【攻略生活14日目】
空は暗く、雨は止まない。
俺たちは耳を澄ませていた。
井戸の外で、巨大魔獣待ちの状態が続いている。いつ来ても後れを取らないように、俺もチェルもコートを着て、荷物も準備してある。
牛ほどの大きなハイギョの群れが、近くにできた濁流で暴れている。それを時々、ワイバーンやデスコンドルが空から急襲して攫って行こうとするが、逆に食べられてもいるようだ。相変わらず、魔境では弱者と強者の違いはないらしい。
一気に咲いた多肉植物の花は雨に打たれて散り始め、魔石灯の明かりを近づけると茎に蓄えた魔物を消化しているのが見えた。
いつも通りと言えば、いつも通り。
ハイギョを捕まえて捌いてみたが、やはり泥の臭いはなかなか取れず、香草焼きにしないと食べれたものではなかった。
結局、井戸の中で過ごすことに。
空がずっと暗いので確かなことは言えないが、腹具合からいって昼を過ぎた頃だろうか。
突然、魔物たちの気配が消えた。
ハイギョが泳いでいるのも、ワイバーンの鳴き声も何一つ聞こえなくなり、濁流すらも緩やかになった気がした。
雨だけは変わらず降り続けている。魔物の骨とフキの葉で屋根を作り、井戸に入る雨粒を防いでいるが、突風でも吹けば飛んでいってしまうだろう。
なるべく身体が冷えないように動いているだけだ。
薬草を煮込み、ペースト状にして葉に包んでおく。巨大魔獣に乗り込んだら、擦り傷程度でも油断できない。
仮眠も十分取り、チェルと手合わせをして魔力の流れを確認。チェルは魔封じの腕輪を外しているので、俺より魔力の出力は多い。
「違う。マキョーからの入力が大きいから出さないといけないダケ」
「留めたほうがいいのか。微調整は難しい」
使う筋肉にだけ魔力を込めるというのは難しい。自分の筋肉を内側から見ていくような作業だ。少しでも緊張すると首に力が入ってしまうし、姿勢を保つだけでも腹筋と背筋を使っている。そこに魔力を使わず、動かす部位を意識する。他の部位は意識的に脱力しないと、精度が落ちてしまう。
「岩とか魔物も降ってくるからネ」
「別に突っ込んで攻撃してくるわけじゃないから、受け流すだけでいいんだよな」
井戸から出て、雨粒を魔力で受け流していく訓練を始めた。もうすぐ巨大魔獣が現れるというのに、呑気なことをしている自覚はあるが、動いていないと落ち着かないのだ。
まず降ってくる雨粒を捉えるところから始める。
魔力を頭の上に飛ばし、そっと雨粒の方向を逸らしていくだけ。風が吹けば、一気に変わるので、正確にはできない。単純に魔力のキューブで全身を覆ってしまえばいいのだが、知覚することが大事だ。
結局のところ、魔境で役に立つ能力は観察する力くらいだ。あとは適応するだけ。それは巨大魔獣に乗り込んでも変わらないだろう。
空が一層暗くなり、雨が突然止んで霧が出始めた。
空気は冷え、吐く息も白い。
ズン……。
見上げれば黒い雲に稲光が張っている。
その光の向こうに巨大な壁が突然現れた。
風が吹き、川の水が押し寄せてくる。
「来た!」
井戸の中で休んでいるチェルに声をかけ、俺は荷物を担いだ。
数秒で全員が井戸から出てきた。
初めて巨大魔獣を見る面々は、声も出せずに固まってしまった。
森に雷が落ちて、バケツをひっくり返したような雨が断続的に降り始めた。
「行くぞ!」
「ウン!」
「ジェニファー!?」
ジェニファーは自分の足と頬を何度も張って、動かなくなった身体を解そうとしている。スライム壁で一気に上空へ跳ぶので、近くまでは同行してもらわないといけない。
「マキョーさん、背中に一発お願いします!」
パンッ!
背中を思いきり張ると、ジェニファーはようやく動き始めた。
「いってきます!」
振り返らずにジェニファーが走り始めたので、俺たちも後を追う。
残った3人の「いってらっしゃい!」の声が、少し遅れて聞こえてきた。
脚に魔力を込め、踏み跡がある森まで一気に走る。川に埋まったり、泥で滑ったりするのでチェルが足元に土魔法で道を作ってくれた。
立ち止まりそうになるジェニファーに、チェルは、
「止まらなくていいヨ」
と、頼もしく言っていた。
ようやくジェニファーも怯えが消えたのか、飛んでくる岩や固い昆虫の魔物もすべて弾いていく。
走る速度が上がる。
ズン……ズン……。
巨大魔獣の山脈は見えてはいるが、なかなか近づけない。
強い風が横から吹いてきて、勢いよく上空へと巻き上がる。
俺は魔力のキューブで風を防ぎ、そのまま走り抜ける。すぐ後ろに竜巻が起こり、上空へと伸びていた。
「ジェニファー! 先行して、スライム壁を作って待っておいてくれ。勢いを殺さずに乗り込みたい!」
振り返ったジェニファーは「これ以上スピードを上げるのは無理だ」という表情をしていたが、チェルがジェニファーの足に魔力を注いでいた。
「大丈夫! 任せて!」
そう言ったチェルの手から突風が吹いて、ジェニファーを前方へと吹き飛ばした。その勢いのままジェニファーは走り始め、森の奥に消えた。
3秒後には俺たちもその森に突っ込んでいた。
枝。藪。幹。すべて魔力を纏った裏拳で弾き、走り続ける。地面を踏みしめ、一気に巨大魔獣へと近づいていく。
前方の踏み跡に光が見えた。
「跳んでください!」
ジェニファーが魔石灯を円を描くように回し、スライム壁の位置を教えてくれる。
俺とチェルは迷わずスライム壁を思いきり踏み、反動をつけて、空へと跳んだ。
弧を描いて落ちる前に、魔力のキューブを放ち時を止めるマントを使って足場を作る。
チェルも魔力のキューブの上に着地したことを確認し、巨大魔獣に上陸できそうな場所を探った。
暗い中、稲光の明かりと魔力のソナーを使って位置を決め、吹き荒れる風を防ぎながら落下。巨大魔獣の甲羅に生えた植物の葉の上に着地して、無事に上陸を果たす。
「どこを目指す!? 頂上か!?」
暴風で音がほとんど聞こえないため、チェルが俺の耳元で叫んだ。
「いや、とりあえず甲羅に降りよう、葉っぱが俺たちを飲み込もうとしてる!」
くるくると葉が丸まり俺たちを取り込もうとしていた。巨大なオジギ草の亜種だろう。
パンッ!
魔力を纏った拳で葉に穴を空けて、甲羅の地面に降り立った。
黒い岩がそこら中に転がっていて、ズン……という足音とともに岩同士が震える。その岩の隙間から、カム実やオジギ草、ヤシなど魔境で見慣れた肉食の植物が伸びていた。光合成をしないためか、色が赤いことと馬鹿みたいに大きいこと以外はだいたい魔境と変わらない。
甲羅の縁は緩やかな斜面なので、振動があってもそれほど移動しにくいということはないようだ。
植物群が風を防いでくれているので、落ち着いて計画を立てる。魔物の叫び声は聞こえているが、巨大魔獣の上を駆け寄ってくる気配はない。おそらく竜巻で舞い上がった魔物の声だろう。
「とりあえず、ここは巨大魔獣の尾に近いだろ? 頭の方に行ってみよう」
山に登る前に、まず麓を一周して植物の生え方や、場所による環境の特性を見ておきたい。
「わかった」
チェルも興奮のためか、訛りはない。
俺たちは斜面は登らず、山を左手に見ながら、巨大魔獣の上を進んだ。
ほとんどハイキングと変わらないが、巨大な植物が襲ってくるし、何度も振動が地面から伝わってくるので、不思議な感覚ではあった。ただ、植物には、拳と魔法で対応できるし、振動も予想していた通りなので問題はない。
常に緊張しているためか、汗だけはよくかくので小休止をちょこちょこ取っていく。少なくとも1日分の時間はあるはずだ。
しばらく進むと、植物がなぎ倒されるように生えはじめ、ついには地面を這うような蔓や苔しかない所に辿り着いた。
斜面も急になり、突き出た岩場や崖が見える。もちろん防風のための植物がないため、強風が叩きつけてくる。
「少し登って、慎重に進もう。まだまだ時間はあるはずだ」
開けた場所なので、巨大魔獣の外を見たが、針葉樹林の枯れ木が竜巻で舞い上がっていた。
「了解」
俺たちはつるつるとした黒い崖を登り、足場を確認しながら頭部へと進む。
暴風も振動もあるので足場はよく崩れるが、魔力を性質変化させて崖にへばりついて、やり過ごすこともある。
ほとんど足場のない崖を進んでいると、途中で洞穴のような大きな窪みを見つけた。
ひとまず窪みに入り、休憩する。
「休憩ばかりだけど、進んではいるからな」
「わかってるよ」
擦り傷を確認し、患部に回復薬を塗っていく。水分と干し肉の塩分補給も忘れない。
チェルが壁に背中を預けて、干し肉を食べていると、壁が突然波打つように揺れ、中から発光する赤い大きな狼が口を開けて飛び出そうとしていた。クリフガルーダの大穴にいた魔物に似ている。
俺はチェルのコートを掴んで引き寄せ、迷わず巨大な狼の口に拳をめり込ませる。魔力のキューブで頭部ごと抜き取った。
次の瞬間、煙のように巨大な狼が霧散。牙だけが地面に残されていた。
「ドロップアイテムだ……」
チェルがつぶやいた。
「どういうことだ?」
「たぶん、ダンジョンのモンスターだよ」
「俺たちが入ったのはただの窪みで、遺跡なんかなかったろ?」
「巨大魔獣の中からはみ出してきてるんだよ」
「そんなことあるか!?」
「あり得ないことが起こるのが魔境でしょ?」
ドゴッ!
壁はさらに波打ち、巨大な手が俺たちを掴もうと伸びてきた。
俺たちは急いで荷物を背負い、窪みから脱出。なりふり構わず、魔力のキューブと時を止めるマントを使って、一気に移動する。
地を這うような苔や植物が、徐々に傾いて伸びる植物群に変わり、巨大魔獣の首が見えてきた。
「頭がない?」
「首はあるのに……」
巨大魔獣はカメなので甲羅の中に引っ込めているのかとも思ったが、伸びた首はある。
頭だけがない。
大きな植物をかき分けていくと、唐突に開けた場所に出た。
巨大魔獣の首の根元。傾いて伸びる樹木の下に、圧し潰されたような粗末な小屋があった。小屋の近くにはいくつかの墓がある。
「小屋だなぁ……」
「誰か住んでんのかな?」
「こんなところで?」
現実感のない光景を前に、しばらく眺めていると中に明かりが灯り、痩せた兵士が小屋から出てきた。
「え……!?」
兵士は俺たちよりも目を丸くして驚いていた。俺たちもマスクの下で口を開けて驚いているが、見た目はコートを着て顔を隠したただの不審者だ。
兵士の首筋には鱗。目は爬虫類のようだが、それほど怖くはない。どことなく訓練施設の隊長に似ている気がした。
「こんにちは……」
手を上げて挨拶をする。
「こ、こんにちは……、え!?」
それが俺たちと時の番人との初対面だった。