアの内臓や頭を穴に埋め、焚火の跡にも土をかけておきます。魔境の生活ですっかり野営が板についてきました。


今日は午前中に軍の訓練施設まで行き、魔境の使者として情報交換。午後は町へと移動します。

 軍の兵たちは国中から集まっているはずですから、今、どこで、どういう魔物が繁殖しているのか情報も集まっています。魔物の繁殖地域ほど、魔境マニュアルの需要は見込めるでしょう。


ほとんど移動とマニュアル売り込みだけなので、それほど難しい仕事ではありません。

スカウトは、適材がいた時だけ誘ってみます。無理強いして連れてきても魔境ではやっていけないことがわかりましたから。



 訓練施設で畑で作業中の兵に挨拶をすると、すぐに隊長さんが出てきてくれました。


「おや、今日は僧侶の方でしたか」

「おはようございます。こちらお土産です」

「お土産? 交渉ではなく?」

 大樽ほどの鹿肉を手渡すと、驚いたように聞いてきました。


「ええ。先日は、訓練生のサポートが十分ではなかったようで、すみませんでした」

「ああ! 教官の方ですね。いえいえ、サバイバル訓練ですからサポートなど必要最低限で構いません。むしろ全員生きて返してくれて感謝しているくらいで」

「でも、心が折れてしまった訓練生たちもいたのではないですか?」

「確かに、帰ってきた者たちは皆一様に気落ちしてたんですが、気配を感じ取れるようになったというか、耳がよくなったというか……。あなたが来るのも彼らが教えてくれたんです」

「そうですか。なにか少しでも向上していたら、よかったです」

 教官として、持ち直してくれたのなら少し安心できました。


「わざわざ、それをお詫びに来たんですか?」

「いえ、今日は魔境の使者として参りました。訓練生たちのお陰で、魔境のサバイバルマニュアルができたんです」

「マニュアル……??」

「これを国中の冒険者ギルドに売ろうと思いまして。よろしければ、情報交換をしませんか?」

「ええ、そりゃあ、もうすぐにでも! ですが、こちらから魔境にとって得になるような情報がないのでは?」

「いえ、兵の皆さんは各地から集まっていると思いますので、今の季節に繁殖している魔物を教えていただきたいのです」

「ああ、そういうことなら。どうぞこちらに」

 隊長さんが案内してくれたのは、広い食堂でした。


午前中で飯時はすでに過ぎていて、食器を洗う音が厨房から聞こえてきます。

しばらく待っていると魔境の教官である私が訓練施設を訪れたことを聞いた訓練生たちが集まってくれました。

他にも施設内の兵士の皆さんが、たった数ヶ月で魔境に順応した私を一目見ようと、食堂内に押しかけてきています。


「普段、マキョーさんが来た時もこんな感じなんですか?」

「いや、マキョーくんにはあまり兵士たちも近づけないからね」

「愛想をよくした方がいい、と伝えておきます」

「そういうことじゃなくて、彼は足が速いからついていけないんだ」

「ああ、そういうことですか」

 確かに、マキョーさんの足の速さに一般人がついていくのは難しいでしょう。

「それより数か月前には冒険者のパーティーを追放された僧侶が、どうやって魔境の教官にまで上りつめたのか教えてほしいよ」

 そういえば、この訓練施設の方々が『白い稲妻』を抜けた私を介抱してくれました。あの頃の私は魔境に行き、死に場所を探していたのです。今考えると赤面するほど恥ずかしいですね。

「その節はお世話になりました。魔境にはそれほど人が住んでいませんから、自然とこうなれます」

 兵士が出してくれたお茶と一緒に、過去の恥も飲み込んでしまいます。隊長さんはエスティニア王国の地図を取りに、一旦退席し、代わりに魔境のサバイバルに参加していた訓練生たちが集まってきました。


「どうやったら、あんな場所で住めるんだよ……」

 テーブルの席に着いた髭面だった訓練生のひとりがそう呟きました。今はつるりとした頬を晒しています。

「髭を剃ったようですね」

「ええ、自分は変わらないといけないことがわかりましたから、見た目も意識も変えようと思ったんです。それより、魔境から帰ってきたら足の甲にあった古傷が治ってるんですが……」

「チェルさんが治したのでしょう」

「あの魔族の教官ですね。あの方は何者なんですか? 私は何度も命を救われました」

 隣に座っていた入れ墨が多い女性兵士が、真剣な眼差しで聞いてきました。

「魔境のパン屋さんです」

「そんなはずないですよ! 私の骨折も治すなんて、教会の僧侶でもできません!」

「魔物に噛まれた傷もきれいさっぱり治しちまったんだぜ!」

 他の兵士が服をめくってきれいな腹を見せてきました。

「そうでしょうね。僧侶の私よりも回復魔法は得意なんです。いえ、回復魔法というよりも魔法全般ですが……」

 チェルさんの魔法程度で驚くなら、やはり訓練にマキョーさんは参加しない方がいいかもしれません。余計、混乱を招きそうです。


「どうしてそんな彼女がパン屋なんて……?」

「好きだからでしょうね。得意なことと好きなことは違いますから。少なくともチェルさんは魔境で一番パンを焼くのが好きなんです」

 私がそう言うと、呆気にとられたように黙ってしまいました。

「皆、よく考えてみろ。魔境でパンを焼くなんて正気の沙汰じゃないぜ」

 腹を見せていた訓練生の言葉で、なぜか皆、納得していたようです。魔物や植物が襲ってくる中、のんびりパンを焼いているなんて今の彼らにとってはおかしなことなのかもしれません。


「今はそう見えるかもしれませんね」

「教官、我々はどうすればよかったんですかい?」

 いつも眉間にしわを寄せていた訓練生が、憑き物が落ちたような緩んだ表情で聞いてきました。

「そのマニュアルを作ってきました。要は訓練生の皆さんに足りなかったのは、観察と状況判断です」

 マニュアルが書いてある冊子を取り出して、テーブルに開いて見せました。冊子には図も描いてあるし、練習問題も書いてあります。


「『例えば、身の丈が自分の3倍あるワイルドベアがいたとして、爪は鋼鉄のように硬く、ワニと同じほどの噛む力があったらどう対処するか?』が問1ですか?」

「まず逃げますよね?」

「でも、ワイルドベアですから、どうにか罠を仕掛けて倒すのでは?」

 訓練生たちは思い思いに、自分の狩猟プランを口にします。


「いや、ちょっと待ってくれ。問2がイカれてる……」

 髭を剃った訓練生が冊子を指さしました。


『問2:そのワイルドベアが飛行能力を持って、尻にはベスパホネットと同様の針を有していた場合はどう対処するか?』


「こんな魔物は見たことがない。あり得ない」

 未だ外の常識にとらわれた訓練生が鼻で笑いました。

「そう。あり得ない魔物がいるのが魔境です」

「魔境の住人なら対応できるって言うんですかい?」

「おそらく誰でも対応すると思いますよ。離れて観察し、状況を判断し、攻略していくんです。思考停止が一番の悪手です。魔境では死を意味しますから」

「そう言われても……こんな化物どうやって対処するって言うんです?」

「例えば、飛行能力は羽があるのか。腕の関節はどうなっているのか。動きを止めるとすれば、何が考えられるのか。地面に叩き落として、動きを制限させるだけでも違うんですよ」

「では、魔境の住人なら、こういう化物の対処は朝飯前にできて当然ということですか?」

「それほど難しくはないでしょう。それぞれ対処にかかる時間は違うと思いますが……」


 ただ強いだけの化物が襲ってくる程度なら、マニュアルなんて作る必要がないのです。毎日、化物に対処するだけでいいのだから。化物の動きを止めて、トドメを刺すだけなら、誰でもできます。

 魔境はヘイズタートルやロッククロコダイルのような化物だけでなく、小さな植物や大量に発生する虫。自然災害などの環境や、巨大魔獣、ダンジョンなど、対処しなければならない問題が次から次へと立ちはだかります。

さらに魔境には想像と違う攻撃、予想の遥か上を行く成長速度で生きているマキョーさんやチェルさんがいるのです。ヘリーさんやシルビア嬢は独自の道を歩み始め、リパくんは判断能力だけなら私よりも早くなってしまいました。カリューさんに至っては、ゴーレムという存在感そのもので他を圧倒しています。

 このマニュアルは、もしかしたら私が自分のために作ったのかもしれません。化物を越える怪物たちと一緒に過酷な状況で生活する方法が、そのまま魔境でのマニュアルになるのだから。

「ただ、魔境に一度でも訪れた皆さんならわかると思いますが、マニュアルはあくまでもマニュアルです。実践でどれだけ通用させるかは、意識次第です」

「「「はい」」」

 集まった訓練生たちは、大きく頷いていた。


「やあ、お待たせしたね」

 隊長さんがエスティニア王国の地図を抱えて戻ってきて、テーブルに広げてくれました。

「総評は終わったかな?」

 静かになってしまった食堂で、隊長さんが気を遣い、そう聞いてくれました。

「いえ、総評なんて偉そうなことはしてませんよ。それより、今日は皆さんに教えてもらいたいことがあってきました」

「俺たちに?」

「まもなく夏が終わり、春に生まれた魔物の子供たちが狩りを覚えた頃です」

 実りの秋が来れば、草食動物も冬のために食糧を貯えます。魔物ならば、そこを狙うでしょう。

「秋になると、最も危険な地域を教えていただけませんか?」

「でしたら、北部のホワイトオックスはどうです?」

 訓練生たちは身を乗り出して、地図に指をさしていきます。

「西の王都周辺も秋口になれば、山からフィンリルが下りてくると言われていますよ」

「南の海には海獣を追ってサハギンが来るとか……」

「中央の平原や沼地にはゴブリンやリザードマンが街道を行く馬車を襲ってました」

「結局は、ぐるりと王国を一周することになりそうですね」

 どこも魔物の被害は出ているようです。冒険者の稼ぎ時でもあるので、できるだけ早めにマニュアルを広めておきたいところ。どこから始めましょうか。


「被害の多い地域から始めようかと思うのですが……?」

私がそう聞くと、なぜか訓練生たちは入れ墨が多い女性兵士を見ました。

 女性兵士は、おもむろに袖をまくり大きなヘビの入れ墨が入った肩を見せてきました。

「今はタトゥーで隠していますが、昔は奴隷印が入っていました」

彼女は奴隷から軍の兵士になり、奴隷のしるしを隠すために入れ墨を入れているのだとしたら、相当な苦労をしたことでしょう。

「出身はどちらですか?」

「ホワイトオックスの近くに古い鉱山がいくつもあるんですけど、その近くの里です。廃坑に魔物が巣くっているはずですけど……」

 そこで彼女は口を噤み、下を向いてしまいました。

「思い出したくないことがあるなら、言わなくていいですよ。ホワイトオックスは、確か、ダンジョンがあったのではありませんか?」

「うん、牛鬼一族が取り仕切ってるね。亜人や獣人への差別も少なく、発展している。ただ、発展しているダンジョンの周辺は闇も深い」

 隊長さんが腕を組んで説明してくれました。確かに、冒険者も商人もおそらくダンジョンを目指してホワイトオックスには行きますが、周辺にまで目を向けることはしないのかもしれません。


「廃坑の魔物が山道に現れると、通行禁止になります」

 下を向いていた入れ墨の彼女が、お茶で口を湿らせ話し始めました。

「冒険者が山道の魔物を倒すまでということですね?」

「いえ、冒険者は来ません。滑落や崖崩れなどの危険が多いわりに報酬は低いですから。奴隷商が来る春までは、里から出られなくなります。里から出るには奴隷になるか、山賊になるかの二択です」

「そうですか……」

 生まれた時点で人生が決定する地域があります。私も親に言われて老人に嫁がされそうになりましたから、よくわかります。閉鎖された里なら、親の言うことを聞くしかないでしょう。

 もしかしたら、私が作ったマニュアルが、山里の人にとっては選択肢になり得るかもしれません。


「なるほど。このマニュアルが役に立つかもしれませんね」

「はい。ぜひ広めてください。お願いします」

 深く頭を下げる彼女の入れ墨を私は忘れることはないでしょう。



 最初の行先をホワイトオックスのダンジョン周辺に決めました。

 距離が遠いので脚のストレッチをして可動域を柔らかくし、魔力の流れを確認します。

 隊長さんが「こちらができることはこれくらいだから」と王家の紋章が入った印籠と、私が『魔境の使者』であることの証明書を書いてくれました。これで、困ったときは軍の兵士に頼ることができます。


「お世話になりました。ありがとうございます!」


 お礼を言って、街道を走り始めました。

 訓練施設からは剣をぶつけ合う金属音が鳴り響いています。

 薄い緑の香も、脚から伝わる石畳の感触も、主張しすぎない夏虫の鳴き声も心地いい。

 

「そうだったんだ……」


 魔境から出ると、視野が広がっていることに気づかされます。



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