【攻略生活31日目】
翌朝、濃い霧が出ていた。
魔物の叫び声が聞こえてくる。
ギョェエエエエ!
インプはわかる。
キィイエエエエ!
グゥオオオオ!
アギャギャギャ!
かなり多くの魔物が濃霧の中で戦っている。すでにカエルの鳴き声など聞こえない。
「夜中からずっとこれか?」
「そ、そ、そうだね」
杖を削りながら、シルビアが答えた。
「ほら、例のコップ」
枝を選別していたヘリーが指さした方向には切り株があり、その上に氷魔法が描かれたコップがある。誰も触れていないのに、コップの表面の雫が凍っている。
「魔力が漂ってるのか?」
「この霧は魔法かもしれない。そういう魔物を知ってるか?」
「知らない。いや、P・Jの手帳に描いてあったかな?」
思い出してページをめくっていると、大きな貝の魔物が霧を発生させて船乗りを惑わすと書かれていた。名前がついていない所を見ると、もしかしたらP・Jは発見せず、伝承かなにかで聞いたのかもしれない。
「ヘビとキジの間に生まれるハマグリという魔物がいると聞いたことがある。霧を発生させて、幻を見せるとか」
ヘリーと同じように枝を選別していたカリューが説明してくれた。
「そうか。幻が見えるといいんだけどな……。沼には行ったか?」
「いや。時々、坂を上って逃げてくる魔物はいたけど、捕まえてはいない」
「ラ、ラーミアとヘイズタートルみたいな大きいのも逃げていたから、危険だと思って……」
「無理に危険に近づくことはないな」
「ボバヨー」
チェルが起きてきて、あくびをしながら挨拶してきた。
「なにコレ?」
「魔物が霧を発生させてるらしい。チェル、晴らせるか?」
「やってみるカー!」
チェルは魔封じの腕輪を外して、ブンッと腕を振った。
周囲の霧を吸い取り、チェルの腕に水滴がまとわりついていく。
霧に覆われていた坂が少し先まで見えるようになった。
「行けそうだけド?」
「ちょっと様子だけ見に行くか。悪い、シルビアとヘリーは朝飯作っておいてもらえるか?」
「わ、わかった」
「無茶するなとは言ってもしょうがないだろうから、深追いはしない方がいいとだけ」
シルビアとヘリーに見送られ、寝起きの俺とチェルは霧を晴らしながら、坂を下った。
断続的に魔物の叫び声が聞こえてくる。
大きなヘイズタートルが首を振りながら沼に入り、仰向けになっていた。混乱しているようだ。
「霧に毒を混ぜられると見分けがつかないな」
俺もチェルも、顔を洗うために持っていた布で口を覆い、マスク代わりにする。
ドシンッ。
近くの森でなにか大きなものが地面に倒れるような音が聞こえた。
森に入ると、大猿の魔物が倒れていた。倒れた時に付いた傷はあるものの特別外傷はなく、脈も呼吸もある。毒か魔法で眠らされているようだ。
「視線を感じるな」
「ウン」
大猿の魔物の上で調べていると、いろんな方向から刺すような視線を感じた。獲物を取られたときの魔物のような視線だ。
霧を発生させている奴か、毒を持って他の魔物を混乱させている奴が近くにいる。
「そろそろ、やるか?」
そう言って俺は足と腕に魔力を込める。チェルもまとわりついていた水を捨てて、両手に魔力を込めている。
「いくヨ」
「おう……」
俺の返事で、一気に周囲にさらに濃い霧が発生する。チェルの魔法だ。そのまま霧を集め水球に変えて、空に上げる。
周囲から霧が消え、遠くまで見通せるようになった。
視線の主は、木々に留まっていたゴールデンバットの群れ。目が赤く、犬歯が大きくなっているのか口を閉じれなくなっていて、いつもと様子がおかしい。薄っすら、毛が光っているようにも見える。飛蝗も大発生するときは色が変わるらしいが、ゴールデンバットも同じか。
ゴールデンバットが口を大きく開けるより前に、距離を詰めて腹部に魔力のキューブで穴を空けた。
トン、トン、トン。
人と同じくらいの大きさがある3匹のゴールデンバットから、肉のキューブが取れた。
木々に留まっているゴールデンバットも炎の槍で串刺しになっている。
キョェエ!
ゴールデンバットの警戒するような鳴き声が響き渡る。
再びどこからか霧が発生し始めた。チェルが水球を操作して霧を晴らしていく。
「東だヨ!」
ゴールデンバットはひとまず蹴散らすことにして、霧の発生源を仕留めることにした。
森を駆け抜け、ワニ園の先に向かい、丘を越えて、巨大魔獣の踏み跡を過ぎた頃、霧が突然晴れた。
「行きすぎたか。戻るぞ」
「たぶん、霧の中心は丘の辺りだと思うヨ」
チェルの言う通り、丘の付近は霧が濃かった。チェルが水球に集めても、後から後から霧が発生していく。
俺のすぐ横をジビエディアが飛びかかってくるゴールデンバットから逃げるため、走り抜けていった。
俺は跳びあがって、ゴールデンバットの背中に乗り、周囲を見回した。霧を発生させるような魔物は見当たらない。P・Jのいう大きな貝などそもそも内陸にはいないはずだ。
ゴールデンバットの首を捻転させて、着地。
チェルが霧を晴らしていくので、沼地にいるゴールデンバットから魔物たちが逃げ出して、こちらに向かってきている。
「魔物を混乱させてるのはゴールデンバットで間違いなさそうだネ」
チェルが指さす方を見ると、ワニ園のロッククロコダイルが、ゴールデンバットに血を吸われたあと、暴れながら森を進みひっくり返っていた。
外傷は噛み痕一つだけだ。大猿に噛み痕があったとしても、ソナー魔法を使って内部を調べないと見分けがつかない。
じゅる。
なにかを吸うような音が一瞬聞こえた。
「今、変な音が聞こえなかったか? なにか吸うような……」
「叫び声がうるさくてわからないヨ」
魔物の叫び声は多いが確かに聞こえた。
じゅる。
「また、したぞ」
「今のは聞こえたネ」
チェルも音に気が付いたようだ。
「もしかして地下か?」
俺は地面に手を当て、魔力を放つ。返ってきた魔力ですぐに理解した。
「丘だ。この丘が貝の魔物・ハマグリだ」
「ハア?」
木々が生えている丘が二枚貝の大きな魔物だった。それが霧を発生させ、逃げ出している魔物を吸って取って捕食している。
魔境では内陸でも特大の貝がいる。疑うべきは常識の方だ。
カエルの大発生によって集まってきた魔物を捕食している。
「ゴールデンバットもハマグリもカエルの大発生を利用して生きてるんだ」
ハマグリの上に登り、地面に見える殻を魔力のキューブで抜き取る。白い貝殻の断面のキューブが取れた。中身はチェルが氷魔法で固めてしまった。後は俺が拳で割るだけでいい。
周囲に発生していた霧が晴れて、朝日が差し込んでくる。
目の前に血が抜けてミイラ化したフィールドボアの死体が降ってきた。
空にはゴールデンバットの群れが飛んでいる。特大ハマグリの上から見ても、沼の近くではロッククロコダイルとラーミアが争い、その横でゴールデンバットがロッククロコダイルとラーミアの子を攫っている。
混乱させて争わせ、その隙に子を攫う。さらに、争っている魔物たちがひっくり返ったら、それも食う。ゴールデンバットはハマグリの霧に乗じて、これをやっていたようだ。
すでに沼周辺には、ひっくり返った大きな魔物と、血を吸われて干からびた魔物の死体が大量に転がっている。大猿の魔物にも、多くのゴールデンバットが群がっていた。
「環境に適応するためとはいえ、なかなかエグいな」
「焼いていコウ」
俺とチェルは見えている範囲のゴールデンバットを、焼き殺していった。
魔物たちの叫び声と、ゴールデンバットの警戒音が一層大きく鳴り響く中、淡々と処理していく。
真っ黒に焼け焦げたゴールデンバットで、沼の周辺が黒く染まった。
ひっくり返っていた魔物が起き上がり、朝飯の匂いが漂ってきた頃、俺たちは手を止めて家に帰った。
「ただの混乱というよりも精神魔法に近いな」
皆に報告したあと、ヘリーがゴールデンバットの魔石を見て言った。
「ひ、一噛み目で興奮させて攻撃性を上げ、状態異常にして動かなくなったところを食べるなんて吸血鬼みたいなことをするね」
「とりあえずしばらくはコウモリの肉は食いたくねぇな」
「特大ハマグリの死体はどうするんですか?」
「一旦、殻を割って身をむき出しにしておけば、魔物たちが食うだろう……。あれ? 誰が殻を割るんだ?」
聞いた俺の方を、皆が見ている。
「俺か。皆も片づけは手伝ってくれ」
「魔石の回収はしますか?」
「した方がいいな。杖にはしない方がいいと思うけど」
「また誰かが魔境に攻めてきた時にでも使うカ?」
「そうだな。そうならないことを願うよ」
結局、その日は一日中、コウモリを片付けていた。
魔石を抜いて焼くか、植物に食べさせる。お陰で、沼周辺の植物はよく育っているようだ。
ハマグリは殻の上に乗っている土や木々を落とし、細かく割って、中身をちぎってワニ園のロッククロコダイルの餌にした。凍っているとはいえ、元は海にいた魔物らしく磯臭かった。
夕方近くに、入り口の小川で身体を洗っていると、小屋で作業をしていたエルフの2人がギョッとして近づいてきた。
「辺境伯、大丈夫ですか?」
「え?」
「随分、疲れているように見えますが……」
「そうか? そうかも。この時期、魔物の大発生が続いていて、疲れてるのかも」
「ええ!? 食料とか足りてますか?」
心配してくれているらしい。
「食料とかは大丈夫なんだけど、大量に死体が出るから片づけが大変なんだ。人が足りないから人海戦術も限りがある。2人も、早いところ魔境に入れるようになってくれ」
「うぅ……はい」
「まだ自信はないです」
2人ともすまなそうにしていた。エルフの下層民は自信が足りないらしい。本国ではよほど地位が低いのか。
「道は作り始めてるから、訓練施設も用意しようとしてる。そのうち軍の方からも人を呼んでくると思うから、心づもりをしておいてくれ」
「わかりました」
すっかり森の狩人になってしまった2人でも、魔境は怖いのか。
「プライドに自信か……。どうしてたかなぁ~」
俺は魔境での生活を振り返ってみたが、ほとんど必死だったので、そういうものとは縁がなかったように思う。持ったとしてもすぐにへし折られるのが常だ。
今日も常識を壊された。
スライムを蹴っ飛ばしながら、身体を拭いて家へと帰る。
夕暮れの風が気持ちよかった。