【魔族の国・ミシェル滞在記4(チェル篇)】
魔王城の手前で今の近衛兵たちが待機していた。
「処刑されるためにわざわざ戻ってきたのか? マスター・ミシェル」
近衛兵の一人が前に出た。おそらく兵長だろう。強そうには見えない。
「いや、呼ばれたから来ただけだよ。用があるのは魔王じゃないの?」
「ここで首を刎ねて魔王に献上すれば、その用もなくなるさ」
私が戻ってくると自分の立場が脅かされると思っているのだろう。
「傭兵上がりにしちゃ、立ち位置にこだわりがあるんだね?」
「風向きが変わることもあるだろ?」
随分待遇がいいらしい。
「そうか。でも、変わらないこともあるでしょ? 例えば、守れるかどうかとかね」
周囲にはすでに水球がいくつも浮かんでいる。闇夜に紛れていて私の魔法に気が付かなかったらしい。
「いつの間に!」
「詠唱を唱えないとは卑怯だぞ!」
「臆するな! 対象は見えている!」
私は足に魔力を込めて走り出した。
空中に浮かぶ水球に気を取られた近衛兵のすぐ脇を通りすぎ、地面に手を触れて土壁を作り出す。
高い壁は魔王城の入り口を完全に塞ぎ、近衛兵たちの声すら届かなくなった。
目の前の大きな鉄の扉を開くとそこかしこから魔法の詠唱が聞こえてくる。おそらく精神魔法の一種だ。ただ、ヘリーが作ったお守りがあるので、私には効かない。
使い魔らしき黒鷲が踊り場や階段の手すりに並んでいる。
「魔王の座を奪いに来るなら、城ごと盗るよ。呼んだのはそちらだろ。案内してくれないか?」
私は鞄の中で眠っている黒鷲を起こした。
「お待ちしておりました。マスター・ミシェル」
低くくぐもった声が聞こえてきた。その声で聞こえていた詠唱が止まる。暗かった城全体が明るくなった。
階段の脇には執事が頭を下げた状態で立っていた。魔王城の執事は、まるで何百年もそうしていたように微動だにしない。
「魔王に呼ばれた」
「伺っております。新しい魔王が着任して間もないため、少々現場の伝達系統が荒れております。魔王城の執事として、謝罪いたします。どうか私の首だけで勘弁してもらえないでしょうか」
「首はいらないよ。魔王のとこまで連れていって」
「かしこまりました」
執事は滑るように階段を上り、足音もなく私の前を歩いた。
廊下の脇にある調度品の鎧にも魔族が潜んでいるし、天井の魔石灯には黒いネズミの使い魔がこちらを観察している。前に連れてこられたときは気付かなかった。魔境でのサバイバル生活で一番身についたのはこういう観察する能力かもしれない。
奥の赤い扉が開いた。
両脇の壁には黒衣の魔法使いたちが顔を伏せて並んでいる。王座には魔法学院で一緒だったジュリエッタの姿。今の魔王は、学生時代と変わらず怯えた表情で私を見ていた。
「よく来たわね。ミシェル」
「久しぶり、ジュリエッタ」
しっかり彼女を正面から見たのはいつ以来だろうか。
「『もう関わるな』という手紙が届いていたのだけど、来てくれたのね」
「クリフガルーダとエルフの国から親書が届いたって聞かされたからね。それに、先代からも呪いをかけられてしまったし、ダンジョンにも用があるんだ」
先代とダンジョンのことを持ち出すと、ジュリエッタはあからさまに狼狽した。
「どうして? どうしてあなたなの? 今の魔王は私よ! 私だってちゃんとやれるわよ!」
「知ってる。魔法学院を首席で卒業したのもジュリエッタだし、実力も皆認めているよ。内政だってうまくやってるから、大きな反乱が起きてないんでしょ? 少しだけ町や村を見て来たけど、どこも崩壊してなかった」
「なら、どうして誰も私を魔王とは認めてくれないの?」
「ジュリエッタ、まだ3ヵ月よ。もしかして一晩で魔王と認められると思ってた? これから立派な魔王様になっていけばいい」
「そうね。これも魔王の定め。幼い頃からの学友だけど、民衆からあなたという選択肢を取り除くのも魔王としての務めよね」
ジュリエッタは泣きそうな顔で私を見て、装飾が施されたナイフを手にした。
両脇にいた黒衣の魔法使いたちが詠唱をはじめ、私の腕に金属のように硬い鎖を巻きつけた。魔力を少し吸われているみたいだけど、特に気になるレベルじゃない。
「王の間ですぞ!」
執事が叫ぶ。魔王の御前で、些末な拘束魔法など不敬ということだろう。
私は片手を上げて執事を制し、魔封じの腕輪を外した。巻き付いていた鎖を掴み、呪いを解放する。
両脇にいた魔法使いたちが次々と魔力切れを起こし、倒れた。
「先代の呪いで、周囲の魔力を吸ってしまえるようになったの。ステュワートだったっけ?出来れば、王の御前に相応しくない者たちを運び出してくれると助かる」
「かしこまりました」
執事ことステュワートはすぐに人を呼び、黒衣の魔法使いたちを運び出してくれた。
ジュリエッタはナイフを持ったまま、私を見てぶるぶると震えている。
「ジュリエッタ、ナイフは持ったね。準備ができてるなら、とっとと行こう」
「……どこに?」
面食らったようにジュリエッタは喉が詰まったような声で聞いてきた。
「ダンジョンに決まってるでしょ。他に装備や非常食がいるなら用意してもらって」
「でも、ダンジョンは開かないわよ!?」
「魔王のダンジョンなんだから、魔王が開けなくてどうするの? いいから、鍵持ってダンジョンの間に行くよ」
魔王の間からダンジョンの間までなら先代に連れて行ってもらったことがあるので覚えている。間違っても使用人たちに聞けばいい。
私はもたついているジュリエッタを置いて、ダンジョンの間へと向かった。
古代の魔法陣が彫られた大きな壁が、部屋の真ん中に鎮座している。壁の中央には小さな丸い穴が空いていて、そこに鍵を入れて回して魔力を込めれば開くはずだ。
ただ、ダンジョンの部屋自体にあまり人が踏み入れていないようで絨毯が泥で汚れたままの状態だ。ステュワートに聞くと、魔王以外は立ち入り禁止になっているのだとか。
「あれ? でも私は連れて行ってもらったけど?」
「ああ、それはミシェル様が、いずれ必ず魔王になるからと先代が思っていたからでしょう。私どももこのような未来は予測しておりませんでした」
「現実は驚きの連続だね。ところで何を持ってきてるの?」
ステュワートは槍や剣などの武器と鎧やローブなどを抱えていた。
「ダンジョン攻略のための物資を用意するよう言われまして」
「そんなにいらないよ。何か補助魔法が付いた杖だけで十分だから」
「しかし、今の魔王様は……」
「そうだったね。ごめん」
ステュワートに言ってもしょうがない話だった。
「部屋の掃除はしていいし、なんかスープとか作ってあげておいて」
「かしこまりました」
使用人たちも急に思ってもみない魔王が就任して戸惑っているのだろう。
「用意できたわ」
ジュリエッタは鉄の鎧に鉄の棍棒という魔族とは思えないような格好で現れた。
「ジュリエッタ、ローブに着替えて。適当な補助魔法が付与した杖とナイフだけでいいから。それから鍵!」
有無を言わさず、私はジュリエッタを着替えさせ、鍵を受け取った。鍵は魔境にあったようなドーナツ状の石だが、模様ははっきりとした魔法陣が描かれている。
ジュリエッタが着替えに手間取っているうちにダンジョンを開けることに。
鍵を小さな穴に埋め込み、回転させて魔力を込める。部屋の真ん中に鎮座している壁が青白く発光し、ダンジョンへのゲートが出来上がった。
「ダンジョンが開いたわ」
「開けたんだよ。先に行くよ」
「ちょっとミシェル、待ってよ!」
私の後を追いかけてくるジュリエッタを見ると、学生時代とあまり変わらない気がした。先に歩いておけば、きっと追いついてくれるだろう。
暗い通路を抜けると、一角ウサギやフィールドボアが潜む草原に辿り着く。
「ミシェル! 魔物よ! 魔物がいるわ!」
「うん、ダンジョンなんだから魔物くらいいるわ。とりあえず、杖で魔物の動きを制限して、ナイフでとどめを刺していって」
「え? ど、どうするの?」
貴族の出だからか魔物は狩ったことはないそうだ。先ほど私を殺そうとしていたはずなんだけど、人と魔物は違うのか。いや、そもそも気が弱いから、だいたいのことは使用人や金で雇った傭兵がやってしまっていたのかもしれない。
「本来、このダンジョンは魔王が自分の能力を鍛える場だからね。あなたがここで強くならないと、メイジュ王国が魔境に侵略されると思って訓練して」
「そんな……。ミシェルが手伝ってくれるのよね?」
「ジュリエッタ、悪いけど私は他に用があるの。ここには誰も助けてくれる人はいないから、状況を判断して、考えながら戦って。死にかけたら、ちゃんとダンジョンの外に飛ばされるはずだから、思いきり戦っても平気だよ」
「どこが平気なの? うわぁっ!」
「持っているものしか使えないからね。早めにダンジョンに順応して。それじゃ」
私は草原を走り、下層へ続く階段を探した。
魔物が向かわない方向を観察していれば、階段はすぐに見つかる。下層に行けば行くほど、魔物の攻撃は激しくなり、魔物も強くなっていくのだが、魔境の魔物ほどではない。そもそも植物が襲ってこないし、動きさえ見ていれば魔物の攻撃も躱せる。
巨大な魔物でもヘイズタートルほどしかないし、竜が出ても魔境の火吹きトカゲやマエアシツカワズよりも鈍足で、魔力の流れが丸見えだった。
「マキョーはこれが見えてるのかな」
マキョーは力の流れを読むのが上手い。そもそも地中に魔力を飛ばして、埋もれた力を感知するほどだ。しかも、その力に魔力で干渉するとか言っていた。本当によくわからないことばかり言う。
「きっとバカなんだろうな」
魔境の主の不満を口にしながら、リッチとかいうゾンビの親玉みたいな魔物を四方から焼いて倒した。
人が苦しんでいる姿が装飾されている真っ黒い扉が現れた。装飾からしてダンジョンとしては開けられたくない扉なのだろう。
でも、気にせず先に進まなければならない。
「こんにちはー!」
元気よく挨拶しながら扉を開いて中に入る。
部屋の中は冷えていて、真っ暗な空間がどこまでも続いているようだった。先代の魔王は、もっと深層でダンジョンコアを扱っていたはずだが、その手前にある霊廟に用がある。
「どなたかいませんかー!?」
私の声が何もない空間に吸い込まれていった。なんの反応もない。
確か、この部屋に入った先代の魔王がなにかやっていたことを思い出した。
振り返って扉の方を探すと、ベッドサイドテーブルみたいな木製の台の上に小さな鈴が置いてあった。
「いざという時に歴代の魔王様たちから意見を伺うときに使いなさい」
先代の声を思い出した。
鈴には様々な魔法陣が薄く描かれている。とりあえず、ありったけの魔力を込めて鈴を鳴らしてみた。
ゴーン、ゴーン、ゴーン!
およそ鈴から出る音とは思えない大きな鐘の音が部屋中に鳴り響いた。
「うるさいなぁ! もう! そんなに魔力を込めなくても聞こえているわよ!」
先代の魔王が寝間着姿で滑るようにやってきた。白くて体の向こうが透けているので、霊体なのだろう。
「お久しぶりです。先代」
「あら? ミシェル。ようやく来たの? 待ちくたびれたわ。ほら歴代の魔王様に挨拶なさい」
先代の後ろから過去の魔王たちも続々とやってくる。皆、眠りを妨げられたことに不満そうだ。
「あ、どうも、こんにちは。すみません、起こしてしまったみたいで」
「お歴々の皆さま、これが現在の魔王です。よろしくお願いいたします」
「いや、先代、私は魔王じゃないですよ。今、上で魔物と戦ってるのが今の魔王・ジュリエッタです」
「え? じゃあ、なにしに来たの?」
「申し遅れました。私、魔境から海を渡ってきた特使・チェルと申します。この度はお歴々の魔王様方にお尋ねしたいことがあってやってまいりました」
「魔境から? なにを聞きたいっていうの?」
「1000年前即位していた魔王様に、魔法国・ユグドラシールについて伺えないでしょうか?」
私がそう言うと、魔王の霊たちはお互いの顔を見合わせて首を傾げた。
「もしくはミッドガードという都市の名を聞いたことがある方、いえ、ダンジョンで殺されたという聖騎士についてでも構いません。もし、知っていらっしゃる方がおりましたら、ぜひ話を伺いたいと思ってやってきました」
目の前の魔王たちが首をかしげるなか、奥から小さな声が聞こえてきた。
「竜人族の国・ユグドラシールと言ったかい?」
古いデザインのローブを着た魔王の霊がこちらに向かってきた。古い魔王だからか、先代は何も言わずに片膝立ちで頭を垂れていた。
「ユグドラシールは竜人族の国だったんですか?」
「そうだよ。私は愚王から散々聞かされたからね。魔境の特使と言ったね?」
「はい、私はユグドラシールの跡地一帯にある魔境に住んでいます」
「なるほどね。自分が住んでいる土地がどういった土地なのかくらいは知りたいってことかい?」
「その通りです」
「あい、わかった。誰か、史上最も優秀な魔法使いである愚王を起こしてきてくれないかい? 若い世代の疑問になら答えてくれるはずだ。特使よ。今の魔境の状況を愚王に教えてあげてほしい。おそらく彼女が全てを知っている。時空魔法を禁じたのは彼女だからね」
魔族なら誰でも知っている。時空魔法を使えば処刑されるということを。